源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十六 関屋

第三段 夫の死去後に出家

【現代語訳】

 こうしているうちに、常陸介は、年取ったためか、病気がちになって、何かと心細い気がしたので、子どもたちに、もっぱらこの君のお事だけを遺言して、
「万事の事は、ただこの母君のお心にだけ従って、わたしの在世中と変わりなくお仕えせよ」とばかり、明けても暮れても言うのであった。女君が、

「辛い運命の下に生まれて、この人にまで先立たれて、どのように落ちぶれて途方に暮れることになっていくのだろうか」と、思い嘆いていらっしゃるのを見ると、
「命には限りがあるものだから、惜しんだとて止めるすべはない。何とかして、この方のために残して置く魂があったらいいのだが。わが子どもの気心も分からないから」と、気掛かりで悲しいことだと、口にしたり思ったりしたが、思いどおりに行かないもので、亡くなってしまった。

 暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと、情けのあるように振る舞っていたが、うわべはともかくも、辛いことが多かった。それもこれもみな世の道理なので、わが身一つの不幸として、嘆きながら毎日を暮らしている。ただ、この河内守だけは、昔から好色心があって、少し優しげに振る舞うのであった。
「しみじみとご遺言なさってもおり、至らぬ者ですが、お疎みにならずに何でもおっしゃってください」などと機嫌をとって近づいて来て、実にあきれた下心が見えたので、
「辛い運命の身で、このように生き残って、終いにはとんでもない事まで耳にすることよ」と、人知れず思い悟って、他人にはそれとは知らせずに、尼になってしまったのであった。
 仕えている女房たちは、何とも言いようがないと、悲しみ嘆く。河内守もたいそう辛く、
「わたしをお嫌いになってのことで、まだ先の長いお年でいらっしゃろうに。この後、どのようにしてお過ごしになるおつもりなのか」などと言っているのは、つまらぬおせっかいだなどと、人々は申しているようである。

 

《この巻はこれで終わりなのですが、冒頭がたいへん賑々しく華やかに始まったにもかかわらず、源氏と空蝉の間には結局なにごともないまま、別れてしまったようで、その後あっけなく空蝉は出家してしまいました。

『構想と鑑賞』はそうした点について、「この巻では逢坂の関の場を除いては、ほとんど描写がなくて叙述であり、全般的にあまり肉付けがしてない」として、「未完成品であり、構想の備忘であり、単なる素材の羅列に終わっているという酷評もある」と言っていて、確かにそういう気もします。

初めの関での行列の交錯の場面などは、細かく、また美しく、どんな話になるのかと期待を持たせる本格的な書き方で、それに比べて後半は明らかに筆を急いでおり、「叙述」だけになっています。 

作者としては、源氏の心はすでに紫の上と明石の君にあって、書きかけて途中から、これまでの他の女性は、後日談だけ書けばよいという気持になっていったのではないか、というようなことさえ思わせます。

あっけなく出家してしまった、と言いましたが、親子ほど年の違う夫が「年取ったためか、病気がちになって」から以後の空蝉の身辺は、現代なら社会派小説のちょっとしたテーマであり、潔いところのある空蝉がきっぱりと出家するのは理解できるとしても、そこに至るにはさまざまな思いもあったろうと、知りたい気がする事柄ではあります。

しかし、書き始めればそれだけでも一巻になったでしょうから、源氏の話が知りたい当時の読者からは、行く先の知れた受領の未亡人についての長い話は興味を保てないかも知れません。

逢坂の関の錦絵のような情景だけが、しかし鮮やかな印象として残る巻と言っておくことにします。》

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第二段 手紙を贈る

【現代語訳】

 石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上した。先日行き過ぎてしまったお詫びなどを申し上げる。昔、童としてたいそう親しくかわいがっていらっしゃったので、五位の叙爵を得たところまでこの殿のお蔭を蒙ったのだが、思いがけない世の騒動があったころ、世間の噂を気にして常陸国に下行したことで、数年は少しお心を隔てていらっしゃったが、顔色にもお出しにならない。昔のようにではないが、やはり親しい家人の中には数えていらっしゃるのであった。
 紀伊守と言った人も、今は河内守になっていたのだった。その弟で右近将監を解任されて殿のお供で下った者を、格別にお引き立てになったので、それに誰も思い当たって、「どうしてわずかでも、世におもねる心を起こしたのだろう」などと後悔するのであった。

