源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十八 松風

第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談

【現代語訳】

 その夜は宮中にご宿直の予定であったが、直らなかった紫の上のご機嫌を取るために、夜が更けたけれども退出なさった。先ほどのお返事を持って参る。お隠しになることができないで、御覧になる。特別に紫の上が気に障りそうなところも見えないので、
「これを破って始末して下さい。厄介なことだ。こんなものが散らかっているのも、今では不似合いな年頃になってしまったね」と言って、御脇息に寄り掛かりなさって、お心の中では実にしみじみといとしい気持におなりになるので、明かりをぼんやり御覧になって、特に何もおっしゃらない。手紙は広げたままあるが、女君は御覧にならないようなので、
「無理して、見て見ぬふりをなさるお眼つきが気になることですよ。」と言って、微笑みなさる魅力は、あたり一面にこぼれるほどである。
 側にお寄りになって、
「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。私と一緒に考えて、あなたのお考えで決めて下さい。どうしたものでしょう。ここでお育てになって下さいませんか。『蛭の子』の三歳にもなっていて、無邪気な様子も放って置けなくて。幼げな腰のあたりを、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、腰結い(袴着)の役を勤めてやって下さいな」とお頼み申し上げなさる。
「思ってもいないふうにばかりお取りになる、ご理解のないお気持ちを無理に気づかないふりをして、無心に振る舞うこともないと思いますので。幼い姫君のお心には、私はきっととてもよくお気にめすことでしょう。どんなにかかわいらしい年頃なのでしょうね」と言って、少し微笑みなさった。子どもを大変かわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
 「どうしようか。引き取ろうか」とご思案なさる。お出向きになることはとても難しい。

嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、御方は、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。

 

《宮中から退出した源氏が懸命に紫の上の機嫌をとろうとしているところに、明石の御方からの返事が届きます。源氏はドキリとしたでしょうが、人に見られても差し支えのない程度のことしか書いてありません。こういうこともあろうかという、御方の賢明な配慮なのでしょう。

 続いての源氏は、「これを破って…」以下の言葉と「御脇息に寄り掛かりなさって…」の振る舞いがちぐはぐで、大変愉快な、絵になる光景です。

紫の上も、そう言われて、はいはいと手紙を手に取るほど厚顔ではなく、ちょっと気まずい空気が流れます。 

 そこから一転して、「無理して、見て見ぬふりをなさるお眼つきが…」と、微笑みながら話しかけるあたりは源氏の見事な現状転換で、一家の主人たる者は、このくらいの度量を身につけておきたいものです。

私には、「微笑みなさる魅力は、あたり一面にこぼれるほどである」という様子が、彼の屈指の魅力的な姿に思えるのですが、どうでしょうか。

 紫の上もきっと、夫のそういうおおらかで美しい姿に満足して、内心、不機嫌のトゲが収まったに違いありません。

そこでやっと「実は」と源氏の素直な話となります。それも一度は「あなたのお考えで決めてください」と言いながら、すぐその続きで「ここでお育てになってくださいませんか」と言うあたり、まことにうまい話の持って行き方と思われます。

 『光る』は、こういう源氏について「言葉が自然で、しかもだんだんと女の人がそれを認めるように話を運んでいく」として「家政的才能」と評価し、そこに彼の政治的手腕の投影を見ながら、「大野・実は昔から『源氏物語』の好きな人は『松風』という巻が好きなんです。男と女の切った張ったではなく、男が非常に心を遣って事態を全体として運んでいく様子がとっても快いんですね」と言っています。

この養女の話も現代的感覚からは紫の上が納得するには相当の時間が必要だという気のする話だと思いますが、幸い紫の上は子供好きだったということもあって、このわずかな対話であっさり機嫌も直り、対話もスムーズになります。

この人は男性にとって大変都合のいい人であり、それでいてそれが愚かしくも卑しくも見えず、明朗で素直な感じで、確かにかわいく思われる人です。

 源氏の「どうしようか。引き取ろうか」は、明石の御方を思い遣って思いでしょう。

そんな話が進んでいるとは知らないまま、御方は、源氏の月に一、二度という間遠なおいでを寂しく待って、わびしい嵯峨野の秋の終わりを、嘆きながら過ごしている、と語って、この巻が終わります。》


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第一段 二条院に帰邸

【現代語訳】

 邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる。山里のお話などを紫の上にお話し申し上げなさる。
「お暇を頂戴したのが過ぎてしまったので、とても心苦しくて。例の風流人たちが尋ねて来て無理やりに引き止めたのに負けて、今朝はとても気分がすぐれない」と言って、お寝みになった。

例によってご機嫌がお悪いようでいらっしゃったが、気づかないふりをして、
「比較にならない身分を、お比べになさるのも、みっともないことでしょう。自分は自分と思っていらっしゃい」と、お教え申し上げなさる。
 日が暮かかるころに宮中へ参内なさるが、脇に隠すようにして急いでお書きになるのは、あちらへのお手紙なのであろう。はた目にも細々と心を込めてお書きのように見える。ひそひそと言い含めて使いをお遣わしになるのを、紫の上の女房たちは、憎らしいとお思い申し上げる。

