源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 藤壺の物語(二)

第三段 後に残された源氏

【現代語訳】
 お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。
「せめて母宮だけでも公の御後見役にと、考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、際限もなくお考え続けなさって夜をお明かしになる。
「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。

詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。
 参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなくあってはならないことである。

 


《二条院に帰った源氏は、西の対に行く気も起こらないようで、ひとり物思いに耽ります。

それにしても「世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまった」というのは、どうも納得がいきません。「世の中の嫌なこと」というのは、他ならぬ源氏自身の振る舞いではなかったでしょうか。藤壺の出家はひとえに源氏の執着を避けようとしてのものだったはずですが、そのことについての言葉は一言もありません。起こった出来事は起こったこととして真正面から受け止める誠実さを持っていますが、自己反省とか自責とかという観念はない人のようです。

かりに源氏はそういう人だとしても、作者もそのことに一切触れません。ということは、あるいは、この時代はそれが当たり前で、皆がそう考えていたのでしょうか。

小指に結ばれた赤い糸の導きによって生涯の伴侶と出会うという俗信がありますが、そのように、古代においては自分の行いさえも、自分の個人的「意志」で行っていることではなくて、何ものかに導かれていることであり、世の中に起こることは、すべて自然現象的におのずから起こるもので、人知の及ぶところではない、人はただそれを受け入れるしかないのだという考え方なのでしょうか。そう言えば、『山月記』の李徴が、自分が虎になってしまったことについて、そういう独白をしていたことを思い出します。「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」。

さて一旦それを受け止めてしまうと、あとは東宮のことが心配です。「自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」とあるのは、彼も出家を考えたということなのでしょう。が、東宮を思えばそれもなりません。

母は早く亡くなり、父院もすでに無く、左大臣は失権し、そして今また藤壺に出家されて、源氏はこの世に唯一人残されて、東宮を守らなければならない立場になります。

源氏二十四歳、天涯孤独の思いの中で、さし当たっては、藤壺の入道生活を不自由ないものにしようと考えるのでした。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ 

第二段 十二月十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家 ~その2

【現代語訳】2
 だんだんと人の気配が静かになって、女房たちが鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっている。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが思い出されて、とても堪えがたい思いにおなりになるが、じっとお気持ちを鎮めて、
「どのように御決意になって、このように急な」とお尋ね申し上げなさる。
「今初めて、決意致したのではございませんが、もの騒がしいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。
 御簾の中の様子は、おおぜい集まって伺候している女房が、衣ずれの音もひっそりと気をつけて振る舞い、身じろぎするにつけて、悲しみを慰めがたそうな気配が、外へ漏れくるように感じられて、もっともなことと悲しくお聞きになる。
 風が激しく吹いて、御簾の内の匂いがたいそう奥ゆかしい黒方の香に染み込んで、源氏の所にも名香の煙がほのかに匂ってくる。大将の御匂いまで薫り合って素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。
 春宮からの御使者も参上する。お話をなさった時のことをお思い出しになると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が言葉をお添えになったのであった。
 誰も彼も皆が悲しみに堪えられない時なので、お思いになっておられる事なども、言い出すことがおできにならない。
「 月のすむ雲居をかけてしたふともこの世の闇になほやまどはむ


(月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても、私はなお御子ゆえのこの世の

煩悩に迷い続けるのでしょうか)
 と存じられますのが、どうにもならないことで。出家を御決意なさったことのうらやましさは、この上もなく」とだけ申し上げなさって、女房たちがお側近くに伺候しているのでいろいろと乱れる心中の思いさえお表し申すことができないので、胸がいっぱいである。
「 おほかたの憂きにつけてはいとへどもいつかこの世を背き果つべき

(世間一般の嫌なことからは離れましたが、子どもへの煩悩はいつになったらすっか

り離れ切ることができるのでしょうか
 一方では、煩悩を断ち切れずに」などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。

悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。



《ひっそりとなった屋敷の雪の庭を満月が冷たく皓々と照らしています。小林秀雄の「お月見」ではありませんが、明るい月は、そうでなくてもものを思わせます。まして今夜のふたりにとっては、殊の外身に沁みる情景です。

源氏は、ようやく突然の出家の訳を尋ねますが、もちろんそれへの答えはなく、型どおりの返事だけ、それも命婦を通してのものです。そしてあとはまたひっそりとなります。

この間までは「いつもお側近くに仕えさせておられる者は少な」かった(第三章第一段2節)のですが、さすがに今日はたくさんの女房が控えています。それでも皆、息を潜めるようにしていて、藤壺のいる御簾の中からは、わずかに女房たちの身じろぎする衣ずれの音とすすり泣きの声が漏れるだけです。

一瞬、静寂を破って風が渡り、香のよい匂いが一面に漂い拡がって、出家したばかりの中宮を中心に極楽浄土が現前したかのようです。

そこに東宮からの使いが訪れて、一同は再び現世に引き戻されて、新しい涙に暮れるのでした。源氏も誰も、何も言い出すことができません。重苦しい中でかろうじて二人の歌の贈答がありますが、語りうる話題はもう御子のことしかないのでした。それに加えて藤壺には源氏を前にすれば、愛憎絡み合ってこみ上げてくる思いがあふれます。心身ともに堪えがたい思いでいる彼女について、「(返事の)半分は取次ぎの女房のとりなしであろう」と作者は言います。

気持ちの晴れないままに源氏は退出します。

『構想と鑑賞』がこの場面について「しめやかで物悲しさの情調がよくでている」と言い、その点ではまったくそうですが、ただ源氏は、結局、中宮の出家の原因の全てが自分にあるとは、まったく思い至らないままのようです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


 



第二段 十二月十日過ぎ、藤壺出家~その1

【現代語訳】1
 十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である。たいそう立派なものだ。毎日供養なさる御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させていらっしゃる。普通の催しの立派さでさえ、並々ではなくなさるのだから、この法会はまして言うまでもない。仏像のお飾りや花机の覆いなどまで、本当の極楽が思いやられる。
 初めの日は先帝の御ため、第二日は母后の御ため、次の日は故院の御ため、法華経第五巻を講ずる日なので、上達部なども世間の思惑に遠慮なさってもおられず、大変おおぜいが参上なさった。その日の講師は特に厳選あそばしていらっしゃるので、「薪こる」というところを初めとして、同じように唱える言葉でも、たいそう尊い。親王たちもさまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなどは、やはり他に似るものがない。いつも同じことを言うようだが、拝見する度毎に素晴らしいので、仕方がないのだ。
 最後の日、御自身のことを結願として、出家なさる旨を仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々は皆お驚きになった。兵部卿宮も大将もお気が動転して、驚きあきれなさる。
 兵部卿親王は法要の最中に座を立って、御座所にお入りになる。藤壺は固く御決心していることをおっしゃって、終わりころに山の座主を召して、戒をお受けになる旨を仰せになる。御伯父の横川の僧都がお近くに参上なさって、お髪をお下ろしになる時、宮邸中がどよめいて、不吉なほどに泣き声が満ちわたった。たいした身分でもない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家する時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。
 参集なさった方々も、ここまでの法要の立派さに心を打たれていた際もあったので、皆、袖を濡らしてお帰りになった。故院の皇子たちは、昔のご寵愛を受けておられた御様子をお思い出しになると、ますますしみじみと悲しいお気持ちになられて、皆、お見舞いの言葉をお掛け申し上げなさる。

大将はお残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇になったような気持におなりになるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後になって、御前に参上なさった。

 

《御八講という法要は四日にわたって催されますが、その準備を藤壺はいつものこうした催し以上に心を込めて立派に整えます。それは彼女のセンスの好さでもあるのですが、また実は、彼女の決意のひそかな表れでもあったでしょう。

