源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十三 明石

第四段 離別の朝~その1

【現代語訳】1

 ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、京からのお迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない時を見はからって、
「 うち捨てて立つも悲しき浦波のなごりいかにと思ひやるかな

(あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが、後に残ったあなた

がどのような気持ちで過ごすだろうかとお察しします)」
 お返事は、
「 年経つる苫屋も荒れて憂き波の帰るかたにや身をたぐへまし

(長年住みなれたこの苫屋も、あなたが立ち去られた後は荒れはてて、つらい思いを

しましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら)」
と、気持ちのままの歌を御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。事情を知らない人々は、
「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほども住み馴れなさったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」などと、拝見する。
 良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」といまいましく思っている。
 嬉しいにつけても、「ほんとうに今日限りで、この浦を去ることよ」などと名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。けれども、いちいちお話する必要もないだろうと思うので。

 

《『評釈』が「お立ち際になって二人の歌の贈答は、最初のころとは変わってきたのに注意しなければならない」として、初めは「相手の言葉を切りかえしていた」のに対して今は「相手の情趣をうけとめ、自らの情趣を歌い上げるものに変化する」と言っています。

確かにそうですが、明石の君の歌は前節の「なほざりに」の歌がそうであったように、ここでも「や」の疑問が重要で、「歌い上げる」というより問いかけ訴えかけるものになっています(『評釈』は「身を任せましょう」と平叙文で訳していますが)。

「なごりいかにと思ひやるかな」などとおっしゃるけれど、残される私のこの悲しさ、寂しさ、そしてこうなることが分かっていたから必死で避けていたのにその心をつかんでしまわれた悔しさ、恨み、そしてそれを受け入れた自分への憤りなどなどの混じったこの言いようのない思いなどお分かりなるはずもない、「いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら」、それでもいいですか。

だからここでも、その歌をことさらに「気持ちのままの歌(原文・うち思ひけるままなる)」と断っています。本来なら問いかけるべきではないこと言っているからなのでしょう。

そしてそれはまた、彼女にとって今しかできない、精一杯の甘えでもあるのです。受け取って源氏は涙を堪えきれません。

と、ここまで感情を高ぶらせておいて、作者は突然突き放し、その涙を淡い感傷として見ている周囲の人々を描くことで、二人をいっそう際だたせ、浮き上がらせます。

さらにそれを「いまいましく思っている」良清を登場させ、いささか男臭く世知長けた色好みの男の風貌が描かれて、源氏と明石の二人との対照が読者を現実に引き戻します。》

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第三段 離別間近の日~その2

【現代語訳】2

あの、いつもお聴きになりたがっていらっしゃった琴の音色などを、まったくお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」とおっしゃって、京から持って来られた琴を取りにやって、格別に風情のある一曲を静かに掻き鳴らしなさると、夜更けの澄んだ音色がたとえようもなく素晴しい。
 入道はたまりかねて箏の琴を取って差し入れた。娘自身も、ひとしお涙まで催されて、止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、そっと奏でた音色は、まことに気品のある演奏ぶりである。

入道の宮のお琴の音色を当代に類のないものとお思い申し上げていたが、それは「当世風で、ほんとうに素晴らしい」と、聴く人がほれぼれとして、御器量までが自然と想像されることは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色である。
 こちらはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れている。源氏の君でさえ、初めてしみじみと心惹きつけられる感じで、まだ耳慣れておられない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、

「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。心をこめてひたすら将来のお約束をなさる。
「琴は、再び一緒に弾く時までの形見に」とおっしゃる。明石の君は、
「 なほざりに頼め置くめる一ことを尽きせぬ音にやかけてしのばむ

(軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが、その一言をいつまでも悲しくて泣き

ながら心にかけてお偲び申すのでしょうか)」
言うともなく口ずさんだこの歌をお恨みになって、

「 逢ふまでのかたみに契る中の緒の調べはことに変らざらなむ

(今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように、二人の仲も格別変わら

ないでいて欲しいものです)
 この琴の絃の調子が狂わないうちに必ず逢いましょう」とお約束なさるようである。それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。

