源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 藤壺の物語(一)

第二段 藤壺、出家を決意 ~その2

【現代語訳】2

 東宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさまはしみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。
 大后のお心もとても気がかりで、このように宮中にお出入りなさるにつけても、体裁悪く何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」と申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、
「あの人は年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになろうと思いますので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」と言ってお泣きになると、真剣になって、
「長い間いらっしゃらなくては、恋しいのに」と言って、涙が落ちたので恥ずかしいとお思いになって、さすがに横をお向きになる、そのお髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子は、大きく成長なさるにつれて、まるで、あの方のお顔をそっくりお移ししたようである。歯が少し虫歯になって口の中が黒ずんで笑っていらっしゃる、その輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。

「ほんとうに、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。

 


《藤壺は、出家前の見納めにと、東宮に会いに行くのですが、会うと心が鈍ります。

その一方で、大后側からの圧力は強く、宮中も大后一色に変わっていて、自分が出入りすること自体が、東宮のためによくないようにも思われます。

思いを込めた藤壺とやっと六歳になった東宮とのあどけない会話が切なく交わされます。藤壺のそのことへの気持は、直接には何も書かれていませんが、不思議に直に感じられるような気がする場面です。東宮の言葉がこの年頃の子供らしくうまく書かれていて、いかにも素直な子という感じがするからでしょうか。

その中で、東宮の虫歯の歯に藤壺の目が止まり、それがまた、「輝く美しさ(原文・かをりうつくしき)」に見えるというのが、ちょっと不思議な感覚に思われますが、『集成』がお歯黒に染めた姿を連想したのだと言っていて、なるほどと思います。

お歯黒は私たちには異様に見えますが、やはり成人した女性の美しさの要素だったわけです。『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の話の中に「眉さらに抜きたまはず。歯黒め、…つけたまはず、いと白らかに笑みつつ(眉も整えず、お歯黒も…付けないままで白い歯を剥き出しにして笑いながら)」と、姫君の異様さを語るところがあって、確かにこう書かれると、真っ白い歯も十分異様な気がしてくるから不思議です。

それにしても、その容貌が源氏にそっくりであるのが、また、不安の種に思われるのでした。自分と源氏のことが露見するようなことがあれば、自分達はやむを得ないとして、このあどけない東宮にどれほどの問題が降りかかるか知れないのです。》


 


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第二段 藤壺、出家を決意~その1

【現代語訳】1

「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、お手紙も差し上げなさらない。ふっつりと内裏や東宮にも参内なさらず籠もっておいでになって、寝ても覚めても、

「本当にひどいお気持ちの方だ」と、みっともないほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、

「どうしてまあ、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、出家を発意なさる一方では、この姫君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなことはとても難しい。
 宮も、あの事があとを引いて、お具合が悪くていらっしゃる。こうわざとらしく籠もっていらっしゃって、お便りもなさらないのを、命婦などは気の毒にお思い申している。宮も、東宮の御身の上をお考えになると、

「お心隔てをお置きになることは、東宮にお気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立たれることもありはしないか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。
「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后がけしからぬことだとおっしゃっているという中宮の位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。故院のお言葉やお気持ちが並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにつけても、

「すべてのことが以前と違って、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと世間の物嗤いになるようなことが、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたい気持におなりになるので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮にお眼にかからないで尼姿になることは悲しく思われるので、こっそりと参内なさった。

 大将の君は、それほどでないことでさえお気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、この度の中宮の参内にはお送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話はいつもと同じようだが、「すっかり気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。

《二条院に帰った源氏は、ひとり、身も世もなく思い嘆いています。思いが叶わなかった残念さ、藤壺への恨めしさ、自分の振る舞いのみっともなさ、屈辱感、そういうさまざまなものが彼の心の中で、行きつ戻りつして、またしても出家を思うのですが、若紫の初々しい様子を見ると思い切ることもできません。

一方、藤壺も同じように、あれ以来さまざまな思いが錯綜しています。しかし、彼女の思いは源氏よりもはるかに具体的で、従って現実的です。今や彼女の思いは、ほとんど源氏ではなく、東宮に移っているようです。

