源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 明石の物語(一)

第七段 明石一行の上洛

【現代語訳】

 お車は、多数続けるのも仰々しいし、一部分ずつ分けてやるのも厄介だということで、送られてきたお供の人々もできるだけ目立たないようにしているので、舟でこっそりと行くことに決めた。朝の七時頃に舟出なさる。昔の人も感慨深いものと歌に詠んだ明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は煩悩も断ち切りがたく、心も空に悲しみに沈んで眺めていた。

長年ここで暮らして今さら都に帰る方もやはり感慨無量で、尼君はお泣きになる。
「 かの岸に心寄りにし海士船のそむきしかたに漕ぎ帰るかな

(彼岸の浄土に思いを寄せていた尼の私が、捨てた都の世界に帰って行くのだわ)」
御方は、
「 いくかへり行きかふ秋を過ぐしつつ浮木に乗りてわれ帰るらむ

(何年も秋を過ごして来たながら、今さらどうして頼りない舟に乗って都に帰って行

くのでしょう)」
 思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わずお入りになった。人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。

 

《船旅の別れは、陸路の別れと違って手の届かぬ思いがひとしお強く、また格別の悲哀があります。まして豊かで平穏な暮らしを続けていた人々にとって、道中や都に入って目立たぬようにと、不相応なひそかな船出とあれば、なおさらです。

掌中の玉と言うべき娘と孫娘のために全てのお膳立てを完璧にしてやって、最後の最後に船に一緒に乗ることをしないで、朝霧の中に消えていくその船を、ただひとり、それもまったく自分の意志で見送る入道の思いは、いかばかりでしょうか。明石の巻で最初に紹介された時「年齢は六十歳くらい」(第二章第三段)とありましたが、今はあれから四年、もう大変な高齢で、「勤行のために痩せぎみ」(同)だったという姿が、いっそう心細く感じられます。

群れを作る獣たちの社会で、君臨していたオスが年老いて若いリーダーに取って代わられると、自分で群からひとり離れていって最期を迎える、というような話をよく聞きますが、それが男という者の生き方の原型なのかも知れません。

母の尼君の歌も、自嘲の気分さえ感じられる、辛い歌で、また御方の歌は、「浮木に乗りて」が印象的な言葉で、彼女の心細さを強く表しているように思われます。

そうした三人三様の思いをよそに、風は追い風、予定どおりに船は進んで、何事もなく都に入ったのでした。》

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第六段 明石入道の別離の言葉

【現代語訳】

「世の中を捨てた当初にこのような見知らぬ国に決意して下って来ましたことも、ただあなたの御ためと思ってのことで、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと決心致したのですが、わが身の不運な分際が思い知らされることが多かったので、絶対に、都に帰って古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の様子を元の状態に改めることもないでいながら、公私につけて愚か者との評判を広めて亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと、世間の人にも思われてしまったけれども、そのことについてはよく思い切ったと思っていましたが、あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうしてこんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、仏神にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさることはあるまいと思う心を密かに抱いて期待していましたところ、思いがけなく嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程をあれこれと悲しく嘆いていましたが、姫君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのもたいそうもったいなく、宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは鎮めがたい気がするけれども、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。

あなたたちは、世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。

天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るというような一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申します。私の命が尽きたとお聞きになっても、死後のことなどお考えくださるな。逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と言い切る一方で、

「煙となる夕べまで、姫君のことを、六時の勤めにも、やはり未練がましくきっとお祈りにお加え申し上げることであろう」と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。

 

《入道が自分の思いを切々と、綿々と語ります。

最初の一段落は、切れ目のない一文で、逆接が連続したりする、大変読みにくい文章になっていますが、「つづくでもなく切れるでもなく、とつとつと流れて行く入道の言葉」(『評釈』)が彼のこれまで右に左に揺れながら考えてきたことを、表しているとも言えるでしょう。『評釈』が言うように、生別は選択の余地があるところをみずからの意志で断たねばならない分だけ、死別よりもいっそう辛いことがあるものなのだということを、しみじみと思わされます。

後段の「あなたたちは」以下には、自分が都に同行しない理由が語られていると言ってもいいかも知れません。どうやら彼は、娘の上洛を、かぐや姫の昇天のように考えているようです。もちろん源氏の側での生活が月の世界ですが、この世で「公私につけて愚か者との評判を広めて、亡き親の名誉を辱めること」になった自分はあくまでも俗世の人間、罪深い自分が月の世界に同行することは、娘を、そして姫君を汚すことにしかならないと、そう考えて言っているようです。この姫君を自分の復権の手がかりに、などとはいささかも思っていない、この人の潔さは、なかなかに快いものがあります。

『人物論』が言っていた「淪落感の深さ」から来る「はげしい捨離の心」(前々節)という自分の問題があり、それが、『評釈』の言うような、「娘は后の御生母となる身ゆえ、身の回りは綺麗にしておいてやるのが親心」を生むということになるのでしょうか。

