源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 明石の物語(一)

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

【現代語訳】

お返事には、
「 数ならぬみ島がくれに鳴く鶴をけふもいかにととふ人ぞなき

(人数に入らない私のもとで育つわが子を、今日の五十日の祝いはどうしているかと

尋ねてくれる人はいません)
 いろいろと物思いに沈んでおります有様で、このように時たまのお慰めにおすがりしております私の命も心細く存じられます。仰せの通りに、姫の身の上を安心できるようにしてやっていただきたいものです」と、心を込めて申し上げている。

何度も御覧になりながら、「あわれなこと」と、長く独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
「浦よりをちに漕ぐ舟の(私はのけ者なのですね)」
と、そっと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけの愛情ですよ。土地の様子などふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくまあお聞き過しなさらないのですね」などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、

「これだからであろう」と、お思いになる。

 

《帰りを急ぐ使いを、あえて待たせて、思いを込めて書いた明石の君の、ひたすら娘の将来を頼む返事が届きます。

源氏は、そうでなくても「飛んで行きたい気持ち」(前段)のところに、心細そうな便りで、やりきれない思いになって、つい深い溜息を漏らします。

するとそこには紫の上がいたのでした。彼女の前で読んでいたようなのです。

そこで泣いたり怒ったりではなく、「横目で」見て、決して直接的に出はなく、ちらっと嫌みを匂わせて(もっとも、貴族同士ではこれで十分直接的な言い方かとも思われますが)、そのまま目を逸らして、でしょうか、「そっと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃる」というのが、当人としては決して意図的ではなく純な振る舞いなのでしょうが、何とも言えずいじらしくかわいく、コケテイッシュに感じられます。

今さらですが、引き歌というのは見事な表現法です。この元の歌は「み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟の我をばよそに隔てつるかな」とされ、彼女はその中の一番言いたい部分をあえて言わないで、言わば関係ない部分だけを口にしたわけです。当然源氏がその歌を知っているという前提です。言いたいことを自分の言葉ではなく他人の言葉で、しかも言うべき内容の部分をはずして本題の部分は聞く者にみずから想起させる、そうすることで自分の伝えたい内容に無限の奥行きが出来る、そのようにしてしか表現できない思いがある、ということです。

源氏の「これは、ただ、これだけの愛情ですよ」というのも、彼にとっては本心なのでしょう。紫の君に対する思いとは種類も格も全く別のものだと彼は思っているのです。ですから、彼はその手紙を彼女に見せます。もっとも、上包みだけというのは少し変で、かえって中身への関心が強まりそうにも思われますが。しかしその表書きの字はみごとなもので、こういう人ならば、と信用する気持にもなったのでしょうか。文字一つで何が分かるか、とも言えますが、私たちでも手紙の表書きにいくらかの好悪を感じるわけで、問題はどれだけの目を持ち、その自分の感じたものをどれだけ信じるか、ということでしょうか。懐疑派の現代人には遠い感覚と言わざるを得ません。》


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第五段 姫君の五十日の祝

【現代語訳】

「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。

「何につけてもどんなにでも立派にでき、嬉しいことであろうに。ままならぬことだ。選りに選ってあのような土地に、不憫な境遇で生まれてきたことよ」とお思いになる。

もし男君であったならばこんなにまではお心におかけにならないだろうが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の宿世もこのご誕生のために一時不遇であったのだとお思いになる。
 お使いの者をお立てになる。「必ずその日に違わずに到着せよ」とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮の品もまたなく結構な有様で、実用的な贈り物までもある。
「 海松や時ぞともなき蔭にゐて何のあやめもいかにわくらむ

(いつも変わらない田舎にいたのでは、今日が五日の節句の五十日の祝とどうして分

ろうか)
 飛んで行きたい気持ちです。やはりこのまま過していることはできないから、ご決心をなさい。大丈夫、心配するようなことは決して」とお書きになっている。
 入道は、いつもの嬉し泣きをしている。このような時には、生きていた甲斐があると貝の顔になって泣くのも、無理はないと思われる。
 こちらでも何やかや盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君のしみじみと理想的な人柄なのをよい話相手として、憂き世の慰めにしているのであった。

明石の君にはこの乳母に劣らない女房を縁故を頼って迎えて付けていたけれども、すっかり落ちぶれた宮仕え人で、出家でもしようかと思いながら残っていた人だったのに対して、この人はこの上なくおっとりとして気位が高い。聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子や、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女らしいあこがれから心にまかせて果てもなく話をするので、

