源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 後宮の物語(一)

第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ ~その3

【現代語訳】3
 次に、『伊勢物語』に『正三位』を合わせて、今度もなかなか結論がでない。これも、右方は興味深く華やかで、宮中あたりをはじめとして、近頃の様子を描いたのは、興趣深く見応えがする。平典侍は、
「 伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき

(『伊勢物語』の深い心を訪ねないで、古い物語だと落としめてよいものでしょうか)
 世間普通の色恋事のおもしろおかしく書いてあることに気押されて、業平の名を汚してよいものでしょうか」と、反論しかねている。右方の大弍の典侍は、
「 雲の上に思ひのぼれる心には千尋の底もはるかにぞ見る

(雲居の宮中に上った『正三位』の心から見ますと、『伊勢物語』の千尋の心も遥か下

の方に見えます)」
「兵衛の大君(正三位)の心高さは、なるほど捨てがたいものですが、在五中将の名は、汚すことはできますまい」と仰せになって、中宮は、
「 みるめこそうらふりぬらめ年経にし伊勢をの海士の名をや沈めむ

(ちょっと見た目には古くさく見えましょうが、昔から名高い『伊勢物語』の名を落

とすことができましょうか)」
 このような女たちの論議で、とりとめもなく優劣を争うので、一巻の判定に数多くの言葉を尽くしても容易に決着がつかない。

ただ、物語絵などあまり見たこともない若い女房たちは、死ぬほど興味深く思っているが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、その一部分さえ見ることができないほど、たいそう隠していらっしゃった。

 

《『正三位』と呼ばれる物語については、『集成』が「散逸物語。『正三位』は、ヒロインの名前であろう」と言っています。

 初めの「今度もなかなか結論がでない(原文・また定めやらず)」というのが、原文の「また」についての苦心の訳です。

ちなみに、『谷崎』は「今度も勝敗が定まりません」と言葉どおり訳していますが、そうすると、前の竹取物語と宇津保物語については結論が出なかったようになります。しかし最後に「左方には、反論の言葉がない(原文・また左にそのことわりなし)」とあったので、普通には、右方の勝ちという結論が出ているのだと考えられますから、この訳には違和感があります。『評釈』も「『うつほ物語』のほうが勝つ」と言っています。

ここの訳は『評釈』のものですが、ここは、議論の途中を言っているのであって、話が白熱したのが「また」なのだと見るのがいいと思われます。平典侍と大弐の典侍の発言は、その白熱した後の終わりの部分を取り上げたものと考えるわけです。

それにしても、ここの議論もまったく形式論で、主人公の身分に比較に過ぎず、そして最後に、中宮の意見が出されましたが、これも主観的感想に過ぎません。後の蛍の巻で源氏の、つまり作者の物語論が語られますが、それはなかなか見識のあるものです。ここは当時の一般的な見方ということなのでしょうか。

それにしても中宮の話でも収まらなかったというのが大変意外ですが、ともあれ、今度は本当に結局結論が出ないままに終わったようです。

終わりの「たいそう隠していらっしゃった」がまたよく解りませんが、『集成』は、中宮が『伊勢物語』や『正三位』の物語絵を隠して見せなかったのだと注を付けていて、本当にそうなら、書いた物がどれほど貴重な物だったか、ということを思わせますが、一面、なんともいじましい気がします。》

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第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ~その2

【現代語訳】2

 この人々が銘々に議論しあうのをお聞きあそばして、左右の組にお分けになる。梅壺の御方には平典侍、侍従内侍、少将命婦、右方には大弍典侍、中将命婦、兵衛命婦を当代のすぐれた識者たちとして、思い思いに論争する議論の数々を興味深くお聞きになって、最初、物語の元祖である『竹取の翁』に『宇津保物語』の「俊蔭の巻」を合わせて争う。
「これは古くから伝わる物語で、特におもしろいことはないけれども、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った宿世は格別で、神代のことのようですから、思慮の浅い女には、きっと分らないことなのでしょう」と言う。右方は、
「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。この世の縁は竹の中で結んだので、素性は卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い帝のご威光とは並ばないままに終わってしまいました。阿部のおほしが千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。車持の親王が、本物の蓬莱の神秘の事情を知りながら偽って、玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」
 絵は、巨勢相覧、書は、紀貫之が書いたものであった。紙屋紙に唐の綺を裏張りして、赤紫の表紙、紫檀の軸、よく見かける表装である。
「俊蔭は、激しい波風に溺れて知らない国に流されましたが、それでも目ざしていた目的を叶えて、遂に外国の朝廷にもわが国にも、めったにないほどの音楽の才能を示し、名を残した今に伝わる逸話を思い、絵の様子も唐土と日本とを取り合わせて興趣深いことは、やはり並ぶものがありません」と言う。

