源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 夏の長雨と鬱屈の物語

第四段 朧月夜尚侍参内する

【現代語訳】

 尚侍の君は、世間の物笑いになってひどく沈みこんでおられたのだが、大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、無理やり、大后にも帝にもお許しを奏上なさったところ、定めのある女御や御息所でもいらっしゃらず、ただ公的な御用を勤める宮仕え人だからとお考え直しになり、またあの出来事の憎らしさゆえに厳しい処置もなされたのだが、赦されなさって参内なさることになるにつけても、やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった。
 七月になって参内なさる。格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言を言い、一方では愛情深く将来をお約束あそばす。
 お姿も顔もとてもお優しく美しいのだが、思い出されることばかり多いそのお心のうちは、恐れ多いことである。管弦の御遊の折に、
「あの人がいないのが、とても淋しいね。どんなに私以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がするね」と仰せになって、

「院がお考えになり仰せになったお心に背いてしまったことだ。きっと罰を得るだろう」
と言って、涙ぐみあそばすので、涙をお堪えきれになれない。
「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られて、長生きをしようなどとは、少しも思わない。もしそうなった時には、どのようにお思いになるだろう。最近のお別れよりも軽く思われるのが、悔しいことだ。『生ける世に』というのは、ほんとうに心得のない人が詠み残したのであろう」と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるのにつけて、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、
「それごらん。誰のために流すのだろうか」と仰せになる。
「今までお子がいないのが、物足りないね。東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」などと、治世をお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若くて、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。

 

《尚侍の君は、あの事件以来参内していなかったようです。さすがに世間の噂にも上って具合が悪く、また処分としても参内差し止めになっていたのでした。

 源氏が自ら謹慎したことで、それならばと、許されて参内することになったのですが、許されたとなると、それまで「ひどく沈みこんでおられた」のがすぐさま一転して、「やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった」というのは、何とも身軽な女性ではあります。しかし、確かにこういう気持の動きは誰にでもいくらかはありそうですし、したがってそれが普通の感覚であるような人もまた、現代的と言われて、いつの世にも実在しそうです。

さて、参内です。これまでもこの帝(朱雀帝)の源氏に対する言動には理解しがたいいくつかのことがありましたが、ここはその中でも特にそう感じられます。

自分の恋する人が別の男に心を奪われていることを承知しながら、なおかつ愛してしまうといった関係は、世間ではいくらでもあることですが、その相手に向かって、「あの人がいないのが、とても淋しいね。どんなに私以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がするね」などと語る人がいるでしょうか。

 「誰のために(涙を)流すのだろうか」と口にされるような源氏に対するコンプレックスも同様で、作者としては、帝をいかにも物の分かった人として描き、あわせて源氏の素晴らしさを改めて語ったということなのでしょうが、不謹慎な例えで気が引けますが、どうも帝の様子が負け犬のおもねりといったみじめな姿に思われてなりません。
 また、後段の「東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので」は、故院の遺言(賢木の巻第二章第四段2節)に従って東宮を養子にしたいのだが、弘徽殿方との間にトラブルが生じることを案じて、実現しないことを言っていて、
その原因を作者は、「お若くて、強いことの言えないお年頃」だからと、すべてを母・弘徽殿のせいにしたいような口ぶりですが、帝自身の問題も小さくないでしょう。
 「病める朱雀帝」(三谷邦明著)(『人物論集』所収)が言うように「光源氏に拮抗すべき登場人物」として、それに相応しい強さのある人として描かれていたなら、この物語は今ある以上に幅広くたくましいドラマとなったのではないか、ということは十分に考えられることです。

しかし作者はそういうことは考えていませんでした。やはりこの物語は、基本的に女性を描く物語として構想されたのでしょう。もしこの帝をそのような人物として描き始めたら、もっともっと長大なものになったでしょうし、もっと多くの男性が登場したでしょうし、従ってこれほど多くの女性を描く機会もなかったのではないか、などと夢想してしまいます。》

