源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻十二 須磨

第二段 上巳の祓と嵐~その2

【現代語訳】2

肱笠雨とかいうものが降ってきてじっとしていられないので、皆がお帰りになろうとするが、笠を取る暇もない。思いもしないことで、いろいろと吹き散らしてこの上ない大風である。波がひどく荒々しく打ち寄せてきて、人々の足も地につかないようである。海の面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで家にたどり着いて、
「このような目には遭ったこともないな」
「風などは吹くが、前触れがあって吹くものだ。あきれたことで珍しい」とおろおろしているが、雷は依然として止まず鳴り響いて、雨脚は当たる地面を突き通してしまいそうに音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は落ち着いて経を誦していらっしゃる。
 日が暮れると、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
「たくさん立てた願の力なのだろう」
「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
「高潮というものに、あっという間に人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」と言い合っていた。
 明け方、みな寝ていた。君もちょっと寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
「どうして、宮からお召しがあるのに参上なさらぬのか」と言って、手探りで捜しているように見るうちに、目が覚めて、

「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。

 

《のどかだった天気が一変して、突然、嵐になりました。

「肱笠雨」というのが面白い言い方です。肱笠雨は「笠が間に合わず、肱をかざし、袖を笠にするほど急に降ってくる雨」(『集成』)のことだそうで、思わず葛飾北斎の絵「駿州江尻」を思い出す、なんとも庶民的な光景を思い描かせる命名です。そこで貴族は知らない生活感なので「とかいうもの」と続きます。

 雨が「雨脚は当たる地面を突き通してしまいそうに」降ってくるという表現も、迫力が感じられて印象的です。私は夕立などの折々にこの言葉を思い出します。

 明け方源氏は「誰ともわからない者」が来た夢を見るのですが、そこでまた彼は私たちの全く想定外のことを思って驚かせてくれます。

「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな(原文・いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり)」と思ったというのです。自分がうつくしいので海龍王に魅入られたのだと思ったのでした。

『光る』も、「須磨」で一番面白いのはここだと言い、「丸谷・このヌケヌケとした味ね(笑い)。ぼくはここに平安朝的なものがすべて集約されている気がする。」「大野・例の朧月夜との密会が右大臣に見つかった時の源氏の態度と一脈つながっている。」「丸谷・しゃあしゃあとしてね。ここでは、自分が美なるものであると思い込んでいる。」と言っています。

『光る』同様、なんとまあナルシストであることよと呆れるのですが、それがまた、後では海龍王の仕業ではなかったことが分かるので、そこで思い出すと、またおかしいところです。

さて、この嵐は、この後、次の明石の巻に移ってなお十日あまり続くという大変なものだったのでした。》

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第二段 上巳の祓と嵐~その1

【現代語訳】1

 三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に幔幕を引き廻らしただけのところに、この地に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身のように思われて、
「 知らざりし大海の原に流れ来てひとかたにやはものは悲しき

(見も知らなかった大海原に流れきて、人形に一方ならず悲しく思われることよ)」
と詠んで座っていらっしゃるご様子は、このような広く明るい所に出ると、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
 海の面もうららかに凪ぎわたって、果ても分からないので、来し方行く末が次々と胸に浮かんできて、
「 八百よろづ神もあはれと思ふらむ犯せる罪のそれとなければ

(八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう、これといって犯した罪はない

のだから)」
とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となる。

 

《三月上旬の巳の日、「中国古代では、水辺に死霊を招じて祀り、不祥を払った」(『集成』)そうで、それを知っていた人が、源氏に「御禊」を勧めます。

「知ったかぶりの(原文・なまさかしき)」ということさらに批判的な訳がちょっと解せないのですが、諸注、そういうふうに訳しています(ちなみに『谷崎』は「こざかしい」)。あるいはそういう批判的な気分ではなくて、「ちょっとした物知りが」という程度の軽い意味に考えた方がいいかも知れません。源氏はその言葉によって出かけることにしたのですから。

「仰々しい人形を乗せて流す」のが「わが身のように思われて」というのは、実際にそれを見詰めている涙を流している貴公子の姿を思い描いてみると、なにかなまなましい切実感があります。

さて、源氏が「犯せる罪のそれとなければ」と歌を詠むやいなや、激しい嵐となったのですが、どうも私には源氏が自分から無実だと主張するのは、おこがましいのではないかと思われますので、この嵐は神の源氏への怒りの嵐であるという思いを拭えません。ちなみに『構想と鑑賞』は、この暴風雨は「実は源氏に罪の償いをさせるための災厄であった」と言っています。

