源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 藤壺の物語

第四段 源氏、藤壺を哀悼

【現代語訳】

 恐れ多い身分のお方と申し上げる方々の中でも、ご性質などが世のためにも広く慈悲深くいらっしゃって、権勢を笠に着て人々の迷惑となることをしたりするのは自然とありがちなものだが、少しもそのような道理に外れた事はなく、人々がしてさし上げることも、世の苦しみとなるはずのことは、お止めになる。
 仏事法要のことについても、人の勧めにお従いになって荘厳に珍しいくらい立派になさる人なども昔の聖代には多くあったのだが、この后宮はそのようなこともなく、ただもとからの財産、頂戴なさるはずの年官、年爵、御封の中のしかるべき範囲のものだけで、ほんとうに真心のこもった供養の最善を精一杯にしておおきになったので、物のわけも分からない山伏などまでが惜しみ申し上げる。
 ご葬送の時についても、世を挙げての騷ぎで、悲しいと思わない人はいない。殿上人など、すべて黒一色の喪服で、何の華やぎもない晩春である。

源氏は、二条院のお庭先の桜を御覧になるにつけても、花の宴の時などをお思い出しになる。「今年ばかりは(桜も今年ぐらいは墨染めに咲け)」と独り口ずさみなさって、他人が変に思うに違いないので、御念誦堂にお籠もりになって、一日中泣いてお暮らしになる。

夕日が明るく射して山際の梢がくっきりと見えるところに、雲が薄くたなびいているのが鈍色なのを、何ごともお目に止まらないころなのだが、たいそう悲しく思いにおなりになる。
「 入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる

(入日が射している峰にたなびいている薄雲は、悲しんでいる私の喪服の袖の色に似

せて、一緒に悲しんでくれているのだろうか)」
 誰も聞いていない所なので、かいのないことである。

 

《この初めの一文が「お止めになる」と現在形で終わっているために、ちょっと読み取りにくく思われます。『評釈』は冒頭から第二段落末の「惜しみ申し上げる」までを一文と考える、と言い、そこを中止表現(会話では終止形で言いさす呼吸がよくあります)と見て、そのまま次につなげて解釈していますが、そうすれば、確かに分かりやすくなります。

その『評釈』が、ここに語られる藤壺の存在の大きさを縷々語って、このとき作者は「政治評論家」となっており、「この『薄雲』の巻の藤壺の宮の総評は、国母陛下のあるべき姿をさとすものである」と言いますが、どうなのでしょうか。

確かに他の部分とは異なった硬い文体という感じで、改まった調子のようには思われますが、それにしてはひどく短く、内容もわずかしかありませんし、「昔の聖代」のあり方を否定する言い方でもないようです。書かれているのは、読者の知らなかったことで、やはり補足的追想として読めばいいような気がします。

葬送の後に源氏が得意の時だった「花の宴」を思い出した、というのは心打たれる設定です。ひたむきに藤壺に思いを寄せ、また藤壺の好意も十分に感じていたころの、もはや消え去った幻想の桜が、「すべて黒一色の喪服」と対比されて、ひとしお悲しみを誘ったであろうと、思い遣られます。

ちなみに、『光る』もこの部分について、「丸谷・これ(この墨染桜のところ)はものすごい美文でして、ぼくが日本文学の選文集をつくるとすれば、ここはぜひ抜きたい。和歌的なものがあって、そのおかげで散文的なものがある、という日本の伝統的な文章の呼吸を非常によく示しているんです」と言っています。
  この巻の名は、ここの源氏の歌によるものです。》

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第三段 藤壺入道宮の崩御




【現代語訳】

 源氏の大臣は、朝廷の立場からしても、こうした高貴な方々ばかりが、引き続いてお亡くなりになることをお嘆きになる。人には知られない思慕の気持は、それはまた限りないほどで、ご祈祷などあらゆる手立てをお尽くしになる。長年思い絶っていたことさえ、もう一度申し上げないままになってしまうのが、ひどく残念な気がなさるので、近くの御几帳の側に寄って、ご容態などをしかるべき女房たちにお尋ねになると、親しい女房だけがお付きしていて詳しく申し上げる。
「この数か月ご気分がすぐれずにいらっしゃいましたのに、仏前のお勤めを少しの間も怠らずになさいましたことのお疲れも積もって、ますますひどくご衰弱だったのですが、最近になっては、蜜柑などさえお口になさらなくなりましたので、ご回復の希望もなくなっておしまいになりましたことで」と言って、泣き嘆き悲しんでいる女房たちが多い。
「故院のご遺言どおりに、帝のご後見をなさることについては、長年身に沁みて存じていることがいろいろあるのですが、何かの機会に、そのお礼の気持ちが並大抵でないことを、そっと申し上げたいとばかり、のんきに考えておりましたことを、今となっては悲しく残念に思われまして」と、かすかに仰せになるのも、ほのかに聞こえるので、お返事も十分に申し上げられず、お泣きになる様子は、まことにおいたわしい。