ここでかつて源氏が、弘徽殿女御は許しても紫の上の父・兵部卿宮を許さなかった(澪標の巻第三章第三段)ことを思い出します。

女性は玉の輿に乗れば、それまでの一切が忘れられて月の世界に行けるけれども、男の贖罪は生半可なことではかなわない(別の言い方をすれば、女性よりも男の方が、過去に拘泥する傾向が強い)のだ、というような考え方があるのではないか、という気がしますが、どんなものでしょう。

「死後のことなどお考えくださるな」と言った上で、すぐまたさらに「逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と同じ内容を繰り返していることについて、『評釈』が「明石の御方に強く念を押したこともあろうが、入道は自分の心に言い聞かせようとしたのだろう。…納得させねばならないのはむしろ自分なのである」というのは、美しい読み方だという気がします。「わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます」と「今日、永遠にお別れ申します」という繰り返しも同様なのでしょう。》

 

 明日はちょっと多忙になりそうで、少し早いですが、明日(3/16)分を送ります。

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第五段 老夫婦、父娘の別れの歌

【現代語訳】

 秋のころなので、さまざまのあわれが重なるような気持ちがして、上京というその日の暁に、秋風が涼しく虫の声もこらえきれずに鳴く折柄、明石の御方が海の方を眺めているころ、入道は、いつもの深更のお勤めの時間より早く起き出して、鼻をすすりながら、勤行していらっしゃる。ひどく言葉に気をつけているが、誰もがたいそう堪え難い。
 姫君は、とてもとてもかわいらしい様子で、あの「夜光の玉」のような心地がして、入道は袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる姫君の心根などは、不吉なまでに、このように普通の人と違ってしまった我が身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。
「 行くさきをはるかに祈る別れ路に堪へぬは老いの涙なりけり

(姫君の将来が幸福であれと祈る別れに際して、堪えきれないのは老人の涙であるよ)
 まったく縁起でもない」と言って、涙を拭って隠す。尼君が、
「 もろともに都は出できこのたびやひとり野中の道にまどはむ

(一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は一人都への野中の道で迷うことでしょう)」
と言って、お泣きになる様子は、まことに無理もない。長年夫婦として暮らしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。明石の御方が、
「 いきてまたあひ見むことをいつとてか限りも知らぬ世をば頼まむ

(京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って、限りも分からない命を頼

りにできましょうか)
 せめて都まで送ってください」と一生懸命にお頼みになるが、あれやこれやと、そうはできないことを言いながらも、そうはいっても、道中のことがたいそう気がかりな様子である。

 

《折からものみな凋落の秋、一家の別れとあって、悲しみはひとしおです。

その朝、まだ夜の明けきらぬうちから、御方は悲しみと不安を体いっぱいに抱えて、ただ海を見詰めています。

同じ頃、入道も例になく早く起きて早朝の勤行です。「このように普通の人と違ってしまった身」というのは、もちろん出家した身ということです。出家した以上現世の人の愛憎からは離れていなくてはならないのですが、妻や娘との別れを思って「鼻をすすりながら」の読経になります。それを作者は「勤行していらっしゃる」と、ここだけことさらに敬語を付けて茶化します。

しかし、その悲しみは悲しみとして、作者もよく承知しています。

日ごろなついてくれて、自分も馴染んだ、掌中の玉といった孫娘への思いはひとしおつのるものがあります。「我が身をいまいましく」思うというのは、もちろん世を捨てた自分がこの姫の傍にいることの不吉さを言うのですが、出家と情愛のどちらへも徹することのできないもどかしさ、自らをふがいなく思う硬骨漢の入道らしいいらだちを表しています。

妻の尼君も、また娘も、堪えがたいのは同じです。都に上って、これから何があるかも知れないままに、そもそもこのことを企てた夫がいないとあっては、彼女としては、まだ頼りない娘と幼い孫を預けられ、それを守る責任を負って、都に放り出されるといった気持です。「お泣きになる様子は、まことに無理もない」と言って、余りあるものがあるでしょう。

ところで、ここで入道の娘が「明石の御方」と呼ばれます。実は、この巻の冒頭にもありましたが、あれは東院に住むことになった場合を想定して言っているようなところなので、直接呼び名としてはここが初めてと言っていいでしょう。そもそもあまり呼び名では呼ばれず、例えばこの巻では、ここまで初めのところで「女」とあったきりです。

ちなみに、『集成』の訳や注での呼び名は「明石の上」、『評釈』は少し前から「明石の御方」と呼び、「御方」は「上」に次ぐ呼び名としています。葵の上、紫の上などが、一段上の呼び方というわけです。

ともあれ、これで物語の中での彼女の立場が、源氏の「御方」と確定しました。》


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第四段 腹心の家来を明石に派遣

【現代語訳】

 明石に、親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる。もうどうしようもなくて、いよいよ上京と思うと、明石の御方は長年住み慣れた浦を去ることが切なく、入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。

