【現代語訳】
女五の宮の御方にもこのように機会を逃さずお見舞い申されるので、とても感心して、
「この君が、昨日今日までは子供と思っていましたのに、このように大人びて、お見舞い下さるとは。容貌のとても美しいのに加えて、気立てまでが人並み以上にすぐれてご成人なさったこと」とお褒め申し上げるのを、若い女房たちはお笑い申し上げる。
こちらの方にもお目にかかられる時には、
「この大臣が、このように心をこめてお手紙を差し上げなさるようですが、いえもう、今に始まったご求婚ではありません。故父宮も、あなたが斎院という特別な身におなりになって、お世話申し上げることができなくなったのをお嘆きになっては、『考えていたことをあえてお断りになったことだ』などとおっしゃっては、残念そうにしていらっしゃったことがよくありました。
けれども、故大殿の姫君(葵の上)がいらっしゃった間は、母・三の宮がお気になさるのが気の毒さに、あれこれと言葉を添えることもなかったのです。今では、そのれっきとした奥方でおろそかにできなかった方まで、お亡くなりになってしまったので、ほんとに、どうしてご意向どおりになられたとしても悪いはずがあろうかと思われますにつけても、昔に戻ってこのように熱心におっしゃっていただけるのも、前世からのご縁であったのだろうと思います」などと、いかにも古風に申し上げなさるのを、気にそまぬこととお思いになって、
「亡き父宮からも、そのように強情な者と思われて過ごしてまいりましたが、今さらに、世の習いに従ったりしますのも、ひどく相応しくないことでして」と申し上げなさって、気恥ずかしくなるようなきっぱりとしたご様子なので、無理にお勧め申し上げることもおできにならない。
宮家に仕える人たちも、上下の女房たち皆が源氏に心をお寄せ申していたので、手引きするかも知れないと不安にばかりお思いになるが、かの当の源氏ご自身は、心のありったけを傾けて、心情を理解していただいて、相手のお気持ちが和らぐのをじっと待ってはいらっしゃるのだが、そのように無理してまでお心を傷つけようなどとは、お考えにならないようである。
《将を射んと欲すればまず馬を射よ、というわけでもないでしょうが、源氏が朝顔の君と同居している伯母の女五の宮にも挨拶をします。恐らく懇ろなものだったことでしょう、伯母君はすっかり感心してしまいます。若い女房たちが、それを笑うのは、もう三十歳を越えて、今や押しも押されぬ天下の第一人者である人を、まるで少年のように言った褒め方だからでしょう。彼女からすれば、稚児姿の甥にしか思えないのかも知れません。
心を動かされた伯母君は、同じように姪に当たる朝顔の君に、源氏の求婚を受けるのは故宮の希望でもあったことを改めて諄々と説いて聞かせます。「どちらも子どもだ、ひとはだ脱いでやろう、という気になる。老婆心である」と『評釈』が言います。
しかし、朝顔の君の心は、もはや動くよしもなく、侍女達が源氏を手引きするのではないかと警戒を怠らないといった案配です。
源氏の方も、かつてのような強引な振る舞いはなく、どうやらこの話は、女性の側の「気恥ずかしくなるようなきっぱりとした」拒否に会って、立ち消えるしかなさそうです。
前巻の終わりでそのことは十分だったのですが、一時代前の時代を生きている女五の宮にこのことを語らせることによって、この話が、いかにも時を失した話であることを印象づけていると言えましょう。
そしておそらく、朝顔の君自身も、例えば朧月夜尚侍の対極にあるような、この時代として随分古風な人なのでしょう。
この段のタイトルは、もとは「源氏、朝顔姫君を諦める」となっているのですが、源氏は決して「諦め」てはいないようですので、変えさせて貰いました。
さて、「前回までのあらすじ」はここまでで、物語は、この件をしばらく横に置いて、別の方向に新しい世界が開けていきます。