源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 明石の君の物語(三)

第五段 残された明石の君の嘆き

【現代語訳】
 明石の君本人の気持ちは、たとえようもないくらいで、こんなふうであるとは誰にも見られまいと気持ちを沈めていたけれども、わが身のつたなさがもとで、仕方がないことながら、お残しになって行かれた恨みの晴らしようがない上に、お姿がちらついて忘れられず、できることはただ涙に沈むばかりである。母君も慰めるのに困って、
「どうして、こんなにもの思いを尽くすようなことを思い立ったのだろう。すべて偏屈な主人に従ったわたしの失敗だった」と言う。
「黙りなさい。お捨て置きになれない事情もおありになるようだから、お考えになっていることがあるだろう。気持ちを静めて、せめてお薬湯などでもお飲みなさい。なんと縁起でもない」と言って、片隅に座っていた。

乳母、母君などが偏屈な心をそしり合いながら、「早く何とか願い通りにしてお世話申そうと、長い年月を期待して過ごしてきて、今やっとその願いが叶ったと頼もしくお思い申したのに、おかわいそうな有様を早々から味わおうとは」と嘆くのを見るにつけてもかわいそうなので、入道はますます頭がぼんやりしてきて、昼は一日中、寝てばかり暮らし、夜になるとのこのこ起き出して、

「数珠の在りかも分からなくなってしまった」と言って、素手をすり合わせて茫然としている。弟子たちに軽蔑されて、月夜に庭先に出て行道をするにはしたのだが、遣水の中に落ち込んだりするのであった。風流な岩の突き出た角に腰をぶっつけて怪我をして、寝込むことになってようやく、物思いも少し紛れるのであった。

 

《不安なままに先に進んで、不安どおりに起こった事態にただ泣くしかない娘、夫が抱いた大きな夢に不本意ながら同調しばかりに陥った悲哀に愚痴しか出ない母親、その大きな夢に挫折したかに見える事態に、妻や娘の乳母の愚痴を叱りつけて気休めの強がりを言いはするものの、やはり自分も不安で、「(部屋の)片隅に座って」いるしかない父親、この間までたびたび源氏を迎えて華やぎ、活気のあった家からうって変わって、沈みきった家庭の姿です。

入道は、本当はかなりそれなりの人だと思われるのですが、その振る舞いはここでも道化役といってもいいような扱いで、弟子(従者なのですが、主人が入道だからそう呼ばれます)からさえも「軽蔑され」る始末です。

起きていると妻や乳母の愚痴で針のむしろだからでしょうか、一日中ふて寝をしていて、人が寝静まると起きてきて勤行をしようとするのですが、数珠さえどこに置いたか忘れてしまって、形ばかりのお勤め、庭で行道(経をよみながら巡り歩くこと)すれば遣り水に落ち込み、「風流な岩」で怪我をし、寝込んで初めてちょっと娘のことから気持が離れるといった案配で、悲哀の空気の中をひとりでばたばたとはね回っています。》

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第四段 離別の朝~その2

【現代語訳】2
 入道は今日のお支度をたいそう盛大に用意した。お供の人々、下々の者まで、旅の装束が立派に調えてある。いつの間に準備しおおせたのだろうかと思うほどである。源氏の御装束はいうまでもない。御衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。きちんとした都への土産にすべきお贈り物類は立派な物で、配慮の届かないところがない。今日お召しになる狩衣のご装束に、
「 寄る波に立ちかさねたる旅衣しほどけしとや人のいとはむ

(ご用意致しました旅のご装束は、寄る波の涙に濡れていまので、嫌だとお思いにな

りましょうか)」
と添えてあるのをお目に留められて、慌ただしい中であるが、
「 かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの日数隔てむ中の衣を

(お互いに形見として着物を交換しよう、また逢うまで多くの日数を隔てる仲なのだ

から)」
とおっしゃって、「せっかく作ってくれたから」と言って、お召し替えになる。お身につけていらっしゃったものをお遣わしになる。本当に、もう一つお偲びするよすがを添えた形見のようである。素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。入道は、
「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが」などと申し上げて、顔をゆがめて泣いているのも気の毒だが、若い人はきっと笑ってしまうであろう。
「 世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね

(世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来ましたが、なお依然として子の故にこの岸を離れることができずにおります)

 娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
「あだめいた事を申すようでございますが、もしお思い出しあそばすことがございましたら」などと、ご意向を伺う。

たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりなどが、何ともいいようなくお見えになる。
「放っておきがたい事情もあるようなので、きっと今すぐに私の気持ちもわかって下るだろう。今はただこの住まいが見捨てがたいばかりです。どうしたものでしょう」とおっしゃって、
「 都出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋

(都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか、年月を過ごしてきたこの浦を離

れる悲しい秋は)」
とお詠みになって、涙をお拭いになると、入道はますます分別を失って、ますます涙にくれる。立居もままならず転びそうになる。

 

《入道は、財力と思いの限りを尽くして、源氏を送り出そうとします。贈り物の衣裳に明石の君の歌が添えられていました。これもまた疑問文で、源氏に問いかける言葉です。それはあたかも寄りすがるような思いがにじんで源氏に纏い付き、一言でも多く源氏からの言葉を耳に残したいという思いからのように聞こえます。

源氏は着替えて、着ていたものを与え、香り高い薫き物の匂いが流れます。

出家ながら入道も心を打たれ、いよいよの別れとあって、「顔をゆがめて泣いている」というのですが、原文は「かひをつくる」(口がへの字になり、蛤の形に似るから出たと言う。海辺であるからこの語を用いた云々・『評釈』)で、たいへんユーモラスな表現です。「若い人ならきっと笑ってしまう」と添えられていますが、これもまたやはりボルゴンスキー公爵(第二章第一段)的で、この人も純粋な思いが余って振る舞いが滑稽になるようです。

彼は、その悲しみの中で、娘のためにせめて源氏の内意の一端を、と語りかけます。源氏は泣いて応えるのですが、同じ泣くのでも、入道の場合は滑稽で、源氏は「何ともいいようなくお見えになる」という、大きな差があるのはいかんともしがたいところです。

その返事は、一読、ずいぶん薄情に聞こえますが、遠回しの言い方です。原文は「思ひ捨てがたき筋もあめれば、今、いとよく見なほしたまひてむ。ただこの住処こそ見捨てがたけれ」です。身重になった娘のことは放っては置かない、そのことはすぐに再び会えるように行動で示すから、分かってもらえるだろう。

「今はただこの住まいが見捨てがたいだけなのだ」は、将来のことは私はもう決めているのだが、自分でそのことを承知していてもなお、今のこの別れは、堪えがたく悲しく思われる、それほどあの娘をいとおしく思っているのだ、と言っているのでしょう。

入道が「立居もままならず転びそうになる」のもまた、ご愛敬といったところで、「なみはずれた思いこみの強さが…読者の微笑みをさそう。そうしなくては、光る源氏ともあろう人が、明石ごとき地で国守の娘ごときに、かくの如き愛情を示すことに、読者は反撥を感ずるであろう」と『評釈』が言います。》

 

※ 蛇足ながら、年の暮れですので、一言ご挨拶を。

  まったく個人的なつれづれのすさび事を覗いていただいて、大変ありがとうございます。今年一月四日から、何とかおおむね一年を続けて来ることができましたのは、やはり読んで下さる方があると思えることが、大きな支えでした。

  やっと十三巻が終わりかけてきたところですから、五十四巻の終わりにたどり着くのは三年以上後のことになりそうです。私にとっては「はやぶさ2号」の旅のような長い旅のように思われますが、ともかく一日一日の積み重ねと心得て、つたないながら読み続け書き続けして行きたいと思っています。

  お暇な折がありましたら、今日も元気でやっておるかと、また覗いてみて下さい。

  では、また明日お目にかかります。どうかよいお年をお迎えください。

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第四段 離別の朝~その1

【現代語訳】1

 ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、京からのお迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない時を見はからって、
「 うち捨てて立つも悲しき浦波のなごりいかにと思ひやるかな

(あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが、後に残ったあなた

がどのような気持ちで過ごすだろうかとお察しします)」
 お返事は、
「 年経つる苫屋も荒れて憂き波の帰るかたにや身をたぐへまし

(長年住みなれたこの苫屋も、あなたが立ち去られた後は荒れはてて、つらい思いを

しましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら)」
と、気持ちのままの歌を御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。事情を知らない人々は、
「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほども住み馴れなさったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」などと、拝見する。
 良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」といまいましく思っている。
 嬉しいにつけても、「ほんとうに今日限りで、この浦を去ることよ」などと名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。けれども、いちいちお話する必要もないだろうと思うので。

