源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 光る源氏の物語(三)

第三段 韻塞ぎに無聊を送る

【現代語訳】
 夏の雨が静かに降って所在ないころ、中将が適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。殿でも文殿をお開けになって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古い詩集で由緒あるものを少しお選びになり、その道に堪能な人々を、表立ってではないがたくさんお呼びになる。殿上人も大学の人も、たいそう多く集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになる。賭物なども又となく素晴らしい物で競争し合った。
 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所を時々口にされる様子は、実に深い学殖である。
「どうして、こうも何事もおできになるのだろう。やはり前世の因縁で、何事にも人に優っていらっしゃるのだなあ」と、お褒め申し上げる。最後には右方が負けた。

 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつものように人々を多く招いて、漢詩文などをお作らせになる。階のもとの薔薇がわずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。
 中将のご子息で今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。四の君腹の二郎君なのであった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っている。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。

大将の君がお召物を脱いでお与えになる。いつもよりはお乱れになったお顔の色つやは、他に似るものがなく見える。羅の直衣に単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌がいよいよ美しく見えるので、年老いた博士たちなどは遠くから拝見して、涙を落としながら座っている。「あはましものを、さゆりばの」と謡い終わるところで、中将が源氏にお杯を差し上げなさる。
「 それもがと今朝ひらけたる初花におとらぬ君がにほひをぞ見る

(見たいと思っていた今朝咲いた花に劣らぬあなたを見ることとです)」
 苦笑して、お受けになる。
「 時ならで今朝咲く花は夏の雨にしをれにけらしにほふほどなく

(時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に萎れてしまったらしい、美しさを見せる間も

なく)
 すっかり衰えてしまったものを」と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになりながら、無理に杯をお進めになる。
 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌を数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、煩わしいのでここで措いておく。すべてこの君を讃えたものばかり、和歌も漢詩も詠み続けた。ご自身でもたいそう自負されて、「文王の子、武王の弟」と、口ずさみなさった自認のお言葉までが、ほんとうに立派である。「成王の何」とおっしゃろうというのであろうか、それだけはさすがに自信がないことだろう。
 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。



《韻塞ぎというのは「古詩などの韻を踏んであるところを隠し、詩の内容から、隠してある韻字を当てる遊び」(『集成』)で、『評釈』は、「当時の人々はずいぶん熱中したものらしい」と言っています。また「左方と右方」は、場の最上位の人が左方に入る団体戦ということで、ここでは源氏が左方に、そして右方の筆頭には中将が入ったことになります。

知識と文学的センスが問われる遊びであるわけですが、こういうことをやっても、大学寮の学者など専門家のいる中で相変わらず源氏がその才能を発揮して、人々を驚かし、結局はその左方が勝つことになります。

大人の遊びはしばしば、遊び自体よりも、その後の宴の方が本来の狙いであることは、昔も今も変わらないようで、韻塞ぎで負けた中将が二日後に饗応をして、華やかで賑やかな宴となります。その日は中将が次男を同行させました。なかなか美貌で才気煥発、中将の秘蔵っ子のようです。それにしても、右大臣の姫のお子ということで、あえて連れてきたのには何か特別な意味があるのでしょうか。源氏はそういうことは意に介さず、その子の見事な謡いに褒美を与えました。度量の広さを示したというところでしょうか。

 無聊を慰める賑やかな集いに、源氏はつい「文王の子、武王の弟」とつぶやきます。これは『史記』にある周公の言葉で、次に「我天下に於いて亦賤しからず」と続くのだそうで、源氏から見れば、桐壺帝が文王、兄の朱雀帝が武王ということになります。彼の消えやらぬ昂然たる自負の気持ちが覗いたわけですが、それを受けて「『成王の何』と、おっしゃろうというのであろうか」とあります。これは草子地で、成王は武王の子、例えを続ければ、東宮に当たります。そこで作者は、それならあなたは東宮の何だと名乗るつもりですか、名乗られないでしょう、と源氏に問いかけていることになります。

 そのように書くことによって、この場でもてはやされている源氏の蔭の部分を読者に意識させます。決してわが世の春と浮かれていい場合ではないのですよ、というふうに。本当にこの作者は、物事を一面的には描かない人です。同時に、作者の学殖とエスプリを披露したわけです。

 途中、「階のもとの薔薇がわずかばかり咲いて」とあって、私はこの時代にバラがあったのかと驚きましたが、調べてみると、薔薇は中近東から東アジアが原産地のようですから少しも不思議ではないわけです。ここは『白氏文集』の中に「階のもとの薔薇は夏に入って開く」とあるのによっているのだそうです。》

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第二段 源氏一派の人々の不遇~その2

【現代語訳】2
 ご子息たちは、どの方も皆人柄がよく朝廷に用いられて得意そうでいらっしゃったのだが、すっかり元気をなくして、三位中将なども前途を悲観している様子は格別である。あの四の君との仲も相変わらず間遠にお通いになりながら心外に思われるお扱いをなさっているので、右大臣側は気を許した婿君の中にはお入れにならない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。
 大将殿がこのようにひっそりとしていらっしゃることに、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして自分は当然のことだというお気持ちで、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。