あの、源氏が屏風のかげからいきなり出てきた時に、「驚いて恐ろしい気」がしてしまったのが、決定的な転機だったのではないかと思われます。あの後、髪を掴まれた時の様子を、私は地獄絵図の一齣といいましたが、それは比喩としても、彼女にとってあの時の源氏は、それまでの源氏とはまったく違う存在に思えたのではないかと私は思います。

今そう思って読み返してみると、いつもは合いの手のように出てくる源氏の美しさを称える言葉が、あの場面にはまったくないことに気付きます。

彼女は、自分たちがこういう関係でいることは、東宮にとってもよくないと考え、またもちろん自分も「きっと、世間の物嗤いになるようなことが、身の上に起こるにちがいない」と、源氏とは違ってきっぱりと退位し、出家するという明確な決意を抱くようになり、東宮に会いに行きます。

しかし、その参内は「こっそりと」であったのです。

源氏は、常日ごろ、「お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃる」のですが、この時は、具合が悪いことにかこつけて、「一通りのお世話」をするだけでした。そうすることで藤壺の気を引こうとでも考えたのでしょうか。あるいはまた、『評釈』の言うように、命婦や弁の同情を引いて、次の機会を作ってくれることを期待したのでしょうか。本当は、藤壺は、これが最後とあって、この時こそ源氏に守られて堂々と参内したかったはずなのですが。》


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第一段 源氏、再び藤壺に迫る~その3

【現代語訳】3

 男君も長年抑えてこられたお心がすっかり乱れて、分別の付かない様子で、何やかやと泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、心から厭わしいとお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、
「気分がとてもすぐれませんので。このようでない時でもあったらお話するのですが」
とおっしゃるが、尽きないお心のたけをお言い続けになる。
 さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前に何もない間柄ではなかった仲だが、今またこうなってひどく口惜しい気がなさるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜も明けて行く。
 しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、気高いご様子なので、
「ほんのこの程度であっても、時々大変つらい思いさえ晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」などと、ご安心させ申し上げなさるのだろう。

普通でもこのような間柄には、胸を打つようなこともあるものだが、お二人の場合はそれ以上で、比べるものがなさそうである。
 明けてしまったので、王命婦と弁が二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、
「この世にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまおうと思いましても、それもまた、この世だけではすまない罪障となりましょうし」
などと申し上げなさるのも、恐ろしいまでのご執心である。
「 逢ふことのかたきを今日に限らずば今幾世をか嘆きつつ経む

(お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば、私はこの後生まれ変わる

度に幾世嘆きながら過ごすことでしょうか)
 御往生の妨げにもなっては困るのですが」
と申し上げなさると、さすがにふと嘆息なさって、
「 ながき世のうらみを人に残してもかつは心をあだと知らなむ

(未来永劫の怨みを私にお残しになっても、そのようなお心はまた一方ですぐに変わ

るものとお知りになっていただきたいものです)」
 ただの浮気心のようにおっしゃる様子が、何ともすばらしいという気持がするが、相手の困惑もあり、ご自分のためにも憚られるので、魂の抜けたような様子でお出になった。


《源氏は懸命にかき口説きますが、藤壺は、逃れられない宿命かも知れないとまで思ってしまうと、「心から厭わしいとお思いになって(原文・まことに心づきなしとおぼして)」すっかり気持が冷えてしまいます。

なおも源氏は「お心を打つような」話(東宮のことでしょうか)もして訴えるのですが、それも今の藤壺には、過去の過ちを思い出させることにしかなりません。

二人の間は、すっかりきまずくかけ離れてしまい、源氏も激情が遠のいてみると、とりつく島がなく、気が付くと、相手はすでに「気高いご様子(原文・心はづかしき御けはひ)」、つまりこちらが気恥ずかしい気がするほど立派な様子をとりもどしています。

それを見て源氏は、「時々大変つらい思いさえ晴らすことができれば」と、「てれ隠し」(『評釈』)を言うまでに、平静を取り戻します。

夜が明けていき、結局二晩が過ぎました。命婦と弁が二人してせき立てて、大変な逢瀬が終わります。

源氏のいささか大袈裟で、その分儀礼的な、しかしそれなりに切ない未練の恨みを籠めた別れの言葉に、藤壺も「さすがにふと嘆息なさって(原文・さすがにうち嘆きたまひて)」という仕草に万感の思いを込めて、しかし返歌は何事でもないといったふうにさらりと返すだけでした。