 

《『評釈』が「お立ち際になって二人の歌の贈答は、最初のころとは変わってきたのに注意しなければならない」として、初めは「相手の言葉を切りかえしていた」のに対して今は「相手の情趣をうけとめ、自らの情趣を歌い上げるものに変化する」と言っています。

確かにそうですが、明石の君の歌は前節の「なほざりに」の歌がそうであったように、ここでも「や」の疑問が重要で、「歌い上げる」というより問いかけ訴えかけるものになっています(『評釈』は「身を任せましょう」と平叙文で訳していますが)。

「なごりいかにと思ひやるかな」などとおっしゃるけれど、残される私のこの悲しさ、寂しさ、そしてこうなることが分かっていたから必死で避けていたのにその心をつかんでしまわれた悔しさ、恨み、そしてそれを受け入れた自分への憤りなどなどの混じったこの言いようのない思いなどお分かりなるはずもない、「いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら」、それでもいいですか。

だからここでも、その歌をことさらに「気持ちのままの歌(原文・うち思ひけるままなる)」と断っています。本来なら問いかけるべきではないこと言っているからなのでしょう。

そしてそれはまた、彼女にとって今しかできない、精一杯の甘えでもあるのです。受け取って源氏は涙を堪えきれません。

と、ここまで感情を高ぶらせておいて、作者は突然突き放し、その涙を淡い感傷として見ている周囲の人々を描くことで、二人をいっそう際だたせ、浮き上がらせます。

さらにそれを「いまいましく思っている」良清を登場させ、いささか男臭く世知長けた色好みの男の風貌が描かれて、源氏と明石の二人との対照が読者を現実に引き戻します。》

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第三段 離別間近の日~その2

【現代語訳】2

あの、いつもお聴きになりたがっていらっしゃった琴の音色などを、まったくお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」とおっしゃって、京から持って来られた琴を取りにやって、格別に風情のある一曲を静かに掻き鳴らしなさると、夜更けの澄んだ音色がたとえようもなく素晴しい。
 入道はたまりかねて箏の琴を取って差し入れた。娘自身も、ひとしお涙まで催されて、止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、そっと奏でた音色は、まことに気品のある演奏ぶりである。

入道の宮のお琴の音色を当代に類のないものとお思い申し上げていたが、それは「当世風で、ほんとうに素晴らしい」と、聴く人がほれぼれとして、御器量までが自然と想像されることは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色である。
 こちらはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れている。源氏の君でさえ、初めてしみじみと心惹きつけられる感じで、まだ耳慣れておられない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、

「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。心をこめてひたすら将来のお約束をなさる。
「琴は、再び一緒に弾く時までの形見に」とおっしゃる。明石の君は、
「 なほざりに頼め置くめる一ことを尽きせぬ音にやかけてしのばむ

(軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが、その一言をいつまでも悲しくて泣き

ながら心にかけてお偲び申すのでしょうか)」
言うともなく口ずさんだこの歌をお恨みになって、

「 逢ふまでのかたみに契る中の緒の調べはことに変らざらなむ

(今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように、二人の仲も格別変わら

ないでいて欲しいものです)
 この琴の絃の調子が狂わないうちに必ず逢いましょう」とお約束なさるようである。それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。

 

《別れに、初めての琴の合奏です。

 先に、この明石の君はその立ち居が六条御息所に並べられていました(第三章第二段2節)が、今度はその琴の音色が藤壺に並べられています。ここでもまた「近まさり」するのです。源氏は、そして読者も、彼女のことを知れば知るほど、その魅力の素晴らしさを理解していきます。

 源氏は感嘆し感動して、言葉を尽くして将来を約束します。しかし最後の一文「それでも…」とあって、彼女には、どんな言葉もその心を満たすことはできません。

 「なほざりに」の歌の下の句、『評釈』は「泣きながらあなた様の事をお偲び申します」と訳していますが、「音にや」の「や」は重要で、ここの疑問文はゆるがせにできないと思います。「お偲び申すのでしょうか」と問いかけることによって、明石の君は、自他双方に対する憤りにも近い激しい自責・非難を胸に飲み込んで、万感の思いを籠めて精一杯の訴えをしているのだと読みたいところです。だからこそ彼女はこの歌を(女性から詠み掛けるのは非礼ということもあるにしても)直に詠み掛けるのではなく「言うともなく口ずさんだ」のであり、「(源氏は)この歌をお恨みになって」と続くのではないでしょうか。