白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。絵は、飛鳥部常則、書は、小野道風なので、現代風で趣深そうで、目もまばゆいほどに見える。左方には、反論の言葉がない。

 

《「絵合わせ」の始まりです。
 最初は『竹取物語』の絵と、『宇津保物語』の絵を競わせます。と言いますが、実は絵そのものではなく、物語を競う議論のようです。そしてその議論が、原文では私には大変分かりにくく、ここの訳は諸注から適宜抜き出してつなぎ合わせて、なんとか辻褄を合わせたつもりのものです。

結論から言うと、『宇津保物語』の勝ちになりました。かぐや姫の素性が卑しかったのに対して、俊蔭が宮廷で名を残した人であることが決め手であったようです。

絵合わせのはずが、主人公の身分の高下が決め手だったというのは、何とも意外です。絵合わせではなくて、主人公合わせと言うべきですが、それにしても、そういう基準では、絵の競い合いはもとより、この場合作品論とさえも言えません。身分制社会においては、そういうもので、何においても身分ということが優先するという考え方だったのでしょう。

『評釈』が、『枕草子』「かへる年の二月廿余日」の段(『集成』版第七十八段)を示して、『宇津保物語』の二人の主人公、涼・忠仲について同様の批評があるとしています。

ところで、前節にあったように、この「絵合わせ」は藤壺の考案になる遊びだったわけで、つまり作者の創作だったわけです。『評釈』によれば、「当時、物語の地位は低く、婦女童蒙の慰みにすぎなかった。(だから「物語合わせ」というものは、あっても)歌合せのなどのように公式の催しとして行われたものと同様に考えることのできないものであった。それを、…作法どおりにいかめしく取り行われた」という点が、「この中宮御前の物語絵合せの趣向」だったということになります。

例えば「長靴アイスホッケー」を冬季国体の競技としようというようなものかと思われます。論者はともかく、聞いている者はまじめ半分笑い半分で耳を傾けた、というところでしょうか。》

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第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ~その1

【現代語訳】1

 このように絵を集めていらっしゃるとお聞きになって、権中納言はいっそう一所懸命になって、軸、表紙、紐の飾りをますますお調えになる。
 三月の十日ころなので、空もうららかで、人の心ものびのびとし、よい季節なのだが、宮中あたりでも節会と節会の合間なので、このようなことをしてお妃たちがお過ごしになっていらっしゃるとあって、源氏は同じことなら帝がいっそう興味深く御覧あそばされるようにして差し上げようとお考えつかれて、たいそう特別に集めて献上なさる。
 こちら側にもあちら側にも、いろいろな絵が多くある。物語絵は、図柄が詳しくて親しみがまさっているものだが、梅壺の御方では昔の物語で名高く由緒のある絵ばかり、弘徽殿の女御方では現代のすばらしい新作で興趣ある絵ばかりを選んで描かせなさったので、一見したところの華やかさでは、実にこの上なく勝っていた。
 主上付きの女房なども、絵に嗜みのある人々はすべて、「これはどう、あれはどう」などと批評し合うのを、近頃の仕事にしているようである。

 中宮も参内あそばしていらっしゃる時なので、あれやこれや、お見逃しになれなくお思いのことなので、御勤行も怠りながら御覧になる。この人々が銘々に議論しあうのをお聞きあそばして、左右の組にお分けあそばす。

《権中納言と源氏の絵の献上合戦はますますエスカレートします。そしてちょうど季節もいいのに宮中が暇なころだったので、その絵を巡って、女房たちがあれやこれやとのどかな評定を始めたのでした。

「こちら側にもあちら側にも」とありますが、「こちら」が源氏・梅壺女御側、「あちら」が権中納言・弘徽殿女御側で、はっきり源氏サイドに立っての話し方です。

「梅壺女御」は初めて出てくる呼び名ですが、話の様子から前斎宮の女御のことと考えるほかありません。どうもこういう出し方は私たちには馴染みませんが、当時の読者には戸惑いはなかったのでしょうか。どういう思考回路でこういう唐突な言い方になるのか、大変興味がありますが、残念ながら私の手の及ぶところではありません。

さて、帝付きの女房たちは双方の絵を目にすることができるわけですが、折からよい季節にも関わらず暇な折とあって、その評定に熱が入ります。「一見したところの華やかさでは、(弘徽殿側の絵の方が)実にこの上なく勝っていた」というのが思わせぶりで、源氏が始めて負け戦さをすることになるのかと、読む者の気を引きます。

