源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 光る源氏の物語(一)

第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる ~その2

【現代語訳】2

 間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、「宿直申しさぶらふ」と、声をはりあげているようである。「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。面白いと思うが、厄介な気がする。あちこちと探し歩いて、「寅一刻」と申しているようだ。女君が、
「 心からかたがた袖をぬらすかなあくとをしふる声につけても

(自分からあれこれと涙で袖を濡らすことです、夜が明けると教えてくれる声につ

けましても)」
とおっしゃる様子は、いじらしくて、まことに魅力的である。
「 嘆きつつわが世はかなく過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく

(嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか、胸の思いの晴れる間もな

いのに)」
 慌ただしい思いで、お帰りになった。
 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのなく深い霧が立ちこめていて、たいそうお忍びの姿で、お忍びらしく振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿女御の兄君の藤少将が、藤壺から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったことだ。きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。
 このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、とお思いになる時が多い。


《危険な密会のさなかに、作者はまたちょっとしたコントを織り交ぜます。

「宿直の官人は時刻になると、大将や中将などの上官のところへ行って、『宿直申しさぶらふ(宿直の者、ここにおります)』という」(『評釈』)のだそうです。どうやらこの夜、このあたりの女房のところにもう一人、中将か大将が忍んで来ている者がいて、「それをからかうつもりで、誰かいたずら者が、宿直の官人をよこしたに違いない」(同)のだと源氏は考えて、「おかしくはあるが、…鼻白む思いもする」(同)のでした。

「厄介な気がする(原文・わずらはし)」は、そうでなくても「いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない」(前節)という状態だったのですから、驚きもあったでしょうし、見つかる危険がその分大きいわけで、彼の困惑の気持です。

あわただしく帰っていくのですが、その姿も「他に似るものがないほどのご様子」で、一目で源氏と知れます。それを「承香殿女御の兄君の藤少将」に見られてしまいます。拙いことに、彼は「朱雀帝女御承香殿の兄弟で、今上に仕える人であり、その点で右大臣方につながる人」(『評釈』)だったのです。

そうとも知らないで、源氏は、尚侍の君はこのように機会を作ってくれるのに、藤壺が会ってくれないことを恨めしく思ったりしているのでした。そこでも「一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの」と一言付け加えていますが、それは逆に言えば、それだけ尚侍の君を軽く見ているのであって、作者は、男というものの勝手さを、実によく承知しているわけです。》にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

 

第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる]~その1


【現代語訳】1
 帝は、院の御遺言に背かず、源氏を親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后、祖父大臣、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治も、お心通りに行かないようである。

 厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君とは、密かにお心を通わしているので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。五壇の御修法の初日で、帝がお慎しみあそばす隙を狙って、いつものごとく、夢のようにお逢い申し上げる。あの、昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。人目の多いころなので、いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない。
 朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子なので、まして、まれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。

女のご様子も、本当に素晴しい女盛りでいらっしゃる。重々しいという点では今少しと思われるが、魅力的であでやかで若々しい感じがして、好ましいご様子である。

《これまで話題にはなりながら、直接には語られなかった源氏の兄・今上帝の人となりが初めて語られます。

弟の源氏が幾度かの父親の戒めや忠告にもかかわらず、ほぼ思いのままに振る舞ってきているのに対して、長男は、総領の甚六というのでしょうか、「まことに性急で意地の悪い方」(第二章第一段)とあってなかなか遣り手らしい右大臣の祖父と、気性の激しい母親とににらまれて、大人しくしているよりない立場のようで、院の遺言も自分の気持ちも十分には果たせないでいます。

そんな中で源氏は、ひそかに尚侍の君への通いを続けています。そして今日もまた、その兄・帝が「五壇の御修法の初日で、お慎しみあそばす隙を狙って、いつものごとく、夢のようにお逢い申し上げる」のでした。

父の后に通じ、また兄の尚侍の君にも通じているというのは、何とも乱れた生き方としか思われず、感心できない気がしますが(いや、これほど極端ではなくてさえも私たちには感心できませんが)、源氏はともかくとして、作者もそういう点にはあまり頓着しないようで、「朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子」と相変わらずその魅力を絶賛するばかりで、ただ危ない振る舞いだという点を心配しているだけです。

