源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 六条御息所の物語

第五段 斎宮、伊勢へ向かう

【現代語訳】

 奥ゆかしく風雅なお人柄なので、見物の車が多い日である。午後三時、参内なさる。
 御息所は、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、今、年長けて宮中を御覧になると、何もかも無性に悲しい気持ちにおなりになる。十六歳で故東宮にお入りになって、二十で先立たれ申される。三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。
「 そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞ悲しき

(昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが、心の底では悲しく思われる)」
 斎宮は、十四におなりであった。とてもかわいらしくていらっしゃるお姿を、立派に装束をお着せ申されたのは、大変に恐いまでに美しくお見えになるのを、帝はお心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、大変にいとおしくて、涙をお流しあそばした。
 お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に並んでいる女房の車から見せている袖口や色合いも、目新しい趣向で奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。
 暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条院の前なので、大将の君は胸がいっぱいにおなりになって、榊の枝に挿して、
「 ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれじや

(私を捨てて今日は旅立たれるが、鈴鹿川を渡る時に後悔の涙に袖は濡れませんか)」

とお申し上げになったが、たいそう暗く何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。
「 鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ

(鈴鹿川の波に袖が濡れるか濡れないか、伊勢まで誰が思いやって下さるでしょうか)」
 言葉少なにお書きになっているのが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、お歌に優しさがもう少しおありだったらば、とお思いになる。霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。
「 行くかたをながめもやらむこの秋は逢坂山を霧な隔てそ

(あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は逢坂山を、霧よ隠さないでおくれ)」
 西の対にもお渡りにならず、我がお心のせいで、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。

 

《斎宮は、桂川のほとりに設けられた天幕で禊ぎをして、そこから輿に乗って参内し、大極殿で帝にお別れをして、そこからいよいよ出立ということになると言います。

御息所もそれに同行します。彼女は十六歳で入内して以来、宮中で四年を過ごし、十年の間をおいて改めてみる宮中ですが、今伊勢に下ろうとしている自分の境遇は一変して、「何もかも無性に悲しい気持ちにおなりになる」のでした。

宮中でのお別れの儀式の時に「帝は、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、大変にいとおしくて、涙をお流しあそばした」とありますが、実はこの小櫛を挿す時に、「京の方に赴き給うな」という大変厳しい言葉を言われるのが習わし(『集成』)なのだそうで、帝は新斎宮の美しさを心に残されると同時に、辛い言葉をかけなければならないことに、涙されたということになります。実はこのことが絵合の巻でさざ波を立てることになりますが、それは後の話です。

源氏は御息所に相変わらず思わせぶりな歌を送りますが、返事は、先の斎宮のものと同様に、つれないものでした。彼女の心はもうきっちり閉ざされてしまったようです。

源氏はうち萎れてその夜を、ひとり物思いに耽って過ごします。作者はそうならざるを得なかった原因は、「我がお心のせいで(原文・人やりならず)」と、さりげなく指摘することを忘れません。

それにしても、「お歌に優しさがもう少しおありだったらば」という源氏の感想には、いくら何でもと、ほとんど笑うしかないように思われますが…。この女性の前では、やはり源氏は何となく小さく見える気がします。

こうして六条御息所の物語が、大きな区切りを迎えます。

なお、『源氏物語の結婚』が、源氏が執拗に御息所に恨み言を言い、歌を詠みかけることの物語構成上の意味について、次のように語っているのは、興味を引かれます。

「源氏の恨み言は、源氏にはまだ御息所への未練があることを意味するから、御息所はそれを聞いて、自分は見捨てられたわけではないと思う。…(それによって)源氏を恨む気持は消え、…自ら決めた伊勢への道に出立した。世間は表面だけ見て、御息所が源氏の制止を振り切って伊勢に下るのだと誤解した。御息所が笑いものになることはない。もう御息所が紫の上の前に(葵の上の時のように)物怪となって現れることはないであろう。」

ところで、この初めの「十六で故宮に入内なさって…」の叙述については、仔細に調べると御息所の年勘定が合わず、皇太子が九年間も同時に二人いたというようなことになって、「古来不審とされている」(『集成』)ところのようですが、「あんまり厳密に年立てなんかつくって調べなければ、これは非常にわかりやすい、いい書き方」(『光る』)なのだと思って過ぎることにします。そういえば志賀直哉は、自作の主人公の家計に不審があるという批評家の批判に、一般の読者はそういうことは考えないで読むのだと突っぱねていたと思います。》