 右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「もうお忘れになりそうなことを、いつまでもお変りにならないことだなあ」と思った。
「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。
  わくらばに行きあふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならむ海

(偶然に逢坂の関でお逢いできることを期待していましたが、効ありませんね、やは

り潮海でない淡海だから~みるめ・海松目、見る目がないのでしょう)
 関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」とある。
「長年の御無沙汰もいまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、
「とにかくお返事なさいませ。昔よりは少しお心隔てがあろうと存じましたが、変わらぬ気持ちのお優しさは、ひとしおありがたいことです。浮気事の取り持ちは無用のことと思いますが、とてもあっさりとはお断り申し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」などと言う。

今では、更にとても気が引けて、すべての事柄が面映ゆい気がするが、久しぶりの手紙で、我慢できなかったのだろうか、
「 逢坂の関やいかなる関なればしげきなげきの中を分くらむ

(逢坂の関がどんな関だから、人の仲を分けて深い嘆きの中を歩くのでしょう)
 夢のような心地がします」と申し上げた。

いとしさも恨めしさも、忘れられない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。

 

《初めの「先日行き過ぎてしまった(原文・まかり過ぎし)」は、空蝉一行は「関山で皆車を下りてかしこまって」(前節)源氏一行を見送ったはずなので、分かりにくい言い方ですが、そのことを逆の言い方で言っているのでしょうか。

あの時はいきなりの出会いで、かつて世間の噂を気にして源氏から離れた負い目があったためもあったのか、遠慮して見送っただけになったのですが、この子は、昔源氏と空蝉の縁があった頃から小才が利いて二人の仲立ちをしたような者でしたから、今日は、お帰りになる道で改めてそのお詫びにと、源氏の前にまかり出ます。

源氏は「少しお心を隔てていらっしゃったが、顔色にもお出しにならない」で相手をします。『光る』が「もとの小君を、光る源氏はこころよからず思いながら、それでもつかっているというところに社会小説的な切れ味があります。空蝉との交渉云々のところよりも、この右衞門佐に対する源氏の態度に凄みがある」と言いますが、特に「顔色にもお出しにならず」には、確かにめった現れない源氏の怪しい奥行きが感じられて、読んでいて思わず立ち止まってしまいます。

同じことを『評釈』は「こんな小者たちを虐待だの報復だのと気色ばむのは理想の人物のなすところではなかった。…優雅な貴人こそ源氏の人物像だった」と言っているのと対照的で、こちらの方が作者の意図だとは思われますが、もの足りません。

常陸の守の息子の紀伊の守はいま大国、河内の守になってそれなりに羽振りはいいのですが、「その人の弟で右近将監を解任されてお供に下った者」が、源氏の失脚の折りにも離れず明石まで従って、今をときめいているのを見て、彼や彼の周囲の者はそれぞれに、臍を噛む思いでいます。

さて、小君に託された源氏の便りに、空蝉はためらいながら、さすがに「我慢できなかったのだろうか」返事をします。

話はそこまでで、この二人の焼けぼっくい、火が点くことはないまま、「時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺する」だけで、読者が期待したような再会劇にはなりませんでした。

いや、今の読者がそういう期待をするのであって、当時の人は、この身分差からは、もはや当然と思うのかも知れません。

そして、これでこの逢坂の関の話は終わりで、次節は話がどんどん進んでいきます。

ここは、かつて源氏を離れたことのある三人の人の目から見た、復権した源氏の姿を描いた、というところです。作者は、そういう人々も忘れず目配りをしてその消息を語りながら、源氏の輝きを別角度から演出したのでしょう。》

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第一段 逢坂関での再会の物語

巻十六 関屋 光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語

空蝉の物語

 第一段 逢坂関での再会の物語

第二段 手紙を贈る

第三段 夫の死去後に出家

 

【現代語訳】

 伊予介と言った人は、故院が御崩御あそばしてその翌年に、常陸介になって下行したので、あの帚木も一緒に連れられて行ったのであった。須磨に退去のことも遥か遠くに聞いて、人知れずお偲び申し上げないではなかったが、お便りを差し上げるつえさえなく、筑波嶺を吹き越して来る風聞も不確かな気がして、わずかの噂さえ聞かないまま歳月が過ぎてしまったのだった。いつまでとは決まっていなかった源氏のご退去であったが、京に帰り住まわれることになって、その翌年の秋に常陸介は上京したのであった。

