源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 紫の上の物語

第三段 新年の参賀と左大臣邸へ挨拶回り

【現代語訳】

 元日には、例年のように、院に参賀なさってから、内裏、春宮などにも参賀に上がられる。そこから左大臣家に退出なさった。左大臣は新年の祝いもせず、故人の事などを話し出しなさって、張り合いもなく悲しいと思っておられるところに、悲しみを増すかのようにこのようにお越しになられたのにつけても、我慢しようとなさるが、堪えがたい思いにおなりである。
 源氏は、一つお年をとられたせいか、堂々たる風格までがお加わりになって、以前よりもことにお綺麗にお見えになる。殿の御前を立って、故人のお部屋にお入りになると、女房たちも珍しく拝見申し上げて、涙を抑えることができない。
 若君を拝見なさると、すっかり大きく成長して、にこにこしていらっしゃるのも、しみじみと胸を打つ。目もと、口つきが、まったく春宮と同じご様子でいらっしゃるので、「人が見て不審にお思い申すかも知れない」と御覧になる。
 お部屋の装飾なども昔に変わらず、御衣掛のご装束なども、いつものようにして掛けてあるが、女君のご装束が並んでないのが、見栄えがせず寂しい。
 母宮からのご挨拶として、
「今日はたいそう堪えておりますが、このようにお越し下さいましたので、かえって」などとお申し上げになって、
「今まで通りのつもりで新調しましたご衣装も、ここ幾月はますます涙に霞んで、色合いも映えなく御覧になられましょうかと存じますが、今日だけはやはり粗末な物ですが、お召し下さいませ」と言って、たいそう丹精こめてお作りになったご衣装類を、またさらに差し上げになさった。必ず今日お召しになるように、とお考えになった御下襲は、色合いも織り方もこの世の物とは思われず、格別な品物なので、ご厚意を無にしてはと思ってお召し替えになる。もし来なかったら、さぞかし残念にお思いであったろう、とおいたわしい。お返事には、
「『春や来ぬる』とも、まずは御覧になっていただくつもりで参上致しましたが、思い出さずにはいられない事柄が多くて、十分に申し上げられません。
  あまた年今日あらためし色ごろもきては涙ぞふるここちする

(何年来元日毎に参っては着替えをしてきた晴着ですが、今日も来てそれを着ると涙がこぼれる思いがします)

 とても気持を鎮めることができません」と、申し上げなさった。お返歌は、
「 新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり

(新年になったとは申しても降りそそぐものは、老母の涙でございます)」
 並々なお悲しみであるはずはないことだ。

 

《葵の巻の終わりは、やはり葵の上の屋敷でなければならないということでしょうか、新年を迎えて、源氏は左大臣家へ挨拶に赴きます。

 『評釈』によれば、「妻の死に対する夫の服は、三月」だと言い、葬儀は八月下旬でした(第二章第七段1節)から、自然な行動ですが、しかし邸は、まだあげて葵の上を亡くした悲しみの中に新年を迎えていました。そこに源氏が訪れたことによって大殿も母宮もいっそう涙々となります。

そのことは、この新しい年が、明るく希望に満ちたものではないことを暗示しているのかも知れません。

若君が「目もと、口つきが、まったく春宮と同じご様子でいらっしゃる」という一節が、あたかも普段秘められている源氏の心中の抜きがたい不安を思い出させる一刷毛の黒雲のように、しかしさらりと書き添えられています。

ともあれ、こうして、葵の上と御息所の車争いから始まって、生き霊の出現、正室葵の上の死、そして紫の上との間柄の新たな展開という、この物語にとっての大きな波乱の巻が終わります。

『光る』が「丸谷・『葵』の巻、これはいいですね。魅力のあるエピソードがいっぱい詰まっていて、適切な順序で並んでいる。どうしてこんなにうまい順序で並ぶことができるだろうと思うくらいです。…『葵』は才能のある作家が最初から書きたいと思っていたところの一つだと思います」と言っています。