こういう点をそのまま現代的におもしろ可笑しく享受して、ポルノまがいの話に仕立てる解釈などがなされるのでしょう。

肉体的交渉については、恐らく儒教倫理やキリスト教的純潔意識があるからポルノやエロがあるのです。現代の私たちはそういう意識に深いところで拘束されて(それはもちろんそれほど悪いことではないように思いますが)、隠微とか卑猥といった捉え方をしがちですが、当時はそういう意識はなくて、もっとずっと自然な人間の行為としてあっけらかんとした自由なものと考えられていたのではないでしょうか。

そして、例えば空蝉や藤壺が源氏を拒否するのは、決して体を問題にしているのではなく、肉体的接触が自分の心を夫から引き離し、源氏に向けさせてしまうことをこそ恐れているということは、忘れてはならないところだと思われます。彼女たちが守ろうとしたのは、あくまでも心なのです。そういう世界ではレイプなどということは存在せず、「問題」にはならないのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

さて、「乱れた生き方」については、父子はともかく、兄弟が恋敵ということは現代でもあり得ることですから、似たような範囲のものとして捉えておくしかないでしょう。ただ、それでも、もちろんこの兄君に与えられた境遇は、かなり気の毒に思われることは否めません。

尚侍の君も、今は「本当に素晴しい女盛り(原文・げにぞめでたき御さかり)」で、以前の「男以上にいろいろと思い乱れている様子」(花宴の巻第二段1節)だったのとはうって変わった対応ぶりのようです。

ここでのこの人は、『光る』が、「大野・まことにあでやかだけれども、配慮が少し足りない人、しかし会った限りでは派手だし、華やかだし、美しいし、楽しい人なんですね」「丸谷・ぼくはこの人、すきですねえ。『源氏物語』に出てくる女の人の中でなかで、この人が一番魅力があるなあ。」「大野・明るいですよね。」「丸谷・屈託がないでしょう?」というように、物語の中では独特の雰囲気を持つ人です。空蝉の巻の軒端の荻をうんと上品にした趣きと言っていいでしょうか。》



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第三段 諒闇の新年となる ~その2

【現代語訳】2

左の大殿も、面白くない気がなさって、特に参内なさらない。故姫君を、東宮を避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、大后は根にお持ちになって、よくはお思い申し上げておられない。大臣の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の在世中は思い通りでいられたが、御世が替わって右大臣が得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。
 大将は、昔と変わらずお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになり、若君を大切におかわいがり申されることがこの上もないので、しみじみとありがたいお心だと、ますます大切にお世話申し上げなさる事は、同様である。この上ないご寵愛で、あまりにもばたばたとしてお暇もなさそうにお見えになったが、今ではお通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽々しいお忍び歩きも、つまらなくお思いになって、特になさらないので、とてものんびりと、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。
 西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお喜び申し上げる。乳母の少納言なども、人知れず、故尼上の御祈祷の効験と思って拝している。

父親王も思いのままにお文をお通わし申し上げなさる。正妻腹の、この上ない玉の輿にと願っておられる方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方は、きっと面白くなくお思いであろう。物語にわざと作り出したようなご様子である。
 賀茂の斎院が、御服喪のためにご退任になったので、朝顔の姫君は代わってお立ちになった。斎院には、孫王のお就きになる例は、多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。大将の君は、幾歳月を経ても依然としてお忘れになれなかったのだが、このように特別な役にお付きになっておしまいになったので、残念なとお思いになる。女房の中将にお便りをおやりになることも以前と同じで、斎院へのお手紙などは途絶えていないのだろう。

以前と変わったご境遇などを格別配慮されることもなく、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと気苦労していらっしゃる。


《前節でちらと見せられた危険の種の話をちょっと措いて、話題を他に転じます。

右大臣・大后派と、左大臣派との確執です。「もとから疎遠でいらっしゃった(原文・もとよりそばそばしうおはする)」間柄だったのが、勢力が逆転したとあって、いっそう具合の悪い関係になって、左大臣は宮仕えの意欲もなくしてしまいました。

