源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 光る源氏の物語(一)

第三段 東宮の御元服と御世替わり~その3

【現代語訳】3

 大殿腹の若君は、誰よりも格別におかわいらしくて、内裏と東宮御所の童殿上なさる。故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣は改めてお嘆きになる。けれども、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらっしゃった跡形もないまでにお栄えになる。やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
 二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになるところから、中将の君や中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。
 二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などとのお考えで修繕させなさる。

 

《その源氏にとって身近のただ一人の若君もこの時七歳、この大殿邸にいて「誰よりも格別におかわいらしくて」いらっしゃるので、祖父母にしてみれば娘を亡くしたことを改めて思い返すことにもなりますが、それも賑わいのあればこそのことです。

 しばらく前の源氏一派の苦境が今はすっかり嘘のようで、この若君は内裏と東宮御所の両方に「童殿上」することになりました。『評釈』が「少年が殿上の間に出て、雑用に当たり、殿上人のする事を見習う。後見がいなくては、相当の費用の負担をする者がいなくては、つとまらない。殿上は内にも東宮にも院にもあり、それぞれに指名された者が出仕する…院(朱雀院)の殿上をしていないことに注意」と言います。

 源氏の復権の一つの象徴のような出仕なのですが、院に出さないことよりも、源氏にとっては、内裏に出すことの方が、誰も知らないこととは言え、兄弟がまみえることになるわけで、決断が必要だったのではないでしょうか。冷泉帝は十歳、三つ違いです。しかし、この関係について触れられることは、意外に多くないようです。

 さて、その他源氏の周辺の「長年の間暇を取らずにいた人々」、「お待ち申し上げていた人々」には応分の心遣りがなされ、忠義を守った人々は「数年来の胸のつかえが晴れる」思いをすることが出来ました。

 次は昔なじみの女性たちです。「中将の君や中務の君のような人」を処遇するのは自然のこととして、あの花散里をここに迎えようとの屋敷の改修計画も立ち上げたのでした。『評釈』は、「なに、地方長官の幾人かに…わりあてれば、それでよいのである。任国の民を使い、任国の物資を用いて、競争で仕上げてくれる」と言います。》

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第三段 東宮の御元服と御世替わり~その2


【現代語訳】2
 そのまま摂政となって政治をお執りになるのが普通なのだが、「そのようないそがしい職務には堪えられません」と言って、致仕の大臣に摂政をなさるようにお譲り申し上げなさる。
「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」と、ご承諾なさらない。

「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を本当の聖人だと言っている。病に沈んでお返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷でも世間でも決定される。

そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。お歳も六十三におなりである。

 世の中がおもしろくなかったことにより、隠居してもいらっしゃったのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でおられたが、皆世にお出になる。とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。あの四の君腹の姫君は十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。あの「高砂」を謡った君も元服させて、たいそう思いのままである。ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は羨ましくお思いになる。

《源氏は新帝の摂政に当てるために呼び戻されたのだったのですが、「そのようないそがしい職務には堪えられません」として、その役を「致仕の大臣」(一度辞職した大臣)、つまり葵の上の父に譲ることにしました。

義父への孝行でもあり、謙遜の姿勢にも見えますし、また『評釈』は新帝の即位が目的なのであって、そのことさえなってしまえば「こまかい変革は、すべての人を必ずしも満足させないだろう」から、後は手を引いて「栄花だけを楽しむほうが利口である」とも言いますが、それとは別に、彼も藤壺と同じ思いで、「源氏の大納言のお顔をもう一つ作ったようにお見えになる」(前節)帝の側に、当の自分が絶えず一緒にいるのは危険すぎるということも考えたのでしょうか。

もともと彼は政治的野心を抱くようなタイプではないようです(そういうものの必要がないほどに、生まれながら人望と栄誉を得ているのです)から、彼にとってこのことはたいしたテーマではなかったことでしょう。彼はあくまでも雅の世界に住む人なのです。むしろ彼はそのためにこそ政治力を使っていると言ってもいいでしょう。

義父は一度は辞退しますが、『史記』の故事を引いて説得します。源氏のみならず、作者も得意のところです。

その大殿邸では嫡男の宰相中将(元の頭中将)も復権し、その姫は入内の準備、次男は元服の運びとなります。また、大殿のその他の子息たちも次々に世に出て行きました。

もっともこの元服とある「あの『高砂』を謡った君」は賢木の巻(第六章第三段2節)に出てきていて、あの時(それは四年前になります)「今年初めて童殿上する、八、九歳ほど」とあって、そうすると姫と同腹でありながら同年かと年子いう、少々無理な設定になります。『評釈』が、「嫡子の幸福を言おうとして、列挙しようとしたために、こんなことになったのだ」と皮肉に指摘しています。まあ、長編物語ではよくあることではあるようですが。

