【現代語訳】
勝負がつかないで夜に入った。左方になお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心が動揺してしまった。あちらでも心づもりして、最後の巻は特に優れた絵を選んでいらっしゃったのだが、このような大変な絵の描き手が、心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのは、比べるものがない。
親王をはじめまいらせて、感涙を止めることがおできになれない。あの当時に「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子や、どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ、その土地の風景の、見たこともない浦々、磯を隈なく描き表していらっしゃった。
草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、改まった詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっているのは、その残りの巻が見たいくらいである。誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味も、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。万事みなこの絵日記に譲って、左方の勝ちとなった。
《左方源氏側、つまり梅壺女御の勝ちにならねばならないのは、誰でも想定できますが、それを、切り札が出されて「権中納言のお心が動揺してしまった」と表したのは、まことに見るようで、私にはちょっと想定外の、うまい言い方に思われます。
しかし、その須磨の絵を「どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ」と言っているのは、一枚の絵からそういう具体的なものが見て取れるとは思えませんので、あまりに思い入れを入れ過ぎてはいないだろうかと思ってしまいます。「草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて」とありますから、結局それはここでも歌やいくらかの記述に負うのでしょう。やはり「絵合わせ」という言葉から私たちが受け取る姿ではありませんが、そういうものだったのだと思うしかありません。
ともあれ、作者によって新たに発案されたこの文化的ゲームは、めでたく源氏の勝ちとなって終わりました。
ところで『構想と鑑賞』はこの「絵合わせ」を「時代の風俗の描写」に過ぎないとして「(自然の人情とか、理想を追う情熱・意欲といった)不変の真実に触れない外形の風習の描写は永遠性がな」く、「意義が乏しい」と否定的です。
一方で、源氏や権中納言が住む貴族社会においては、この文化的な競い合いのすべてが、実はそのまま勢力争い、政治的権力争いの優劣を決めることになったのだという説をどこかで読んだことがあります。
なるほど、そういう考え方は貴族社会のいかにも隠微な闘いを思わせて面白い読み方ではありますが、ここの書き方はそういうふうには書いていないように思います。作者はもっと楽しんで書いているのではないでしょうか。
総じて、昔の物語にあまり「裏の意味」というようなものを求めようとすると、「古典」ではなくなってしまうような気がします。あくまでも「物語」として読んで、源氏の栄華の第一歩を描いているのだと考える方が、無理なく読めるように思います。》