【現代語訳】
次の日は京へお帰りあそばすご予定なので少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになるはずだったのだが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢お迎えに参上している。ご装束などをお付けになって、
「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように公にするような場所でもないのに」と言って、騒ぎにせきたてられてお出になる。
ざわついた別れで気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が姫君を抱いて出て来た。いとしくてならぬご様子で、お撫でになって、
「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。まったく『里遠み(恋しく思われることだろう)』だな」とおっしゃると、
「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしがはっきりしませんのは気がかりで」などと申し上げる。
姫君が手を差し出して、立っておいでの後をお追いになると、お膝をおつきになって、
「不思議と気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらいことだ。どこにいるのか。どうして一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ人心地もつこうものを」とおっしゃるので、笑って女君に「これこれです」と申し上げる。
久々の逢瀬にかえって物思いに伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになる。女房たちも気を揉んでいるので、ようようにいざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そうである。帷子を引きのけて優しくお語らいになる。
先駆けの者が立ち騒いでいるのでお出になろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
何とも言いようがないほど、今が盛りのご容貌である。たいそうほっそりとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。
《ここに来ると、源氏は、幸福な上流家庭を描いたホームドラマに出て来そうな、いい家の主人といった様子です。
ここの最初の彼の言葉のおおような感じといい、乳母の抱いた姫を撫でている様といい、「どこにいるのか」と乳母に御方を呼ばせる声音といい、どこをとっても、しっかり家を治めていて満ち足りた日常を送っている中年の主といった趣といえるでしょう。
そういう家ですから、乳母もさすがになかなかしっかりした女性で、ちょっとした対話の合間に源氏に「これからのお持てなしがはっきりしませんのは、気がかりで」と、女主人のために一言釘を刺すことを忘れません。
源氏の言葉を聞いた乳母が「笑って」女君に取り次いだのは、その言葉で源氏の「これからのお持てなし」が保証されたことになると思って安堵したからなのだと『評釈』が言います。
呼ばれて御方はなかなか出てきません。「呼べば、すぐくる、そういう程度の身分である。あれだけ言って出てこないとは『あまり上衆めかしたり』。…(女房たちが)大勢あつまって顔をつくり、衣裳を整えて、さあさあと押し出」されて(『評釈』)、やっと顔を出します。と、その姿は、昨夜以来よく知っている人なのですが、それでも意表を突いて、「横顔はたいそう優美で気品があり、しなやかな感じで、皇女といっても十分そう」なほどだったのでした。この人は、いつも「近まさり」するという、素晴らしい人なのです。