ただしこの後で、この嵐は都にも届いたとありますから、それだけのものであったわけではありません。》

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第一段 須磨で新年を迎える ~その3

【現代語訳】3

そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。お杯を差し上げて、「酔ひの悲しび涙そそぐ春の盃の裏」と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
 明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、
「 故里をいづれの春か行きて見むうらやましきは帰るかりがね

(ふる里をいつの春にか見ることができるだろう、羨ましいのは今帰って行く雁だ)」
 宰相は、まったく立ち去る気持になれず、
「 あかなくにかりの常世を立ち別れ花の都に道やまどはむ

(飽きたりないまま雁は常世を立ち去りますが、花の都への道にも惑いそうです)」
 しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったらきっと嘶くでしょうから」
と申し上げなさる。世にめったにないほどの名馬の様である。
「わたしの形見として思い出してください」と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことはお互いにおできにならない。
 日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、幾度も振り返りながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子は、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
「いつ再びお目にかからせていただけましょう。いくら何でもこのままでは」と申し上げると、主人の君は、
「 雲近く飛びかふ鶴もそらに見よわれは春日のくもりなき身ぞ

(雲の近くを飛びかっている鶴よ、はっきりと照覧あれ、私は春の日のようにいささ

かも疚しいところのない身です)
 一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
などとおっしゃると、宰相は、
「 たつかなき雲居にひとりねをぞなくつばさ並べし友を恋ひつつ

(頼りない雲居にわたしは独りで泣いています、かつて翼を並べた君を恋いながら)
 もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」などと、しんみりとお話しになることもなくてお帰りになって、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。

 

《ここの初めの「まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである(原文は、「いとなかなかなり」とたいへん簡潔な言葉)」という一言が、読む者の胸を突きます(ただ、中ほどにまったく同じ言葉がもう一度繰り返されているのは、作者の不注意と言われても仕方がなく、私にはいささか興をそぐように思われるのですが、後の方は異なったニュアンスを感じとるべきなのかも知れません)。なまじっか会って楽しい時を過ごしただけに余計に強く感じられる寂しさ、悲しさというだけではなく、右大臣方の目を気にして、こそこそとした振る舞いをしなくてはならないという、自分たちの置かれた立場の弱さを思い知らされる、無念の思いでもあるでしょう。

それでもなお何れ劣らぬ若く雅な二人の貴公子の切ない別れを、作者は、故事・古詩・古歌の粋を尽くし、筆を尽くして描いていきます。

この部分に限りませんが、特に故事・古詩については、女性として漢学に並外れた深い教養を持っていたと言われる紫式部としては、自負するところで、書きながら自分でも気持ちの乗るところがあったに違いありません。

「酔ひの悲しび…」と二人で声を合わせての朗唱に、堪えきれず男泣きする二人と、周囲の従者達の思いが忍ばれ、また馬を贈り笛を贈るといった趣向には、いかにも男性同士の別れらしい趣が感じられて、絵になる光景です。

その中で、別れに当たっての源氏の最後の言葉は「都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」と、極めて悲観的ですが、彼にしては珍しく殊勝な言葉でもあり、あるいは都でそう言っていたと伝えてほしいという思いが隠されているのかも知れません。

静寂の中に小さな音が響いた後は、その後に拡がる静寂がいっそう深く感じられるように、友が去っていった後の寂寥感は、会う前以上に深く感じられます。》

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第一段 須磨で新年を迎える~その2

【現代語訳】2

 何もすることもないころ、大殿の三位中将は今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くていらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
 一目見るなり珍しく嬉しくて、悲しさも交じって涙がこぼれるのであった。お住まいはいいようもなく唐風である。その場所の有様は、絵に描いたようである上に、竹を編んだ垣根を廻らして、石の階段、松の柱など、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
 山里の人のように、許し色の黄色の下着の上に青鈍色の狩衣、指貫は質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に見るから微笑ましく美しい。
 身近にお使いになっている調度も、しいて一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、さっきまで勤行なさっていたように見えた。

お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。

 海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などをお尋ねになると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思うのだった。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
 「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」などとお話になると、たまらなくお思いになった。

