源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十八 松風

第一段 大井山荘を出て桂院に向かう

【現代語訳】

 次の日は京へお帰りあそばすご予定なので少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになるはずだったのだが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢お迎えに参上している。ご装束などをお付けになって、
「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように公にするような場所でもないのに」と言って、騒ぎにせきたてられてお出になる。

ざわついた別れで気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が姫君を抱いて出て来た。いとしくてならぬご様子で、お撫でになって、
「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。まったく『里遠み(恋しく思われることだろう)』だな」とおっしゃると、
「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしがはっきりしませんのは気がかりで」などと申し上げる。

姫君が手を差し出して、立っておいでの後をお追いになると、お膝をおつきになって、
「不思議と気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらいことだ。どこにいるのか。どうして一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ人心地もつこうものを」とおっしゃるので、笑って女君に「これこれです」と申し上げる。
 久々の逢瀬にかえって物思いに伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになる。女房たちも気を揉んでいるので、ようようにいざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そうである。帷子を引きのけて優しくお語らいになる。

先駆けの者が立ち騒いでいるのでお出になろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
 何とも言いようがないほど、今が盛りのご容貌である。たいそうほっそりとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。

 

《ここに来ると、源氏は、幸福な上流家庭を描いたホームドラマに出て来そうな、いい家の主人といった様子です。

 ここの最初の彼の言葉のおおような感じといい、乳母の抱いた姫を撫でている様といい、「どこにいるのか」と乳母に御方を呼ばせる声音といい、どこをとっても、しっかり家を治めていて満ち足りた日常を送っている中年の主といった趣といえるでしょう。

 そういう家ですから、乳母もさすがになかなかしっかりした女性で、ちょっとした対話の合間に源氏に「これからのお持てなしがはっきりしませんのは、気がかりで」と、女主人のために一言釘を刺すことを忘れません。

 源氏の言葉を聞いた乳母が「笑って」女君に取り次いだのは、その言葉で源氏の「これからのお持てなし」が保証されたことになると思って安堵したからなのだと『評釈』が言います。

 呼ばれて御方はなかなか出てきません。「呼べば、すぐくる、そういう程度の身分である。あれだけ言って出てこないとは『あまり上衆めかしたり』。…(女房たちが)大勢あつまって顔をつくり、衣裳を整えて、さあさあと押し出」されて(『評釈』)、やっと顔を出します。と、その姿は、昨夜以来よく知っている人なのですが、それでも意表を突いて、「横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そう」なほどだったのでした。この人は、いつも「近まさり」するという、素晴らしい人なのです。

最後に源氏が御方の視線で、「何とも言いようがないほど…」と描かれて、まさに非の打ち所無く完璧なカップルが完成します。》

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第五段 嵯峨御堂に出向き大井山荘に宿泊]

【現代語訳】

 お寺にお出向きになって、毎月の十四、五日、晦日の日にそれぞれ行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなどを、お決め置きになる。堂の飾り付けや仏像の道具類を、お触れを回してお命じになる。月の明るいうちにお戻りになる。
 かつての明石での夜のことを、お思い出しになっていらっしゃる折りを見過ごさず、御方があの琴のお琴をお前に差し出した。自然としみじみとした思いがして、気持を抑えかねなさって、お弾きになる。絃の調子ももとのままで、当時に戻ってあの時のことが今のようなお気持ちにおなりになる。
「 契りしにかはらぬ琴の調べにて絶えぬ心のほどは知りきや

(この琴の調べが変わらぬうちに会おうと約束したとおりになったことで、変わらぬ

私の心をお分かりいただけましたか)」
 女は、
「 かはらじと契りしことを頼みにて松の響きに音を添へしかな

(変わらぬと約束下さったことを頼みとして、松風の音に泣く声を添えていました)」
と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。

すっかり立派になった器量や様子がとても見捨てがたく、姫君は言うまでもなく、いつまでも目をお離しになることができない。
「どうしたらよいだろう。日蔭者としてお育ちになることが、気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」とお考えになるが、また一方で、御方の悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。

幼な心で少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりしてなついていらっしゃるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。抱いていらっしゃる様子がいかにも立派で、姫の将来はこの上ないことと思われた。

 

《尼君と語らった午後、といった頃でしょうか、源氏は造営中の御堂に出かけて、あれこれと差配をして帰ります。

 そのあとでやっと、読者の待ちかねた源氏と御方との対面を語ります。もちろんここに来た夜も語らっていたのですが、ただその事実が告げられただけでしたから、御方の登場はここが初めてと言っていいでしょう。

 その彼女の様子は、源氏が月の光の中を帰って来て、明石で御方と一緒に琴を弾いた別れの月夜のことを思い出している時に、そっとあの時の琴を差し出すといった心配りにまず示されます。

自然と手に取られて弾かれたその琴の音によって、三年の歳月は消し飛んで、「当時に戻ってあの時のことが今のようなお気持ちにおなりになる」のでした。

そして詠み交わした歌も「不釣り合いでない」ものであり、その容姿も「すっかり立派になった器量や様子がとても見捨てがたく」源氏には思われた、と言って、その素晴らしい人品を読者に保証します。

