源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十九 薄雲

第五段 源氏、王命婦と語る

【現代語訳】
 太政大臣におなりになるよう決定があるが、今しばらくとお考えになるところがあって、ただ位階が一つ昇進して、牛車を聴されて参内や退出をなさるのを、帝はご不満でもったいないこととお思い申し上げなさって、やはり親王におなりになるよう仰せになるが、
「政治のご後見をおできになる人がいない。権中納言が大納言になって右大将を兼任していらっしゃるが、もう一段昇進したならば何ごとも譲ろう。そうした後に、どうなるにせよ、静かに暮らそう」とお思いになっていた。さらにあれこれお考えになると、故后宮のためにも気の毒であり、また主上がこのようにお悩みでいらっしゃるのを拝し上げなさるにも恐れ多くて、「誰がこのようなことを洩らしお耳に入れ申したのだろうか」と、不思議なことだとお思いになる。
 王命婦は御匣殿が転出した後に移って、お部屋を賜って出仕していた。大臣はお会いになって、
「このことを、何かの機会に故后宮が帝にほんの少しでも洩らしてお耳に入れ申されたことはなかったか」とお尋ねになるが、
「けっして。少しでも帝のお耳に入りますことを、大変だと思し召しで、また一方では、知らないでいることは罪を得ることではないかと、主上の御身の上をお思いになって嘆いていらっしゃいました」と申し上げるにつけても、並々ならず思慮深い方でいらっしゃったご様子などを、限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる。

 

《亡くなった太政大臣の後任に、源氏をというご沙汰があったのですが、それは断って、「ただ位階が一つ昇進」することだけをお受けします。「内大臣は正従二位相当であるから、太政大臣相当の正従一位、おそらく従一位に昇進したのであろう」と『集成』は言います。

基本的に彼は政治に世界から身をひきたいと考えていますが、今自分が実務から離れる太政大臣や親王になると、「政治のご後見をおできになる人がいない」ことになるので、それは出来ないという気持です。

『評釈』は「実際は、源氏は実務は不得手な人で、それを自分でもよく知っていた」と言いますが、年長の友人である権中納言(かつての頭中将)が「もう一段昇進したならば」、つまり大臣になるまではそれはできないと考えるあたり、彼は自分の政治能力にかなりの自負を持っているように思われます。

さて、帝がしきりに譲位の意志を仄めかし、源氏の昇進を求めることから、源氏は帝があの秘密を知ったのではないかと疑いを抱き、王命婦に尋ねます。本当は命婦が言ったのではないかと思っているのでしょうが、尋ねたのは藤壺についてでした。藤壺が源氏に黙って勝手に告げたりすることは考えられないことですから、これは貴族的話法なのでしょう。命婦の返事は、ここから事情をつかむことはできないこということを物語っています。

源氏は命婦の話から生前の藤壺の深い思い遣りを知って、あらためて「限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる」のでした。

そして、実はこの話はとりあえずここで終わりになります。大事件になるかに見えた僧の密奏でしたが、結局事情は表に現れることなく、いきさつも分からないままに、落着したような趣です。世の中に天変地異を招き、あの夜居の僧が「天の眼」を恐れて命を賭けて涙ながらの行動であったにも関わらず、何とも言えない、あっけない幕切れです。

確かに当面実害を受けるものは誰もおらず、表沙汰になれば騒ぎが生じるだけなのです。倫理の問題は、関係者のみんなが事柄をきちんと承知することで仏罰を免れることにして、あとは口をつぐみ、何もなかったことにしてしまう、それどころか源氏は返って帝からの信頼をいっそう強く得ることになるという、実に現実的で幸運な問題解決です。

ここに至ってみればあの藤壺の煩悶は一体何だったのかと、彼女が気の毒に思われてきます。

ただ、この問題はこれでまったく片づいた、というわけではありません。やはり一つの伏線となって、この物語を動かす大きなエネルギーを秘めていたのですが、それはずっと後の話です。》

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第四段 帝、源氏への譲位を思う

【現代語訳】
 主上は、王命婦に詳しいことを尋ねたいとお思いになるが、
「今さら、そのようにお隠しになっていらっしゃったことを知ってしまったと、あの人にも思われたくない。ただ、大臣に何とかそれとなくお尋ね申し上げて、昔にもこのような例はあったろうかと聞いてみたい」とお思いになるが、まったくその機会もないので、ますます御学問をあそばしては、さまざまの書物を御覧になると、唐土には表に現れたことでもまた内密のことでも、みだりがわしいことがとても多くあるのだったが、日本には、まったく御覧になることができない。

「たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか。皇子で臣籍に降下した方で、納言やまた大臣となって後に、さらに親王にもなり、皇位にもおつきになったのも、多数の例があったのであった。人柄のすぐれていることにこと寄せて、そのようにお譲り申し上げようか」などと、いろいろお考えになったのであった。

 秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを内々にお定め申しあげなさった機会に、帝がかねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたのだが、大臣は、まったく目も上げられず恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことであるということを申し上げて、ご辞退を申し上げなさる。
「故院のお志として、多数の親王たちの中で特別に御寵愛下さりながら、御位をお譲りになることをお考えあそばさなかったのでした。どうして、その御遺志に背いて及びもつかない位につけましょうか。ただもとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もろうと存じております」と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。

 

《帝は、余りのことなので念のため命婦にも確かめたいと思うのですが、考えてみれば、自分がそういう秘密を知っているということを命婦ごときに知られるのは、父母の不名誉をその分だけ公にすることでもあり、また帝の位を軽くすることでもあります。

絶対的に人の上に立つ者は、自分が何を知っていて何を知らないのかということを部下に知られない方がいいのです。それはつまり全てを知っているかも知れないと思わせることにもなります。大切なのは真実を知ることではなくて、自分の言動の適切さです。この帝は若い(幼い)ながら、そういうことを承知しておられるようです。

帝は独学で先例を探しますが、そんな記録は見つかりません。「たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか」という帝の述懐には、まったく「ごもっとも」という感じで、読者はそこまで付き合ってきた自分を笑ってしまいます。

帝にしてみれば、源氏が位に就いてくれれば、その理由が何であろうと、結果オーライであるわけです。しかしもちろん源氏は帝の意向を受けません。

実は『評釈』によれば、一度源氏姓を賜って臣下に下った皇子が「大臣・納言になったあとで、…あらためて親王にもどって帝位につく例もある」と言って、三例を挙げていて、しかし「いまの場合は、一般に認められるような理由がない。急に代わっては、へんに思われるだけ」だと書いていますが、源氏が受けないのは、それだけではないでしょう。

源氏には自分は帝位についてはならないという気持があった、と考えるべきではないでしょうか。彼は父に対して不義を働いたわけですが、それは彼が皇子でありながら帝位の継承権を持たないという特別に自由な立場だからできた行為だったはずです。さればこそ読者も彼の振る舞いを同情的に許容してきたのです。

例えば仮に彼が第一皇子であって、その上であのような不義を働いたとすると、それは今ある源氏とは別の、たとえばもっとふてぶてしい個性を考えなくてはならなくなるように思われます。

逆に言えば、作者はそうではない個性を源氏に与えようとしているわけです。彼は、これまでこのように生きてきた自分が帝位につくことはあり得ないことだと考えているように思われます。つまり彼がここで帝に語っていることは、彼の本音だろうということです。

やはり彼は、根の所で至って倫理的なのであって、言わずもがなのことですが、作者は、政略的でふてぶてしい男を、ではなく、自由で風雅で倫理的な男を理想として、物語を紡ごうとしているのです。》

 

  都合により、明日と明後日、休載します。十七日(金)に、改めてお目に掛かります。形から言えば、「あしからず」と言うところですが、さすがにおこがましくて、とりあえず、よろしくお願いします、と結ばせていただきます。

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第三段 帝、譲位の考えを漏らす

【現代語訳】
 帝は夢のような心地で重大な事をお聞きあそばして、さまざまに思い乱れあそばす。
 故院の御為にも気がとがめ、大臣がこのように臣下として朝廷に仕えていらっしゃるのも、もったいないことなど、あれこれとお悩みになって、日が高くなるまでお出ましにならないので、これこれしかじかとお聞きになって、大臣も驚いて参内なさったのを、お目にかかりあそばすにつけても、帝はますます堪えがたくお思いになって、お涙がこぼれあそばしたのを、源氏は、「おおかた故母宮の御事を、涙の乾く間もなくお悲しみになっているころだからなのだろう」と拝し上げなさる。