子供の賑わいは、子のない者にとってはただでも羨ましいものですが、源氏は、一人は身近にいるものの、今一人は特別な間柄なので、その思いはまた特別なものがあるでしょう。》

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第三段 東宮の御元服と御世替わり~その1



【現代語訳】1

 翌年の二月に東宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとなびて美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ作ったようにお見えになる。お二人がたいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮はまったくいたたまれぬ思いで、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
 主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
 同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」といって、お慰め申し上げあそばすのであった。

東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。

世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。


《譲位の準備が進み、東宮の元服です。東宮とは、桐壺院と藤壺の子ということになっていますが、もちろん実は源氏と藤壺の間の子です。「まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ作ったようにお見えになる」というのも自然なことで、藤壺はまさに「まったくいたたまれぬ(原文・かたはらいたき)」思いで心を傷めています。

 世の中はそんなこととは思いもしないで、大きな火種を深い埋み火として、すべてが着々と進みます。

 「主上におかれても…」の一文や、大后を慰める言葉が、朱雀帝についていろいろなことを思わせます。

位を譲るべき、自分の子ではない東宮を「御立派だ」と思って見、さらにその東宮に譲位のことを「やさしく(原文・なつかしう)」話して聞かせるなど、いかにもナイーブな人柄が感じられます。

 大后としては、自分の知らぬ間に事が運んだようで、「おあわてになった」とありますが、おそらく大いに怒ったことでしょう。それに対しての慰めの言葉も、彼女にとって慰めとは言い難い、あまりに優しい言葉です。

 いずれも、政治の世界に君臨するには不似合いと思われる、帝の素直な気持ちからでたものと思われます。

そして作者は、そういう帝を、決して否定的にではなく、あくまでも女性の視線から好ましい男性として描いているようです。

 東宮の元服に続いて、すぐその同じ月に譲位のことがあって、朱雀帝は退き、新帝即位、新東宮には明石の巻(第四章第一段)で紹介された皇子が立って、世の中が一変します。》

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第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

【現代語訳】

 御譲位なさろうとのお心積もりが近くなったのにつけても、尚侍の君が心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのを、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
「大臣がお亡くなりになり、大宮もずいぶんご病気が重くおなりになっていらっしゃる上に、私の一生までが長くないような気がするにつけて、とてもお気の毒なことに、かつてとすっかり変わった状態で後にお残りになることだろう。以前から、あの人より軽く思っておいでだが、私の愛情はずっと他の誰よりも深いものだから、ただあなたのことだけが、愛しく思われていたのだった。あの私以上の人が、再びお望み通りになって契りを結ばれても、並々ならぬ愛情だけは私以上ではないだろうと思うのさえ、たまらない」と言って、お泣きあそばす。
 女君が、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれるのを、一切の過失を忘れてしみじみと愛しくいと御覧になる。
「どうして、せめて御子だけでもお産みくださらなかったのだろう。残念なことだ。ご縁の深いあの方のためなら、すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことだ。身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。

お顔など優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まるように大切にお扱いあそばすので、源氏は素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子やお気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、

「どうして自分の若く至らなさのために、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。

 

《朱雀帝はいよいよ退位を考えます。

その彼は、最大の庇護者であった両親の支えを失って、今、裸の王様といった状況で、尚侍の君だけが心の拠り所のはずなのですが、その彼女も、思えば本心は源氏に靡いているように、帝には思えているのです。

それにしてもこの帝は源氏を赦免した時の覚悟を忘れてしまったような女々しさで、その愁嘆はたいへんに愚痴っぽく嫌みで、今の私たちにはほとんど卑屈にさえも思われます。

しかし考えてみれば、源氏がこれまで女性を失う時の嘆きもずいぶん女々しいものでした。その時の言葉が、この帝のように卑屈には聞こえなかったのは、空蝉にしても夕顔にしても、他の男性に取られるものではなく、運命によるものだったからに過ぎないのではないでしょうか。