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第三段 伊勢の御息所へ手紙~その2

【現代語訳】2

折からのお手紙がたいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留おさせになり、あちらのお話などをさせてお聞きになる。若々しくたしなみのある侍所の人なのであった。このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝するご様子やご容貌を、たいそう立派だと涙をこぼしたのだった。

お返事をお書きになる、その言葉は想像にかたくない。
「このように都から離れなければならない身の上と、分かっておりましたら、いっそのこと後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思います。

所在のない、心淋しいままに、
  伊勢人の波の上漕ぐ小舟にもうきめは刈らで乗らましものを

(伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを、須磨で浮海布

など刈って辛い思いをしているよりは)
  海士がつむなげきのなかに塩垂れていつまで須磨の浦にながめむ

(海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて、いつまで須磨の浦にさすらっているこ

とでしょう)
 お目にかかれることはいつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われます」などとあったのだった。

このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。

 花散里からも、悲しいお気持ちのままのさまざまなことを、姉君と思い思いに書き集めておよこしになったので御覧になると、おもしろくも目新しい心地がして、どちらも見ながら心を慰められなさるが、物思いを起こさせる種のようである。
「 荒れまさる軒のしのぶをながめつつしげくも露のかかる袖かな

(荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていると、ひどく涙の露に濡れる袖ですこと)」
とあるのを、「なるほど、八重葎より他に後見もない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などとお聞きになったので、京の家司のもとにご命令なさって、近くの国々の荘園の者たちを集めさせて、修理をするようお命じになる。

 

《伊勢からの「お使いの者」こそ幸運でした。都であれば到底拝むこともできないような源氏に、「間近に」お目に掛かることができて、その素晴らしさに感涙する機会に恵まれたのです。

源氏の返事は、例によって殺し文句です。どうせ都を離れるなら、いっそ一緒に伊勢に下るのだったというのは、全くあり得ない思いではないでしょうが、またくもって巧みな言葉と言うべきでしょう。

女性に向かっては、あくまで心を残していると言い続けることが、礼儀でもあり、「色好み」であったようです。女性の方も、たとえそれによっていつまでも踏ん切りの付かない苦しい状態にいることになるにしても、自尊心(それは貴族の女性の最後の拠り所でもあるでしょう)を保つことにもなり、また思われているという幸福のよすがでもあるのでしょう。

ここまで紫の上、藤壺、朧月夜と特筆すべき三人との交信をまず語り、「そうそう」とこの御息所を語って「このように、どの方とも…」と一応ひとまとめして、そして主要のこの四人に次いで、最後に花散里です。彼女も御息所と同様に、すでに過去の人です。

彼女からは姉の麗景殿の女御からの便りも同封されていて、そこには二人のわびしい暮らしの中での悲しみが詠まれた歌があったのですが、源氏は、返しの歌を考えるより先に、わび住まいのくずれた築地の修理を命じたのでした。過去の人であっても、心配りをすることは昔に変わることはないのです。》

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第三段 伊勢の御息所へ手紙~その1

【現代語訳】1

 そうそう、いろいろな事があって取り紛れて言い落としてしまっていた。あの伊勢の宮へもお使者があったのだった。そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。並々ならぬお気持ちをお書きになっている。言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。
「とても現実のこととは存じられませぬお住まいの様を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。いくら何でも長い年月を隔ててお過ごしになることはないだろうと推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。
  うきめかる伊勢をの海士を思ひやれ藻塩垂るてふ須磨の浦にて

(辛く淋しい思いを致している伊勢の人を思いやってくださいまし、やはり涙に暮れ

ていらっしゃるという須磨の浦から)
 何事につけても思い乱れます世の中の有様も、結局これから先どのようになって行くのでしょうか」と多く書いてある。
「 伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり

(伊勢の海の干潟で貝取りしても、何の甲斐もないとは、わたしのことです)」
 しみじみと悲しくお思いのままに、幾度も筆を置いては書き、置いては書きなさった、白い唐の紙四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合なども素晴らしい。
 もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ、とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。

 

《「そうそう(原文・まことや)」とちょっと補足といった案配で六条御息所の消息が語られます。この人は源氏の周囲の人女性の中で最も悲運の人と言ってもいい人で、こうした扱いは読者から見れば、いささか不当だという気がします。

『評釈』はその理由を「御息所は趣味の洗練された人」であり、「それが今度は特に、気を入れて書いてあるのだから、同時に見れば、紫の上は圧倒される」、「それで、一応、(紫の上を第一という)審判を下してから、ここに上げる」としています。

しかし話は逆なのではないでしょうか。つまり源氏にとって御息所は、もうそれほど過去の人になったのだということです。

もちろん素晴らしい人ですから、源氏は今回の手紙にも心引かれ、思い返せばさまざまな感慨も湧きます。

しかし、尚侍の君に「いとしい(あはれ)とお思い申される」と言い、紫の上に「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」と思ったりするのと比べると、ここで「お気の毒に(いとほしう=弱い者、劣った者を見て辛く目を背けたい気持になるのが原義・『辞典』)申し訳ない」と思う気持ちは、明らかに異なっています。

そう理解した上でここでの御息所の有様(例えば、「罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう」と言い、あるいは「しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き置いては書きなさった、白い唐の紙四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合」)を思ってみると、源氏の思いとは逆に、読む者には彼女の魅力がひとしお強く迫ってくるように思われます。》


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第二段 京の人々へ手紙~その4

【現代語訳】4

 姫君のお手紙は、格別に心をこめたお返事なので、しみじみと胸を打つことが多くて、
「 浦人のしほくむ袖にくらべ見よ波路へだつる夜の衣を

(あなたのお袖とお比べになってみてください、遠く波路隔てた都で独り袖を濡らし

ている夜の衣を)」
 お召物の色合い、仕立て具合などは、実に良く出来上がっていた。何事につけてもいかにも上手にお出来になって、思い通りであるにつけても、「今ではよけいな浮気に心せわしくかかずらうこともなく、落ち着いて暮らせるはずのものを」とお思いになると、ひどく残念で、昼夜なく面影が目の前に浮かんで、こらえ難く思い出されるので、「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」とお思いになる。

また思い返して、「どうして出来ようか、このようにつらい世であるから、せめて罪障だけでも消滅させよう」とお考えになると、そのままご精進の生活に入って、明け暮れお勤めをなさる。
 大殿の若君のお返事などあるにつけ、とても悲しい気がするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。信頼できる人々がついていらっしゃるから、不安なことはない」と、お思いになるのは、子供を思う煩悩の方は、かえってお惑いにならないのであろうか。

 

《「姫君」(原文にもそうあります)は紫の上のことで、前々節で「旅先での御夜着などを作ってお届けになる」とあったことを受けての話になります。

都への便りの話の初めのところでは「女君」と呼ばれていました。藤壺や尚侍の君の話をした後では、この人は「姫君」と意識されるような、清純な人なのです。

清純でありながら心配りが利いていて、手紙の内容も、添えられた衣類の好みも申し分のないものなのです。源氏にとってまったく「思い通りである」のです。

そういう頼もしくもいじらしい紫の上を、いっそこちらへ呼び寄せてしまおうか、とも思うのですが、また一方贖罪の離京であってみれば、そうもいかないと思い返します。「また思い返して」の文が逆接ではなくて、単に並列的に書かれていることによって、前のその思いを果然として断って「精進の生活」に入ったのではなく、「精進の生活」の合間にも呼び寄せたい思いがいつまでも揺曳していたように感じられて、いかにも源氏らしく思われます。