左大臣と源氏は、やるせないままにお互いに肩を寄せ合い、いっそう親密さをまします。

源氏が本当に心のなごむところは若紫のいる西の対だけなのです。「西の対の姫君のお幸せ」と作者は言います。やはりこの姫君の置かれた状況は「悲しい運命」(『評釈』)と考えるべきではないのです。

葵の巻の終わり源氏は姫のお披露目を考えていました(第三章第二段3節)が、今では、父・兵部卿宮にも公認のこととなったようで、手紙のやり取りも頻繁です。

もっとも彼の屋敷では、今の正夫人に娘がいて、「これといったこともない」、つまり、よい輿入れ先が見つからないでいるということがあって、この姫の幸せをおもしろくなく思われているのが、気がかりの種ではあります。

また、こうした時の心やりだった朝顔の君も、賀茂の斎院になって「特別な役にお付きになっておしまいになったので」、こことも少し縁が遠のきます。それでも手紙だけは欠かしません。

ところが、源氏には自分がそういう状況にあることについての自覚は、恵まれて育った悲しさでしょうか、必ずしも十分ではなかったようです。終わりの「以前と変わったご境遇などを格別配慮されることもなく」は、本当は配慮すべきなのに、という気持ちなのでしょう。以前は大目に見られていたことが、できなくなりつつあることに源氏は気付かねばならなかったのですが、「気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと気苦労していらっしゃる」のでした。「あちらこちら」とは、「朧月夜の君や朝顔の姫君」だと、『集成』は注しています。

なお、重ねて、ですが、「気の紛れることのないのにまかせて」という言い方には、前節で触れた、危険を承知の火遊びという、幾分投げやり的な(あくまで「的」ですが)気持が源氏の中にあったのではないか、という感じがあるような気がします。貴婦人方のヒーローに投げやり気分というマイナスイメージも、母性をくすぐるのではないかというような気もするのですが…。

ともあれ、ここもやはり「危険の種の話」だったようです。》

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第三段 諒闇の新年となる~その1

【現代語訳】1

 年が改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。まして大将殿は、もの悲しくて退き籠もっていらっしゃる。除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、御退位後も長い間変わることなく御門の周辺に隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、宿直の者の夜具袋などもほとんど見えず、長年仕えている家司どもだけがいて、特別に急ぐ様子もなさそうにしているのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何とも心寂しく思われる。
 御匣殿(朧月夜の君)は、二月に、尚侍におなりになった。院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の替わりであった。高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。大后は里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には梅壺を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。これまでお住みの登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、華やいで陽気にしていらっしゃったが、お心の中では、あの思いがけなかった時のいろいろの事を忘れられず嘆いていらっしゃる。ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。

源氏は「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。
 院の御在世中こそは遠慮もなさっていたが、大后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。源氏にとって何かにつけて、具合の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、世間に立ち交じっていこうというお気持ちにもなられない。


《後ろ盾の院だった崩御によって、源氏の周辺の様相は一変しました。新年を迎えても、除目(官吏の任命式、一月十日ごろ)の日を迎えても二条院邸はひっそりしたままです。

一方、右大臣方は勢いを持ってきます。その大きな鍵を託されて宮中に入った娘の朧月夜の君が「御匣殿」から「尚侍」に位が上がりました。これらの位は「本来は…宮中の御用を司る官なのであるが、このころになると、帝寵を受ける者もあり、公卿の娘で、尚侍から女御になった人もある」(『評釈』)ということで、この人も、この昇進によって弘徽殿に住まうほどに寵愛を受けるようになっていたようです。