 

《別れに、初めての琴の合奏です。

 先に、この明石の君はその立ち居が六条御息所に並べられていました(第三章第二段2節)が、今度はその琴の音色が藤壺に並べられています。ここでもまた「近まさり」するのです。源氏は、そして読者も、彼女のことを知れば知るほど、その魅力の素晴らしさを理解していきます。

 源氏は感嘆し感動して、言葉を尽くして将来を約束します。しかし最後の一文「それでも…」とあって、彼女には、どんな言葉もその心を満たすことはできません。

 「なほざりに」の歌の下の句、『評釈』は「泣きながらあなた様の事をお偲び申します」と訳していますが、「音にや」の「や」は重要で、ここの疑問文はゆるがせにできないと思います。「お偲び申すのでしょうか」と問いかけることによって、明石の君は、自他双方に対する憤りにも近い激しい自責・非難を胸に飲み込んで、万感の思いを籠めて精一杯の訴えをしているのだと読みたいところです。だからこそ彼女はこの歌を(女性から詠み掛けるのは非礼ということもあるにしても)直に詠み掛けるのではなく「言うともなく口ずさんだ」のであり、「(源氏は)この歌をお恨みになって」と続くのではないでしょうか。

実は先日、たまたま夕方のNHKラジオで箏曲「みだれ」を聞きました。

門外漢の私には、あの静かな美しい序奏は到底「みだれ」とは思えず、しかし曲名を思うと、独特の余韻を感じさせるあの琴の音のその背後には、言いようのない心の乱れが秘められているようでもありました。あらためてネットで聞いてみると、七分半の演奏時間の半ば、四分あたりからやや急なテンポになって、ここから「みだれ」かと思わされましたが、しかしそれは依然として澄んだ静かな調子をたもったまま、終わっていきました。

聞きながら、私は、古来日本人の「みだれ」とはこのようなものだったのだ、これこそ明石の君の「みだれ」ではないか、と勝手な解釈を考えていました。

あとで調べると、曲名の「みだれ」は心の乱れではなく、調子の非定型を言っているそうですから、やはり思い過ごしだったのではありますが、その間私はずっと、明石の、狂おしいほどの思いを抱きながら、じっと穏やかに振る舞っている姿を思い描いてみていました。

私がその場にいて気づいたという自信はありませんが、聞く耳がなければ分からない「みだれ」があるように、見ることのできる眼、察する心によってしか見えない「みだれ」を明石に見たいと思います。

芥川龍之介の佳品『手巾』を思い出します。そしてこちらは男女の間柄のことだけに、あの作品にない豊かな情調が漂っているように思います。》

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第三段 離別間近の日

【現代語訳】1

 出発が明後日となって、いつものようにひどく夜が更けてからというのではなく、お越しになった。まだはっきりと御覧になっていない容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだったのだな」と、見捨てにくく残念にお思いになる。「しかるべき形で迎えよう」とお考えになった。そのように約束してお慰めになる。
 男君のお顔だち、お姿は、言うまでもない美しさである。長い間の勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのもいいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながら、しみじみと固いお約束なさるのは、「ただこれだけの逢瀬でも幸せと思って、諦めてもいいではないか」とまで思われもするが、ご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。

波の音は秋の風の中でやはり響きが格別である。塩焼く煙がかすかにたなびいて、何もかもが悲しいこの地の様子である。
「 このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じ方になびかむ

(今はお別れしますが、藻塩焼く煙がみな同じ方に流れるようにやがて一緒に過ごせ

るでしょう)」
とお詠みになると、
「 かきつめて海士のたく藻の思ひにも今はかひなきうらみだにせじ

(いろいろに悲しい気持ちでいっぱいですが、今は申しても甲斐のないことですから、

お恨みしないことにしましょう)」
 せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。

 