 その日、式部卿の親王がお亡くなりになった旨を奏上するので、帝はますます世の中の穏やかでないことをお嘆きになった。このような状況なので、大臣は里にもご退出になることができず、付ききりでいらっしゃる。
 しんみりとしたお話のついでに、
「私の寿命は終わってしまうのだろうか、何となく心細くいつもと違った心地がする上に、世の中もこのように穏やかでないので、万事落ち着かない気がして。故宮がご心配なさるからと思って、帝位のことも遠慮していたけれども、今では安楽な状態で世を過ごしたく思って」と御相談申し上げなさる。
「まったくとんでもないお考えです。世の中が静かでないことは、必ずしも政道が真っ直ぐだとか、また曲がっていることによるのではございません。すぐれたご治世でも、よくないことどもはございました。聖の帝の御世にも、横ざまの乱れが出てきたことは、唐土にもございました。わが国でもそうでございます。まして、当然の年齢の方々に寿命の至るのも、お嘆きになることではございません」などと、なにかにつけたくさんのことがらを申し上げなさる。その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。
 いつもより黒いお召し物で喪に服していらっしゃるご容貌は、源氏に生き写しである。帝も、これまでずっとお鏡を見て、お気づきなっていることであるが、お聞きあそばした後は、またしげしげとお顔を御覧になりながら、格別にいっそう胸に迫るようにお思いになるので、「何とかして、このことをそれとなく申し上げたい」とお思いになるが、何といってもやはり、きまりが悪くお思いになるに違いないことなので、お若い心地から遠慮されて、すぐにもお話し申し上げられないので、世間一般の話をいつもより特に親密にお話し申し上げあそばす。
 帝が慇懃な態度をとっていらっしゃって、とても御様子が違っているのを、お見通しのお眼には、妙だと見申し上げなさったが、とてもこういうことだとはっきりとお聞きあそばしたとは、思いよりもなさらないのであった。

 

《当然のことながら、帝の動揺は計り知れないほどで、翌朝遅くまで御出座がありません。帝の様子がおかしいという連絡を受けた源氏は、すぐに参内しますが、帝にしてみれば、その顔を見るのは「ますます堪えがたくお思いになって、お涙がこぼれあそばし」て、話など上の空と言った気持です。

その日今度は式部卿宮(桐壺院の弟、朝顔の斎院の父)が亡くなります。こういう時だけにこの訃報は帝にとって深刻な意味を持っているように感じられました。

源氏もそうしたことが気になっているのですが、しかし帝もその事情を知っているということは知らないので、帝の嘆きを、ただ母を亡くした悲しみだろうと思っています。

こういうふうに登場人物の知らないことを読者が知っている形で物語を読ませるという書き方は、読者に優越感を持たせると同時に、読み進めるのにスリルを感じさせてくれて、楽しいところです。

帝は思いあまって、「故宮がご心配なさるからと思って」と母宮を気遣っていた態にして譲位を仄めかしますが、もちろん源氏は取りあいません。

そこに「その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。いつもより黒いお召し物で、喪に服していらっしゃるご容貌は、違うところがない」という、草子地と客観描写の一節が入ります。草子地の方は、書かれた以上の話がなされたことを示し、突然の客観描写は、まさしく父子が向き合っているのだということを、読者に印象づけます。

帝は以前から自分が源氏によく似ていることに気づいていたと、作者は言います。私たちには初耳で、これまでそれを自分の中でどう納得していたのか、気になりますが、そういうことがあったのなら、今改めて「しげしげと(源氏の)お顔を御覧に」なるという気持はよく理解できます。

帝はいっそ聞いたことを話してしまおうかとも思われるのですが、父当人の重大な不倫の話だけに言い出しかねて、言うべき事の言えないもどかしい気持を抱いたまま、ただ、自然と源氏への態度は親密に、また慇懃になります。矛盾する心情とも言えますが、これもよく理解できて、お互いが相手を探り合いながらぎこちなく話し合っている緊張感を、読者としては、はらはらしながら読み進めることになるわけで、物語を読む醍醐味が感じられるところです。》

