源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十四 澪標

第六段 冷泉帝後宮の入内争い

【現代語訳】

 入道の宮は、兵部卿の宮が姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、内大臣とお仲が悪いので、「どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
 権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。主上もちょうどよい遊び相手に思し召されている。
「兵部卿の宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、おかしなお人形遊びの感じがするだろうから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」とお思いになり、仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮がたいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、ご自身がいつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方でお側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。

 

《冷泉帝を巡る女性が三人になりました。

ここに挙げられた順に、藤壺の兄で紫の上の父・兵部卿宮の中の君、そしてかつての頭中将・権中納言の娘、十二歳(権中納言の父・太政大臣である大殿の養女として既に弘徽殿の女御として入内しています)、そして新たに源氏と藤壺の推す前斎宮、の三人です。

女御以外の二人とも、とすれば問題無さそうですが、そうもいかないのでしょうか。二人の争いになります。

その中で宮の中の君と弘徽殿の女御は十一歳の帝と同年代で、斎宮は二十歳とたいへん年長なのですが、藤壺は「年長のご後見は、まこと嬉しいこと」と考えました。現代では話にならない年です(もっとも、現代でもひと歳とった人の間では、もっと差があっても結ばれる例もあるようです)が、生活の知恵として、男の子の成長にはこういう年かさの女性は案外大切な存在とも言えます。

そしてその前斎宮の入内を、帝の母が推し、源氏が全面的にバックアップするわけで、藤壺は、「どのようにご待遇なさるのかしら」と、心を痛めながらも、兄よりも源氏を選んだのです。

さて、そしてここでも、こういう大きな問題を残したまま、次号完結といった趣で余韻を残してこの一巻を閉じて、しかし、次の巻からしばらく話は別のところに向かいます。》

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第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執~その2

【現代語訳】2

「これこれのことで、思案に困っておりますが、母御息所はとても重々しく思慮深い方でおいででしたのに、よからぬ浮気心からとんでもない浮き名までも流し、私は恨まれたままになってしまいましたことを、本当にお気の毒に存じております。

この世ではその恨みが晴れずに終わってしまいましたが、ご臨終の際にこの斎宮のご将来をご遺言されましたので、信頼できる者とお聞き置かれて心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みはあるとしてもお考えになって下さったのだと存じますにつけても、たまらない気がして、世間一般のことでさえも、気の毒なことは見過ごしがたいものでございますので、何とかして、お亡くなりになった後ですが、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大人びあそばしていますが、まだご幼年でおいでですから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」などと申し上げなさると、
「とてもよくお考えくださいましたことを、院におかせられてもお思いあそばしますことはなるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内させ申し上げなさいませ。今は、そのようことは特別にご執心ではなく、御勤行がちにおなりでして、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
「では、ご意向があって妃の一人としてお認めいただけるならば、私は促す程度のことを口添えすることに致しましょう。あれこれと十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことをそっくりお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」などと申し上げなさって、後日、

「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。
 女君にも、

「このように考えています。お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」と、お教え申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。

 

《源氏は斎宮の入内について藤壺に相談するのですが、なんと、御息所に対する自分の不始末の反省から話し始めます。かつての女への罪滅ぼしをしたいと、同じ頃ただならぬ間柄だった女に話すのです。

彼女とは、語られている限りでは、明石から帰ってしばらくしてから、「入道の宮にも、お心が少し落ち着いてご対面の折には、しみじみとしたお話がきっとあったであろう」(明石の巻第五章第二段)とあって、一度、ちらっと挨拶をしただけでした。

その藤壺も、かつて、当時の若宮が源氏に瓜二つであることにおびえていた(紅葉賀の巻末)時の面影は、今やどこにもありません。彼女はもはや女性である以前に、母であり、幼帝のためのことを考えるのが第一になっていたのです。

その後、源氏の復権があって、彼女も「お思いの通りに、参内退出なさる」(第三章第二段)ようになったのですから、その点では確かにいい相談相手ではありますが、むしろ藤壺の方がよほど大きく逞しくなっていると言うべきではないでしょうか。

「あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内させ申し上げなさいませ」などと、ずいぶん大胆なアドバイスです。そこには、賢木の巻第三章で演じた喜劇的とも思えたドタバタの面影はまったくありません。