《この時まで源氏は明石の君の顔を直接は見たことがなかったようで、そういうことは夕顔の時もそうでしたから、この時代はそういう逢い方をしたのでしょうが、やはり驚きです。

 この日はまだ日が暮れないうちにでも来たのでしょうか。源氏はこれまで「はっきりと御覧になっていない」明石の君の顔を、「目を見張るような美しさだったのだな(原文・めざましうもありけるかな)」と見たわけで、「けり」の「そういう事態なんだと気がついた」(『辞典』)という驚きを表す意味の働きがよく生きています。

 始めて逢ってから、もう一年が経つのですが、この日になってもまだ、「近まさり」(第三章第二段3節)するという、この君の素晴らしさです。

 なお、ここの冒頭の「いつものように…」は、原文では「例のやうにいたくもふかさでわたりはまへり」とあって、いつものように早く来たのか、今日はいつになく早く来たのか、両用に取れるところですが、明石の君の顔を初めて見たというのですから、その訪れ方も初めてである方がよさそうです。

一方明石の君は、もちろんすっかり源氏に心を寄せています。彼女の前の源氏は、ただでさえ魅力的なのですが、今は「長い間の勤行にひどく面痩せ」して、その美しさは並一通りではありません(「目病み女に、風邪引き男」と言って、ちょっとやつれた男は、女性には魅力的に見えるようです)。それは、あの彼女にして「ただこれだけの逢瀬でも幸せ」という気になるほどですが、それにつけても、別れの悲しみに添えて、我が身の拙さの悲しみをも噛みしめることになります。

「せつなげに涙ぐんで…」の一文が、全ての思いを胸に飲み込んで耐えて、可能な限り穏やかに理性的に振る舞うという、まさしくこの君のありかたを語っています。》

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第二段 明石の君の懐妊

【現代語訳】

 そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。六月頃から痛々しく辛そうな様子があったのだった。このようにお別れにならなければならない時なので、あいにくということであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、

「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。
 女君は、言うまでもなく思い沈んでいる。まことに無理もないことである。

思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったのだったが、「結局は帰京するであろう」と一方では希望をお持ちになっていた。今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、感慨無量である。
 お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道は涙にくれているうちに、月が替わった。
 季節までもしみじみとした空の様子なので、

「どうして、自分から求めて今も昔も、なんということもないことのために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまに思い悩んでおられるのを、事情を知っている人々は、
「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」と見申し上げて、忌ま忌ましがっているようである。
「ここ数ヶ月は、まったく誰にもそぶりもお見せにならずに、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」
「最近は、あいにくと、かえって女の嘆きを増すことになろうに」と、互いに陰口をたたき合う。良清少納言は、ご紹介申した当初の頃のことなどを人々がささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。

 

《実はその頃、明石の君が「痛々しく辛そうな様子があった」、つまり懐妊していることが分かっていたのでした。

源氏の、君へのいとおしさがいっそう増して、以前、紫の上からの手紙があった時以後は「久しい間忍びのお通いもなさらない」(第三章第三段)という様子だったのが、今では一変して、毎夜のお通いになっていた折りも折りの、赦免、帰京の宣旨だったというわけです。

あれほど願っていた帰京が、反面、やりきれないつらさを伴うことになりました。「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」という思いといい、「どうして、自分から求めて今も昔も、なんということもないことのために憂き身をやつすのだろう」という思いといい、源氏がわが身をふり返って自分からそういうことを思っているというのが、気の毒ではありますが、全く同感で、しかも妙に客観的で滑稽です。

作者はそれを従者の言葉にして笑っています。はては、明石の君との間の取り持ち役になった良清まで、まわりから後ろ指を指される始末です。

この場に明石の君自身のことがほとんど語られませんが、全く彼女が不安を抱いていたとおりの事態が、それもこの際の最悪のタイミングで訪れたわけで、彼女の悲しみは、「言うまでもなく思い沈んでいる」とあっさりと書かれているだけですが、全てを語り始めれば、これまでのことをもう一度改めて繰り返すことから始めて、延々としたものになる、文字どおり筆舌に尽くしがたいものであろうと思われて、書かれるまでもなく容易に想像できます。