実は先日、たまたま夕方のNHKラジオで箏曲「みだれ」を聞きました。

門外漢の私には、あの静かな美しい序奏は到底「みだれ」とは思えず、しかし曲名を思うと、独特の余韻を感じさせるあの琴の音のその背後には、言いようのない心の乱れが秘められているようでもありました。あらためてネットで聞いてみると、七分半の演奏時間の半ば、四分あたりからやや急なテンポになって、ここから「みだれ」かと思わされましたが、しかしそれは依然として澄んだ静かな調子をたもったまま、終わっていきました。

聞きながら、私は、古来日本人の「みだれ」とはこのようなものだったのだ、これこそ明石の君の「みだれ」ではないか、と勝手な解釈を考えていました。

あとで調べると、曲名の「みだれ」は心の乱れではなく、調子の非定型を言っているそうですから、やはり思い過ごしだったのではありますが、その間私はずっと、明石の、狂おしいほどの思いを抱きながら、じっと穏やかに振る舞っている姿を思い描いてみていました。

私がその場にいて気づいたという自信はありませんが、聞く耳がなければ分からない「みだれ」があるように、見ることのできる眼、察する心によってしか見えない「みだれ」を明石に見たいと思います。

芥川龍之介の佳品『手巾』を思い出します。そしてこちらは男女の間柄のことだけに、あの作品にない豊かな情調が漂っているように思います。》

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第三段 離別間近の日

【現代語訳】1

 出発が明後日となって、いつものようにひどく夜が更けてからというのではなく、お越しになった。まだはっきりと御覧になっていない容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだったのだな」と、見捨てにくく残念にお思いになる。「しかるべき形で迎えよう」とお考えになった。そのように約束してお慰めになる。
 男君のお顔だち、お姿は、言うまでもない美しさである。長い間の勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのもいいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながら、しみじみと固いお約束なさるのは、「ただこれだけの逢瀬でも幸せと思って、諦めてもいいではないか」とまで思われもするが、ご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。

波の音は秋の風の中でやはり響きが格別である。塩焼く煙がかすかにたなびいて、何もかもが悲しいこの地の様子である。
「 このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかむ

(今はお別れしますが、藻塩焼く煙がみな同じ方に流れるようにやがて一緒に過ごせ

るでしょう)」
とお詠みになると、
「 かきつめて海士のたく藻の思ひにも今はかひなきうらみだにせじ

(いろいろに悲しい気持ちでいっぱいですが、今は申しても甲斐のないことですから、

お恨みしないことにしましょう)」
 せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。

 

《この時まで源氏は明石の君の顔を直接は見たことがなかったようで、そういうことは夕顔の時もそうでしたから、この時代はそういう逢い方をしたのでしょうが、やはり驚きです。

 この日はまだ日が暮れないうちにでも来たのでしょうか。源氏はこれまで「はっきりと御覧になっていない」明石の君の顔を、「目を見張るような美しさだったのだな(原文・めざましうもありけるかな)」と見たわけで、「けり」の「そういう事態なんだと気がついた」(『辞典』)という驚きを表す意味の働きがよく生きています。

 始めて逢ってから、もう一年が経つのですが、この日になってもまだ、「近まさり」(第三章第二段3節)するという、この君の素晴らしさです。

 なお、ここの冒頭の「いつものように…」は、原文では「例のやうにいたくもふかさでわたりはまへり」とあって、いつものように早く来たのか、今日はいつになく早く来たのか、両用に取れるところですが、明石の君の顔を初めて見たというのですから、その訪れ方も初めてである方がよさそうです。

一方明石の君は、もちろんすっかり源氏に心を寄せています。彼女の前の源氏は、ただでさえ魅力的なのですが、今は「長い間の勤行にひどく面痩せ」して、その美しさは並一通りではありません(「目病み女に、風邪引き男」と言って、ちょっとやつれた男は、女性には魅力的に見えるようです)。それは、あの彼女にして「ただこれだけの逢瀬でも幸せ」という気になるほどですが、それにつけても、別れの悲しみに添えて、我が身の拙さの悲しみをも噛みしめることになります。

「せつなげに涙ぐんで…」の一文が、全ての思いを胸に飲み込んで耐えて、可能な限り穏やかに理性的に振る舞うという、まさしくこの君のありかたを語っています。》

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