源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 朝顔姫君の物語(二)

第五段 朝顔姫君、源氏の求愛を拒む

【現代語訳】

 何とも言いようがなくて、とても真剣に恨み言を申し上げなさってお帰りになるのも、たいそう子供じみた気がなさるので、
「ひどくこう、世のもの笑いになってしまいそうな様子で、人にお漏らしなさるなよ。きっときっと。『いさら川(私の名を漏らさないで下さい)』などと言うのも馴れ馴れしいですね」と、しきりにひそひそ話しかけていらっしゃるが、何のお話であろうか。

女房たちも、
「何とも、もったいない。どうしてむやみにつれないお仕打ちをなさるのでしょう」
「軽々しく無体なこととはお見えにならない態度なのに。お気の毒な」と言う。
 なるほど、源氏の君のお人柄の、素晴らしいことも、慕わしいことも、お分かりにならないのではないが、

「ものの情理をわきまえた人のように見ていただいたとしても、世間一般の人が心をお寄せ申し上げるのと同じように思われるだろう。また一方では、至らぬ心のほどもきっとお見通しになるに違いなく、気のひけるほど立派なお方であるし」とお思いになると、

「親しそうな気持ちをお見せしても、何にもならない。さし障りのないお返事などは、絶えたりはしないで、御無沙汰にならないくらいに差し上げて、人を介してのお返事を失礼のないようにしていこう。長年、仏事に無縁であった罪が消えるように仏道の勤行をしよう」とは決意はなさるが、

「急にこのような間柄を断ち切ったように出家するのも、かえってきざで思わせぶりに見えもし聞こえもして、人が噂しはしまいか」と、世間の人の口さがないのをご存知であり、一方では、伺候する女房たちにも気をお許しにならず、たいそうご用心なさりながら、だんだんと勤行一途になって行かれる。
 ご兄弟の君達は多数いらっしゃるが、同腹ではないので、まったく疎遠で、宮邸の中がたいそうさびれて行くにつれて、あのような立派な方が、熱心にご求愛なさるので、一同そろってお味方申すのも、誰の思いも同じと見える。

 

《源氏はすごすごと帰っていきます。青年期の彼にはなかったことで、自分の立場、というより年齢を改めて思い知らされたという格好です。

 さて、「ものの情理をわきまえた人のように…」以下の朝顔の君の思いは、これまでにてんてんと語られたことのまとめのような話です。

 源氏からそれなりの女として認められてお付き合いができたとしても、源氏にとっては多くの女性の中の一人にすぎないだろう、そして深いお付き合いが長くなれば、自然と自分の至らない点も現れて、きっとあの六条御息所のように見はなされてしまうに違いない(六条御息所と源氏の別れは、生き霊のことなど知るよしもない周囲から見れば、そういうふうに見えていたのでしょう)…。そういう思いに振り回されないで、ほどほどのお付き合いのまま、むしろ仏のお勤めにいそしんで心静かに過ごしたい。といって、それに余り急に熱心に打ち込んでは、また周囲がとやかくの詮索をするだろうから、目立たぬように、しかしたゆまぬように…。

 彼女もまた、それなりに年なのです。もはや、一度みずから垣根を作って、そのまま時を失した男女の仲を取り返そうと思うほど「世づかぬ」わけではありません。

 この朝顔の君について、先に挙げた森藤論文に「(源氏との結婚を拒否する)斎院心中については、先引篠原昭二氏の論に尽くされている」とありますが、残念ながら、私にはその篠原論文(「へいあんぶんがく」2、昭43・9所載)に触れる手立てがありません。

ともあれ、姫君の侍女達は、折角のお話を、切歯扼腕というところです。彼女たちにとっては、一身上の大変なチャンスであったのです。》

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第四段 朝顔姫君と和歌を詠み交わす

【現代語訳】
 西面では御格子を下ろしていたが、お嫌い申しているように見えるのもどうかと、一間二間は下ろしてない。月が顔を出して、うっすらと積もった雪の光に映えて、かえって趣のある夜の様子である。

「さきほどの老いらくの懸想ぶりも、似つかわしくないものの例とか聞いたことがある」とお思い出しになって、おかしくお思いである。今宵は、たいそう真剣にお話なさって、

「せめて一言、憎いなどとでも、人伝てではなく直におっしゃっていただければ、思いあきらめるきっかけにもしましょう」と、身を入れて強くお訴えになるが、
「昔、自分もこの御方も若くて、過ちが許されたころでさえ、亡き父宮などが好感を持っていらっしゃったのを、やはりあり得ない事で気がひけることだとお思い申して終わったのに、晩年になって盛りも過ぎ、似つかわしくない今頃になって、その一言をお聞かせするのも気恥ずかしいことだろう」とお思いになって、まったく動じようとしないお気持ちなので、「なんというひどいお方か」とお思い申し上げなさる。
 そうかといって不体裁に突き放してというのではない取次ぎのお返事などが、かえってじれることである。