昔も、気違いじみてまで張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、こういう情勢の中でも張り合っていらっしゃる。
 春秋の行事の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をなさったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。

 

《不遇な若者たちの様子が語られます。

「三位中将(左大臣の長男、いわゆる頭中将)なども、格別に前途を悲観している様子は格別である」とあるのに、すぐ後で「今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない」とあって、ちょっとどういうことなのだろうと思われますが、後の方の「気にしていない」のは、司召しに漏れたことではなく、右大臣家での扱いに対しては、ということなのでしょうか。武士は食わねど高楊枝、少々の不遇で相手方に頭は下げられないというわけです。

「あの四の君」というのは、右大臣の姫君で彼の正室ですが、そこに「相変わらず間遠にお通いになりながら、(右大臣側にとって)心外に思われるお扱いをなさっている」と言います。普通なら行かなくなるか、逆にすり寄るかだと思われるところを、「相変わらず」だということが、権勢の差など問題にしていないという若者らしい侠気と思われて、彼のプライドの高さが感じられます。 

帚木の巻で左馬頭の女性談義に耳を傾けていた、いささか軽い感じの色好みの才人という印象とは違って、それなりに気骨のあるらしい姿です。

それでいて、源氏の不遇を見ながら「自分ならまして当然のことだ」と割り切って、源氏の所に入り浸って遊びを「張り合っていらっしゃる」あたり、この人も大変おもしろい人です。この人はまだ青春を生きているような案配です。侠気も青春の気取りの現れと見る方がいいかも知れません。

権勢をよそに有力な二人が、いや中将も一人で来ているわけでもないでしょうから、他のそういう若者たち(と言っても、もう二十代後半になる人たち)も含めて集まって、「宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃる」様子は、右大臣方から見れば不満分子が結束しているように見えて、おもしろくなく、自分たちへの挑戦ではないか、などと「厄介なことをだんだん言い出す」ことになっても不思議ではありません。》

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第二段 源氏一派の人々の不遇~その1

【現代語訳】1
 司召のころ、この宮側の人々は当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、中宮の御給でも必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。このように出家しても、直ちに位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。すべて既にお捨てになった世の中であるが、仕えている人々も頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、

「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行を余念なくお勤めあそばす。
 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「私に免じてその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。
 大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。この殿の人々もまた同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなくお思いになって退き籠もっていらっしゃる。
 左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢につらくお思いになって、辞職を申し出られるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石にと申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて退き籠もっておしまいになった。
 今では、ますます一族だけがいやが上にもお栄えになることこの上ない。世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も良識のある人は皆嘆くのであった。

 

《年が明けると官吏任命の公事がありますが、中宮方の人には何の官も与えられませんでした。もちろん右大臣方の圧迫です。

右大臣は今や帝の外戚として、権勢を思うままに振るうことができるのです。

彼らからすれば、先帝の時代、一の皇子を擁していたにもかかわらず、桐壺の更衣、その子の源氏、そして藤壺中宮に、長い間寵愛を奪われていたうらみを晴らすことができる時節が、やっと到来したわけです。

藤壺は不遇に喘ぐことになった家司たちを気の毒に思いながら、ひたすら「東宮の御即位が無事にお遂げあそばされる」時までは堪えようと、勤行に耽ります。

動く力もないままに下手に動いて、「人知れず危うく不吉にお思い申し上げあそばすこと」、つまり東宮が実は帝の皇子ではないことが露見するようなことになったら、それこそ一大事なのです。

 源氏はまた、弘徽殿大后から、息子の仇とばかりに思われ続けてきたのですから、状況は同じです。

さらにその事情は左大臣家も同様で、朝政の全てが右大臣に傾く中、「辞職を申し出られる(原文・致仕の表たてまつりたまふ)」しかなくなります。わずかな気持の救いは帝の信頼の篤いことで、「帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も良識のある人は皆嘆」いてくれることですが、しかし、帝自身はそう思っても、両親に強く異を唱えられるような方ではなく、また「良識のある人」は、いつの時代でもえてして力を持っていない場合が多いもので、結局大殿は「つらくお思いになって(原文・もの憂くおぼして)」、帝の慰留を辞退して、その職を辞するしかなくなってしまいます。

『評釈』が、「『桐壺』の巻で、東宮(すなわち今の主上)からのお求めに応ぜず、その姫(葵の上)を源氏に与えてから、左大臣は権勢を独占した。…そのころ、右大臣方は…うらみを呑んだことであろう。雌伏実に十三年、今、左大臣方を見返したのである」と言います。》

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第一段 諒闇明けの新年を迎える~その2

【現代語訳】2

 その客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって直ぐにはお言葉も出ない。様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端や御几帳も青鈍色になって、隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口などはかえって優美で、いっそう心引かれる気持で御覧になる。一面に解けかかっている池の薄氷や、岸の柳の芽ぶきが時節を忘れていない有様などにあれこれと感慨を催されて、「『むべも心ある』(なるほどゆかしい尼がすんでおられる)」と、ひっそりと朗唱なさっているのが、またとなく優美である。