 

《初めの部分は、ちょっとはなしの順序が分かりにくい書き方です。

最初の「しばらくの間お休みになる」は、後の「と言って、お寝みになった」と同じことを、先に言っておいたのでしょうか。

源氏は帰ってきて、まず紫の上と「山里の話など」をしたとあります。

対話の最初の言葉は「お暇を頂戴したのが過ぎてしまったので、とても心苦しくて」という挨拶だったのでしょう。

そして、実際の「山里の話」は「例の風流人たちが…」ということになりますが、これだけでは「山里の話」とは言えませんし、焼きもちを焼き、腹を立てている妻にこれだけで終わろうとするのは、無神経というものです。源氏のことですから、「例の風流人たちが…」の前に、それなりに話をして聞かせたと考えなくてはならないのでしょう。

しかし、機嫌は直らないので、「例の風流人たちが…」と言って話を切り上げて、「お寝みになった」、つまり逃げようとしたわけです。その立ち際に「比較にならない身分を、…」と言った、という順序と考えればいいでしょうか。

帝から便りを受けていたので、ご挨拶に行かなくてはなりません。それが夕方になりました。日中、寝ていたわけで、出がけに、急いで明石の御方へ手紙です。

「紫の上の女房たち」は原文では「御達」とあって、『評釈』によれば「『人々』だと若い女房だが、上臈や年配の女房も」、つまり「紫の上方の女房一同が大騒ぎをしていることがわかる」と言います。

妻の前で別の女に対する手紙を書くなど、「、脇に隠すようにして」いるにしても、「はた目にも細々と心を込めてお書きのように見える」というあたり、ずいぶん露骨な態度ですが、源氏としては、この二人をまったく別々のレベルに考えていたのだというふうにも考えられます。》


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第三段 饗宴の最中に勅使来訪~その2

【現代語訳】2

「なかに生ひたる(月に育つと言われる桂の里に住んで)」と口になさる時に、あの月明かりの中の淡路島をお思い出しになって、躬恒が「所柄からかも(月が近く見えることだ)」といぶかしがったという話などを、話し出されたので、しみじみとした酔い泣きをする者もいるのであろう。
「 めぐり来て手に取るばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月

(月も廻り、都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は、あの淡路島を臨んで

遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか)」
 頭中将、
「 浮雲にしばしまがひし月影のすみはつるよぞのどけかるべき

(浮雲に少しの間隠れていた月の光も今澄みきっているように、いつまでものどかで

ありましょう)」
 左大弁は少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
「 雲の上のすみかを捨てて夜半の月いづれの谷にかげ隠しけむ

(雲の上を離れて月(故院)はどこの谷間に姿を隠したのだろうか)」
 思い思いに歌は多くあるようだが、これ以上は煩わしいので。
 親しい内輪のしんみりしたお話は、少し砕けてきて、千年も見聞きしていたいような源氏のご様子なのでこのまま斧の柄も朽ちるほど長い滞在になりそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
 いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、その者達が霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の芸能に名高い舎人などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、人々が脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
 大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大井では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。

「手紙さえやらないで」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。

 

《ここまでの桂の院の場面は、苦しかった須磨、明石での時代を意識しながら、それとうって変わって、復活した現在の幸福、権勢の様を描くところに、狙いがあるようですが、やや型どおりで、『構想と鑑賞』などは「作者はかなり力を入れて描いているが、当時の風俗描写であって、今日では恐らく多くの人々に、あまり興味のない場面であろう」と切り捨てています。

確かに、この節は例によって例のごとくの歌が並んで、いささか退屈な話が続きましたが、最後に明石の御方を思い遣る源氏の心配りは、彼我の寂しさと賑わいをよく対照させて、ちょっと印象的です。

そうしておいて、話はこの巻の後段の主題へと展開していきます。

途中、「いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる」というのが、分かりにくく思われます。「今日までは」は『谷崎』の言うように「今日まで泊まっては」の意と考えていいでしょうから、そうすると、この時間から二条院に帰ったということなのでしょうか。ここに来る時、午後半日掛けてやって来たような書き方だった(第二章第二段)のと比べると、ちょっと腑に落ちない気がしますが、朝帰りは珍しいことではないのですから、夜中を掛けて帰ったのでしょうか。

待つ者にとっては、翌日、日が昇ってからでも同じことだと言えそうですが、それにしても、タフな行動です。こういう色好みの多くの貴公子が、夜な夜な京都の町を行き来していたのだと思うと、なんとも愉快な光景ではあります。》

