源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 後宮の物語(二)

第三段 左方、勝利をおさめる

【現代語訳】

 勝負がつかないで夜に入った。左方になお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心が動揺してしまった。あちらでも心づもりして、最後の巻は特に優れた絵を選んでいらっしゃったのだが、このような大変な絵の描き手が、心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのは、比べるものがない。
 親王をはじめまいらせて、感涙を止めることがおできになれない。あの当時に「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子や、どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ、その土地の風景の、見たこともない浦々、磯を隈なく描き表していらっしゃった。
 草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、改まった詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっているのは、その残りの巻が見たいくらいである。誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味も、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。万事みなこの絵日記に譲って、左方の勝ちとなった。

  

《左方源氏側、つまり梅壺女御の勝ちにならねばならないのは、誰でも想定できますが、それを、切り札が出されて「権中納言のお心が動揺してしまった」と表したのは、まことに見るようで、私にはちょっと想定外の、うまい言い方に思われます。

 しかし、その須磨の絵を「どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ」と言っているのは、一枚の絵からそういう具体的なものが見て取れるとは思えませんので、あまりに思い入れを入れ過ぎてはいないだろうかと思ってしまいます。「草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて」とありますから、結局それはここでも歌やいくらかの記述に負うのでしょう。やはり「絵合わせ」という言葉から私たちが受け取る姿ではありませんが、そういうものだったのだと思うしかありません。

 ともあれ、作者によって新たに発案されたこの文化的ゲームは、めでたく源氏の勝ちとなって終わりました。

ところで『構想と鑑賞』はこの「絵合わせ」を「時代の風俗の描写」に過ぎないとして「(自然の人情とか、理想を追う情熱・意欲といった)不変の真実に触れない外形の風習の描写は永遠性がな」く、「意義が乏しい」と否定的です。

一方で、源氏や権中納言が住む貴族社会においては、この文化的な競い合いのすべてが、実はそのまま勢力争い、政治的権力争いの優劣を決めることになったのだという説をどこかで読んだことがあります。

なるほど、そういう考え方は貴族社会のいかにも隠微な闘いを思わせて面白い読み方ではありますが、ここの書き方はそういうふうには書いていないように思います。作者はもっと楽しんで書いているのではないでしょうか。

総じて、昔の物語にあまり「裏の意味」というようなものを求めようとすると、「古典」ではなくなってしまうような気がします。あくまでも「物語」として読んで、源氏の栄華の第一歩を描いているのだと考える方が、無理なく読めるように思います。》

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第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ

【現代語訳】
 何日と決めて、急なようであるが、興趣深いさまにちょっと設備をして、左右の数々の御絵を差し出させなさる。女房が伺候する所に玉座を設けて、北と南とにそれぞれ分かれて座る。殿上人は、後涼殿の簀子に、それぞれが贔屓の心を持ちながら控えている。
 左方は、紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿、心用意など、並々でなく見える。
 右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、華足の趣など、現代的である。童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着ている。
 皆、御前に御絵を並べ立てる。主上つきの女房が、左方が前に、右方が後に、装束の色を分けて控えている。
 お召しがあって、源氏の内大臣と権中納言が参上なさる。その日、帥宮も参上なさった。たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを御下命があって御前に参上なさる。この判者をお勤めになる。

たいそう見事に、いかにも上手に筆の限りを尽くしたいくつもの絵がある。全然判定することがおできにならない。
 例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい画題を選んでは、筆もすらすらと描き流してある風情が譬えようがないと見えるのだが、紙絵は紙幅に限りがあって山水の豊かな趣を現し尽くせないものなので、ただ筆先の技巧、絵師の趣向の巧みさに飾られているだけで、当世風の浅薄なのも、昔のに劣らず華やかで実におもしろいと見える点では優れていて、多数の論争なども、今日は両方ともに興味深いことが多かった。
 朝餉の間の御障子を開けて中宮も御覧になっていらっしゃるので、深く絵に御精通であろうと思うと内大臣もたいそう素晴らしいとお思いになって、所々の判定の不安な折々には、時々ご意見を述べなさった様子は、申し分ない様子である。

 

《いよいよ帝の御前での絵合わせですが、「興趣深いさまにちょっと設備をして(原文・をかしきさまにはかなうしなして)」が分かりにくい言い方です。どうしてことさらに「ちょっと設備をして」(『集成』は「大げさにならぬように配慮して」)なのでしょうか。女性たちの遊びということで、公的な催しと同等にすることを憚ったのかも知れません。

「女房が伺候する所に玉座を設けて」以下の場面設定は、すべて「天徳内裏歌合」(九六〇年)になぞらえたものと諸注が指摘しています。

それは「女房たちを主役に歌合がはじめて宮中で行われた」(『評釈』)伝説の催しで、作者としては、自分の発案した絵合わせという文化的イベントをかくも催したいという夢の表現だったでしょう。私たちには意味のよくわからない退屈な状況説明ですが、書いている作者は楽しかっただろうと思われます。

また当時の読者は、その天徳歌合を思い描き、ここに書かれた雅で格調高く趣味の好い場の設え(実は私にはよく分からないのですが、きっとそうなのでしょう)を重ね合わせながら、それぞれに情景を思い描いたことでしょう。

 判者に指名されたのは、たまたま参内していてこの催しを覗いたらしい帥宮(「源氏の弟宮・後の蛍兵部卿の宮」と諸注が言う人)でした。『評釈』は、源氏がこの人をそこにいるように仕向けたのだと言っていますが、ありそうなことです。しかし、絵に造詣のある人なのですが、出される絵がどれもこれもあまりに素晴らしく、「全然判定することがおできにならない」のでした。