そして次の巻で、またもう一つの大きな事件の幕が開きます。》


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第二段 結婚の儀式の夜~その3

【現代語訳】3

 「この姫君を、今まで世間の人も誰とも存じ上げないのは、いかにも軽く見えるだろう。父宮にお知らせ申そう」とお考えになって、御裳着のお祝いを、人に広くお知らせにはならないが、並々でなく立派にご準備なさるお心づかいなど、いかにも類のないくらいなのだが、女君はすっかりお疎み申されて、「今までずっと万事ご信頼申して、お側を放れ申し上げなかったのは、まつわり申し上げていたのは、我ながら浅はかな考えだった」と、ただただ悔しくお思いになって、まともには顔をお見合わせ申し上げようとはなさらず、冗談を申し上げなさっても、いやで迷惑なこととふさぎこんでおしまいになって、以前とはすっかり変わられたご様子を、おもしろくもいじらしくもお思いになって、
「今まで、お愛し申してきた甲斐もなく、『慣れはまさらぬ』ご様子が、辛いこと」と、お恨み申しておられるうちに、年も改まった。

 

《いよいよ源氏は若紫を世に公表することを考え始めます。

『評釈』は、実はこれは大変な決断なのだとして、源氏の後ろ盾については、帝は別として、現在「左大臣とのつながりは、今は幼い男児のみ」、そして「今の実権者右大臣の婿」になるつもりはない、つまり彼は「自分ひとりで世を渡って行けるつもり」の「見通しに欠ける、若いお坊ちゃん」ということになる、と言います。

押しも押されぬ他の二人の候補者を措いて、「みなし子の、勢力のない、若い女性の魅力にひかれて、こう決意」した、つまり身分階級という基本的社会秩序を考慮することを捨てて、一個人を伴侶として選んだことになるというわけです。

昔、例えば日本の戦前などにおいて、恋愛はふしだらなものとして蛇蝎のごとくに忌避されたわけですが、その内実は「ふしだら」という美学上の問題ではなくて、それがこのようにして社会秩序を壊していく極めて恐ろしい力を持っていたからなのです。

もちろん源氏にはそんな大それた考えはありません。若者はいつもそうなのです。自分に正直に(しばしば一時の衝動や独りよがりで)生きることによって、いつの間にか社会に楯突く形になってしまうのです。いま源氏にそれが何事もなく許されるのは、彼が超絶的に魅力の持ち主であることと、そして帝の御子であるからであるのはもちろんです。

さて、姫の存在を公的なものとするには、まずは姫の父である兵部卿の宮に話さなくてはなりません。

また、姫を掠ってきてからもう四年、姫も十四歳になります。御裳着(女子の成人式)のお祝いもしなくてはなりません。ちなみに源氏は二十二歳になっています。

源氏は楽しくその計画を立てるのですが、姫のご機嫌は依然として収まりません。

そういう姫を源氏は一貫して「かわいらしくもいじらしくも(原文・をかしうもいとほしうも)」思って見詰めています。彼には、あくまでも純真な新妻として見えているのです。

そしてそのことは、やはり姫が「女の悲しい運命を、痛いほどにかみしめた人」(『評釈』)というような、大きな心の傷を受けたわけではないということを傍証しているように、私には思われます。

さてこうして、すぐにも話は進みそうですが、これでまたしばらくこの姫は物語の表舞台から退き、話は別の方へと展開していきます。》


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第二段 結婚の儀式の夜 ~その2

【現代語訳】2

女房たちは知り得ずにいたが、翌朝この箱を下げさせなさったので、お側に仕える女房たちは、いろいろ思い当たることがあったのだった。お皿類なども、いつの間に準備したのだろうか、脚のとても立派なものであり、餅も特別に作らせたもののようで、大変素晴らしくととのえてあった。

少納言は、「とてもまあ、これほどまでは」と思い申し上げていたが、身にしみてもったいなく、行き届かない所のない君のお心配りに、何よりもまず涙が思わずこぼれた。
「それにしてもまあ、内々にでもおっしゃって下さればよいものを。あの人も、何と思ったことか」と、女房たちはひそひそ囁き合っている。