私があれほど拒んでいたのに父はそれを無視して段取りを付けてしまった、いや、父のせいにしてはならない、自分がやはりあの時あくまで拒否すべきだったのだ、あれほどに信心したのに住吉の神さえも恨めしい…。彼女は心の中で言葉を尽くして自分を責め、父を責め、宿命を恨んだことでしょう。

しかしそれを口にすることは彼女のプライドと理知が許しません。彼女はその全てを自分の胸の中に包み込んで、耐えるしかないのです。実は全ては初めから分かっていたことなのですから。

「涙にくれている」という入道の思いも複雑です。源氏がゆくゆく都に帰って栄華を極めると思えばこそ、娘を嫁がせたのですが、その復権の機会が訪れることは、娘の悲しみが始まることであるのです。》

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第一段 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る

【現代語訳】
 年が変わった。主上におかせられては御病気のことがあって、世の中ではいろいろと取り沙汰する。今上の御子は、右大臣の娘で、承香殿の女御がお生みになった男御子がいらっしゃるが、二歳におなりなので、たいそう幼い。御位は東宮にお譲り申されることであろう。朝廷の御後見をし、政権を担当すべき人をお考え廻らすと、この源氏の君がこのように沈んでいらっしゃることはまことに惜しく不都合なことなので、ついに皇太后の御諌言にも背いて、御赦免になられる評定が下された。

 去年から、皇太后も御物の怪をお悩みになり、さまざまな前兆がしきりにあり、世間も騒がしいので、厳重な御物忌みなどをなさった効果があってか、悪くなくおいであそばした御眼病までもが、この頃重くおなりあそばして、何かと心細い気持におなりになったので、七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る。
 いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きであるところに、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。

 

《源氏が入道の娘を初めて訪ねてから、およそ一年が経ちました。

前の節で「どうなって行かれるお二方の身の上であろうか」と謎をかけておいて、話を一度都に帰します。

そこではとうとう源氏赦免の決定がなされたと言います。

帝には「御病気のことがあって」、譲位をお考えになったのでした。譲位については、皇子は二歳とあってさすがにまだ幼く、皇太后には、その成長を今しばらく待って、そちらに譲ってほしいとの意向があったのでしょうが、ここは順に、今の東宮(実は源氏と藤壺の間の子)にお譲りになる方向です。病気の悪化とともに、故桐壺帝のお叱りのこともあって、「何かと心細い気持におなりになった」ことによる、思いがけない急展開ですが、「皇太后の御諌言にも背いて」の決定です。

東宮もまだ十歳そこそこ、新帝のご後見の任に当てるためという理由でした。

報を受けた源氏の思いは複雑です。もちろん帰京は嬉しいことに違いありませんが、今は明石の君の存在があります。紫の上を思って「久しい間忍びのお通いもなさらない」(第三章第三段)でいたのですが、それは逢おうと思えばいつでも逢えるからなのであって、「今を限りと離れる」ことになれば、話は別です。

「七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る」とありますから、最初の通知はもっと前に伝えられていたわけで、「再度重ねて」に帝のやむにやまれず、しかも急を要するという思いが表れていますが、それと同時に、それは一度目の宣旨に対して、源氏が、その復命を先延ばしにしていたようにも見えます。もちろんそれは明石の君のことがあるからなのですが、しかし、単にそれだけではなく、実はさらに大きな訳があったのでした。それが次節の話です。

なお、ここの「右大臣」は、もちろん弘徽殿女御の父ではなく(あの人は太政大臣になり、故桐壺院が帝の夢に現れた後に一連の天変の中ですでに亡くなりました・第二章第八段)、別の人で、ずっと後で、その息子は「髭黒の大将」と呼ばれて、物語で大きな役割を持つ人です。》

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