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第三段 饗宴の最中に勅使来訪~その1


【現代語訳】1

 皆が次々に絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、たいそう華やかである。弾きものは、琵琶、和琴など、笛は上手な人ばかりで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
 殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
「今日は、六日の御物忌みの明く日で、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」と仰せになったところ、ここにこのようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
「 月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ

(月が澄む桂川の向こうの里なので、月の光はさぞのどかなことであろう)
 羨ましいことだ」とある。恐縮申し上げなさる。
 殿上の御遊びよりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお心にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大井に、「ことごとしくならない引き出物はないか」と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げる。衣櫃二荷に入れてあったのだが、お使いの蔵人弁はすぐに参内するので、女の装束をお与えになる。
「 久かたの光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山里

(桂の里は月に近そうですが、それは名ばかりで朝夕の霧も晴れない山里です)」
 行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。


《親しい者達だけの楽しい酒宴となって、現代ならカラオケとでも言うところなのでしょうか、漢詩を作って朗詠し合い、また楽器を奏でて、折からの見事な月を楽しみます。

その月を楽しんでいたのは、実は宮中の帝も同じだったようです。こうした折りに源氏がいないのは、何とも寂しい、「今日は、六日の御物忌みの明く日で、必ず参内なさるはずなのに」との帝のお言葉で、使いがやってきました。源氏の誉れも極まった形です。

使いには引き出物が必要ですが、出先のことで源氏には用意が無く、明石の御方の所に、適当な物をと、使いが走ります。「ここで明石の御方の人物試験が行われ」たのだと『評釈』が言います。源氏にそういう意図があったのではない書き方のように思われますが、結果的には同じことになるでしょう。

送られた「衣櫃二荷」を、同書は「物資豊富」と言っています。さすがに羽振りを利かせた明石の入道が娘に持たせた物は、質量ともに十分であったようです。

『評釈』によれば「勅使であるから女の装束一揃えがいちばん正当な禄」なのだそうで、豊富な物資の中から、それに相応しいものを選び出すことが御方の試験科目だったのですが、どうやら彼女は立派に合格したようです。》

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第二段 桂院に到着、饗宴始まる

【現代語訳】
 あの解任されていた蔵人も、再び任ぜられていたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔にひきかえ得意の様子で、御佩刀を取りに近くにやって来る。人影を見つけて、
「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」と、しゃれたふうに言うので、応対の女房も、
「『八重立つ山』のこの大井は、まったく『島隠れの浦』の明石に寂しさは劣らなかったのに、『松も昔の(誰も知る人がいない)』と思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」などと言う。男は
「いい気な者だ。自分も悩みがないわけではなかったのに」などと興ざめな思いがするが、
「いずれ、改めて」と、わざときっぱり言って、参上した。

 たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家を見つけられてしまったのが、残念だ」と、ひどくお困りのふうでいらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだでした。野辺の色の方は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上する。お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。

 

《「あの解任されていた蔵人」というのは、「(関屋の巻に)空蝉の夫の先妻の子、常陸の介(もとの紀伊の守)の弟とある」(『集成』)という人のようで、とすると、早くは葵の巻の御禊の時に源氏の臨時の随身を勤めて、後に明石に同行した人ということになります。「明石にいたころを再現したかのようなこの大井に、またひとり当時のことを知る共通の人が出てきた」(『評釈』)わけです。

その人が、御方お付きの女房と洒落たふうなやり取りをするわけですが、「この一場面を置いたのは、源氏と明石の御方との場面と対照さすためである」と『評釈』は言います。つまりその二人の場面(第二章第五段)がいかにもしめやかであわれ深かったのに対して、こちらのことさらめいて蓮っ葉な様を描くことで、「御方の立派さを強調し、明石から上ってきた女房のおすましぶりを(読者とともに)ひやかす」(同)という趣向だというわけです。

なるほどと思われますが、また一方で、源氏の庇護を得て、都でいよいよこれから時と所を得ようとする一族の端々の者達までの得意の様が、そのはしゃいだ調子の中に感じられるという意味もあるように思います。饗宴の前座として、悪くない場面と言えるのではないでしょうか。男の「いい気な者だ。…」という感想の意味はよく分かりません。

さて、源氏が屋敷を出立しようと表に出ると「源氏がここにおいでになることを聞いて殿上人がぞくぞくとおしかけて、源氏がお出になるのを待ち、控えて」(『評釈』)います。照れくさい源氏は、あえて「たいそう威儀正しくお進みになる」のでした。それと車内での「ひどくお困りのふう」とのアンバランスが滑稽です。

それを気遣って同乗の二人は、その源氏の言葉とは関係のない話をします。その「頭中将、兵衛督」は「ここにだけ見える人物」(『集成』)と言います。そういうレベルの公達が迎えに来ていたということで、若い人たちから慕われている感じを言っているのでしょうか。

「今日は、やはり桂殿で」と、帰宅の予定を変更して、隠し事が露見した照れ隠しと皆の迎えをねぎらっての、にぎやかな饗宴が始まります。》

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