夜もたいそう更けてゆくにつれ、風の様子が激しくなって、ほんとうにもの心細く思われるので、品よく見える様子で涙をお拭いになって、
「 つれなさを昔に懲りぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ

(昔のつれない仕打ちに懲りもしない私の心こそが、あなたの仕打ちのつらさに加わ

ってつらく思われます)
 どうしようもございません」と口に上るままにおっしゃると、
「ほんとうに」「見ていて気が気でありませんわ」と、女房たちは、例によって申し上げる。
「 あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心がはりを

(今さらどうして気持ちを変えたりしましょう、他人ではそのようなことがあると聞

きました心変わりを)
 昔と変わることは、今もできません」などとお答え申し上げなさった。

 

《源典侍と別れて、源氏は姫君のところに行くのですが、典侍の色っぽい振る舞いを「老いらくの懸想ぶりも、似つかわしくないもの」と思い出し笑いをしながらですが、無論典侍ほどでの歳ではないにしても、焼け棒くいに何とか火を点そうと出かけていく自分の振る舞いをいっこうに顧みようとしないのは、いい気なものだという気もします。

迎える朝顔の君の振る舞いは、彼女の独特の立場とその人柄をよく示しています。

まず、源氏を避けるように格子を降ろしているけれども、全部ではなく一、二間開けてあります。この頃の我が国の対中・対韓外交方針よろしく、「対話の扉はいつも開いている」というわけです。

それを便りに源氏は出かけて行き、しかし、じつにおずおずと、ほとんどひがみっぽいと言ってもいいような調子で、そのくせどことなく押しつけがましく、君に言い寄ります。

「せめて一言、憎いなどとでも、人伝てではなく直に…」というのは、理解できる思いです。「愛する」の反意語は「無関心」であって、「憎い」は、むしろ愛の一変形であると言われますが、源氏にとってこの君の態度は、まさしく愛の対象外の一おじさんを見る態度に見えているのでしょう。

実際の彼女は、内心で、明石の御方の初めの頃の思いに似た、「(仮に源氏の申し出を受けたとしても)どうせ一人前の夫人として思って下さらないだろう」という懸念から、固く自分の心を閉ざしているのです。明石と違うのは、明石ほど源氏への憧れが強くないという点です。もっともそれも彼女自身気の付かないところで抑えているのかも知れません。『評釈』は「朝顔の心はまだ『世づかぬ』御ありさまなのである」と言いますが、深窓に育ち、長く斎院という閉ざされた世界にいた聡明で潔癖な誇り高い女性にはありそうな姿勢と言っていいでしょう。主体性の強さは違いますが、どこかジイド『狭き門』のアリサに似た印象があります。

拒絶の言葉も「昔と変わることは、今もできません(原文・昔にかはることはならはずなむ)」と、にべもなく、率直です。源氏がこれまで何かあると思い出し、文を交わしていた時の態度とはまったく違います。》

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第三段 宮邸で源典侍と出会う

【現代語訳】

「恐れながら、ご存じでいらっしゃろうと心頼みにしておりましたのに、生きている者の一人としてお認めくださらないので。院の上は、祖母殿と仰せになってお笑いあそばしました者です」などと、名乗り出したので、お思い出しになった。
 源典侍と言った人は、尼になって、この宮のお弟子として勤行していると聞いていたが、今まで生きていようとはご承知でなかったので、あきれる思いをなさる。
「その当時のことは、みな昔話になって行くが、遠い昔を思い出すと心細いのに、なつかしく嬉しいお声だね。『親なしに臥せる旅人』と思って、お世話してください」と言って、物に寄りかかっていらっしゃるご様子に、ますます昔のことを思い出して、相変わらずなまめかしい品を作って、たいそうすぼんだ口もとが想像される声だが、それでもやはり甘ったるい言い方で戯れかかろうと今も思っている。
「言ひこしほどに(お互いに年を取りましたね)」などと申し上げてくるのは、顔の赤くなる思いがする。

「今急に老人になったような物言いだ」などとお笑いになるが、思えばそれも哀れである。
「この人の女盛りのころに、寵愛を競い合われた女御、更衣は、ある方はお亡くなりになり、またある方は見るかげもなく、はかないこの世に落ちぶれていらっしゃる方もあるようだ。入道の宮などの御寿命の短さよ。あきれるばかりの世の中の無常に、年からいっても余命も残り少なそうで、心構えなども、頼りなさそうに見えた人が、生き残って静かに勤行をして過ごしていたのは、やはりすべて定めない世のありさまなのだ」とお思いになって、感慨深げなご様子を、心のときめくことかと誤解して、はしゃぐ。
「 年経れどこの契りこそ忘られね親の親とか言ひし一言