 『評釈』は「藤壺と源氏の利害は一致する」と言い、また「八年の歳月は源氏を成長させたし、源氏の官職は高くなって、女院にここまで言えるようになっていた」と言います。同志としてこれほどいい関係はないとも言えそうです。あるいは藤壺が願っていた関係でもあるでしょう。どうやらもう何をいってもいい間柄になっているようです。

そして彼女の最大の気がかりである帝に、後見になるとも言える嫁の話が悪いはずはなく、彼女の対応は至って冷静に、しかし喜んで源氏の考えを支持します。

後の進め方を帝の母である宮に任せて、源氏はこのことを紫の上にも話します。こちらもまた、一つ年下の話し相手ができることに歓迎の様子です。》

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第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執~その1

【現代語訳】1

 院におかれても、あの下向なさった大極殿での厳かであった儀式の折に、斎宮の不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたく思いおかれておられたので、
「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしなさい」と、御息所にも申し上げあそばしたことがあった。けれども、

「高貴な方々が伺候していらっしゃるのに、大勢のお世話役がいなくては」とご心配なさり、

「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、さらに物思いの種が加わるのではなかろうか」と、ご遠慮申してこられたのを、今となっては、まして誰が後見申そうと女房たちは思っていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。
 内大臣はお聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、帝が横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。

 

《「下向」というのはもちろん伊勢下向の際のことで、あの時は、十四歳の宮について、「とてもかわいらしくていらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、大変に恐いまでに美しくお見えになるのを、帝は、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、大変にいとおしくて、涙をお流しあそばした」(賢木の巻第一章第五段)と語られていました。

もう六年前のことになりますが、院(あの時の帝)はよく覚えておられたのです。

都に帰って後、生前の御息所にも参内させるようお話があったようですが、後見役のいないこと、院の健康が十分でないことがあって、渋ったままだったようです。「後見無き宮仕え、さらに若い未亡人になる可能性、母の苦労を再び娘にはさせたくなかった」(『評釈』)のです。

周囲はもう終わった話と思っていたところに、この度あらためての申し込みです。

源氏はその話を知って、ちょっと困ります。本当は冷泉帝に入内させて、自分の外戚としての地位を確保したいのです。そして、この時帝は十歳と幼く、それならまだしばらくは自分の側に置いておくことができます。

そこで、何とかならないかと、藤壺に相談を持ちかけました。帝は実はこの二人の御子なのです。かつては自分たちの関係にさまざまな煩悶もあったのですが、今や源氏二十九歳、藤壺は三十四歳となり、藤壺が出家して以来、二人はかつてのようではなく、こういう政治的駆け引きの相談が冷静にできる間柄になっていたのです。それに、藤壺は帝の母として、場合によれば源氏以上の発言力を持つことさえあり、お互いに帝を支える格好の同志と言ってもいいでしょう。》

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第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

【現代語訳】

 たいそうこまごまと懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。
「恐れ多いことですが、亡き母君の身代わりの者とお思いくださって、よそよそしくなくお付き合いいただければ、本望でございます」などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、まったくこの上なくとんでもないこととお思いになっているので、女房たちもお取りなしに困って、このようなご性分をお嘆き申し上げあっている。
「女別当、内侍などという女房たち、あるいは同じ皇室のお血筋の方などで、たしなみのある人々が多くいるだろう。この、ひそかに思っている宮中生活をおさせ申すにしても、けっして他の人たちに劣るようなことはなさそうだ。何とかはっきりとご器量を見たいものだ」とお思いになるのも、心を許すことのできる御親心ではなかったのではなかろうか。ご自分でもお気持ちも定めがたいので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。

ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。

 とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく心細さばかりが増していくので、お仕えしている女房たちもだんだんと散り散りに去って行くなどして、下京の京極辺なので人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえるにつけても声を上げて泣く日も多い有様で日を送っていらっしゃる。

御息所は同じお母親と申した中でも片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは先例のないことなのに、無理にお誘い申し上げなさったほどのお気持ちであって、死出の旅路にはご一緒申し上げられないでしまったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっている。
 お仕えしている女房たちは、身分の高い人も低い人も多数いる。けれども内大臣が、
「御乳母たちであっても、勝手なことをしでかしてはならないぞ」などと、親ぶって申していらっしゃったので、

「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。

 

《この宮も「むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので…」と、何か末摘花と同じように書かれていて、心配になりますが、しばらくは措いて読み進めることにします。

源氏はその点を物足りなくも気がかりにも思っているようですが、一方でそれはこの宮に、「たしなみのある人々」が多くついているからのようだから、後宮生活をすることになっても、その点では心配なかろうと考えます。