その様子に、また「何ともすばらしいという気持(原文・言ふよしなきここち)」にさせられるのでした。それは源氏の気持ちであり、同時に作者の気持でもあります。

なお、このところ、『光る』で、ひとりが前々節に「お召物を隠し持っている女房たち」とあったことから、「実事あり」と読み、他のひとりは「今夜も明けて行く」とあることから、昨夜も今夜も「実事なし」だったのではないか、と言っています。そしてそれを「そういう微妙さ、日本語の曖昧朦朧とした性格を極端に利用して」、読者にポルノ的にでも、そうではないとも、読めるようにしたのだ、とまとめていますが、どうも誤読の弁解のように聞こえて、この人たちにしてなお、と、妙な親近感を覚えました。》

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第一段 源氏、再び藤壺に迫る~その2

【現代語訳】2

 やっとのことで暮れて行くころに、藤壺はご回復あそばした。

 このように源氏が塗籠に籠もっておられようとは、お思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、こうこうですとも申し上げないのだろう。昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復になったようだと思って、兵部卿宮もご退出なさったりして、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせておられる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。命婦の君などは、
「どのように人目をくらましてお出し申し上げよう。今夜もまた、おのぼせになられたら、おいたわしい」などと、ひそひそとささやきもてあましている。
 君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間へお入りになった。中宮の姿が珍しくも嬉しく、涙ながらにご覧になる。
「まだとても苦しいこと。死んでしまうのかしら」と言って外の方を遠く見ていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど優美に見える。果物だけでも、と言って差し上げる。箱の蓋などにもつい手が出そうに盛ってあるが、見向きもなさらない。

身の上をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃるのが、たいそういたいたしく見える。髪の生え際、髪の具合、御髪のかかっている様子、そしてこの上ない美しさなどが、まるであの対の姫君に異なるところがない。ここ数年、少しお忘れになっていたので、「驚くほどよく似ていらっしゃることだ」と御覧になっていらっしゃると、少しお心のうちのもの思いの晴れるよすがのある心地がなさる。
 気品高くあたりを払うようなお美しさなども、まるで別人と思えないほどであるが、やはりこの上なく大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、お心も乱れて、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄をお引き動かしなさる。

誰とはっきりわかるほど衣の香がさっと匂ったので、驚いて恐ろしい気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、お引き寄せになると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いもよらず御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、とても情けなく、逃れられない宿縁の深さが思い知られて、たいそう辛いとお思いになった。

 

《昼になって、中宮が「昼の御座」に出て来ます。源氏がすぐ傍にいることを、お仕えする数人の女房はもちろん、読者も知っていますが、彼女だけは知りません。

こういう、読む者にとって大変スリルがあっておもしろい状況を作るのが、この作者は巧みだし、好きのようです。

塗籠からそっと滑り出た源氏は、屏風の隙間から中宮を見ます。「珍しくも嬉しく」とありますが、「藤壺の姿をはっきりと見るのは、元服前以来のこと」(『集成』)であったようで、ということは、それ以後はいつも夜の闇の中か、御簾越しであったようです。

彼女は歳とともにますます美しくなったようです。一般に女性は第一子を出産してしばらくの間がもっとも美しく思われます。それは、若々しさに自信と安定感と加えてできあがったもので、女性自身が一番と信じているらしい娘盛りの美しさをはるかに越えるものだと私には思われます。

藤壺も今そういう時期で、加えてそこに心労からの憂いの色が混じり、その美しさはいっそう比類のないものになっています。その姿に見入っていて源氏は、心抑えがたく、そっと忍び寄って彼女の衣の端を「引き動かしなさる(原文・引きならしたまふ)」のでした。原文の「ならし」は「鳴らし」で、衣ずれの音をさせることを言うようです。藤壺にとっては、なにせ全く無防備のところですから、その驚きと混乱は、昨夜の比ではなかったでしょう。