しかし源氏はそういう感動や感慨に耽っていただけではありません。もうこの時から姫君を御方から貰い受けることを考えています。実はこの人たちを都に呼び寄せたのは、そのためにこそ、だったのですから。

最初の一段落の三つの文が、畳みかけるように、すべて現在形で語られているのが気になります。そもそも、どうして御堂に行ったことを、わざわざ数行ほどの事務的な話を、入れる必要があったのでしょうか。

「大臣や大納言となると子分ができる。源氏は政界の大ボスであるから地方長官がたくさんついてくる。そのような連中に回状をまわして指図する。…あとは、命を受けた連中の競争となる」(『評釈』)、そういう大物実力者ぶりを描いて、源氏の現実の姿を肉付けしたのでしょうか。そう言えば、現在形の畳みかけは、彼のてきぱきとした仕事ぶりを感じさせるとも言えそうです。

そして、そういう姿と、終わりの母子を見詰める涙ぐんだ姿との対照が、源氏の偉大さと、そういう大きな愛を受ける母子の幸せを感じさせることになります。》

 

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第四段 源氏、大井山荘で寛ぐ

【現代語訳】

 修繕なさるべき所の担当を、新たに加えた家司などにお命じになる。

桂の院においでになるご予定とあったので参集していた近くの荘園の人々も、みなこちらに尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなどを直させなさる。
「あちらこちらの石組みもみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園だね。こういう所を念入りに手入れするのも、つまらないことだ。そうしたところでいつまでも過ごすわけでないから、立ち去る時に気が重く心引かれるのも、つらいことだった」などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのは、実に素晴らしい。
 尼君がのぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、にこにこしている。東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣を手入れさせなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になって、お思い出しになって、
「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、
「前世の罪を軽めて美しくお育てになった姫のことを思いますと、御勤行のお陰とありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を離れて、憂き世にお帰りになられたお気持ちを、深く感謝いたします。またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」と、たいそう優しくおっしゃる。

「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、いろいろに思い乱れておりますことをご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると嬉しく存じられます」と泣いて、

「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、母の素性の賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」などと申し上げる感じは、たしなみの程がうかがえるので、昔話にここに親王が住んでいらっしゃった様子などをお話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
「 住み馴れし人はかへりてたどれども清水ぞ宿のあるじがほなる

(かつて住み慣れていた私は帰って来てまごついていますが、遣水はこの家の主人の

ように昔ながらの音を立てています)」
 わざとらしくはなくて謙遜した様子が優雅で品があるとお聞きになる。
「 いさらゐははやくのことを忘れじをもとのあるじや面がはりせる

(小さな遣水は昔のことも忘れないのだろうが、もとの主人が尼に姿を変えたのかな)
 悲しいことだ」と、ちょっともの思いをして、お立ちになる姿や漂う雰囲気を、ただもう世の中に見たこともないとばかり思い申し上げる。

 

《「見栄えのする庭園だね」と言いながら「手入れするのも、つまらない」に続く呼吸が分かりにくく思われますが、「立ち去る時に気が重く…」は、「つらいことであった」が原文で「苦しかりき」とありますから、彼の実体験、つまり明石のころを思い出しての話のようです。須磨や明石の住まいに対しての離れがたい愛着があったということは、格別書かれてはいなかったように思いますが、自然な感傷として思うところはあったのでしょう。

『評釈』が「都を離れて、心細い暮らしをしたころのことが、共通の話題として話し合えるのは、この大井の邸だけなのである。それゆえ源氏はここでは『泣きみ笑ひみ(泣いたり笑ったりして)』して…うちとけてくださる」のだと言います。した、がって「実に素晴らしい」というのも、いつものようにその容姿の美しさを言うのではなくて、源氏のようなこの上ない高貴な人がそのようにくつろいで下さるのをありがたく思う気持ちを言っているということなのです。

「尼君がのぞいて拝すると」とか、「閼伽の道具類があるのを御覧になって、お思い出しになって」とあって、まだ会っていなかったのかと驚きますが、そういうものなのでしょう。尼君の方から会いに行くことなどは、もちろんできないようです。

尼君の気配を察して、源氏の方から急いで、しかも着替えて挨拶に行きます。婿殿が妻の母に篤い敬意を払う姿は、それだけでも美しく思われますが、ここでの源氏のきちんとした態度や思いやりのある丁寧な挨拶が、素直にこの人はいい人なのだと思わせます。

姫君がこう美しく育ったのは、尼君の勤行のお陰と庇護のお陰だと、相手のことをよく心得た、なかなか心のこもった挨拶です。そして向こうに残った入道のことも加えることを忘れません。》

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第三段 源氏と明石の再会

 

【現代語訳】

ひっそりと、御前駆にも親しくない者は加えないで、気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになる。