「何につけても、どうして、こう、心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
 両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに会わないで過ごすことになるだろうつらさが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、入道は同じようなことばかり、「そうなると、姫君にお目にかかれず、過すことになるのか」と言うことのほか、言葉がない。
 母君も、たいそう切ない気持ちである。この数年来でさえ、入道とは同じ庵に住まずに離れていたので、ましてこれからは誰を頼りとして留まっていられようか。ただかりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に別れることは、一通りのものでないようだが、まして変な恰好の頭や、気質は頼りになりそうにないが、またそうした仲で、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも心細い気がする。
 若い女房たちで、田舎暮らしに憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思いながら、一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。

 

《都の住む場ができたとなると、源氏は早速に迎えを送ります。使者を特に「親しい側近」としたのは、今の段階でこの姫の素性を人に知られないためでしょう。

明石の一家は、遂に訪れた姫君の上洛の時を迎えて、悲歎に暮れます。それは「入道が心細く独り残る」ことになるからです。どうやら、入道一人が明石に残り、母君と明石の君と姫君が上洛するようです。

母娘にとっては、上洛すること自体への不安と、夫(父)と別れる悲しみと心細さと、そして住み慣れた土地を離れる寂しさとが、ない交ぜになって、言いようのない悲哀となっているのです。

ところで、どうして入道が一緒に上洛しないのか、ちょっと不審です。

確かに彼は若紫の巻で話題にされた時に、すでに「『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまった」と紹介されていました(第一章第二段2節)。

しかしこの度は、「長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶う」と自ら言うような、言わば凱旋と言ってもいい、末頼もしい上洛なのではないでしょうか。しかしそういうふうにはまったく考えていないようです。

そして、それはどうやらこの一家では自明のことであったようで、作者も取り上げて説明しようとしません。

この点を、『人物論』所収「明石入道の人物造形」が、入道に「淪落感の深さ」から来る「はげしい捨離の心」があったからだったのだと言っています。名家に生まれながら、その立場に馴染めず、みずから降格を願い出て都を去った彼には、例えば太宰治のような「淪落」(堕落して身を持ち崩すこと、落ちぶれること・旺文社国語辞典)感があったというようなことは、十分考えられることです。それは、上層階級を否定すると同時に切なく懐かしく思うことによって生じる自己否定感と言えるでしょう。

それなら作者はどうしてそこを取り上げて、そう書かなかったのか、という疑問が残ります。あるいは、当時としてはこの状況であれば、この家族同様に、自明のことと思われることだったのでしょうか。

もし彼が都に対するそういう決定的な自己否定の気持を抱いていたのだとしたら(確かにそれ以外に彼が上洛を拒否する理由は想定しにくいのですが)、娘を是が非でもそこに出そうとする入道には、どれほど複雑な思いがあったことでしょうか。

そしてその全てを知る妻と娘の悲哀は、それぞれの自分の不安の深さと合わせて、これもまた、どう訴えようもないつらいものであったであろうと思われます。》

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第三段 惟光を大井に派遣

【現代語訳】
 源氏は、入道がこのようなことを考えているともご存知なくて、上京することを渋っているのも、わけが分からずお思いになって、

「姫君が、あのようなままひっそり淋しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、完成させて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。

「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点がお行きになる。「立派な心がまえであるよ」とお思いになった。
 惟光朝臣は例によって内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、お遣わしになって、しかるべきさまにあれこれの準備などをおさせになるのであった。
「付近一帯、趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」と申し上げると、

「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。
 ご建立なさっている御堂は、大覚寺の南に当たって、滝殿の趣なども、それに負けないくらい素晴らしい寺である。
 こちらは、大井川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。内部の装飾などまでご配慮なさっている。

 

《入道は大井の家のことを源氏に話さないままに進めていたようです。

その間、源氏は、催促してもなかなか上洛しないので、姫君のことを、このままでは「もう一段と外聞の悪い欠点になりはしないか」と案じていました。「もう一段」というのは、母親の身分が低い上に、田舎住まいが長いことが加わることを言っているのでしょう。「明石の御方にはずいぶん気の毒な思われよう」(『評釈』)ですが、例えば葵の上や六条御息所のような地位の人が当たり前の源氏から見るのであれば、それも仕方がないでしょう。

彼は少しでも早く姫を都に呼んで、その身から明石のことを洗い流させなければならないと考えているのです。

そういう彼にとって、入道の計らいは、これもまた二重の意味で「立派な心がまえ」と見えるでしょう。上洛が早まること、そしてまっすぐに街中に連れてくるのではなくて、都の香りのする、しかし目立たない場所に住まわせて、とりあえず必要なたしなみを身につけさせる配慮をしたこと、です。しかもそれが、今彼が造営している御堂の近くとあれば、こんな都合のいいことはありません。

早速、惟光をやって、完成した家に更に手を加えさせます。

「こちらは」というのは、「ご建立なさっている御堂」に対して「こちら」、つまり入道の邸です。「何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子」という趣味の好さで、それはそのまま、明石の御方のゆくゆくの人柄を想像させます。

ところで、『集成』は「立派な心がまえ」を明石の御方のことととっていますが、どうなのでしょう。》

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