女房たちの評定を、たまたま参上された中宮(藤壺)が耳にして、彼女も絵に造詣が深かったらしく(「お見逃しになれなくお思いのことなので」)、それではとばかりに、出家の身の勤行そっちのけで、その議論を「デイベート」よろしく、「絵合わせ」の形に仕組みました。

藤壺と言えば、控えめで思索的な人、そして「心身を砕いて神仏に祈り、修正身を息めることをしなかった苦行の人」(『人物論』所収「藤壺野宮の造形」)という印象が強いのですが、「御勤行も怠りながら」こういう遊びに熱を入れるあたり、ちょっと意外で、この頃には大きな心のゆとりを得ていたものと思われます。》

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第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備

【現代語訳】

 あの旅の御日記の箱をもお取り出しになって、この機会に女君にもお見せ申し上げになったのであった。ご心境を深く知らなくて今初めて見る人でさえ、多少物の分かるような人ならば、涙を禁じえないほどのしみじみと感銘深い。まして、忘れがたくお思いで、その当時の夢のような体験が薄らぐ時のないお二方にとっては、今さらのように悲しくお思い出しになられる。今までその日記をお見せにならなかった恨み言を申し上げなさるのであった。
「 一人ゐて嘆きしよりは海士の住むかたをかくてぞ見るべかりける

(独り京に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる干潟を絵に描いていたほう

がよかったですわ)
 頼りなさも、慰められもしましたでしょうに」とおっしゃる。

まことにもっともだと、お思いになって、
「 憂きめ見しそのをりよりも今日はまた過ぎにしかたにかへる涙か

(辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた再び過去を思い出していっそう涙が流

れて来ます)」
 中宮だけにはぜひともお見せ申し上げなければならないものである。不出来でなさそうなのを一帖ずつ、さすがにみごとに浦々の景色がはっきりと描き出されているのを、お選びになるのだが、その折にも、あの明石の住居のことを、まっさきに、「どうしているだろうか」とお思いやりになっていらっしゃる。

 

《その作業の中で、須磨で描き溜めた日記の絵を取りだしてきます。須磨に行って初めの頃に「なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさり、珍しい唐の綾などに、さまざまな絵を描いて気を紛らわしなさった屏風の絵など、とても素晴らしく見所がある」(第三章第一段1節)とあった、あの絵のことでしょうか。

その後明石に移ってからも、折に触れて描いていたのでしょう。

ふと出したその絵の束が、二人に、改めて自分たちのもっとも辛かった頃を思い出させます。そしていまこうして爛漫の幸せの中で、その絵を見ながら双方にとって最も辛かった頃の思い出を語り合うことは、逆に今の幸せを確かめることでもあり、この場合の二人にとっては改めて愛を確かめることでもあります。

しかしあの時の離京の決断には、今そこにいる紫の上の知らない大きな理由もありました。それは、あの時に自分が都にいて失脚することが藤壺との間に生まれた子の身の上に悪い影響を与える怖れがあるということでした。須磨・明石の謫居の真の意味は、実は藤壺と二人だけの秘密事なのであり、この目の前に並べられている絵に込められた不安や悲しみは、藤壺にしか分からないものであるわけです。「中宮にだけは…」と言う所以です。

しかし、そうした中にあっても、源氏はこの女君一人を思っているのではない、藤壺だけでもない、というところが困ったところです。彼は、今、その二人にまさるとも劣らぬ強い思いで、彼の地で契りを結んだもう一人の人、明石の御方とその姫君のことを思い出さずにはいられません。

「輝く日の宮」であるべき男は、その光を可能な限りあまねく世の女性に注ぎ、それぞれに、自分こそが最も温かい光を受けていると思わせるのが使命なのです。

そういう源氏に、読者の女房たちは、我がことのように喝采を送るわけです。》

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第一段 権中納言方、絵を集める

【現代語訳】

 主上は、いろいろのことの中でも、特に絵に興味をお持ちでいらっしゃった。取り立ててお好みあそばすせいか、並ぶ者がなく上手にお描きあそばす。斎宮の女御はたいそう上手にお描きになるので、この方にお心が移って、始終お渡りになっては、互いに絵を描き合っていらっしゃる。
 殿上の若い公達でも、このことを習う者を目にお掛けになり、お気に入りにあそばしたので、まして美しい方が趣のあるさまに型にはまらず気軽に描き、優雅に物に寄り掛かって、何となく筆を止めて考えていらっしゃるご様子は、そのかわいらしさにお心を捉えられて、たいそう頻繁にお渡りあそばして、以前にもまして格段に御寵愛が深くなったのを、権中納言がお聞きになって、どこまでも負けず嫌いで派手なご性分で、「自分としたことが、人に負けてなるものか」と意地を張られて、優れた名人たちを呼び集めて、厳重な注意を与えて、またとない素晴らしい絵の数々を、またとない立派な幾枚もの紙に、描き集めなさる。