狩衣のご装束で質素になさっていた明石でのお姿でさえまたとなく美しいという気持でいたのに、まして、それなりのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿は、世になく美しくまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
 久しぶりで感慨無量で、若君を御覧になるにつけても、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間のことも、我ながらどうしたことかと悔しくお思いになる。
「大殿腹の若君をかわいらしいと世間の人がもてはやすのは、やはり時勢におもねってそのように見做すのだ。こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものなのだ」と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしくつややかなのを、たいそうかわいらしくお思いになる。
 乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌が立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、いとおしくもあのような漁村の片隅で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。
「ここもたいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはりあのかねて考えてある所にお移りなさい」とおっしゃるが、
「まったくもの慣れない期間を過ごしましてから」とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。

 

《夕方、源氏が大井の山荘に着きます。「日が高くなってしまった」という頃に出かけたにしては遅い到着ように思われますが、牛に牽かせた車ではそんなものなのでしょうか。

正装した源氏の姿は、御方にとっては初めてで、会えた喜びも加わって、また見違えるように美しく思われます。

「大殿腹の若君」というのは息子の夕霧のことですが、この時十歳でしょうか、目の前にいる三歳の女の子とかわいさを比べられては気の毒ですが、ともかくも彼は、源氏の子供たちの中で、少なくとも№2という立場を与えられたわけです(ちなみにもう一人の息子・冷泉帝はこの時十三歳になっています)。

少し先の話になりますが、作者はこの少年を、このように一番ではないところがあるとすることによって、源氏のような夢のスーパースターとしてではなく、現実にいる若者として描くつもりのようです。

源氏は御方に会いに行ったはずなのですが、そして読者はその感動的再会の場面を期待しているのですが、源氏の目は姫にばかり向いたようで、ここでは御方の様子はわずかに「『まったく慣れない期間を過ごしましてから』とお答え申し上げ」たとしか書かれません。乳母についてさえも、三年間の田舎住まいの苦労をねぎらう言葉が書かれているのに比べると、あまりにそっけない扱いのように思われます。初めの源氏の美しさに感嘆したというのも、彼女を語るのではなく、源氏を語ったに過ぎないでしょう。

ただ、「やはりあのかねて考えてある所にお移りなさい」と二条院東院に来るように勧めているのは、やっと意を決して都に来たばかりの人にまともに言うべき話ではないでしょうから、これも「睦言」のうちと考えると、少しは書かれているとも言えます。

あまりに劇的になるはずの場面で、読者から多くの期待が持たれるに違いないところは、なまじっかどうぞご自由に想像下さいと、多くは書かないで、フェイド・アウトしておく方が、効果的だということかも知れません。

そして、それは作者の意図ではないのでしょうが、実はそれがまた、このいぶし銀的脇役という、明石の御方という人のポジションを示してもいるわけです。》

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第二段 大井山荘訪問の暇乞い

【現代語訳】

 源氏の大臣は、かえって落ち着かない気持がなさるので、人目を憚ることもおできになられずお出掛けになるのだが、女君にはこれこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったのを、例によって外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げなさる。
「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて、待っているというので、気の毒に思えて。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」と申し上げなさる。
「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに住まわせていらっしゃるのだろうか」とお思いになると、おもしろくないので、

「斧の柄まで付け替えるほどになるのでしょうか、待ち遠しいこと」と、ご不満のご様子である。
「例によって、お相手しにくいお心であることだ。昔の好色がましい心は、すっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」と、何やかやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。

 

《さて、その源氏はと言えば、こちらも御方と同じで、都と明石に離ればなれにいた時よりも落ち着いていられるはずなのですが、近くにいるのに会えないとなると、かえって会いたい思いがつのって、じっとしていられない気持ちです。早速にも行きたいのですが、女君(紫の上)に気兼ねしてなかなか行くことができないでいるのでした。明石の御方のことは、以前女君には話してあります(澪標の巻第二章第四段)が、それを都に呼んだことまではまだだったのです。

そして、とうとう我慢ならず、意を決して出かけることにします。さいわい造営中の御堂が同じ方角なので、それを口実に、「あの辺り近くに来ていて、待っている」人がいることを、ちらりと加えて、女君に話します。

例えば京都御所から嵐山公園までは十キロほどの道のりですから、泊まり込まなければならないというのはちょっと意外ですが、そういうものだったのでしょうか。

しかし女君は御堂のことなどてんから問題にせず、「斧の柄まで…」と皮肉たっぷりです。女性関係の話であることはお見通しということのようです。

源氏は数知れない前科がありますから、弁解も容易ではありませんが、『評釈』は「これもまた、源氏にとって楽しい仕事なのだ」と、いやに訳知り顔です(ひょっとして評者の覚えのあるところででもあるのでしょうか、いや、余計な詮索です)。

話の通じる範囲での焼き餅なら、そういう気持になるかも知れませんが、「日が高くなってしまった」というのは、説得に(なだめすかすのに)半日を要したということでしょうか、そうだとすると、それほど「楽しい」わけでもなかったようにも思われます。》

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