『評釈』が、「大殿の若君」への源氏の思いが薄いとして、「源氏は数え年二十六歳、子に対する責任をまだ本当には知らず、持とうと思わない。女性関係の方が大事なのだ」と言っているのは、評者の生真面目な人柄が感じられてほほえましいのですが、これもまたいかにも源氏であると思って読んでおく方がいいでしょう。》

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第二段 京の人々へ手紙 ~その3

【現代語訳】3

 入道の宮におかれても、春宮の将来のことでお嘆きになるご様子はいうまでもない。御宿縁をお考えになると、どうして並大抵のお気持ちでいられようか。これまではただ世間の評判が憚られたので、少しでも同情の素振りを見せたら、それにつけても誰か咎めだてすることがあったら困るとばかり一途に堪え忍び忍んで、源氏のご愛情をも多く知らないふりをして、そっけない態度をなさっていたが、これほどまでにつらい世の人の口ではあるが、あの方のお心寄せも少しも噂されることなく終わったのは、一途であった恋慕の情の赴くままにまかせるのではなく、一方で目立たぬように隠したのだと、しみじみと恋しく、どうしてお思い出しになれずにいられようか。

お返事も、いつもより情愛こまやかに、
「このごろは、ますます、
  塩垂るることをやくにて松島に歳ふる海士もなげきをぞつむ

(涙に濡れるのを仕事として、出家したわたしも嘆きを積み重ねています)」

 尚侍の君のお返事には、
「 浦にたく海士だにつつむ恋なればくゆるけぶりよ行くかたぞなき

(須磨の浦の海人でさえ人には隠す恋の火ですから、人目多い都にいる私の思いはく

すぶり続けて晴れようがありません)
 今さら言うまでもないことの数々は、とても書くことなど」
とだけ、わずかに書いて、中納言の君の手紙の中にある。お嘆きのご様子などがたくさん書かれてあった。

いとしくお思い申されるところどころがあって、ついお泣きになってしまうのだった。

 

《紫の上に次いで藤壺と朧月夜の尚侍の君の思いが語られます。

藤壺の思いは複雑です。何よりもまず「春宮の将来のことでお嘆きになる」のでしたが、ということは、彼女にとって源氏は、すでに恋する人ではなく、母としての、息子の将来を守ってくれなければならない人である源氏への思いです。

そうして「御宿縁をお考えになる」と続きます。これを『集成』は「(子までなした)因縁の深さをお考えになると」と言っていますが、それだけでは少しもの足りません。

この「宿縁」は、「これまでは」から始まって「無難に隠したのだ」までによって説明されていると考えたいところです。

つまり、自分が長い年月恋しい思いを堪え忍ばねばならなかったこと、その期間をかろうじて人の口に上せることなく無事に越えてくることができたこと、そうした長く険しい閲歴を経て、いまかろうじて東宮の地位があり、それを世を憚らねばならなくなった自分たち二人が守らねばならないことになっているという、長く数奇な道のりへの感慨と読みたいと思います。

途中、「あの方のお心寄せも」以下(原文「このかたには言ひ出づることなくて止みぬるばかりの人の御おもむけも、あながちなりし心の引くかたにまかせず、かつはめやすくもて隠しつるぞかし」)の意味が取りにくく思われます。

諸注は「もて隠しつる」の主体を源氏としていますが、「まかせず」とともに敬語がないところからここでは藤壺として、「そっけない態度をなさっていた」ことの自分での説明と考えてこのように訳しました。

そのように必死に自分の気持ちを抑えてきた分だけ、別れた今になっていっそう恋しさが募る、というのも理解できる心情と言えるのではないでしょうか。

返事が原文では「すこしこまやかにて」だったとありますが、この「すこし」は、訳のように「いつもよりよけいに」の意味でしょう。自然、歌も率直なものになります。

尚侍の君の返事は、侍女の手紙の中に入っています。その侍女の返事の文面に、君の「お嘆きのご様子などがたくさん書かれてあった」のでした。当然ながら見事な侍女の心配りです。》

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