源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 明石の物語(三)

第三段 饗宴の最中に勅使来訪~その2

【現代語訳】2

「なかに生ひたる(月に育つと言われる桂の里に住んで)」と口になさる時に、あの月明かりの中の淡路島をお思い出しになって、躬恒が「所柄からかも(月が近く見えることだ)」といぶかしがったという話などを、話し出されたので、しみじみとした酔い泣きをする者もいるのであろう。
「 めぐり来て手に取るばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月

(月も廻り、都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は、あの淡路島を臨んで

遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか)」
 頭中将、
「 浮雲にしばしまがひし月影のすみはつるよぞのどけかるべき

(浮雲に少しの間隠れていた月の光も今澄みきっているように、いつまでものどかで

ありましょう)」
 左大弁は少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
「 雲の上のすみかを捨てて夜半の月いづれの谷にかげ隠しけむ

(雲の上を離れて月(故院)はどこの谷間に姿を隠したのだろうか)」
 思い思いに歌は多くあるようだが、これ以上は煩わしいので。
 親しい内輪のしんみりしたお話は、少し砕けてきて、千年も見聞きしていたいような源氏のご様子なのでこのまま斧の柄も朽ちるほど長い滞在になりそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
 いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、その者達が霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の芸能に名高い舎人などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、人々が脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
 大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大井では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。

「手紙さえやらないで」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。

 

《ここまでの桂の院の場面は、苦しかった須磨、明石での時代を意識しながら、それとうって変わって、復活した現在の幸福、権勢の様を描くところに、狙いがあるようですが、やや型どおりで、『構想と鑑賞』などは「作者はかなり力を入れて描いているが、当時の風俗描写であって、今日では恐らく多くの人々に、あまり興味のない場面であろう」と切り捨てています。

確かに、この節は例によって例のごとくの歌が並んで、いささか退屈な話が続きましたが、最後に明石の御方を思い遣る源氏の心配りは、彼我の寂しさと賑わいをよく対照させて、ちょっと印象的です。

そうしておいて、話はこの巻の後段の主題へと展開していきます。

途中、「いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる」というのが、分かりにくく思われます。「今日までは」は『谷崎』の言うように「今日まで泊まっては」の意と考えていいでしょうから、そうすると、この時間から二条院に帰ったということなのでしょうか。ここに来る時、午後半日掛けてやって来たような書き方だった(第二章第二段)のと比べると、ちょっと腑に落ちない気がしますが、朝帰りは珍しいことではないのですから、夜中を掛けて帰ったのでしょうか。

待つ者にとっては、翌日、日が昇ってからでも同じことだと言えそうですが、それにしても、タフな行動です。こういう色好みの多くの貴公子が、夜な夜な京都の町を行き来していたのだと思うと、なんとも愉快な光景ではあります。》

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第三段 饗宴の最中に勅使来訪~その1


【現代語訳】1

 皆が次々に絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、たいそう華やかである。弾きものは、琵琶、和琴など、笛は上手な人ばかりで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
 殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
「今日は、六日の御物忌みの明く日で、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」と仰せになったところ、ここにこのようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
「 月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ

(月が澄む桂川の向こうの里なので、月の光はさぞのどかなことであろう)
 羨ましいことだ」とある。恐縮申し上げなさる。
 殿上の御遊びよりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお心にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大井に、「ことごとしくならない引き出物はないか」と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げる。衣櫃二荷に入れてあったのだが、お使いの蔵人弁はすぐに参内するので、女の装束をお与えになる。
「 久かたの光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山里

(桂の里は月に近そうですが、それは名ばかりで朝夕の霧も晴れない山里です)」
 行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。


《親しい者達だけの楽しい酒宴となって、現代ならカラオケとでも言うところなのでしょうか、漢詩を作って朗詠し合い、また楽器を奏でて、折からの見事な月を楽しみます。

その月を楽しんでいたのは、実は宮中の帝も同じだったようです。こうした折りに源氏がいないのは、何とも寂しい、「今日は、六日の御物忌みの明く日で、必ず参内なさるはずなのに」との帝のお言葉で、使いがやってきました。源氏の誉れも極まった形です。

使いには引き出物が必要ですが、出先のことで源氏には用意が無く、明石の御方の所に、適当な物をと、使いが走ります。「ここで明石の御方の人物試験が行われ」たのだと『評釈』が言います。源氏にそういう意図があったのではない書き方のように思われますが、結果的には同じことになるでしょう。

送られた「衣櫃二荷」を、同書は「物資豊富」と言っています。さすがに羽振りを利かせた明石の入道が娘に持たせた物は、質量ともに十分であったようです。

『評釈』によれば「勅使であるから女の装束一揃えがいちばん正当な禄」なのだそうで、豊富な物資の中から、それに相応しいものを選び出すことが御方の試験科目だったのですが、どうやら彼女は立派に合格したようです。》

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第二段 桂院に到着、饗宴始まる

【現代語訳】
 あの解任されていた蔵人も、再び任ぜられていたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔にひきかえ得意の様子で、御佩刀を取りに近くにやって来る。人影を見つけて、
「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」と、しゃれたふうに言うので、応対の女房も、
「『八重立つ山』のこの大井は、まったく『島隠れの浦』の明石に寂しさは劣らなかったのに、『松も昔の(誰も知る人がいない)』と思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」などと言う。男は
「いい気な者だ。自分も悩みがないわけではなかったのに」などと興ざめな思いがするが、
「いずれ、改めて」と、わざときっぱり言って、参上した。

 たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家を見つけられてしまったのが、残念だ」と、ひどくお困りのふうでいらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだでした。野辺の色の方は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上する。お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。

 

《「あの解任されていた蔵人」というのは、「(関屋の巻に)空蝉の夫の先妻の子、常陸の介(もとの紀伊の守)の弟とある」(『集成』)という人のようで、とすると、早くは葵の巻の御禊の時に源氏の臨時の随身を勤めて、後に明石に同行した人ということになります。「明石にいたころを再現したかのようなこの大井に、またひとり当時のことを知る共通の人が出てきた」(『評釈』)わけです。

その人が、御方お付きの女房と洒落たふうなやり取りをするわけですが、「この一場面を置いたのは、源氏と明石の御方との場面と対照さすためである」と『評釈』は言います。つまりその二人の場面(第二章第五段)がいかにもしめやかであわれ深かったのに対して、こちらのことさらめいて蓮っ葉な様を描くことで、「御方の立派さを強調し、明石から上ってきた女房のおすましぶりを(読者とともに)ひやかす」(同)という趣向だというわけです。

なるほどと思われますが、また一方で、源氏の庇護を得て、都でいよいよこれから時と所を得ようとする一族の端々の者達までの得意の様が、そのはしゃいだ調子の中に感じられるという意味もあるように思います。饗宴の前座として、悪くない場面と言えるのではないでしょうか。男の「いい気な者だ。…」という感想の意味はよく分かりません。

さて、源氏が屋敷を出立しようと表に出ると「源氏がここにおいでになることを聞いて殿上人がぞくぞくとおしかけて、源氏がお出になるのを待ち、控えて」(『評釈』)います。照れくさい源氏は、あえて「たいそう威儀正しくお進みになる」のでした。それと車内での「ひどくお困りのふう」とのアンバランスが滑稽です。

それを気遣って同乗の二人は、その源氏の言葉とは関係のない話をします。その「頭中将、兵衛督」は「ここにだけ見える人物」(『集成』)と言います。そういうレベルの公達が迎えに来ていたということで、若い人たちから慕われている感じを言っているのでしょうか。

「今日は、やはり桂殿で」と、帰宅の予定を変更して、隠し事が露見した照れ隠しと皆の迎えをねぎらっての、にぎやかな饗宴が始まります。》

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第一段 大井山荘を出て桂院に向かう

【現代語訳】

 次の日は京へお帰りあそばすご予定なので少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになるはずだったのだが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢お迎えに参上している。ご装束などをお付けになって、
「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように公にするような場所でもないのに」と言って、騒ぎにせきたてられてお出になる。

ざわついた別れで気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が姫君を抱いて出て来た。いとしくてならぬご様子で、お撫でになって、
「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。まったく『里遠み(恋しく思われることだろう)』だな」とおっしゃると、
「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしがはっきりしませんのは気がかりで」などと申し上げる。

姫君が手を差し出して、立っておいでの後をお追いになると、お膝をおつきになって、
「不思議と気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらいことだ。どこにいるのか。どうして一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ人心地もつこうものを」とおっしゃるので、笑って女君に「これこれです」と申し上げる。
 久々の逢瀬にかえって物思いに伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになる。女房たちも気を揉んでいるので、ようようにいざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そうである。帷子を引きのけて優しくお語らいになる。

先駆けの者が立ち騒いでいるのでお出になろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
 何とも言いようがないほど、今が盛りのご容貌である。たいそうほっそりとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。

 

《ここに来ると、源氏は、幸福な上流家庭を描いたホームドラマに出て来そうな、いい家の主人といった様子です。

 ここの最初の彼の言葉のおおような感じといい、乳母の抱いた姫を撫でている様といい、「どこにいるのか」と乳母に御方を呼ばせる声音といい、どこをとっても、しっかり家を治めていて満ち足りた日常を送っている中年の主といった趣といえるでしょう。

 そういう家ですから、乳母もさすがになかなかしっかりした女性で、ちょっとした対話の合間に源氏に「これからのお持てなしがはっきりしませんのは、気がかりで」と、女主人のために一言釘を刺すことを忘れません。

 源氏の言葉を聞いた乳母が「笑って」女君に取り次いだのは、その言葉で源氏の「これからのお持てなし」が保証されたことになると思って安堵したからなのだと『評釈』が言います。

 呼ばれて御方はなかなか出てきません。「呼べば、すぐくる、そういう程度の身分である。あれだけ言って出てこないとは『あまり上衆めかしたり』。…(女房たちが)大勢あつまって顔をつくり、衣裳を整えて、さあさあと押し出」されて(『評釈』)、やっと顔を出します。と、その姿は、昨夜以来よく知っている人なのですが、それでも意表を突いて、「横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そう」なほどだったのでした。この人は、いつも「近まさり」するという、素晴らしい人なのです。

最後に源氏が御方の視線で、「何とも言いようがないほど…」と描かれて、まさに非の打ち所無く完璧なカップルが完成します。》

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