その御匣殿は「あの思いがけなかった時のいろいろの事を忘れられず嘆いていらっしゃる」と、源氏への思いを強く抱いたままのようです。

一方で源氏も「今になってかえってご愛情が募るようである」のです。

こうして、凋落の中にいる源氏と、台頭しようとする側の象徴のような朧月夜君との間に「ごく内密に文を通わしなさる」ということが続きます。「例のご性癖」というのは、以前「普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分」(第一章第四段)とあったことを言うのでしょうが、この時の源氏は、そればかりではないのではないか、という気もします。前々節(第二段1節)でも言いましたが、いま源氏は、往時に比べるとさまざまに絶望的な境遇にいます。庇護者の院は亡くなって権力からは遠ざかり、本当に愛する藤壺も遠くなって、思うに任せぬ事ばかりです。そんな中で危険な恋にでも手を出さなければやっていられない、せめてどこかで相手方の鼻を明かしてやりたい、そういう火遊びの思いも、心のどこかにあったのではないか、と考えると、源氏が身近に思われてくるように思いますが、どうでしょう。

もちろん作者はそんなふうには少しも書いていませんから、全くの勝手読みですが、全てを彼の「性癖」だけの所為にしてしまうよりも、自然な気がします。

さて、娘にそういうことがあっているなどとは夢にも知らない母の大后は、「御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようで」、徐々に源氏に圧力を掛けて来るらしく、彼にとっては「ご経験のない世間の辛さ」です。

そうした中であることを考えれば、この火遊びは、やはりあまりに無謀な、あるいは思い上がりの過ぎた振る舞いと言わざるを得ません。

もっとも、さればこそ物語がおもしろくなるのではありますが。》

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第二段 十一月一日、桐壺院、崩御~その2


【現代語訳】2

 宮は、お里の三条の宮にお渡りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさった。雪がひとしきり降り風が激しく吹いて、院の中がだんだんと人数少なになっていってしんみりとしていた時に、大将殿がこちらに参上なさって、昔の思い出をお話し申し上げなさる。お庭先の五葉の松が、雪に萎れて、下葉が枯れているのを御覧になって、親王が、
「 蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ下葉散りゆく年の暮れかな

(木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか、下葉が散り行

く今年の暮ですね)」
 何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖がひどく濡れた。池が隙間なく凍っていたので、
「 さえわたる池の鏡のさやけきに見なれしかげを見ぬぞかなしき

(氷の張りつめた池は鏡のようになっているが、長年見慣れたお姿を見られないのが

悲しいことです)」
と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。王命婦が、
「 年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人かげのあせもゆくかな

(年が暮れて岩井の水も凍りついて、見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこ

と)」
 その折に、とても多くあったが、そうみな書き連ねてよいことか。
 お移りになる儀式は、人と変わらないが、思いなしかしみじみとして、ふる里の宮邸は、かえって旅の宿のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さを、さまざまに思い巡らされることだろう。


《最後にひとり残ったのでしょうか、藤壺がいよいよ里下がりの日です。里から兄の兵部卿宮(若紫の父)が迎えに来て、それを知った源氏が挨拶に来て、思い出話とともに、皆で歌を詠み交わします。

源氏の歌を「あまりに子供っぽい詠み方」と評したのは、読者より先にそういうことによって、あるかも知れない批判をあらかじめ封じておこうという気持でしょうが、かと言って、こういう場合、源氏の歌を載せないわけにはいきません。

藤壺も詠むべきところですが、書かれてありません。「中宮の歌は大将のそれよりも難しい。それゆえここに紹介するのを(作者が)さけたのである」と『評釈』は言いますが、とても詠む気持ちになれなかったのかも知れません。院に対してふたりで一つの罪を犯したのですが、やはりこの三人の場合、息子よりも妻の方がより深い傷みを持っているに違いないのですから。

「その折に、(歌は)とても多くあったが」という中で、ただ一人詠まないままになった彼女の気持ちを、読者は思いやった方がいいような気もします。もっとも、こういうときにこそ詠めないようでは、当時の一流の宮廷人とは言えないのかも知れませんが。

兵部卿の宮邸に下がった藤壺が「かえって旅の宿のような心地」がしたというのも、心に残る言葉です。ここは久しく宮中に居続けていたことからの感慨ではありますが、源氏は、葵の上が亡くなった時には二条院に帰ることができたことを思うと、気がついてみれば、女性にとって安住の地はなかなか難しいものだ、というようなことを思わせもします。》

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