(何年たってもあなたとのご縁が忘れられません、『親の親(祖母殿)』とかおっしゃ

った一言がございますもの」
と申し上げると、いやらしくて、
「 身をかへてのちも待ち見よこの世にて親を忘るるためしありとや

(来世に生まれ変わった後にでも待って見てみなさい、この世で子が親を忘れる例が

あるかどうかと)
 変わることのない縁だよ。いずれゆっくりと、お話し申し上げよう」とおっしゃって、お立ちになった。

 

《現れ出たのは、あの紅葉賀の巻の終わり(第四章)で源氏に言い寄ってきた源典侍でした。あのとき「五十七、八」とあって、以来十三年が経っていますから、七十歳ほどになるでしょう。

「すぼんだ口もと(原文・すげみにたる口つき)」というのは、「歯が抜け落ちてすぼまった口のかっこう」(『評釈』)ということで、なお「相変わらずなまめかしい品を作って」語りかけてくるというのですから、なかなかのものです。

源氏は「『親なしに臥せる旅人』と思って、お世話してください」と戯れて応じます。『集成』が「親子ほどの年齢の差を皮肉る気持」と言いますが、「親代わりに世話して下さい」というような意味なのでしょうか。

源氏はこの驚くべき老婆とやり取りをしながら、この人の盛りの頃に時めいていたであろう自分の知らない女御更衣方が多くすでに世を去り、また藤壺が若くして亡くなったことを思って、無常の感に堪えない気持になるのですが、それをまた老典侍は自分に対する感慨と勘違いして「はしゃぐ(原文・若やぐ)」のでした。

こんな話がどうしてここに出てくるのか、ということについて、そこに特別な意味合いを見ようとする読み方があるようで、例えば「源典侍試論」(藤本勝義・『人物論集』所収)は、「源典侍物語は、烏滸という形で、光源氏の得意の絶頂の、放恣な青春の断面を描いた。後の、朝顔巻で、藤壺の死と絡んで源典侍が再登場したのも、源氏の青春が何であったかを照らし出すことになる。」と言っています。

しかし、読者がそう読むのはいいとしても、少なくとも源氏にとっては無常の感慨も一過性のものとして通過してしまって、彼の精神に何かを呼び起こす、あるいは植え付けるというようなことはありません。

彼はまだ変わることなく朝顔の君への思いを抱き続けているのです。やはりこの老女の登場も、「(源氏の)青年期女性の後日談」の一端以上の意味はないのではないでしょうか。》

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第二段 宮邸に到着して門を入る

【現代語訳】

 宮邸では、北面にある人が多く出入りするご門は、お入りになるのも身分に合わず軽々しいので、西にあるのが重々しく、供人をお入れになって宮の御方にご案内を乞うと、「今日はまさかお越しになるまい」とお思いでいたので、驚いて門を開けさせなさる。
 御門番が、寒そうな様子であわてて出てきて、すぐにはきちんと開けることができない。この人以外の男はいないのであろう。ごろごろと引いて、
「錠がひどく錆びついてしまっているので、開かない」と困っているのを、しみじみとお聞きになる。
「昨日今日のことと思っているうちに、はや三十年も昔になってしまった世の中だ。このような世を見ながら、仮の宿りのこの世を捨てることもできず、木や草の花にも心をときめかせることよ」と、つくづくと感じられる。口ずさみに、
「 いつのまに蓬がもととむすぼほれ雪降る里と荒れし垣根ぞ

(いつの間に、この邸は蓬が生い茂り、雪に埋もれた故里となって垣根も荒れてしま

ったのだろう)」
 やや暫くして、無理やり引っ張り開けて、お入りになる。

 宮の御方に、例によって、お話申し上げなさると、とりとめもない昔の話を初めとして、はてもなくお話しになるが、ご関心もなく眠たくて、宮もあくびをなさって、
「宵のうちから眠くなっていましたので、終いまでお話もできません」とおっしゃる間もなく、鼾とかいう、聞き知らない音がするので、これさいわいとお立ちになろうとすると、もう一人、たいそう年寄くさい咳払いをして、近寄ってまいる者がいる。

《この巻の始めにこの宮邸を訪れた時は、「早くも荒廃してしまった心地がして」と一般的な印象が書かれていたのですが、それは正門が「錠がひどく錆びついてしまっているので、開かない」、つまりそれほどに人の訪れがないという案配だったのでした。そして門番は「寒そうな様子であわてて出て」来て、侘びしさを添えます。

邸の主の桃園式部卿宮が亡くなってわずか半年の間のこうした変化に、源氏は世の無常を感じて、ふと自分の人生をふり返る思いだったのでした。もっとも、そう言いながら、なおの訪問ですから、その思いもそれほど深刻なものではありません。