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第四段 斎宮、宮中へ向かう

【現代語訳】

 十六日、桂川でお祓いをなさる。慣例より立派に、伊勢までお供する勅使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びになった。院のお心遣いもあってのことであろう。野の宮をお出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、
「雷神でさえも(思う者同士の仲を割かないというのに)、
  八洲もる国つ御神も心あらば飽かぬわかれの仲をことわれ

(大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば、尽きぬ思いで別れなければ

ならいわけをお聞かせ下さい)
 どう考えてみても、納得できない気持が致しますよ」とある。とても取り混んでいる時だが、お返事がある。斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっている。
「 国つ神そらにことわる仲ならばなほざりごとをまずやたださむ

(国の神がお二人の仲を裁かれることになったならば、あなたの実意のないお言葉を

まずは糺されることでしょう)」
 大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、思い止まられて、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。
 斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になる。

「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、

「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。

 

《とうとう斎宮の伊勢への出立です。そのお祓いは賑々しい儀式になりますが、その背後でさまざまな人のさまざまな思いが交錯します。

立派な行列も、院の配慮によるのだと言いますが、斎宮の母・御息所が院の亡くなった弟の妻に当たる縁だからです。かつては弟の死の後、御息所に宮中に残るように勧めもし(葵の巻第二章第七段4節)、源氏との噂を聞いて源氏に正妻として迎えてはどうかと諭したこともあって(葵の巻第一章第一段2節)、彼女の思いに心を寄せていながら、こういう不遇をかこたせることになったことについて、せめてもの償いといった気持ちなのでしょう。

源氏は行って見送りたいと思うのですが、「振り捨てられて見送る」と世間に見られることを憚って、相変わらずの恨み言の歌を贈るだけに留めます。

「大将は御息所にどのようなあつかいをなさったのか、と世間は考える。人々はあの物の怪の事件などしらないのである」と『評釈』が言います。それほどに御息所の声望は高かったということにもなるでしょうか。何にしても悪いのは源氏ということになりますから、源氏としては、出て行きにくいところです。。

その一方で、斎宮からの返歌(それは「心にもないことをおっしゃいますな」(『評釈』)という手厳しいものだったのですが)を見て、源氏は、恋人の娘であり、しかもこれから神に仕えようとする斎宮であるこの女性に心引かれて「世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと不埒なことを考えるのですが、それについて作者は、「このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分(原文・かうやうに例に違へるわずらはしさに、必ず心かかる御癖)」であることも、忘れずに書き添えます。

『光る』はそれを、「丸谷・性格描写として非常にいいなと思っています。…この出し方はタイミングが非常にいいっていう感じがする。普通のところでそれを言ってもだめですが、ここだと、とてもいい」と絶賛しています。

この斎宮は、後に絵合、薄雲の巻以後に改めて大切な人物として登場することになります。

そうしたさまざまな思いや伏線の交錯を秘めて、いよいよ出立の日を迎えます。》

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第三段 伊勢下向の日決定

【現代語訳】

後朝の御文がいつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めてお思い直して迷ったりなさるべき事でもないので、まったくどうにもならない。
 男君は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手にいろいろとおっしゃるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げておられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、思い悩んでおられるのであろう。
 旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、あれこれのご調度類などを、立派で目新しいさまに仕立てて、お贈り申し上げなさるが、御息所は何ともお思いにならない。軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた我が身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。
 斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立がこのように決まってゆくのを、ただもう嬉しいとばかりお思いになっている。世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。

 

《御息所の下向が動かし難いことになって、源氏はひときわ細やかな情愛を見せます。それは彼の半ば本心であり、残念な気持ちの表れでもありますが、また、この段の1節にあったように半ばはお互いの体面上の配慮なのだと、作者は男というものをよく承知して、書いています。

こういう場合、男の女性に対する優しさは、女性にとって返って苦痛となるでしょうが、しかし、これまでにも幾度かそういうことがあったように、そうされることが女性にとってせめてもの慰めとなるということもあります。男の側の意志による明解な別れは、女性にとって、ただむなしい悲哀が残るばかりです。

