源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 明石の物語(二)

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

【現代語訳】
 あの人は、源氏の一行のお通りを過ごし申しあげて、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。身分相応の願ほどきなどを、何とか済ませたのであった。その一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、残念な身の上を嘆いている。
 今頃は京にお着きになっただろうと思われるほどの、日数もたたないうちに、お使いがある。近々のうちに迎えることをおっしゃっている。
「たいそう頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、さあどうかしら、また、故郷を出て、頼る人もいない暮らしをすれば、心細い思いをするのではないかしら」と思い悩む。
 入道も、そのようにおっしゃるままに手放すのはたいそう気がかりで、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えてみるのも、かえって今までの数年よりも物思いが増す。いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。

 

《明石の君は、源氏の一行が通り過ぎて帰っていくのを、息を潜めるように見送ったことでしょう。

考えようによれば、何もそんなに小さくならないで、ただの参拝者のように振る舞って知らぬ顔で過ごせば、それですむようなものとも思われますが、この人はそういう人ではないのでしょう。

生半可ではない知性と教養があって誇り高い分だけ、人の高貴さがよく分かるという人で、またその分、自分の至らなさがよく分かり、逆に慎ましさばかりが表に出る、そういう人であるようです。

さればこその源氏の執心で、都に帰るやいなや、上洛を促す便りがあります。

彼女は、住吉で源氏のあの圧倒的な威勢を見て、すっかり自信をなくしてしまっています。

そして父の入道は、「手放すのはたいそう気がかり」でありながら、と言って一緒について都に上ることは、まったく考えていないようです。そういえば以前、「『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまった」(若紫の巻第一章第二段2節)とありましたが、その時の気持は変わっていないのでしょう。

それでなおさら彼は、自分で企てたことながら、いよいよこういうことになってみると、不安な思いを抱かずにはいられないのです。

大きな課題を不安とともに抱えたまま、明石では秋が暮れていきます。》




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第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

【現代語訳】

 御社をご出発になって、あちこちの名所にゆっくり遊覧なさる。難波のお祓いなどを特に立派にお勤めする。堀江のあたりを御覧になって、「今はた同じ難波なる(身を尽くしても逢はむとぞ思ふ)」と、思わず口になさったのを、お車の近くにいる惟光が聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げる。「気がきくな」と感心なさって、畳紙に、
「 みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな

(身を尽くして恋しく思う甲斐あって、ここでまでもめぐり逢えたとは、縁は深いの

だね)」
と書いてお与えになると、惟光はあちらの事情を知っている下人を遣わしたのだった。

明石の君は、源氏が馬を多数並べて通り過ぎて行かれるにつけても心が乱れるばかりで、歌一首だけのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれる。
「 数ならでなにはのこともかひなきになどみをつくし思ひそめけむ

(とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに、どうして身を尽く

してまでお慕い申し上げることになったのでしょう)」
 田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。日も暮れ方になって行く。
 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も声を惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず逢いたいとまでお思いになる。
「 露けさの昔に似たる旅衣田簑の島の名には隠れず

(涙に濡れがちだった昔と同じように、この旅衣は田蓑の島でも簑に身を隠すこともできなくて涙に濡れている)」

帰りの道すがら、結構な遊覧や奏楽をしてお楽しみになるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。遊女たちが集まって参っていて、上達部と申し上げても若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。けれども、

「まあ、風流なこともものの情趣も、相手次第だろう。普通の恋でさえ、少しでも浮ついたものは、心にも留まらないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに戯れ合っているのも、つまらなく思われるのであった。

 

《源氏は、恐らく来る時もそうであったであろうように、あちらこちらと遊山をしながら帰るのですが、その道中は、彼にとって、来る道とはまるで違うものになったようです。

難波を通りかかって、この同じ土地に明石が来ていて、自分に会えないで耐えているのだと思うと、いとおしく恋しい思いに駆られて、思わず「身を尽くしても」と口に出ました。惟光がすかさず筆を差し出し、そして、この巻の名前の由縁となった歌の応答です。

