源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 朝顔姫君の物語

第二段 朝顔姫君の周囲の思い

【現代語訳】

 女五の宮の御方にもこのように機会を逃さずお見舞い申されるので、とても感心して、
「この君が、昨日今日までは子供と思っていましたのに、このように大人びて、お見舞い下さるとは。容貌のとても美しいのに加えて、気立てまでが人並み以上にすぐれてご成人なさったこと」とお褒め申し上げるのを、若い女房たちはお笑い申し上げる。
 こちらの方にもお目にかかられる時には、
「この大臣が、このように心をこめてお手紙を差し上げなさるようですが、いえもう、今に始まったご求婚ではありません。故父宮も、あなたが斎院という特別な身におなりになって、お世話申し上げることができなくなったのをお嘆きになっては、『考えていたことをあえてお断りになったことだ』などとおっしゃっては、残念そうにしていらっしゃったことがよくありました。
 けれども、故大殿の姫君(葵の上)がいらっしゃった間は、母・三の宮がお気になさるのが気の毒さに、あれこれと言葉を添えることもなかったのです。今では、そのれっきとした奥方でおろそかにできなかった方まで、お亡くなりになってしまったので、ほんとに、どうしてご意向どおりになられたとしても悪いはずがあろうかと思われますにつけても、昔に戻ってこのように熱心におっしゃっていただけるのも、前世からのご縁であったのだろうと思います」などと、いかにも古風に申し上げなさるのを、気にそまぬこととお思いになって、
「亡き父宮からも、そのように強情な者と思われて過ごしてまいりましたが、今さらに、世の習いに従ったりしますのも、ひどく相応しくないことでして」と申し上げなさって、気恥ずかしくなるようなきっぱりとしたご様子なので、無理にお勧め申し上げることもおできにならない。
 宮家に仕える人たちも、上下の女房たち皆が源氏に心をお寄せ申していたので、手引きするかも知れないと不安にばかりお思いになるが、かの当の源氏ご自身は、心のありったけを傾けて、心情を理解していただいて、相手のお気持ちが和らぐのをじっと待ってはいらっしゃるのだが、そのように無理してまでお心を傷つけようなどとは、お考えにならないようである。

 

《将を射んと欲すればまず馬を射よ、というわけでもないでしょうが、源氏が朝顔の君と同居している伯母の女五の宮にも挨拶をします。恐らく懇ろなものだったことでしょう、伯母君はすっかり感心してしまいます。若い女房たちが、それを笑うのは、もう三十歳を越えて、今や押しも押されぬ天下の第一人者である人を、まるで少年のように言った褒め方だからでしょう。彼女からすれば、稚児姿の甥にしか思えないのかも知れません。

心を動かされた伯母君は、同じように姪に当たる朝顔の君に、源氏の求婚を受けるのは故宮の希望でもあったことを改めて諄々と説いて聞かせます。「どちらも子どもだ、ひとはだ脱いでやろう、という気になる。老婆心である」と『評釈』が言います。

しかし、朝顔の君の心は、もはや動くよしもなく、侍女達が源氏を手引きするのではないかと警戒を怠らないといった案配です。

源氏の方も、かつてのような強引な振る舞いはなく、どうやらこの話は、女性の側の「気恥ずかしくなるようなきっぱりとした」拒否に会って、立ち消えるしかなさそうです。

前巻の終わりでそのことは十分だったのですが、一時代前の時代を生きている女五の宮にこのことを語らせることによって、この話が、いかにも時を失した話であることを印象づけていると言えましょう。