 逢坂の関に入るちょうどその日、この殿が石山寺にご願果たしに参詣なさったのだった。

あの紀伊守などといった子どもや迎えに来た人々が、「この殿がこのように参詣なさる予定だ」と告げたので、「道中、きっと混雑するだろう」と思って、まだ暁のうちから急いだが、女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来たので、日が高くなってしまった。
 打出の浜にやって来た時に、「殿は、粟田山を既にお越えになった」と言って、御前駆の人々が道も避けきれないほど大勢入り込んで来たので、関山で皆車を下りてかしこまって、あちらこちらの杉の木の下に幾台もの車の轅を下ろして、木蔭に座りかしこまってお通し申し上げる。車などは行列の一部は遅らせたり先にやったりしたが、それでもなお一族が多く見える。車十台ほどから、袖口、衣装の色合いなども、こぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって、源氏は、斎宮のご下向か何かの時の物見車が自然とお思い出しになられる。殿もこのように世に栄えての外出は久々で、数知れない御前駆の者たちが、皆その女車に目を留めた。

 九月の晦日なので、紅葉が色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに、関屋からさっと現れ出た何人もの旅姿の、色とりどりの狩襖に似つかわしい刺繍をし、絞り染めした姿も、興趣深く見える。お車は簾をお下ろしになって、あの昔の小君、今、右衛門佐である者を召し寄せて、
「今日のお関迎えは、お見捨てにはなさるまいな」などとおっしゃるご心中は、まことにしみじみとお思い出しになることが多いけれど、ありきたりの伝言なので何のかいもない。女も人知れず昔のことを忘れないので、あの頃を思い出して胸が一杯になる。
「 行くと来とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ

(行く人と来る人の立ち止まることのない逢坂の関でお逢いしましたが、せき止めが

たくて流れるわたしの涙を、関の清水と人は見るでしょうか)
 お分かりいただけまい」と思うと、本当にかいがない。

 

《冒頭の「あの帚木」は帚木の巻末で源氏と「帚木」の歌を詠み交わした女性、空蝉のことです。彼女はあの後、伊予の任に続いて常陸の介となった夫について、新しい任国に行っていました。空蝉にしてみれば、源氏から遠く離れ、噂一つ届かなくなった二年をむなしく過ごして、そして、源氏が明石から都に帰った翌年、またその任が終わって都に帰ってきたのです。国守の任期は四年と言いますから、源氏の退去の前年に下ったことになるでしょうか。それは花散里の巻の年に当たります。

『評釈』によれば「常陸は大国であるから、常陸の介一行の行列はなかなか豪勢」なのだそうで、その様子は「女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来た」とあって、そのさまは「車十台ほどから、袖口、衣装の色合いなども、こぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって」、たまたま石山寺詣でにやってきた源氏の一行と鉢合わせになり、「(源氏の)数知れない御前駆の者たちが、皆その女車に目を留めた」ほどだったのでした。「関山で皆車を下りてかしこまって」とありますが、女車に出だし衣が見えたのですから、車を下りたのは男達だけということなのでしょう。

九月、秋もたけなわ、「紅葉が色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされる」中で、財力にものを言わせた介の豪華な一行と、権勢並ぶ者のない源氏の粋を懲らした一行との、錦絵さながらの出会いの場面です。

その源氏の一行の「関屋からさっと現れ出た(原文・さとはずれ出でたる)何人もの旅姿」は、介の一行に出向いて「あの昔の小君、今、右衛門佐である者」を呼びに行ったのでしょうか。絵から人が動きだした感があって面白い表現です。ちなみに、巻の名前は、この場面を巻の中心と考えてのことのようです。

源氏は、迎えに出向いてきた態にして言葉を送りますが、長い空白は二人の心をなにとはなく隔てるものがあるようです。終わりの歌は空蝉の悲しいつぶやきです。

『評釈』が、このあたりの構想について、「西に『みをつくし』の巻あって、都の『よもぎふ』をはさみ、ここに東の『せきや』が出る」として、まず逢坂の関を舞台しようと考え、そこで出会うのは、六条御息所が近くだが身分がらまずいので、空蝉にする、すると伊予介は東に行かせなければならないから、常陸にしよう、という手順ではないか」と言います。当時の読者から、空蝉は?というような要請でもあったのでしょうか。》

 

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