「なるほど、このように思い出して下さるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。

乳母は、お手紙を一緒に見て、心の中で、

「ああ、こんなにも思いがけない幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだ」と、つい思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じて下さっているのも、もったいなくて、何事も慰められるのであった。

 

《『評釈』によれば、「当時は誕生祝いとしては、生後五十日めの日の祝宴を、もっとも重しとする」のだそうです。

そして、五月五日は端午の節句ですが、ウイキペデイアが「日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌みという風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった」という、興味深い説を載せています。もしこれが本当なら、この姫君の五十日の祝はひときわめでたいものであったわけです。

作者がことさら「五月五日」をその日としたところを見ると、確かにそういうことがあったのではないかと思われます。

源氏は盛大な贈り物を届けます。入道は財力の限りを尽くして祝の支度をしていたのですが、「このお使いが来なかったら、闇夜の錦のよう」だったと、うれし涙にくれます。

乳母は、この頃にはもう明石での立場を確保したようで、都での源氏のすばらしい様子を伝える重要な役目を担っています。

その話には「女らしいあこがれから(原文・女ごこちにまかせて)」いささか誇大な尾ひれが付いた部分もあったでしょうが、明石の君は、その話を聞いて、そういう大変な人に大事にされている自分に、やっといくらかの自信を持ちます。彼女にとって、今、自信ほどほしいものはない時ですから、乳母は大きな仕事をしているわけです。

一方で乳母は「故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子」(第二章第二段)として「気位が高い」人でもありましたから、田舎娘に過ぎないこの姫君が、源氏からこうした驚くべき扱いを受けていることをいくらかねたましく思わないでもなかったのですが、源氏の手紙に「乳母はどうしているか」という一言があったことで、すっかり気をよくして、こちらも自信を持つのでした。

源氏の気配りは、太陽の光のように、その手の届くところ、あまねくみんなに幸福を与えていきます。》

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第四段 紫の君に姫君誕生を語る~その2

【現代語訳】2

 しみじみとした明石の夕べの煙の景色や、その折りに歌を詠み交わしたことなど、また、はっきりとではないがその夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子で話し出されるにつけても、

「私はこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになっていたとは」と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「われはわれ(私は私、ということでしょうか)」と、背を向けて物思わしげに、
「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、
「 思ふどちなびくかたにはあらずともわれぞ煙にさきだちなまし

(愛しあっているお二人がなびいて行かれる方とは違っても、私は先に煙となって死

んでしまいたい)」
「何とおっしゃいます。嫌なことを。

誰により世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ

(いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって、止まることのない涙を流して浮

き沈みしてきたのでしょうか)
 さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。それには、寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの人が上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。

 

《源氏は紫の上の様子に安心して、すっかり話してしまいます。

「明石の夕べの煙とは」とは、明石での「出発が明後日」という日(明石の巻第四章第三段1節)に明石の君を訪ねた時の話です。あの日初めて顔をきちんと見、初めて琴を合奏したのでした。そんな話を源氏はします。しかしいくら何でもちょっと話しすぎではないでしょうか。

「私はこの上なく…」という紫の上の思いはまったくもって、無理のない思いです。

「われはわれ」は、「君は君われはわれともへだてねば心々にあらむものかは」(和泉式部日記)によると『集成』が言います。もとの歌は「心に隔てはありません」という意味ですが、ここではそれを逆手に、私たちには心の隔てがありますね、と、悲しそうに背を向けます。しかしそれは、六条御息所や葵の上とは全く違って、純粋に残念そうで悲しそうなのです。決してうらみやねたみが混じらない、いや、なぜか、そのうらみやねたみさえも純粋で素直な彼女の姿が想像できるような気がしないでしょうか。

女性の読者は、あるいはこういうふうに女性が描かれると、腹立たしいのではないでしょうか。余りにできすぎで、いい子ぶっているようにしか思われない、とも言えます。

しかし作者はそういうことが自然にできる人を造形しようとしたのです。女性の適度の焼きもちは、男に妙な満足を覚えさせます。源氏は、妻のそういう姿にすっかり満足します。

『評釈』が「紫の上は正夫人あつかいではない。恋人あつかいなのである。ただ、永遠の恋人なのだ。…正夫人の座に安心して、何の努力もしない人は、源氏はいやなのだ」と言っていて、なるほどと思われますが、ただ「努力」という意志的な言葉はこの場合相応しくないのではないでしょうか。彼女の場合、それはほとんど無意識的な「たしなみ」とでもいうべきものになっているように思います。これはむしろ評者の私的な告白かも知れないと思って読んだ方がおもしろく読めるようです。》