お話し尽すことができないので、かえってその様の一部も伝えられない。
 一晩中まどろむこともなしに、詩文を作って夜をお明かしになる。


《突然に頭中将の訪れが語られます。彼も、左大臣の息子故に、源氏が都にいた間は冷遇されていたのでしたが、問題の源氏が離京してからは、右大臣の四の君を妻にしているからなのでしょうが、「人柄もとてもよい」こともあって、「「宰相に昇任して、…世間の信頼も厚くていらっしゃった」のでした。

 この人は、愛嬌といくらかの男気とフットワークとをバランスよく備えた実務型の人のようです。帚木の巻や絵合の巻では源氏に対して子供じみたライバル心を見せたこともありましたが、それも愛嬌の内で、女性関係でも源氏のように危ない橋を渡るようなことはなく、穏便な範囲で、しかしぬかりなく振る舞っているようですし、また時には、賢木の巻(第六章第二段)にもあったように、こうして右大臣方の目を無視して源氏を慰めにやって来ます。

あるいは、それが知れても大目に見させるようなところがある人とも言えます。

しかし、そうは言っても恐らく居心地の悪いことは避けられず、「世の中がしみじみつまらなく」思われることも多かったのでしょう、「『罪に当たるようなことがあろうともかまうものか』とお考えになって、急にお訪ねにな」ったのでした。

こうして彼の登場は、間接的に、都の右大臣方の勢いが安定して来ている情勢をそれとなく伝え、逆に追いやられた源氏の立場を改めて明らかにしています。

中将の目に写る源氏の暮らしは質素な中に興趣豊かなものでした。

捧げものを持ってきた土地の海人が「いろいろと容易でない身の辛さを…とりとめもなくしゃべり続ける(原文・さまざま安げなき身の憂へを…そこはかとなくさへづる)」話を聞くのも珍しい経験で、「『心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか』と、しみじみと御覧になる」のでした。

源氏は、夕顔の巻で女の家に泊まった朝、隣の家から聞こえる庶民の切ない暮らしを嘆く話し声を煩わしく思いながら聞いたことがありました(第四章第二段2節)が、あの時と違ってここでは、それぞれに悲哀を味わって来ているだけに、たいへんに同情的です。

源氏にこういう下々の者の思いに共感するという感性を与えているという点は、注目の必要があるでしょう。作者自身、二十歳前後の頃に父に従って越前に下ったことがあるようで、そのころの見聞がもとになったエピソードかも知れません。

ただ、源氏にとってこうしたことが経験となって、後に彼の人格を形成していくといった、近代文学なら当然考えられる流れには残念ながらなっていません。源氏の人格は既に完成されているのです。

二人はその夜、歌を楽しみ、源氏の若君の消息を語り、詩を交わして、せめてもの一夜を過ごしたのでした。》

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第一段 須磨で新年を迎える~その1

【現代語訳】1

 須磨では、年も改まって日が長くなりすることもなく、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して空模様もうららかで、さまざまなことが思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
 二月二十日過ぎ、去年京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子などがたいそう恋しく、「南殿の桜は盛りになっていることだろう」、先年の花の宴の折に、院の御様子や主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさったのも、お思い出し申される。
「 いつとなく大宮人の恋しきに桜かざしし今日も来にけり

(いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに、桜をかざして遊んだその日がまたやっ

て来た)」

 

《すぐ隣村のような明石で入道がそういうことを考えているとは知らないままに、源氏は須磨で、所在ない新年を迎えます。

秋の柴を焚く煙、冬の月夜の雪がそうだったように、相変わらず見るもの全てが涙の種で、春もまた彼にものを思わせます。大伴家持に

  うらうらに照れる春日に雲雀上がり心かなしもひとりし思へば

の名吟がありますが、この時の源氏の思いはもう少し具体的な傷みを伴っていたことでしょう。

二月二十日と言えば、七年前には「花の宴」の催された日で、あの時が源氏のこれまでの人生で絶頂の時だった、と思い返されます。

宮中では今年も多くの人々が着飾って花を楽しんでいることだろうが、自分はただ恋しい人々を遠く思い出す以外になにもできないまま、僻遠の地にやるせない日を過ごしているだけだというつらい思いがつのります。

「南殿の桜は~お思い出し申される」の部分は、変な訳文になっていますが、原文が、このように直接話法の心中語から、客観表現に直に繋げて書かれていて、この物語中に時々見られる書き方です。

普通に考えれば、乱れた文章ということになるのですが、原文で読むと、流れるような文章と思えないことはありません。訳す時には困りますが、多分、あまり文法論的に合理的に考えない方がいいところだろうという気がします。》

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