ここでも年老いた宮の「だれをはばからなくてはならないということもない、こわいものなしの身分」(第一章第一段2節)という個性は顕著です。源氏の前であろうと、くたびれれば欠伸もするし、眠くなれば鼾もかきます。

やれやれと源氏が席を立って出ようとすると、そこにまた一人老女が現れました。

なお、「昨日今日のことと思っているうちに」は原文では「昨日今日とおぼすほどに」と尊敬語で書かれています。源氏に自敬表現が使われることはここまでにはなかったことだと思いますので、この部分は地の文と考える方がいいでしょう。そしてそのまま源氏の心中の言葉につながっているようで、そういう例は点々と見られます。現代語として捉えきれない表現ですので、ここでは自敬表現をはずして訳しました。》

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第一段 朝顔姫君訪問の道中

【現代語訳】

 冬、神事なども停止とあって物寂しく、所在ない気持をもてあまして、五の宮にいつものようにお伺いをなさる。雪がちらついて風情ある黄昏時に、優しい感じに着馴れたお召し物に、いつもよりもいっそう香をたきしめなさって、念入りに身ごしらえをして一日をお過ごしになったので、いよいよもってなびきやすい人はどんなにかと見えた。

さすがに紫の上にお出かけのご挨拶は申し上げなさる。
「女五の宮がご病気でいらっしゃるというのを、お見舞い申し上げようと思いまして」と言って、軽く膝をおつきになるが、振り向きもなさらず、姫君をあやして素知らぬふうでいらっしゃる横顔が、ただならぬ様子なので、
「妙にご様子がよそよそしくなられたこの頃ですね。悪いことはしていませんよ。『塩焼き衣』ではないが、あまり馴れなれしくなって、珍しくなくお思いかと思って、家を空けていましたが、またどのようにお考えになってか」などと申し上げなさると、
「『馴れゆく(は憂き世なればや)』のは、本当にいやなことが多いものですね」とだけ言って、顔をそむけて臥せっていらっしゃるのは、そのまま見捨ててお出かけになるのも気が進まないが、宮にお手紙を差し上げてしまっていたので、お出かけになった。
「このようなこともある夫婦仲だったのに、安心しきって過ごしてきたことだわ」とお思い続けになって、臥せっていらっしゃる。鈍色めいたお召し物であるが、色合いが重なって、かえって好ましく見えて、雪の光にたいそう優美なお姿をお見送りになって、
「ほんとうに心がこれ以上離れて行ってしまわれたならば」と、堪えがたくお思いである。
 御前駆なども内々の人ばかりで、
「宮中以外の外出は、億劫になってしまったよ。桃園宮が心細い様子でいらっしゃるのも、式部卿宮に長年お任せ申し上げていたが、これからは頼むなどとおっしゃるのももっともなことで、お気の毒なので」などと、人々にも弁解なさるが、
「いやはや、ご好心が変わらないのは、惜しい玉の瑕のように見える。」
「よからぬ事がきっと起こるだろう。」などと、呟き合っていた。

 

《冒頭の「冬」は、「夕」とする本があるようですが、『集成』に依りました。すぐに「いつものように」とありますから、その方が分かりやすく思われます。前節の秋から、冬に移ったのです。

 折から藤壺の諒闇とあって十一月に多いさまざまな行事も行われず、所在なさもあって、朝顔の君訪問が重なりました。この頃にはもう紫の上にいくらかのことを話してしまっているのでしょうか、断って出かけなければならないのは、つらいところのように思われますが、源氏としては、紫の上は別格という気持です。

「軽く膝をおつきになるが(原文・ついゐたまへれど)」と、なかなか丁寧な挨拶で、取りあえずは五の宮を尋ねるという口実です。

しかし紫の上はこれまでの相手とは違うレベルの人だと思うと、穏やかではいられず、見向きもしないといった態度です。「姫君をあやして素知らぬふう」という姿は、いかにもそれらしく、目に見えるようですが、姫が実の娘でないだけに、隠微な部分がなく清潔感が感じられます。

源氏の「塩焼き衣」は、「須磨のあまの塩焼き衣なれ行けば」という歌を引いたもので、「あま馴れなれしくなって…」という洒落た言い回しです。こんな時にまで軽口のような言い回しを考えるなど、ほとんどからかっているようにさえ思われて、しらじらしく感じられますし、「珍しくなくお思いかと思って、家を空けていました(原文・見だてもなくおぼさるるにやとて、とだえ置く)」などという言葉も、夫婦の間では冗談としか思えないのですが、当時は実際にまじめな言い訳として通用する話だったのでしょうか。

出て行く源氏を後から見送りながら、紫の上は不安をいっそう募らせます。

源氏は気が咎めて、従者に言わずもがなのもっともらしい弁解をしますが、もはや従者もまともには聞かず、それどころかかなり目をひそめているようです。》

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