「 ながめかるあまのすみかと見るからにまづしほたるる松が浦島

(物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと、何より先に涙に暮れてしま

います)」
と申し上げなさると、奥深い所でもなく、場所をすべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
「 ありし世のなごりだになき浦島に立ち寄る波のめずらしきかな

(昔の俤さえないこのような所に、立ち寄ってくださるとは珍しいですね)」
とおっしゃるのが微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」
「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どんなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」

「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」
などと、年老いた女房たちが、涙を流しながらお褒め申し上げる。宮もお思い出しになる事が多かった。

 

《「世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった」とありますが、源氏という人は、恋の道での大胆直情に見える一方で、元来はこういう人であるのです。帚木の巻の初めに、「大変にひどく世間を気にし、まじめになさっていた」とあったことが思い出されます。

藤壺に話したいことはもちろん、話すべきことも限りなくあったでしょう。しかし彼は、藤壺を失う悲しみも、東宮を守ることの心許なさも、自分の立場の危うさへの不安も、すべてを自分の中に抱え込んで、黙って現世に帰って行きます。彼はこういう点では人が違うように大変にストイックなのです。

周りの女房たちは、この人のそういう点を「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」と称えますが、そのようにして作者は源氏の「成長」を語っているのです。

持って生まれたのは美貌と才能だけではない、まだ短いながら生きてきた年輪をそれなりに刻み込んだ青年像が描かれています。ただ、不思議なことに、ここまで物語られてきた彼のどの経験も、それを具体的に育むものとはなっていないように思われるのです。

彼の成長(それを成長というなら、ですが)はあくまでも植物的で、彼の中にあるものが時間とともに、年齢とともに、言わば自然現象的に大きく育っていくわけです。その彼が、外から運命的に降りかかってくる事件のそれぞれに対処していく、それがこの物語の姿でように思われます。

ところで、初めの源氏の歌、「ながめかる」の「かる」が解らないのですが、手元に解いたものがありません。「枯る」(もの思いに沈みきっている?)、または「離る」(人から遠ざかってもの思いに沈んでいる?)なのでしょうか。『評釈』、『集成』ともに、触れてくれていません。》

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第一段 諒闇明けの新年を迎える~その1

【現代語訳】1
 年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などがあるとお聞きになっても、藤壺は何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、勤行をひっそりとなさりながら、ひたすら来世のことをお心にしておられるので、行く末が心強く、厄介に思われたことも遠い昔の事に思われる。いつもの御念誦堂は、そのままにして、西の対の南に当たって、少し離れた所に特別に建立された御堂にお渡りになって、格別に心をこめた勤行をなさる。
 大将が参賀においでになる。新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけがちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして女房などが見物した。

以前は所狭しと参賀に参集なさった上達部などが宮邸の道を避けながら通り過ぎて、向かいの右大臣の殿に参集なさるのを、こういうものではあるが、しみじみと感じておられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさった源氏の姿を見ると、無性に涙がこぼれる。



《「諒闇」というのは天皇が父母の喪に服する期間で、満一年を言います。年が明けて、桐壺院の崩御は、もう一昨年のことになりました。

人々はその時の悲しみを忘れて、賑やかに華やかに、晴れて久々の新年を祝い楽しみますが、忘れていかれる側の藤壺は、その賑わいをよそに仏道三昧で、その周辺はますます寂しくなり、人の訪れも絶えるばかりで、取り残された気配がひときわ強く感じられます。

白馬の節会については、「正月七日の年中行事で、年始に青馬を見れば邪気を去るという中国の伝説に由来し、…帝の御覧に供したあと、院、三后、東宮にも牽く。帝の服喪中でも白馬(青馬)を見る儀式だけは行われたから、入道した中宮の場合もさしつかえなかったのであろう」と『集成』が注しています。

しかし、こうした一時の華やぎがあることで、その後はかえって侘びしさがいっそうつのります。かつて藤壺の所への参上を勤めとしていたようなもの達も、掌を返して、いまは右大臣邸に出入りをしています。具合の悪いことに右大臣邸は二条、「二条の大路を挟んで三条の宮(兵部卿邸)に対して」(『集成』)いて、向かい合わせだったので、その権勢の差は余りにも露骨です。藤壺の側近達は、身の落魄を感じざるを得ず、「親しい者だけがちょっとうなだれて…思い沈んだふうに見える」のでした。

そうした折に源氏が「一人当千といってもよいご様子」で藤壺の居所を訪れます。

彼自身は決して威風堂々というわけでもないのですが、それでもその優美さは辺りを払う様子で、藤壺にとって、さまざまの思いはあるにしてもやはり頼もしく、心強く、見ると心もゆるみ、一方またその心中を思ってもみて、あれこれの思いがこみ上げ、言いようのない涙がこぼれます。》


※明日、ちょっと所用がありまして、少し早いですが、今夜の裡に投稿します。

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