 それから後は、内裏にも院にもちょっとご参内なさる折でさえ、落ち着いていられず、面影に浮かんで恋しいので、不思議な気持ちであることだ」と、自分でもお思いになる。お通いになっていた方々からは、恨めしげにお便りなどあるので、気の毒だとお思いになる方もあるが、新妻がいじらしくて、「一夜たりとも間を置いたりできようか」と、気がかりな気がなさるので、他へ通うのはとても億劫に思われて、ひたすら気分が優れないというふうに振る舞いなさって、
「世の中がとても嫌に思えるこの時期を過ぎてから、どなたにもお目にかかりましょう」 とばかりお返事なさって、お過ごしになる。

 今后(弘徽殿大后)は、御匣殿(朧月夜の君)がなおもこの大将にばかり心を寄せていらっしゃるのを、
「なるほどやはり、あのように重々しかった方もお亡くなりになったようだから、そうなったとしても、どうして残念なことがあろうか」などと、父の右大臣はおっしゃるが、

「とても憎い」と、お思い申し上げになって、
「御匣殿のお務めを重々しくお勤め続けなさりさえすれば、どうして不体裁なことがあろうか」と、ご入内おさせ申すことを熱心に画策なさる。
 君も並々の方とは思っていらっしゃらなかったので、残念だとはお思いになるが、目下は他の女性にお心を分ける間もなくて、
「どうして。こんなに短い一生なのに、このまま落ち着くことしよう。人の恨みも負うべきでないことだ」と、ますます怖いことだとお懲りになっていらっしゃる。
「あの御息所は、とてもお気の毒だが、生涯の伴侶としてお頼り申し上げるには、きっと気の置けることだろう。今までのように大目に見て下さるならば、何かある折々にお話しを交わす相手として相応しいだろう」などと、そう言っても見限ってしまおうとはなさらない。

 

《区切りの一夜が明けて、事態の変化を周囲に分からせる必要もあるので、昨夜の皿を女房たちに下げさせます。女房たちは、惟光の鮮やかな手配ぶりに感嘆しながら、自分達が蚊帳の外だったことを残念に思い、その中で、少納言は、源氏の配慮に感謝の涙をこぼしました。

さて、源氏に正室が亡くなったとなると、その後に誰が座るかと世間の目が集まります。

「お通いになっていた方々」から、いろいろと訪れのないことへの恨み言の手紙があります。しかし源氏は、姫の機嫌は相変わらずよくない(次節でそう語られます)のですが、いや拗ねているだけ余計に姫がいとおしくてでしょうか、源氏は「一夜たりとも間を置いたりできようか」と思って、葵の上の喪に服している態で断って、他の夫人方へのお出かけはすっかりなくなりました。

 正室後継の有力候補は、『評釈』によれば「世間的に見れば」朧月夜の君と六条御息所ということになります。

朧月夜の君は依然としてひとえに源氏に心を残していて、実は父大臣も娘が源氏を望むならそれでもいいと思っているのですが、新帝を擁して今をときめく母・弘徽殿の大后は、そのことに苛立って、ここで再び源氏に後れを取るようなことがあってはならぬとばかりに、何とか早く東宮の后に収まるようにと、手立てを巡らしています。

源氏の方も、「残念だとはお思いになる」ものの、六条御息所の一件以来、「人の恨みも負うべきでないことだ」と懲りていて、動こうとはしません。

 その御息所については、気の毒だと思うのですが、あのような事情もあり、またそれ以前に「歌のやりとりで、必ず光源氏の歌が落ちる」(『光る』)など、「六条御息所の教養、趣味のよさに、源氏は圧倒されている」(同)ところがあって、「何かある折々にお話しを交わす相手」ならいいけれども、毎日顔をあわせるのは、窮屈でつらいと源氏は感じているようです。