「今はた同じ」から数えると三回出てくる「みをつくし」は、少し使いすぎのような気もしますが、この場面の、特に隔絶されたような気持でいる明石の君の方からすれば、私の方こそ「身を尽くして」いますと言いたい気持はよく分かる気がします。まして出逢いが偶然で突然のことだっただけに、縁の深さが思われて、その思いも驚きによって増幅されたことでしょう。

源氏の歌はこういう場合の型どおりのものに思われますが、明石の君の方には、彼女の思いつめた苦しさが表れているように思います。

 帰りの途上、なおも「道すがら、結構な遊覧や奏楽をしてお楽しみになる」のですが、そこで遊女達と一緒になって戯れ遊んでいる人々の中で、源氏一人、「お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる」のでした。彼としては珍しいことに、明石の君のことが心を離れず、他の女達に心が向かないのでした。彼もやはり次第に年を取ってきて、安定志向になってきたのかも知れません。二十九歳のことです。》

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第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

【現代語訳】

 君はまったくご存知なく、一晩中いろいろな神事を奉納なさる。まことに神がお喜びになるにちがいないことの全てをなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
 惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。ちょっと出ていらっしゃった時に、お側に寄って申し上げた。
「 住吉の松こそものは悲しけれ神代のことをかけて思へば

(住吉の松を見るにつけ感慨無量です、昔のことが忘れられなく思われますので)」
 いかにもと、お思い出しになって、
「 あらかりし波のまよひに住吉の神をばかけて忘れやはする

(須磨の大嵐が荒れ狂った時に、念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ)
 霊験あらたかであったな」とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。

 あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、

「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。

《冒頭の一文が印象的で、明石の君の悲哀と源氏の催しの豪勢さが相互に照らしあって際だたせます。

 「惟光などのような人」というのは、源氏とともに苦しい時期を過ごしてきた者たちということでしょうか、源氏はもちろんですが、自分たちの今日あるのも、この住吉の神様のお陰と思われて、自分で神様に詠み掛けるのを憚って、主人に思いを伝えたというところと思われます。

もっとも、それは、もちろんこの神事を寿ぐ気持があってのことでしょうが、取りあえずのご挨拶で、実はあとの明石の君が来ていたことを話すきっかけにしたいという、彼の配慮なのではないでしょうか。「神代のことを」と言うことによって、今日の栄華に自足していた源氏が、須磨の難儀を思い出すと同時に、また明石を思います。「いかにもと、お思い出しになって」という言葉が生きています。

その時に、明石の君が来ていたことを伝えます。なかなかの手順です。

それまで源氏の中で、住吉の神への感謝は、何と言っても帰京、復権についてのものだったのですが、このことによって、「神のお導き」が、一転して明石の君との縁をさすものに感じられたのです。

さればこそ、「おろそかには思われない」と思い、「せめてちょっとした手紙だけでも」、と思うわけです。》

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第二段 住吉社頭の盛儀

【現代語訳】

 松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の濃い色や薄い色が、数も知れない。六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、昔あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も今は靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
 良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別満ちたりた面持ちで、一段と目立つ緋色姿がたいそう美しげである。
 すべて明石で見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えてあちこちにいる中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな見物であると、田舎者でも思った。
 お車を遠く見やると、かえって心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。河原左大臣のご先例にならって、童を随身として付けることを許されていらっしゃったが、それらはとても美しく装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人が、格別はなやかに見える。
 大殿腹の若君はこの上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人や童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わった服装で区別している。
 雲居遥かに手の届かない立派さを見るにつけても、自分の姫君が数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
 摂津の国守が参上して、ご饗応の準備を、普通の大臣などが参詣なさる時よりは格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
 とてもいたたまれない思いなので、
「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。帰るにしても中途半端だ。今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」と思って、漕いで行った。

 