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第四段 紫の君に姫君誕生を語る~その1

【現代語訳】1

 女君には言葉に表してほとんどお話申し上げなさっていないのだが、他からお耳に入ってもいけないとお思いになって、
「こういうことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところにはその様子もなくて、意外なことで残念です。女の子だそうなので、何ともつまらない。放っておいてもよいことなのですが、そうも捨て去ることもできそうにないものです。呼びにやってお見せ申しましょう。お憎みにならないでください」とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、
「変ですこと、いつもそのようなことをご注意いただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
「そうですね。誰が教えたことでしょう。意外にお見受けしますよ。私が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。

長い年月恋しくてたまらなく思っておられたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「みんな一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
「その人をこれほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからなのです。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」と言いさしなさって、
「人柄がいいように見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
などと、お話し申し上げになる。

《乳母を送った後、源氏は、明石の姫のことを紫の上に打ち明けることにします。「他からお耳に入ってもいけない」というのは、こういう場合適切な配慮ですが、覚悟のいることではあります。そしてその分、逆に信頼を得る可能性も高くなります。

もちろん、周囲には、前の節で乳母を送るに当たって「決して漏らさないよう、口止めなさっ」たままですから、紫の上だけへの話です。

それにしても細心の注意を払って話さなくてはなりません。その第一は、紫の上の誇りを守ることです。彼は、明石の君と紫の上を並べる形で、あなたに比べればあちらは何ほどの者でもなく、子供ができたのはたまたまのことに過ぎない、ただ子供だけは、残念ながらあなたにできなかったのだから、大事にしなければ仕方がない、という言い方です。「捨て去ることもできそうにないものです」の原文は、今になって気がついたという「けり」で結ばれていて、実際に子供が出来てみると、放っておけない気持になったのだ、と言っています。

うまい言い方で、明石の君を実際の気持よりもずいぶん軽く言っていますが、この場合はその必要があるでしょう。

紫の上の「お顔がぽっと赤くなって(原文・面うちあかみて)」というのがどういう反応なのか、ちょっと定かでありません。

彼女の言葉は、私は本来焼き餅を焼くというようなことは知らない女だったのだが、こういう時についその気持ちをもってしまうのは、あなたがそういう気持ちを教え込んだからなのだ」と言っているようですから、そこから考えると、やはり源氏の話から明石の君に嫉妬を感じて、それを恥じて「赤くなっ」たと考えるのがいいのではないでしょうか。

源氏が長い間かけて「女性というものは気持ちの素直なのが好いのです」と教えた(若紫の巻第三章第三段4節)効果でしょうか、人柄なのでしょうか、彼女は本当に嫉妬というものを、見苦しく、恥ずかしいものと考えているようです。もちろん、だからといって、嫉妬を感じないわけではありません。それを抑制する術を身につけているようなのです。

一面それは内攻しそうで怖い気もしますが、彼女がこのように言うと、その幼い頃の明るさと素直さの印象から、それが可能なことなのだと読者は信じさせられ、すねる気持と甘えとが混じった、たいへんかわいらしい様子に思えるから不思議です。

そういう紫の上を見て、源氏はいっそういとおしく、涙をこぼしてしまいますが、それをまた紫の上は信じることができるのです。

その源氏の様子から、結局彼女は、これまでのさまざまな他の女性との関係は「みんな一時の慰み事であったのだわ」という気持になるのでした。

これが作者の考える理想的な夫婦ということなのではないでしょうか。夫の浮気が公式に認められていた時代の、考え得る女性の唯一の平和な対応の仕方と言うべきでしょうか。そういうことも含めて、紫の上のキャラクターは確かに魅力的なもので、この人が登場すると、いつも物語が明るく穏やかなものになります。彼女は二条院の主婦として、そのような存在だったのだとも思われるのです。》

 

※ 突然この物語とは関係のない話で恐縮ですが、正月早々ショックを受けています。

先頃パリで風刺漫画に抗議しての新聞社襲撃事件があり、それを言論の自由を侵すものと抗議して三百万人とも言われるデモが行われました。私は襲撃事件よりもそのデモの方に衝撃を受けました。

  人の信じる宗教の祖を諧謔の種にするのは、あまり品のいいことではありません。しかも、伝えられるところによれば、その新聞は普段から品のない三流新聞とされているのだそうです。