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第二段 冷泉帝、出生の秘密を知る

【現代語訳】

「滅相もない。仏の禁じて秘密になさる真言の深い道でさえ、少しも隠しとどめることなくご伝授申し上げております。まして心に隠していることは、何がございましょうか。
 これは過去来世にわたる重大事でございますが、お隠れあそばしました院と后の宮、現在政治をお執りになっている大臣の御ために、すべて、このままではかえってよくないこととして漏れ出すのではないでしょうか。このような老法師の身には、たとい災いがありましょうとも、何の悔いもありません。仏天のお告げがあることによって申し上げるのでございます。
 わが君がご胎内にいらっしゃった時から、故宮には深くお嘆きになることがあって、ご祈祷をおさせになる仔細がございました。詳しいことは法師の身には理解できません。思いがけない事件が起こって、大臣が無実の罪にお当たりになった時、ますます恐ろしくお思いあそばされて、后の宮様から重ねてご祈祷を承りましたが、大臣もご理解あそばして、またさらにご祈祷を仰せつけになって、陛下が御即位あそばした時までお勤め申した事がございました。
 その承りましたご祈祷の内容は」と言って、詳しく奏上するのをお聞きあそばすと、思いも懸けぬ驚くべきことで、恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心がお乱れになった。
 しばらくの間、返事もないので、僧都は、「進んで奏上したのを不届きとお思いになったのだろうか」と、困ったことになったと思って、そっと恐縮して退出するのを、お呼び止めになって、
「知らずに過ぎてしまったりしたら、来世までも罪があるに違いなかったことを、今まで隠しておられたのは、かえって安心のならない人だと思ったことだ。他にこの事を知っていて誰かに漏らすような人はいるだろうか」と仰せになる。
「まったく、拙僧と王命婦以外の人は、この事情を知っている者はございません。それだから、実に恐ろしいのでございます。天変地異がしきりに啓示を現し、世の中が穏やかでないのは、このせいです。御幼少で、物の道理を御分別おできになられなかった間はよろしうございましたが、だんだんと御年が十分におなりになって、何事も御分別あそばされるころになって、咎を示すのです。万事、親の御代より始まるもののようでございます。何の罪とも御存知あそばさないのが恐ろしいので、忘れ去ろうとしていたことを、あえて申し上げた次第です」と、泣く泣く申し上げるうちに、夜がすっかり明けてしまったので、退出した。

 

《とうとう僧都は、この冷泉帝の出生の秘密の全てを話してしまいました。

僧都の心配は、とりあえずは、「このままではかえってよくないこととして漏れ出す」ことでした。事情を正確には知らないものから、噂として漏れ出たりすると、尾ひれが付いてとんでもないスキャンダルになりかねない、ということです。

話してしまえば、あるいは不敬として処分を受けかねないけれども、自分は仏のお告げだから、あえて話すのだと、ここまでが前振りです。もっとも僧のそういう心配は、後で「拙僧と王命婦以外の人は、この事情を知っている者はございません」と、僧自身が否定していますから、言わば、話す口実に過ぎないようです。

ところで、あの事件の顛末は、私たち読者はすでによく承知していることですが、それを僧都はどうして知り得たのか。

『評釈』も『光る』も、その事情は僧都が二人から祈祷を頼まれたことから推測して導いたとしています。しかし『光る』自身も言うように、このような天下の大事を自分の推測だけで帝に話すとは、とても考えられないことのように思われます。

作者は僧都の前半の話を「その承りましたご祈祷の内容は」と言いさして、あとをぼかしています。祈祷は恐らく、誰のための何のためのどのような祈祷かによって、そのやり方は異なるでしょうから、その祈祷に明らかな効果をあらしめるために、祈祷師は、その事情の相当部分を知らなくてはならないでしょう。彼は源氏と藤壺から祈祷を頼まれる際に、具体的にそれを聞かされたのではないでしょうか。

ここで僧都の言葉を言いさした形にしたのは、語れば、それがあまりにあからさまな話になるからだったのです。

彼はその、いわゆる「職務上知り得た秘密」を十余年にわたって守りきってきたのです。

しかし、ここに来て新たに、もっと大切な心配が生じてきたのです。それは、太政大臣の薨去の時(第三章第一段)から源氏も気に掛かっていた、「(帝が)だんだんと御年が加わっていらっしゃいまして、何事も御分別あそばされるころになったので、(天が)咎を示す」ことで、今その兆しが天変となって現れていると、僧都は言います。僧都からは言いにくかったのですが、帝が察して言った「知らずに過ぎてしまったりしたら、来世までも罪がある」ということでした。