《明石の君の涙の目で見た行列の様子です。

目を奪うきらびやかな行列の中に、「あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監」が見えましたが、というのは、源氏方と目されて行く当てを無くして源氏の須磨下向に従っていた従者(須磨の巻第一章第七段)ですが、その人も今や威風堂々の行列の一員です。

また、君に言い寄って来て、こちらから取るにたらない者と断った、あの良清(須磨の巻第三章第六段)が、今をときめくように「誰よりも格別満ちたりた面持ちで」その中にいます。

「明石では、こちらが生活の心配がなく、あちらの生活を見ていた。こちらが優者で、あちらは憂え顔であった」(『評釈』)のですが、あの頃は、この者達は自分を姫として仕えるように扱ったのに、と思うと、明石の君の目には、逆転したその差は今の方がはるかに大きく見えて、自分だけ置いて行かれたという思いが拭えません。

「大殿腹の若君」はあのようにきらびやかに表舞台を歩いておられるのに、今手元にいる「自分の姫君」は、同じ人を父とする子なのに、これからいったいどのようになっていくのだろうかと、不安ばかりが募ります。

源氏からこの先頃さまざまに手を尽くして大事されていたので、ともすればすぐ身近におられるような気がしていたのですが、こういうふうに出会ってみると、自分など三桁も四桁も違う立場であって、まったく自分がとんでもない思い違いをしているだけなのではないか、という気がしてくるのです。

この上はただただ住吉の神にお祈りするしかないと、君は考えるのでしたが、「(今、源氏の参詣の後で、それと比べて)とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい」とお参りすることをやめて、住吉神社の門前に当たるのでしょうか、難波にこっそりと隠れるようにして船を止めます。》

第一段 住吉詣で


【現代語訳】

 その年の秋に、住吉にご参詣になる。願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なお出ましで、世間は大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げなさる。
 ちょうどその折、あの明石の君が、毎年恒例にして参詣するのだが、去年今年は差し障りがあって参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのだった。舟でお参りする。岸に舟を着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々が渚にいっぱいあふれていて、立派な奉納品が列を作っていた。楽人十人などが衣装を整え、顔形の良い者が選ばれている。
「どなたが参詣なさるのですか」と尋ねると、
「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、なまじいにこのご威勢を遠くから眺めると、わが身の程が情なく思われる。とはいえお離れ申し上げられない運命であるのに、このような賤しい身分の者でさえも何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」などと思い続けると、たいそう悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。


《源氏が帰京して以後の都のさまざまな大きな動きがやっとすべて収まって、身辺の整理も付いて、物語は、やっと先に向かって動き始めます。

源氏は嵐の中を須磨から明石に向かうに当たって住吉の神に、「『真に現世に姿をお現しになる神ならば、我らを助けたまえ』と、数多くの大願を立て」て(明石の巻第一章第二段)、そのご加護があったからこそでしょう、今があります。そのお礼の参詣に出かけます。

それは豪勢を極めた立派な行列だったのでした。

ところが、たまたまその同じ日に明石の君も、父に言われて恒例となっていた参拝に舟でやって来ました。「陸を行ったら途中で内大臣の住吉詣でと、うわさにも聞いたであろうが、まっすぐ舟で住吉に向かったから何も知らない」(『評釈』)のでした。

あまりに見事な行列に驚いた君から、誰の行列かと尋ねられたのは、おそらく源氏の下っ端の従者だったのでしょう、この田舎者が、と得意げに高笑いをします。

君は、いきなり源氏の大行列を知って、彼我のあまりの違いに、心が乱れます。

明石では自分はそれでも源氏の思われ人としてそれなりの者と思っており、あれでもという期待も持っていたでしょうが、世間の誰もが承知していた源氏のこの参詣を、その自分は知らなかったのです。

行列に会えたことは嬉しいことのはずなのですが、しかし「このような賤しい身分の者でさえも何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに」、自分はまったく蚊帳の外で、遠くから眺めているしかないと思うと、彼女はただ一介の田舎娘に過ぎない自分の現実の立ち位置を思い知らされたような気持になったのでした。》

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