どうしてこうも気弱に、と人目を憚って我慢なさるが、昔からの、世間一般から見てももったいなく惜しいご様子のお方を、人の命は思いどおりにならないことなので、お引き止め申すすべもなく、何とも言いようもなく悲しいこと限りない。
「取るに足りないわが身ですが、昔から、ご後見申し上げねばならないことは、気のつく限り、一生懸命に存じておりましたが、太政大臣がお亡くなりになったことだけでも、この世の、無常迅速が存じられてなりませんのに、さらにまた、このようでいらっしゃいますと、何から何まで心が乱れまして、生きていることも残り少ない気が致します」などと申し上げていらっしゃるうちに、燈火などが消えるようにしてお隠れになってしまったので、何とも言いようがなく悲しい別れを嘆きになる。

 


《源氏が七歳の時に藤壺が入内してきて以来、源氏と藤壺の二十五年にわたる長い長い間柄の最後の場面です。

禁じられた愛を交わす者同士の間に起こりそうな、さまざまなことがありました。ほほえましく無垢な愛から、若さゆえのたぎるような愛、逢えない恨み、無様な求愛と意に反して避けなくてはならない苦しみ、不義の子の誕生、その子の行く末への不安などなど、その他にも二人は、二人だけの世界の中で、あらゆるもの思いを尽くして来たのでした。

しかし最後の藤壺の言葉は、二人のための言葉ではなく、やはり残していく子供のことでしたが、その言葉は、その人柄を表すように、さすがに落ち着いた、節度のあるものだったのでした。

彼女は道ならぬ愛に翻弄された生涯を送りましたが、その中で懸命にまっとうに生きようとしました。彼女は冷泉帝の母でしたが、また公的には源氏の継母の立場でもあったのです。源氏の見た晩年のその姿は、必ずしも彼の本意ではないながら、豊満で彼のさまざまな思いを大きく包み込んでしまう、観音のような母性として見えていたのではないでしょうか。

そうして彼女はついに「燈火などが消えるようにして」亡くなります。『評釈』が法華経を引きながら「この宮臨終の表現は…仏、入滅のさいの形容である。藤壺入道后の宮は仏と同格扱いなのである」と言います。

さてしかし、それにしては彼女の死は唐突でした。出家については周到な計画が語られましたが、彼女の不調はまったくこの章に入ってから知らされたものです。

実は、彼女の死の意味は(それは役割といった方がいいかも知れませんが)、むしろこの後にあるのです。

そしてこの章の初めの不穏な気配は、そのことの兆しだったようなのです。》

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第二段 藤壺入道宮の病臥

【現代語訳】
 入道后の宮は、正月のころからずっと体調を崩していらっしゃって、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。父院に御死別申し上げられたころは、とても幼くて、深くもお悲しみにはならなかったが、たいそうお嘆きの御様子なので、宮もとても悲しい気持におなりになる。
「今年は、必ずや逃れることのできない年回りと思っておりましたが、それほどひどい気分ではございませんでしたので、寿命を知っている顔をしますようなのも、人もいやに思い、わざとらしいと思うだろうと遠慮して、功徳の事なども、特に平素とは違ったことを致しませんでした。参内して、ゆっくりと昔のお話でもなどと思っておりながら、気分のすっきりした時が少のうございまして、残念にも、気の晴れない気持で過ごしてしまいましたこと」 と、たいそう弱々しくお申し上げなさる。
 三十七歳でいらっしゃった。けれども、とても若く盛りでいらっしゃるご様子を、惜しく悲しく拝し上げあそばす。
「ご用心あそばさねばならないお年回りですが、気分もすぐれないで何か月かをお過ごしになることでさえ嘆き悲しんでおりましたのに、ご精進などをもいつもより特別になさらなかったとは」と、ひどく悲しくお思いであった。

つい最近になって気づいて、いろいろなご祈祷をおさせあそばす。

今まではいつものご病気とばかり油断していたのだが、源氏の大臣も深くご心配になっていた。

しきたりがあるので、ほどなくお帰りあそばすのも、悲しいことが多い。
 宮は、ひどく苦しくて、はきはきとお話し申し上げることができない。ご自身でお考えになってみると、「恵まれた宿縁でこの世の栄華も並ぶ人がなく、しかし心の中に物足りなく思うことも人一倍多い身であったことだ」とお思いになる。

主上が、夢の中にも、こうした事情を御存じあそばされないのを、それでもはやりお気の毒に拝し上げなさって、この事だけを気がかりで心の晴れないこととして、この世にも思いが残りそうな気がなさるのであった。

 