静かに見えた場面が、一転して修羅場に変わります。

いざって逃げようとする藤壺の衣を源氏が捉えると、藤壺はその衣を脱ぎ捨てて、なおも逃げようとしますが、源氏は彼女の長い髪を捉えて引き留めます。

この場面は、他にあまり見られない、妙に具体的な描写で、読者を驚かせます。

これが愛というものの一つの現実であることは承認せざるを得ませんが、それでもここの、白日のもとでのこのような光景は、やはり、「ポルノ的なものにとかくつきまとう滑稽さ、醜悪さ」(『光る』)というべきものがあるように思います。

作者は、事ある毎に源氏の優雅さを語るのですが、ここは他の場面と調和しない、異質な描き方で、どうも昨夜以来、その振る舞いにおいて彼はあまり優雅ではありません。

それにしても、髪を掴まれて藤壺が「逃れられない宿縁の深さ」を感じた、というのは、大変に印象的で、象徴的な感じさえします。源氏にウエイトを置いてみるとポルノ的ですが、彼女の思いの側から見ると、地獄絵図の一こまのようにさえ思われます。》

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第一段 源氏、再び藤壺に迫る~その1

【現代語訳】1

 藤壺は、内裏に参内なさるようなことは面はゆく窮屈にお感じになって、東宮を見申し上げないでいることを気がかりにお思いになる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君をいろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然としてこの困ったご執心が止まないうえに、ややもすればはっとすることも多くて、院が少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでもとても恐ろしいのに、今その上にまたそのような噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来ようとお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。

慎重に計画なさったことで、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。
 筆にして伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮はまことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂にはお胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦や弁などが驚きあわててご介抱申し上げる。

男君は、恨めしい、辛い、と思い申し上げなさることがこの上もなくて、過去も未来もまっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり夜が明けてしまったが、お部屋からお出にならないままになってしまった。
 ご病気に驚いて女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、源氏は人心地もないまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの気持も、とても気が気でない。宮は、何もかもとても辛いとお思いになったので、のぼせられて、なおも苦しそうにしていらっしゃる。兵部卿宮や大夫などが参上して、「僧を呼べ」などと騒ぐのを、大将はとても辛く聞いていらっしゃる。


《藤壺は三条の兵部卿宮邸に下がっていて、右大臣方の勢力下にある宮中には長く参上せず、置いてきた東宮の様子を案じています。頼りとするのは源氏だけですが、彼は依然として「ご執心」がやまず、どうかするとそういう気持ちを周囲に気付かれそうな振る舞いがあって、藤壺としては安んじていられず、懸命に彼を避けなければならないでいます。

その曲折のある話の流れが、「また一方」から始まって「夢のようであった。」までの、『集成』原文では二百五十字ほどになる長い一文で、一気に語られて、その最後の一節で、「どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった」と、それまでの長い思案や手立てを一蹴するような形で、突然大きな事件が読者に明らかになります。思えば、二人初めての密会の時も「どのように手引したのだろうか」と逢うことになった具体的いきさつは書かれませんでした。他の女性の場合にはないことで、この二人の愛情の世界がどれほど特殊で、夢幻の中のようであるかを語っているような気がします。

それは営々となされていた日常世界に、いきなり非日常の災害が降りかかってきたような感じをよく表しているように思います。

源氏の口説きも、長い間抑えてきた分だけ性急で激しいものだったでしょう。藤壺の狼狽と混乱は想像に余りあります。懸命に拒否しているうちに「ついに癪をおこしてしまわれた、胃痙攣である。…大将は、ここではいきなり『男』と呼びすてにされている。…中宮は『女』と呼ばれていない。…中宮は、『女』に変わるまいとつとめておられる」(『評釈』)のでした。

主人の変事に侍女達が大勢飛び込んできて、「源氏は人心地のないまま、塗籠に押し込められて」しまいます。塗籠は言わば押し入れです。「お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない」と、この大変な時に、作者はきちんと間男事件にありがちな滑稽を見落としません。

そのまま夜が明けて、源氏は下着姿でとじこめられたまま、藤壺の当面の保護者である兄の兵部卿宮までやってきて騒いでいる様子を、「とても辛く聞いていらっしゃる」のでした。思うに、夜這いの姿をその家族に見つかるほど気まずく具合の悪いことは、ないのではないでしょうか(あくまで推測ですが)。》

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