全ては目に見えない何ものかの力による避けられない成り行きなのだとすることで、自分の責任を回避しながら、別れという事実だけを現実のものとするというのは、いかにも貴族らしい老獪さでもあります。

最後は振られたのは自分の方だという形にするのが、優しい男の潔さのあり方というもので、御息所もそれが配慮に過ぎないことを承知しているのでしょう、贈られた餞別にももう「何ともお思いにならない」で、ただ、自分の身の性の拙さを「起きても寝てもお嘆きになる」ばかりです。どうしてこういうことになったのか、賢明な彼女はもうすっかり気が付いているのでしょう。

そういう母の思いを知らぬげに、旅立ちを楽しげに待っている斎宮を傍らに描くことで、御息所の孤独は一層深まるのですが、さらにそこに、そうして斎宮に母親が同行するという「先例のないこと」に対しての世間の非難と同情という好奇の目が向けられます。》


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第二段 野宮訪問と暁の別れ~その3

【現代語訳】3

 女君は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子で、源氏はますますお気の毒に思い、やはり下向を思い止まられるように、お申し上げになるようである。
 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。だんだんと「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、思い乱れていらっしゃる。
 殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、ほんとうに優艶で、どこの庭にも負けない様子である。物思いの限りを尽くしたお二人の間柄でお語らいになった内容は、そのまま筆に写すことはできない。

だんだんと明けて行く空の風情は、わざわざ作り出したかのようである。
「 暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな

(あなたとの明け方の別れにはいつも涙に濡れましたが、今朝の別れは今までにない

涙に曇る秋の空です)」
 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっておられるご様子は、たいそう優しい。
 風がとても冷たく吹いて、鈴虫の鳴き嗄らした声も、時を心得ているかのようなので、それほど物思いのない者でさえ聞き過ごしがたいようなのに、まして、どうしようもなく思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。
「 おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫

(ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに、さらに鳴いて悲しませてくれ

るな野辺の鈴虫よ)」
 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、空が明けて行くのも具合が悪くて、お立ちになる。道中はたいそう露がしとどで、涙に暮れてお帰えりになる。
 女君も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。

女君がほのかにご覧になった月の光に照らされた源氏のお姿や、まだ残っている匂いなどを、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、褒め申し上げる。
 「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」と、わけもなく涙ぐみ合っていた。

 

《この物語では一般に動作主(主語)が明示されることは少ないのですが、ここの冒頭「女君は」は原文に「女は」と書かれています。時々ある呼び方ですが、それは「社会的な全ての制約をぬぎ捨てて、ただ純粋に恋する女と、恋する男だけがある」(『評釈』)場合の呼び方のようで、ここはそれが大変よく分かる場面です。

つまり、前節の「神垣」の歌を詠んだ時とは全く違う気持になっていることを、そういう形で示しているということです。

続いて、「気持ちを抑えていられるようだが」、「お申し上げになるようである」、「恨みもきっと消えてしまうことだろう」と、現代語では不自然に思われる推量の表現が連続しますが、以前、桐壺の巻第一章第三段1節で触れたように、この物語を語っている女房が、絵を指しながら、聞き手の姫君に語りかけている口調のようです。私たちにとっては、それによって、場面や登場人物を遠望する形になって、言外に時間の経過も感じられるように思います。

女君の心が傾いて行くにつれて、叙述は庭の方に移り、「お語らいになった内容は、そのまま筆に写すことはできない」と二人をフェイド・アウトして別世界に送り、そして「夕月」の上る前の訪れから、今、「明けて行く空」となります。

あとは、ひとしお哀愁深い、後朝の別れです。「帰りにくそうに、お手を捉えてためらっておられる」という二人の姿は、まったく歌舞伎の舞台そのままで、本当なら大向こうから無数の声が飛び交うところでしょう。

実はこの二人の間を隔てるものは(葵の上と源氏の間もそうでしたが)、お互いの心の行き違いの他には何もありません。

御息所について言えば、高い教養と地位と誇りを持ち、そして激しい恋心と、逆に愛されていないという悲哀を抱いた女性の、燃える情念と屈辱感を内心で錯綜させて、しかも「ものごとをあまりにも深くお思い詰めなさるご性格」(夕顔の巻第三章1節)によってそれを増幅させてしまった女性、作者はそのようにこの人を描いたのです。