《世の変化はそれに留まりませんでした。

去年の春には元気で「絵合わせ」に興じた藤壺が、この正月から体調を崩し、急速に弱ってきます。

帝が見舞いに来られます。父院の病臥見舞いの時はまだ五歳で、「院をずっと恋しいとお思い申し上げあそばしていたので、(会えることを)ただもう無心に嬉しくお思いになって」(賢木の巻第二章第一段)という具合だった彼も今は十四歳になって、死の意味を理解するようになっています。

その彼には母入道はまだ「とても若く盛りでいらっしゃる」と見えて(ただし、『評釈』によれば「この頃の女の盛りは十五、六であって、三十を越えるともうおばあさんというのが一般常識」と言いますから、子供の欲目にしても少々褒め過ぎと思われますが)、「惜しく悲しく拝し上げあそばす」のでした。

藤壺の述懐「恵まれた宿縁で…(原文・高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心のうちに飽かず思ふことも人にまさりける身)」は、秘められた激動を生きた藤壺の生涯の総括ですが、これについて『評釈』が、国母であって入道し女院となったのはここまでの歴史上では東三条院詮子だけで大変珍しいことと言い、「この世では名実ともに並ぶ人のない栄華である」ことを指しているとして、その上で「帝は真の父を知らず、父を父として扱わない。帝は不孝の子となる。…大往生するかと思える宮にも、この一つの執念がある」と言います。

この上ない高貴の裡に癒しがたい傷みを潜ませているというこの悲劇は、例えば、救いがたい不遇の中にいて、比類ない純粋な愛を抱くことのできる『罪と罰』のソーニャの姿の裏返しのように見えて、この物語の前半のヒロインたる資格を確定するものと言えるでしょう。》

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第一段 太政大臣薨去と天変地異

【現代語訳】
 そのころ、太政大臣がお亡くなりになった。世の重鎮でいらっしゃった方なので、帝におかれてもお嘆きになる。しばらく隠退していらっしゃった間でさえ、天下の騷ぎであったので、この度はまして悲しむ人々が多かった。源氏の大臣もたいそう残念に思われ、万事の政務をお譲り申し上げてこそお暇もあったのだが、心細く、政務も忙しくお思いになって、お嘆きである。
 帝はお年よりはこの上なく大人らしく御成人あそばして、天下の政治もご心配申し上げなさるような必要はないのだが、他に特別にご後見なさる適当な方もいないので、「誰に譲って静かに出家の本意をかなえられようか」とお思いになると、まことに残念でならない。 ご法事などについても、ご子息やお孫たち以上に、心をこめてご弔問なさり、御世話なさるのであった。
 その年は、いったいに世の中が騒然として、朝廷においても、何やかやと神仏のお告げがしきりにあって、不穏で、天空にもいつもと違った月や日や星の光りが見えて、雲がたなびいている、とばかり噂して、世間の人の驚くことが多くて、それぞれの道の博士が勘文を差し上げた中にも、不思議で世に尋常でない事柄が混じっていた。内大臣だけは、ご心中に、気がかりなそれとお分りになることがあるのであった。

 

《明石から帰ってきて以来三年、地位も回復して安定し、家庭の中も落ち着いて来て、順風満帆の趣だった源氏の周辺に、変化が生じ、「薄雲」が立ち染めます。

その最初が太政大臣の死去で、世の人望も厚かったので、天下は悲しみに沈みます。彼は朱雀帝時代の三年間隠退していて、源氏の復活とともに源氏に懇請されて太政大臣に返り咲いた時が六十三歳とありましたから、今、六十六歳、当時でいえば随分な歳ではあります。

彼は故葵の上の父で、桐壺院亡き後の源氏の最大の後見者でした。今や源氏にはライバルはいなくなりましたから、バックは必ずしも必要ではありませんが、もちろん彼も深く悲しみます。もっともその悲しみの叙述の半分以上は、政務の多忙化とか帝の後見の負担とかと、自分が出家できないとかという、自分の都合のような言い方になっているのは気になりますが、ともかく彼も丁重に弔いのことを勤めます。

しかし、変化はそれだけではありませんでした。続いてさまざまな天変が相次いで起こりました。世の人心は動揺し、陰陽道、天文道、易道などの博士達もそれについて不吉の兆しと奏上します。

その中で内大臣(源氏)は、あのことがその原因だと思うようになります。あのこととは、もちろん藤壺とのことであり、帝の実父が源氏であるということです。

しかし、と『評釈』は言います。もし天が源氏の行いを罪とするなら、罰は源氏や藤壺に下るはずだし、十三年も経った今、こういうことが起こるはずはない、これは今上帝が位に就いて父である源氏を臣下に置いていることに対する天の戒めであって、それが、帝が「大人らしく御成人」された今、現れたのだ…。『集成』も同様の注を付けていますが、源氏の「それとお分りになる」というのは、やはり自分の罪を思う気持ちではないでしょうか。》

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