競う人が源氏と権中納言とあっては、絵のいかんに関わらず、宮も、そう簡単にどちらが勝ちとはできないでしょう。この社会のこういう場合は、引き分けにするか、替わり番に勝ちにするのが無難というものです。

「例の四季の絵」は、前節にあった「朱雀院贈与のもの」(『評釈』)でしょう。作者は、本当は昔の絵の方が優れているのだと言いたげですが、紙絵は結局手先の巧みさ、趣向の面白さの競争になるので、優劣付けがたいまま、議論が白熱、隣の部屋から中宮も覗いて、折々お言葉もあるとあって、催しはいっそう賑わしいものになります。》

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第一段 帝の御前の絵合せの企画

【現代語訳】

 源氏の大臣が参上なさって、このようにそれぞれが優劣を競い合っている気持ちをおもしろくお思いになって、
「同じことなら、主上の御前においてこの優劣の決着をつけましょう」と、おっしゃるまでになった。このようなこともあろうかと、以前からお思いになっていたので、その中でも特別なのは選び残していらっしゃったが、あの「須磨」「明石」の二巻は、お考えになるところがあって、左方にお加えになったのであった。
 権中納言も、そのお気持ちは劣らない。その頃の世間では、もっぱらこのような美しい紙絵を揃えることが世の中の流行になっていた。
「今新たに描いたりするのは、つまらないことだ。ただ持っているものだけで」とおっしゃったが、権中納言は他人にも見せないで秘密の部屋を準備してお描かせになっていて、院におかれても、このような騷ぎがあるとお耳にあそばして、梅壺に幾つかの御絵を差し上げなさった。
 一年の内の数々の節会のおもしろく興趣ある様を昔の名人たちがそれぞれに描いた絵に、延喜の帝が手ずからその趣旨をお書きあそばしたものや、また御自身の御世のこともお描かせになった巻に、あの斎宮がお下りになった日の大極殿での儀式をお心に刻みこまれてあったので、描くべきさまを詳しく仰せになって、巨勢公茂がお描き申したもので、たいそう素晴らしいのを差し上げなさった。
 優美に透かし彫りのある沈の箱に、同じ優美な心葉のさまなど、実に現代的である。お便りはただ口上だけで、院の殿上に伺候する左近中将をご使者としてあった。あの大極殿の御輿を寄せた場面の、神々しい絵に、
「 身こそかくしめの外なれそのかみの心のうちを忘れしもせず

(わが身はこのように内裏の外ですが、あの当時の気持ちは今も忘れずにいます)」
とだけある。お返事申し上げなさらないのも、たいそう恐れ多いので、辛くお思いになりながら、昔のお簪の端を少し折って、
「 しめのうちは昔にあらぬここちして神代のことも今ぞ恋しき

(内裏の中は昔とすっかり変わってしまった気がして、神にお仕えしていた昔のこと

が今は恋しく思われます)」
とお書きになって、縹の唐の紙に包んで差し上げなさる。ご使者への禄などは、たいそう優美である。院の帝が御覧になって、限りなくお心がお動きになるにつけ、御在位中のころを取り戻したく思し召すのであった。内大臣をひどいとお思い申しあそばしたことであろう。過去の御報いでもあったのであろうか。

 院の御絵は、大后の宮から伝わって、あの弘徽殿の女御のお方にも多く集まっているのであろう。尚侍の君も、このようなご趣味は人一倍優れていて、興趣深い絵を描かせては集めていらっしゃる。


《藤壺の前でたまたま女房たちによって催された物語絵についての議論が、源氏によって帝の前で公的に企画されます。

人がみんなで一つのことを計画し進めていく時、そのことに向かう思いや態度は人それぞれに異なるものですから、そこにおのずとそれぞれ人柄が現れることになります。

源氏は自信のある隠し球を用意しておいて、あえて「ただ持っているものだけで」と条件を付けます。中納言は、そういう源氏の注文の意味を知ってか知らずにか、知らん振りで秘密の部屋まで用意して新しい絵を描かせています。

朱雀院も、そういう催しのあることを聞きつけて、いまだに心が残っているらしく、斎宮の女御にずいぶん由緒のあるらしい絵を贈りますが、それとともに自身の帝時代の斎宮下向の折の絵を、みずから図柄を細かく指示してかかせて贈り、また改めて未練たっぷりの歌を添えられたのでした。

そして作者はそれに対して嫌みたっぷりに、草子地を入れずにはおきません。

その院は、この女御にだけではなく、母・大后を通して弘徽殿にも絵を贈ります。従妹に当たるわけですから、不自然ではありませんが、妙に公平(つまりクール)で、その意図がよく分かりません。このあたりの院の心境にもう少し立ち入ってほしかったという気がします。

院の歌への女御の返歌は、いろいろな意味に取れそうですが、受け取った院が「限りなくお心がお動きにな」った(原文・限りなくあはれとおぼす)というのですから、『評釈』の言うように、「院の切なる愛情を受けとめ、お答えする姿勢」というように読むのがいいのでしょう。やはり彼女の本心は、院を選びたかったということなのでしょうか。

それにしても、「昔のお簪の端を少し折って」添えられたというのは、どういう意味なのでしょうか。ずいぶん意味ありげな、ひょっとすると大胆な添え物だという気がします。

こうして院を巻き込み、さらには尚侍の君までも巻き込んで、内裏周辺挙げての大イベントになりました。》

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