あとはただ「ご器量」が気がかりです。彼は、以前遠目に見たことがあるだけで、まだきちんと見たことがありません。そこで「何とかはっきりとご器量を見たいものだ」と思うのですが、それは一応は入内に相応しいか否かを見極めたいという意味ではありますが、読者はそれをそのまま信じては読みません。そこで作者も「心を許すことのできる御親心ではなかった」のではないかと疑ってみせることによって、そのことは隠微な真実となります。「潔白にお世話申し上げよう」(前節)と決心したようでも、彼にはまだ、心の疼くことがないわけでもないようなのです。

ただ、おそらく作者は、そういうことは好ましい男性の必須の要件だと考えているのでしょう。そういうことのなくなった男は、女性が自分の最も魅力とするものを解さないものなのですから、何の用もない者であるわけです。

そんな気持もあってでしょう、源氏はせっせと通って、何かと世話をします。が一方で、貴人、趣味人の出入りの多かった母・御息所がいなくなって、宮邸はすっかり寂しくなり、宮は毎日を涙がちに過ごしています。

源氏は、将来の入内に備えて、そういう宮に虫がつかないように、女房たちに厳しく注意を払わせ、女房たちも言いつけを守って細心の気配りをします。

しかし一番危ない虫は、実はそう言いつける彼自身なのであって、しらじらしく言いつける源氏の姿は、それと知らずに言いつけを一所懸命に守ろうとしているらしい、人のいい女房たちの姿と合わさって、しめやかな雰囲気の中で垣間見えた、上出来の笑話の場面といえるでしょう。

宮の悲しみの中で、御息所の伊勢同行について「無理にお誘い申し上げなさった」とあるのは、賢木の巻冒頭に御息所自身の決断のように書かれているのと差がありますが、あるいは、物語にでは語られないまま、始めにこの宮から母への頼みがあって、それがきっかけで母も身の処し方としてそれを考え、次第に気持を固めたというようなことなのでしょうか。》


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第三段 六条御息所、死去~その2


【現代語訳】2

宮には、常にお便りしてお見舞いを申し上げなさる。だんだんと心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気は進まずお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
 雪や霙が降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は心細く、物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いをお遣りになった。
「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていますか。
  降り乱れひまなき空に亡き人の天翔るらむ宿ぞかなしき

(雪や霙がしきりに降っている中空を、亡き母宮の御霊がまだ家の上を離れずに天翔

けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます)」
 空色の、曇ったような色の紙にお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目に眩しいほどである。
 宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
「代筆では、とても不都合なことです」と、きつく申し上げるので、鈍色のたいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
「 消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に

(消えることもできずに生きているのが悲しいことです、涙に暮れてわが身がわが身

とも思われません世の中に)」
 遠慮がちな書きぶりは、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。

 下向なさった時から、ただならずお思いであったが、

「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
「気の毒なことだ。故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。当然のことであるが、世間の人々も同じようにきっと想像するにちがいないことだから、反対に潔白にお世話申し上げよう。主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、宮中にお住まわせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、お世話する人として」とお考えになる。

《斎宮は、源氏に対して、初めは「気は進まずお思いになっていたが(原文・つつましうおぼしたれど)」、つまり「恥ずかしく気詰まりにお思いになった」(『集成』)のですが、侍女達の勧めもあって、次第に源氏に気持を開いていくようです。

このあたり、『評釈』は、全て源氏が斎宮の女房たちに手を回して、そうするように命じてあって、斎宮はその中でそうなるように、あるいはそうするように操られているに過ぎないといった解説をしています。

現実にはそういうこともあったのでしょうが、それでは斎宮がいかにも世間知らずの、まるで末摘花のような人に見えてしまいます。この斎宮という人は、もう少し賢い方だと考えたい人です。それに、源氏も、いかにも策士、色事士のようで何か息苦しい物語に思われて、物語の楽しさが消えるように思われます。

源氏は、この人に、「下向なさった時から、ただならずお思いであった」のですが、今は御息所の遺言があった以上、その心は抑えて、「宮中にお住まわせ申し上げ」よう、つまり入内させようと考えます。

世間の噂を予想して、「反対に、潔白にお世話申し上げよう」というのが、己を知る言葉で、愉快です。彼のこういう自制はほとんど初めてのことで、そのことは逆に、彼にとって御息所がどれほど重い存在だったかを物語っているようにも思われます。》

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