 結局彼は、この若紫の姫君を「生涯の伴侶(原文・まことのよるべ)」としようと考えるに至ります。》

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第二段 結婚の儀式の夜~その1

【現代語訳】1

 その晩、亥の子餅を御前に差し上げた。こうした喪中の折なので、大げさにはせずに、こちらの姫のいる西の対だけに美しい折り詰め程度を、彩りよく趣向を凝らして持参したのを御覧になって、君は、南面にお出になって、惟光を呼んで、
「この餅を、このように数多く大袈裟にはしないで、明日の暮れに参上させよ。今日は日柄が好くない日であったよ」と、ほほ笑んでおっしゃるご様子から、機転の働く者なので、ふと気がついた。惟光は詳しいことも承らずに、
「なるほど、おめでたいお祝いは、吉日を選んでお召し上がりになるべきでしょう。ところで()の子餅はいくつお作り申しましょう」と、真面目に申すので、
「三分の一ぐらいでよいだろう」とおっしゃるので、すっかり呑み込んで立ち去った。  

「物馴れた男よ」と君はお思いになる。誰にも言わないで、手作りといったふうに自分の家で作っていたのだった。
 君は、ご機嫌をとりあぐねておられて、今初めて盗んで来たような人の感じがするのも、とても興趣が湧いて、「数年来かわいいとお思い申していたのは、片端にも当たらないくらいだ。人の心というものは妙なものだ。今では一晩離れるのさえ堪らない気がするに違いないことよ」とお思いになる。
 お命じになった餅は、こっそりと、たいそう夜が更けてから持って参る。

「少納言は大人なので、恥ずかしくお思いになるかもしれない」と、思慮深く配慮して、娘の弁という者を呼び出して、
「これをこっそり差し上げて下さい」と言って、香壺の箱を一つ差し入れた。
「間違いなくお枕元に差し上げなければならない祝いの物でございます。どうか、ゆめゆめ、疎かにしないで」と言うと、「なんだろう」と思うが、
「浮気ということは、まだ知りませんのに」と言って、受け取ると、
「まじめな話、今はそのような言葉はお避けなさい。決して使うことはあるまいが」と言う。若い女房なので、事情も深く悟らないので、持って参って、お枕元の御几帳の下から差し入れたのを、君が、例によって餅の意味をお聞かせ申し上げなさるのであろう。


《亥の子餅というのは、陰暦十月亥の日亥の刻に食べる祝餅のようです。「当時、結婚して三日目の夜は、夫婦ともに餅を食う習慣があった」(『評釈』)ようで、「明日の夜は、源氏と姫君と新枕して三日目の夜になる。したがってその餅が必要である。服喪中に新枕したしたことを知られるのも、源氏にはてれくさく、気が引ける」(同)。そこで源氏は、今日の餅を明日に日延べして持って来させれば、それと気付かれないで済むと考えたのです。「今日は日柄が好くない」というのは、その日延べのただの口実です。ただの口実だから「ほほ笑んで(原文・うちほほゑみて)」言うのです。『集成』は「照れたように笑って」と訳します。

惟光は、「機転の働く者なので、ふと気がついた」のでした。いつかは、と、予期もしていたのでしょうか。

「子の子餅」は惟光の洒落で、亥の日の翌日、子の日だから、そういったのです。「おめでたいお祝いは…」と、もっともらしい顔をして応じたのが、また惟光の見事なところで、気付かぬふりをしながら、委細を了解したことを巧みに示しています。

翌日、惟光は餅を届けました。部屋へ持参するのが少納言の乳母では、それと察するでしょうから、あとで姫が恥ずかしく思うだろうと、彼は、乳母の娘(それはまだそういうことを知らない小娘なのでしょう)に、それも、餅とは見えないように香壺の箱に入れて預けます。

惟光が「疎かにしないで(原文・あだにな)」と言うと、「浮気ということ(原文・あだなること)は、まだ知りませんのに」と、小娘らしく洒落たつもりでちょっと生意気ふうに返事するので、惟光は、めでたい結婚の儀式の時にそんな言葉を言われては困ると、慌てて注意をします。ちょっとしたやりとりですが、この小娘が生彩を帯びます。

