【現代語訳】
お車は、多数続けるのも仰々しいし、一部分ずつ分けてやるのも厄介だということで、送られてきたお供の人々もできるだけ目立たないようにしているので、舟でこっそりと行くことに決めた。朝の七時頃に舟出なさる。昔の人も感慨深いものと歌に詠んだ明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は煩悩も断ち切りがたく、心も空に悲しみに沈んで眺めていた。
長年ここで暮らして今さら都に帰る方もやはり感慨無量で、尼君はお泣きになる。
「 かの岸に心寄りにし海士船のそむきしかたに漕ぎ帰るかな
(彼岸の浄土に思いを寄せていた尼の私が、捨てた都の世界に帰って行くのだわ)」
御方は、
「 いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ浮木に乗りてわれ帰るらむ
(何年も秋を過ごして来たながら、今さらどうして頼りない舟に乗って都に帰って行
くのでしょう)」
思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わずお入りになった。人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。
《船旅の別れは、陸路の別れと違って手の届かぬ思いがひとしお強く、また格別の悲哀があります。まして豊かで平穏な暮らしを続けていた人々にとって、道中や都に入って目立たぬようにと、不相応なひそかな船出とあれば、なおさらです。
掌中の玉と言うべき娘と孫娘のために全てのお膳立てを完璧にしてやって、最後の最後に船に一緒に乗ることをしないで、朝霧の中に消えていくその船を、ただひとり、それもまったく自分の意志で見送る入道の思いは、いかばかりでしょうか。明石の巻で最初に紹介された時「年齢は六十歳くらい」(第二章第三段)とありましたが、今はあれから四年、もう大変な高齢で、「勤行のために痩せぎみ」(同)だったという姿が、いっそう心細く感じられます。
群れを作る獣たちの社会で、君臨していたオスが年老いて若いリーダーに取って代わられると、自分で群からひとり離れていって最期を迎える、というような話をよく聞きますが、それが男という者の生き方の原型なのかも知れません。
母の尼君の歌も、自嘲の気分さえ感じられる、辛い歌で、また御方の歌は、「浮木に乗りて」が印象的な言葉で、彼女の心細さを強く表しているように思われます。