あるいはむしろこういう嘆き方こそ、当時の世の色好みなのであって、多分作者や当時の読者にとって、こういう嘆き方がむしろ受け入れられ、称讃されたとも考えられます。

実は、たまたま今日の地方紙に絵本作家五味太郎氏の「百人一首ワンダーランド」の刊行記事があったのですが、その中に「当時の貴族社会には劇場のような雰囲気があって、人々はその身分を演じる役者のような意識があったのではないか」という氏の言葉があって、大変に興味深く読みました。この時はこういうふうに嘆くもの、という意識が朱雀院の中で働いたのだと考えると、かえって帝に人間味が感じられるような気もします。

何と言っても、尚侍の君はこの帝の言葉を少しもいやだと思っている様子はなく、それどころかこの言葉によって、あれほど奔放だったこの人にはしてはまったく意外に思われる、自分の来し方を全否定するような、本気らしい反省、後悔をしているのですから。》

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第一段 故桐壺院の追善法華御八講

巻十四 澪標 光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語

第一章 光る源氏の物語(一) 光る源氏の政界領導と御世替わり

第一段 故桐壺院の追善法華御八講

第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

第三段 東宮の御元服と御世替わり

第二章 明石の物語(一) 明石の姫君誕生

第一段 宿曜の予言と姫君誕生

第二段 宣旨の娘を乳母に選定

第三段 乳母、明石へ出発

第四段 紫の君に姫君誕生を語る

第五段 姫君の五十日の祝

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

第三章 光る源氏の物語(二) 新旧後宮女性の動向

第一段 花散里訪問

第二段 かつての女性たちの動向

第三段 冷泉帝後宮の入内争い

第四章 明石の物語(二) 住吉浜の邂逅

第一段 住吉詣で

第二段 住吉社頭の盛儀

第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

第五章 光る源氏の物語(三) 冷泉帝後宮の入内争い

第一段 斎宮と母御息所上京

第二段 御息所、斎宮を源氏に託す

第三段 六条御息所、死去

第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執

第六段 冷泉帝後宮の入内争い


第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり

【現代語訳】

 源氏は、院がはっきりとお見えになった夢の後は、故院の御ことを心にお掛け申し上げなさって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪を、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらっしゃったが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。十月に御八講をなさる。世間の人がご威勢になびいてお仕えすることは、昔と同じようである。
 皇太后は、御病気が重くていらっしゃる中でも、

「とうとうこの人を失脚させることができないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言を心に掛けていらっしゃる。きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになっていたのだったが、源氏を元にお返しになって、御気分がすっきりおなりになるのだった。時々病が起こってお悩みあそばした御目も、よくおなりになったが、「大体が長生きできそうになく、心細いことだ」と、ひたすら長くないことをお考えになっては、その都度お召しがあって、源氏の君は参内なさる。政治の事なども、いろいろと隔てなくお話しになってご満足のようなので、世間一般の人々も、事情の分からないままに、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。


《巻の名前は、第四章第四段で出てくる歌に由来します。

澪標(みをつくし)は「水先案内のために水脈の標識として立てる杭。難波のものが名高い」(『辞典』)というものですが、その名前とはおよそ縁の無さそうな、宮中の話からこの巻の物語は始まります。

源氏は、明石の夢の中で故院が「知らず知らずのうちに犯した罪があって、…大変な難儀に苦しんでいる」と言った(明石第一章段三段2節)、その罪を救おうと法要の準備を始めると、人々は先頃までとはうって変わって、「ご威勢になびいてお仕え」します。

帰ってきた源氏にどのように接するかは、都の人々にとっては、人によっては難しい問題です。源氏側のはずでありながら、弘徽殿を憚って、心ならずも源氏に背を向けていた人、あるいははっきり弘徽殿側でありながら、復権した源氏に今後近づかざるを得ない人などは、何とか源氏とコンタクトの取れる機会を求めねばならないことになります。

その時源氏が最初にやることを、私的なことや政治的なことではなく、故院の供養の仏事としたのは、周囲の人が「昔と同じよう」に集まりやすいことだからでしょう。故院のためとあれば、源氏と疎遠な人々も多少の心理的抵抗をおしてでも自然な形で参加することができます。

源氏にしても、そのようにして多くの人が集まれば、多くの説明を抜きにして、その権勢のほどを示すことができるのです。

朱雀帝も、母・皇太后の思いをよそに源氏を復権させて、彼の眼病も治まってきて、政事の相談もしばしば持ちかけるほどの信頼ぶりです。》


 


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