そしておそらく、朝顔の君自身も、例えば朧月夜尚侍の対極にあるような、この時代として随分古風な人なのでしょう。

この段のタイトルは、もとは「源氏、朝顔姫君を諦める」となっているのですが、源氏は決して「諦め」てはいないようですので、変えさせて貰いました。

さて、「前回までのあらすじ」はここまでで、物語は、この件をしばらく横に置いて、別の方向に新しい世界が開けていきます。

ここからは、源氏たちの次の世代、息子・娘の世代の人々が話の中心となって、舞台が動いて行くことになります。》

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第一段 故藤壺の一周忌明ける

巻二十一 少女 光る源氏の太政大臣時代三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語

第一章 朝顔姫君の物語 藤壺代償の恋の諦め

第一段 故藤壺の一周忌明ける

第二段 源氏、朝顔姫君を諦める

第二章 夕霧の物語(一) 光る源氏の子息教育の物語

第一段 子息夕霧の元服と教育論

第二段 大学寮入学の準備

第三段 響宴と詩作の会

第四段 夕霧の勉学生活

第五段 大学寮試験の予備試験

第六段 試験の当日

第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語

第一段 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任

第二段 夕霧と雲居雁の幼恋

第三段 内大臣、大宮邸に参上

第四段 内大臣の失意

第五段 夕霧、内大臣と対面

第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く

第四章 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語

第一段 内大臣、母大宮の養育を恨む

第二段 内大臣、乳母らを非難する

第三段 大宮、内大臣を恨む

第五章 夕霧の物語(二) 幼恋の物語

第一段 夕霧と雲居雁の恋の煩悶

第二段 内大臣、弘徽殿女御を退出させる

第三段 夕霧、大宮邸に参上

第四段 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬

第五段 乳母、夕霧の六位を蔑む

第六章 夕霧の物語(三) 五節舞姫への恋

第一段 惟光の娘、五節舞姫となる

第二段 夕霧、五節舞姫を恋慕

第三段 宮中における五節の儀

第四段 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す

第五段 花散里、夕霧の母代となる

第六段 歳末、夕霧の衣装を準備

第七章 光る源氏の物語 六条院造営

第一段 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸

第二段 弘徽殿大后を見舞う

第三段 源氏、六条院造営を企図す

第四段 秋八月に六条院完成

第五段 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる

第六段 九月、中宮と紫の上和歌を贈答

 

 

 

【現代語訳】

 年が変わって、宮の御一周忌も過ぎたので、世の人々の喪服が平常に戻って、衣更のころなどもはなやかであるが、それ以上に賀茂祭のころは、空一体の模様も気分がよいのに、前斎院は所在なげに物思いに耽っていらっしゃる。庭先の桂の木の下を吹く風が心地よく感じられるにつけても、若い女房たちは思い出されることが多いところに、大殿から、
「御禊の日は、どのようにのんびりとお過ごしになりましたか」と、お見舞い申し上げなさった。
「今日は、
  かけきやは川瀬の波もたちかへり君がみそぎの藤のやつれを

(思いもかけませんでした、再びあなたが喪服を脱ぐ禊をなさろうとは)」
 紫色の紙、立て文にきちんとして、藤の花におつけになっていた。折も折なので心を打たれて、お返事がある。
「喪服を着たのはつい昨日のことと思っておりましたのに
  藤衣着しは昨日と思ふまに今日はみそぎの瀬にかはる世を

(もう今日はそれを脱ぐ禊をするとは、何と移り変わりの早い世の中ですこと
 はかなくて」とだけあるのを、例によって、お目を凝らして御覧になっていらっしゃる。
 喪服をお脱ぎになるころにも、宣旨のもとに置き所もないほどお心づかいの品々が届けられたのを、前斎院ははた目にも見苦しいこととお思いになりご注意なさるが、意味ありげな、色めかしいお手紙ならば、何とかご辞退申し上げるのだが、長年、表向きの折々のお見舞いなどはお馴れ申し上げになっていて、とても真面目な内容なので、どのように言い紛らわしてお断り申したらよいだろうかと、困っているようである。

 

《この巻は三年間という、源氏中年期の巻としては最も長い期間を扱った巻で、出来事も多く、長い巻です。「巻名『少女』は、五節の舞姫をいう歌語」(『集成』)で、源氏と夕霧の歌があります(第六章第三段、第四段2節)。

さて、依然として朝顔の君ですが、この第一章は繋ぎといったところで、言わば、雑誌連載物の「前回までのあらすじ」に似たものと考えることにします。実際、読者である女房たちの前に作品の後続が届いたのは、それくらいの間隔を置いてであったのではないでしょうか。

さて、「若い女房たちは思い出されることが多い」というのは、女主人が斎院としてこれまで賀茂祭に直接関わって来ていたことを思いだして、世の中の表舞台から退いた寂しさを感じているのでしょう。

朝顔の君も同じ思いがあるのでしょうが、父の喪が明けたことへの感慨があるのに加えてですから、「所在なげに物思いに耽っていらっしゃる」頃だったのです。

そこに大殿(源氏)から頼りが届きました。きちんとした忌み明けの見舞いなので、朝顔の君もそれに相応しい返事をします。

それに意を強くしたのか、相変わらず機を見るに敏と言いますか、かねて慇懃を通じていた侍女の宣旨(朝顔の巻第一章第四段)のもとに源氏から「置き所もないほどお心づかいの品々」が届きました。「喪服を脱ぐ、その日は、…仕える人々に新しい服を与えるのであろう、大変な物いりである」と『評釈』がいいます。その「品々」です。

それはどうも多すぎて立派すぎて、姫からは「はた目にも見苦しいこと」と思われてしまいます。贈り物というのは難しいもので、多ければいいというわけではなく、受け取りやすい物であることが必要な時もあるのです。年甲斐もないという引け目があるのでしょうか、源氏も、そのあたりのバランス感覚がちょっと鈍ったのかも知れません。

しかし、添えてあるのは「色めかしいお手紙」などではなくて、「とても真面目な内容」なので、それなら以前も「長年、表向きの折々のお見舞い」がそうだったこともあって、受け取るのが自然と思われ、迷いや、またそれに加えての思いもあって、姫は何となく気が晴れないでいるのでした。》

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