僧都は、その心配のために、言わずにはおられなかったのです。

なお、この僧都の言葉は「老僧らしいごつごつした、ことごとしい表現をしている」(『構想と鑑賞』)と言えるようで、女房言葉にはない、「天の眼」(前節)「真言」「仏天」「天変」などの言葉が用いられてことがそれに当たるようです。『評釈』は、「この場の緊迫した空気をかもす一つの技法ではないかと思う」と言っています。》

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第一段 夜居僧都、帝に密奏

【現代語訳】

 ご法事なども終わり、諸々の事柄も落ち着いて、帝は何となく心細くお思いである。

この入道の宮の母后の御代から引き続いて、代々のご祈祷の僧としてお仕えしてきた僧都がいて、故宮におかれてもたいそう尊敬して信頼していらっしゃったが、帝におかせられても御信任厚く、重大な御勅願をいくつも立てて、実にすぐれた僧であったが、年は七十歳ほどで、今は自分の後生を願うための勤行をしようと思って籠もっていたのだが、宮のご病気祈祷のために出て来ていたのを、宮中からお召しがあって、いつも伺候させてお置きになる。
 これからはやはり以前同様に参内してお仕えするように、源氏の大臣からもお勧めの言葉があるので、
「今では、夜居のお勤めなどは、とても堪えがたく思われますが、お言葉の恐れ多いのによって、昔からのご厚志に感謝を込めて」と言って、帝のお側にお仕えしているが、静かな暁に、誰もお側近くにいないで、あるいは里に退出などしていた折に、老人らしく咳をしながら、世の中の事どもを奏上なさるついでに、
「まことに申し上げにくく、申し上げたらかえって罪に当たろうかと憚られる点が多いのですが、御存じでないために、罪も重く、天の眼が恐ろしく存じられますことを、心中に嘆きながら、そのまま寿命が終わってしまいましたならば、何の益がございましょうか。仏も不正直なとお思いになるのではないでしょうか」とだけ申し上げかけて、それ以上言えないでいるということがあった。

帝は、

「何事だろう。この世に執着の残るよう思うことがあるのだろうか。法師は、聖僧といっても、道に外れた嫉妬心が深くて、困ったものだから」とお思いになって、
「幼かった時から隔てなく思っていたのに、そなたにはそのように隠してこられたことがあったとは、つらい気がする」と仰せになると、

《文の途中ですが、長さの都合でここで区切ります。

「ご法事なども終わり」は、四十九日が経ったことをいうようです。

その夜、七日毎七度の法要という大きな公の勤めに追われて、悲しみに沈む間もない慌ただしい時期が終わって、十四歳の帝はほっと一息しながら、改めて母の不在を噛みしめている、といったところです。

人々は引き下がって、側にはお祖母様以来親交のある高徳の老僧が、ひとりお伽を勤めています。「自分の後生を願うための勤行をしよう(原文・終りの行ひをせむ)」と山に籠もっていたのを、「宮のご病気祈祷」のために出かけてきた人で、本来なら、法要の終わりとともに山に帰るはずだったのでしょうが、帝のご希望があり、是非にと請われての伺候なのでした。

そこにさりげなく「源氏の大臣からもお勧めの言葉があるので」と一言入ったのが意味があって、源氏はみずから問題の種を引き寄せてしまったのでした。人はこのように、自分の人生を変えるような重大な誘因を、自分の知らぬ間にわざわざ自分の手で引き寄せるものなのだ、と思わせます。

さて一夜、帝のお側で二人だけで夜居を勤めたその僧が「静かな暁に」、実は、と帝に語り始めます。

その語り口は、まことにおそるおそるといった様子で、しかも改まった大仰な言葉で、何やら重大な内容らしいのです。「罪も重く」は、帝に伝えるべき事を伝えない罪の深さ、「天の眼が…」は「御存じでないために」生じる帝の罪を言っているようです。

帝は、そのあまりに重そうな前振りに、むしろ逆に僧都に疑いを抱きます。このように内密の話めかして、しばしば讒言や中傷がなされるものだと、若いながら帝は承知しておられるのでしょう。気持の上では用心をしながら、話を促します。》

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