【現代語訳】
お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。
「せめて母宮だけでも公の御後見役にと、考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、際限もなくお考え続けなさって夜をお明かしになる。
「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。
詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。
参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなくあってはならないことである。
《二条院に帰った源氏は、西の対に行く気も起こらないようで、ひとり物思いに耽ります。
それにしても「世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまった」というのは、どうも納得がいきません。「世の中の嫌なこと」というのは、他ならぬ源氏自身の振る舞いではなかったでしょうか。藤壺の出家はひとえに源氏の執着を避けようとしてのものだったはずですが、そのことについての言葉は一言もありません。起こった出来事は起こったこととして真正面から受け止める誠実さを持っていますが、自己反省とか自責とかという観念はない人のようです。
かりに源氏はそういう人だとしても、作者もそのことに一切触れません。ということは、あるいは、この時代はそれが当たり前で、皆がそう考えていたのでしょうか。
小指に結ばれた赤い糸の導きによって生涯の伴侶と出会うという俗信がありますが、そのように、古代においては自分の行いさえも、自分の個人的「意志」で行っていることではなくて、何ものかに導かれていることであり、世の中に起こることは、すべて自然現象的におのずから起こるもので、人知の及ぶところではない、人はただそれを受け入れるしかないのだという考え方なのでしょうか。そう言えば、『山月記』の李徴が、自分が虎になってしまったことについて、そういう独白をしていたことを思い出します。「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」。
さて一旦それを受け止めてしまうと、あとは東宮のことが心配です。「自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」とあるのは、彼も出家を考えたということなのでしょう。が、東宮を思えばそれもなりません。
母は早く亡くなり、父院もすでに無く、左大臣は失権し、そして今また藤壺に出家されて、源氏はこの世に唯一人残されて、東宮を守らなければならない立場になります。
源氏二十四歳、天涯孤独の思いの中で、さし当たっては、藤壺の入道生活を不自由ないものにしようと考えるのでした。》