この朝の彼女の張り裂けるような思いは、それこそ想像に余りあるものがあります。私は『山月記』(中島敦)の最後の李徴(虎)の咆哮を、身近な例として思い出します。

一方「若い女房たち」は、源氏を見送りながら、単純に、あんな素晴らしい方と別れるなど、どういう事情があるにしても理解できないと思っているというのですが、それは、『評釈』の言うような「御息所と同じ見解」なのではなくて、逆に、御息所には誰にも語ることのできず、側近の女房たちさえ思いもよらない、孤独な悲しみと苦しみがあるということを、さりげなく示唆していると読まなければならないところではないでしょうか。》

 
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第二段 野宮訪問と暁の別れ~その2

【現代語訳】2

 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いんある様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
「このような外出も今では相応しくない身分になってしまったことをお察しいただければ、このような注連の外に立たせて置くようなことはなさらないで、胸に溜まっていますことをも晴らしたいものです」と、心を込めて申し上げなさると、女房たちは、
「おっしゃるとおりで、とても見てはいられませんわ」
「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」などと、お取りなし申すので、

「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方も年甲斐もないとお思いになるだろうが、端近に出て行くのが、今さらで気後れすることだ」とお思いになるととても気が重いけれども、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子は、まことに奥ゆかしい。
「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」と言って、上がっておすわりになった。
 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子は、美しさに似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰をもっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っておられたのを、差し入れて、
「変わらない心に導かれて、神垣も越えて参ったのです。何とも薄情な」と申し上げなさると、
「 神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ

(ここには人の訪ねる目印の杉もないのに、どう間違えて榊を折って持っていらっし

ゃったのでしょう)」

と申し上げなさると、
「 少女子があたりと思へば榊葉の香を懐かしみとめてこそ折れ

(少女子がいる辺りだと思うと、榊葉の香が慕わしくて探し求めて折ったのです)」
 周囲の神域らしい様子には憚られるが、御簾だけを引き被って、長押にもたれかかって座っていらっしゃった。
 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっておられた頃は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかったのだった。
 また、内心「どうにも、欠点があって」とお思い申してから後、やはり情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのだが、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、感慨に胸が限りなくいっぱいになる。今までのことや将来のことが、それからそれへとお思い続けられて、心弱くお泣きになるのだった。

《御息所の立場は微妙です。

源氏と相愛の間柄だったこと、そしてこのごろ訪れが間遠になったことは周知のことです。そうなっていったわけは、御息所からすればあまりに年上だという問題があり、いつからか自分が愛されなくなったという思いがあり、その挙げ句に自分が生き霊となって源氏の前に姿を現してしまったという深い負い目があります。

源氏からは彼女の品格、教養の高さに気圧される気分だったことがあり、そして決定的だったのは、その生き霊のことがあります。しかし、その源氏の側の問題は誰にも語られず、女房たちは知るよしもありません。それを承知していてひとり負い目を感じている御息所は、会いたい思いがどれほどあっても、尻込みせざるを得ません。

そういう中ですっかり間遠になった男がはるばると会いに来たのです。

女房たちは、折角示された好意なのに、会おうとしない主人の振る舞いを、不可解に、さらにはよくないことと思って見ています。

会いたい思いと会ってはならないと戒める思いとに揺れ動いている中で、その女房たちの目を気にせずにはいられない(というのも、半ば自分への無意識の口実なのでしょうが)彼女は、とうとう「とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃった」のでした。

源氏が長い無沙汰の照れ隠しに差し出した榊の小枝に対する御息所の歌は、今さら何をお間違えになって神域を破ってこんなところまで訪ねておいでになったのでしょう、という恨みを込めた皮肉の気持なのでしょう。しかしその底にかすかに、やはり源氏を上からたしなめるような、じらすような調子が(相聞の女性の歌にはよくあることではありますが)混じっているような気もします。

源氏は、こうして向き合ってみると、もともと魅力溢れる女性であり、まして今は間近な別れが前提であることもあって、昔の思いが蘇って思いがつのり、すまなさやいとおしさや別れの淋しさやで、泣かずにはいられない気持ちになります。》

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