しかし、それでもその言論の自由は守られなければならないと、かの国の人々は考えて、これほどの人が集まったのであり、五十に及ぶ元首級の人も参加して、その新聞社の名を叫んだのだそうです。

そのデモの背景にはさまざまな政治的思惑もあるにはあったでしょうが、しかしその数は、それ自体が私たちに語りかけてくる、ある意味を持っていると思います。

今、私たちが借用し、その恩恵にあずかり、その果実を享受している個人主義、民主主義はそのようにして築き上げられ、守られてきた、ということなのですが、私たち日本人に、そのようにして守ろうと一致する何があるか、仮にあるとして、それを守るべきいかなる手段・方法を想定しているか、そう問いかけられた気がしたのです。

彼らは「米国の9・11へのデモは自分たちの命を守ろうとするものだが、私たちは私たちの価値観を守るのだ」と言っているそうです。

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第三段 乳母、明石へ出発

【現代語訳】

 車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して人に漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。御佩刀、必要な物など一杯の荷で、行き届かない点がない。乳母にもめったにないほどの細やかなお心づかいが並々でない。
 入道が大切にお育てしているであろう様子を想像するにつけて、つい微笑んでおしまいになることが多く、またしみじみといたわしくもあり、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、お気持ちが浅くないからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
「 いつしかも袖うちかけむをとめ子が世を経て撫づる岩のおひさき

(早く私の手元に姫君を引き取って世話をしたいものだ、天女が羽衣で岩を撫でるよ

うに幾千万年もの姫の行く末を祝って)」
 摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
 入道は待ち迎えて、喜び恐縮申しあげることこの上ない。そちらの方角を向いて拝み申し上げて、並々でないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
 幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃることは、またと類がない。乳母は、「なるほど、恐れ多いお心で大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
 母となった明石の君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、その上の出産ですっかり弱ってしまった気持で、生きる気力もないような思いだったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げてお使いの者にもこれ以上ないもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少しお書き申し上げて、
「 一人して撫づるは袖のほどなきに覆ふばかりの蔭をしぞ待つ

(一人でのお世話は行き届きませんので、大きなご加護をお待ちしています)」
と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。

 

《前々節で「そうそう(原文・まことや)」と、まるでついでのように語り始められた明石の君の話ですが、実はこの巻の話の中心で、しばらく続きいていきます。

明石に生まれた姫のために、源氏は念入りに選んだ乳母を送り出します。それも、都の中は車で行かせます。特に「車で」と言ったことについて、『評釈』が「源氏から牛車を出して京の境までおくったのである。光栄とすべきなのであろう」と言います。破格の扱いなのでしょう。

一方で「決して漏らさないよう、口止めなさって」いるのですから、あまり派手派手しいのはどうかと思われるのですが、自分の夢を託す娘のことでもあり、またつらい思いをさせている明石の君への心遣いもあるのでしょうか。

送り出して源氏は、遠く、入道があやしているだろう、まだ見ぬ姫のことを思って「つい微笑んでおしまいになることが多」いのでした。一読、入道の無骨であろうあやし方や大仰な喜び様を微笑んでいるように読めますが、それはあっても薬味程度で、関心の中心は入道の腕に抱かれている姫のあいらしい様子を思い浮かべて、ひとり悦に入っているということでしょう。さればこそ、「またしみじみといたわしく」と続くことになります。

たいへんな贈り物に、入道の感激はひとしおです。

姫は大変にかわいらしい子でした。不安を抱えてやって来た新参の乳母も、その姫を見て、源氏の思い入れをなるほどと理解して、寂しさも不安も消し飛ぶ思いになるのでした。

さてまたさまざまな思いにうちひしがれていた明石の君も、久々の源氏の心配りに、「少し物思いも慰められ」て、「早く帰参したいと急いで迷惑がっている」使者を、おそらくはあえて平身低頭で待たせて、便りを書くのでした。

こうして姫の並外れた愛らしさと明石の君の源氏への熱い思いを語ってきて、この明石の話を「不思議なまでにお心にかかり(原文・あやしきまで御心にかかり)」と結びます。そういう二人への源氏の当然なはずの関心を「不思議」と言っていることは、常套句ではありますが、たかだか田舎娘に生ませた子であるということを読者に改めて思い出させもしますし、また同時に逆に源氏との宿縁の深さを印象づけてもいると言えるでしょう。》

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