「上達部など」は、権勢凋落の中にある宮の行うことでもあり、第一、二日目はそれぞれ、「先帝」つまり藤壺の父帝とその母后のための法要で、古い仏の供養でもあることから、右大臣方を憚って、参列を控える者も多くいたようですが、第三日目は故院の供養とあって、ひときわ大勢の人が集まりました。

その三日目が盛大に終わって、最後の四日目の日に、後は粛々と終わるだけと思っていたであろう参列の人々の前で、突然、中宮の出家が発表されます。いかに斜陽とは言っても、かつては寵愛を一身に集めた方であり、現に東宮母君という人であってみれば、人々の驚きと嘆きは並一通りではありません。

兄・兵部卿の宮はいたたまれず儀式の途中で座を立って、中宮の御座所に入り込んで思いとどまるように諫めるのですが、もちろん決意は変わりません。

彼女にしてみれば、「誰かに相談すれば反対を受けるに決まっている。…反対をおしきるためには、…決心をひるがえすことができぬような場が必要だった」(『評釈』)わけで、用意周到な、そして断固たる、そして止むに止まれぬ、決行だったのです。

剃髪の時は、「宮邸中がどよめいて、不吉なほどに泣き声が満ちわたった」のでした。

しかし、既になされたことはもはやいかんともしがたく、人々は、立派に催された法要のへの感動と人の世の無常を思っての悲しみの涙の中を、帰っていきました。

源氏も、茫然自失といった趣でしたが、表向きは継母にしか過ぎない人の出家に対する分を越えた嘆きは周囲に疑いを持たれるであろうと気遣って、そこに残ることもできず、一旦は引き下がったのでしょうか、人々が邸から去った後に、改めて藤壺の御前に向かいます。》

 

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第一段 十一月一日、故桐壺院の御国忌


【現代語訳】
 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。
 十一月の上旬、御国忌の日だったが雪がたいそう降った。大将殿から宮にお便りを差し上げなさる。
「 別れにしけふは来れども見し人にゆきあふほどをいつとたのまむ

(故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪はふってもその人にまた行きめぐ

り逢える時はいつと期待できようか)」
 どちらも、今日は物悲しい思いがなさる日なので、お返事がある。
「 ながらふるほどは憂けれどゆきめぐり今日はその世に逢ふここちして

(生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが、一周忌の今日は、故院の在世中

のような思いがいたしまして)」
 格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高く思われるのは、思い入れであろう。書風が独特で当世風というのではないが、他の人よりは優れてお書きになっている。源氏は、今日は宮へのご執心も抑えて、しみじみと涙がちに御追善の勤行をなさる。


《藤壺は、もう出家を心に決めていて、故院の一周忌法要と追善の御八講の準備に忙しくしています。

そういう藤壺の気持を知らないままに、源氏は故院の命日に歌を送ります。「見し人にゆきあふ」とは、「人間は…因果の法則によって六道に何度も生まれ変わっていくという当時の思想による」考え方と『集成』が注しています。

普通ならもう返事も控えたかも知れないところなのですが、日が日だけに、返事がありました。

源氏が詠んだのが、もう故院に会えないのが悲しいことだという歌であったのに対して、藤壺は、いいえ、今日という日はお会いしているような気がします、という歌だったのは、ただの修辞上の応答に過ぎないとも言えないのではないかと思います。

つらい浮き世ですが、私は今、こうして故院の法要の準備をし、勤行していると、故院と一緒にいる思いで、少し安らぐ気持なのです、もうあなたがいらっしゃらなくても大丈夫です、というように聞こえる気がするのですが。

源氏は「ご執心も抑え」ながら返事を読みますが、実はもう全ては終わっているのです。

藤壺の書風について「上品で気高く思われるのは、思い入れであろう」という書き方が奇妙です。普通これは、実際は「上品で気高く」はなかった、ということになる言い方ですが、もちろんそういう意味ではなく、源氏がそれほど強い思いで見た、ということなのでしょう。前節の尚侍の君の便りを見た時とは大変な違いです。

静かな雪の一日が、ひっそりとした歌の応答の中に終わります。それが逆に、決行の予兆でした。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

 

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