「とりわけ物語絵は、趣向も現れて、見所のあるものだ」と言って、おもしろく興趣ある場面ばかりを選んではお描かせになる。普通の月次の絵も、目新しい趣向に詞書を書き連ねて、御覧にお入れになる。
 特別に興趣深く描いてあるので、またこちらでも御覧あそばそうとなさると、気安くお取り出しにならず、ひどく秘密になさって、こちらの御方へ御持参あそばそうとするのを惜しんで、お貸しなさらないので、内大臣はお聞きになって、
「やはり権中納言のお心の大人げなさは、お変わりになりにくいようだ」などとお笑いになる。
「むやみに隠して、素直に御覧に入れず、お気を揉ませ申すのは、ひどくけしからぬことだ。古代の御絵がいろいろございます、差し上げましょう」と奏上なさって、御自邸で、古いのも新しいのもたくさん入っている御厨子の数々を開けさせになさって、女君と一緒に、「現代風なのは、これだあれだ」と、選んでお揃えになる。
 「長恨歌」「王昭君」などのような絵は、おもしろく感銘深いものだが、「縁起でないものは、このたびは差し上げまい」とお見合わせになる。

 

《さてこの巻の本題である、絵合わせの話の始まりです。

帝は絵が得意で、たまたま宮の女御もまたそうであったので、帝の寵愛が弘徽殿から次第にこちらに傾きます。

帝とはいえ、幼いお年ですから、得意と言っても、という気がしますが、先日たまたま広島県瀬戸田町にある平山郁夫美術館を訪ねることがあり、そこで画伯の幼少時の絵の展示室一杯に並べられた絵を見て、なるほどこういうこともあるのかと、思いを新たにしました。まさに、栴檀は双葉より芳し、で、この帝もすぐれた才能があったのでしょう。

身分制度の社会では、権威者の好尚事は、そのままその社会の文化の中心となるもののようで、今、宮廷は女性といわず公達といわず、絵が幅を利かせることになりました。

絵そのものだけではありません。絵を考えてぼんやりしている宮の女御の姿までもが、帝にはただのぼんやりとは違って、意味のある、ひときわ美しいぼんやりに見えたくらいだと言います。

そうなると、弘徽殿の兄である権中納言(かつての頭中将、源氏の義理の兄で、若き日には親友であった人)も、源氏と張り合う気持でいるので、負けてはならじと当代の絵師に素晴らしい絵を描かせて、弘徽殿に運び、帝に御覧に入れます。

帝もその絵が気に入って「またこちらでも御覧あそばそうとなさる」、つまり共に絵を語ることのできる宮の女御のところに持って行って、そこでも改めて見ようとなさるのですが、それでは権中納言としては思惑が外れますから、貸し出しを拒否しようとします。

源氏の「やはり…」という言葉は、若い頃の恋の鞘当て(末摘花の巻第一章第四段3節とか紅葉賀の巻第四章第三段の源尚侍の話など)からの言葉でしょう。あの頃と違って、ずいぶん上から目線の言葉です。あの頃はまだ年齢差、経験の差で中将の方が一枚上と源氏が意識していたように思われますが、どうやら逆転の様子で、ずいぶん鷹揚な物言いです。友人の間での微妙な関係の変化です。

作者は、権中納言の狭量を示しながら、源氏の寛容さ、懐の深さを強調しようとしているようで、権中納言は、敵役とまではいかないまでも、源氏を称えるだしにされてしまっている感があります。若い頃の敵役、弘徽殿の夫君(当時の右大臣)が気ぜわしく奥方の廻りを跳んだりはねたりしている人として描かれた(例え源氏の朧月夜との逢瀬を発見した後の振る舞い~賢木の巻第七章)のと似ている気がします。

さて、向こうが当時の現代画家に新しい絵を描かせて帝にお目にかけたのに対して、源氏は「古代の御絵」を用意します。これまで彼に絵画蒐集の趣味があったとは語られていませんので、ちょっと唐突感がありますが、おそらく父帝から譲られた秘蔵のものなどがあったのでしょう。

「女君と一緒に、…お選び揃えなさる」というのもミソで、向こうは一人で頑張っているのに対して、こちらは仲良く二人で、というわけです。かつては右大臣夫妻vs源氏一人でした。》

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