姫と二人几帳の中にいて餅を受け取った源氏は、その餅の意味を懇々と話して聞かせたことでしょう。「ここまでくれば、すねていた姫の心も、少しは諦めの方向に傾いてくることであろう」と『評釈』は言いますが、そう簡単でもなかったことが後に分かります。

いずれにしても、ここは源氏と惟光、惟光と小娘の二組の対話が大変に楽しい場面で、そこで惟光の見事な従者ぶりが躍如としています。》


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第一段 源氏、紫の君と新手枕を交わす~その2

【現代語訳】2

 姫君が、何事につけ理想的にすっかり成長なさって、まったく素晴らしくお見えなさるのを、もう不似合いでもない年頃だと思ってご覧になるので、それを匂わすようなことなどを、時々言ってご覧になるが、まったくお分りにならない様子である。
 所在ないままに、ただこちらで碁を打ったり、偏継ぎの遊びをしたりして、毎日お暮らしになるのだが、気性が利発で愛嬌があり、ちょっとした遊びの中にもかわいらしいところをお見せになるので、結婚が念頭に無かった年月は、ただそのようなかわいらしさばかりをお感じだったが、抑えることができなくなって、気の毒だけれど、どういうことだったのだろうか、周囲の者がお見分け申せる間柄ではないのだが、男君は早くお起きになって、女君は一向にお起きにならない朝がある。
 女房たちは、「どうして、こうしていらっしゃるのだろうかしら。ご気分がすぐれないのだろうか」と、お見上げ申して嘆くが、君はお帰りになろうとして、お硯箱を、御帳台の内に差し入れて出て行かれた。
 人のいない間にやっと頭を上げなさると、結んだ手紙がおん枕元にある。何気なく開いて御覧になると、
「 あやなくも隔てぬるかな夜をかさねさすがに馴れし夜の衣を

(どうして長い間何でもない間柄でいたのだろう、幾夜も夜の衣を重ねて来たのに)」
と、お書き流しになっているようである。

このようなお考えがおありだとは、まったく思いもおかけにならなかったので、「どうしてこう嫌なお心を疑いもせず頼もしいものとお思い申していたのだろう」と、悔しくお思いになる。

 昼ごろ、お渡りになって、
「ご気分がお悪いそうですが、どんなお具合か。今日は碁も打たなくて張り合いがないね」と言ってお覗きになると、ますますお召物を引き被って臥せっていらっしゃる。

女房たちは退いて控えているので、お側にお寄りになって、
「どうして、こう気づまりな態度をなさるのか。意外にも冷たい方でいらっしゃいますね。皆がどうしたのかと変に思うでしょう」と言ってお衾を引きのけなさると、汗でびっしょりになって、額髪もひどく濡れていらっしゃった。
「おや、いけないね。これはとても大変なことだよ」と言って、いろいろと慰めすかし申し上げなさるが、心底から、とてもひどいとお思いになって、一言もお返事をなさらない。
「よしよし。もう決してお目に掛かりません。とても恥ずかしい」などと怨みごとをおっしゃって、硯箱を開けて御覧になるが、ご返事の歌もないので、「なんと子供っぽいご様子か」と、かわいらしくお思い申し上げなさって、一日中、御帳台に入っておいでになって、お慰め申し上げなさるが、打ち解けないでいらっしゃるそのご様子は、ますますかわいらしい感じである。

 


《美しくも愛らしい、新手枕(初めての契り)の場面です。具体的なことはほとんど何も書かれていませんが、純真無垢の姫君の初めての経験に対する驚きと戸惑いと羞じらいの全てが、その外側から余すところなく描かれているという気がします。

このあたりについて『源氏物語の女君たち』(瀬戸内寂聴著)は、「性描写をはぶくだけ、読者の想像力はかきたてられます。そこに本当の洗練されたエロチシズムが漂うのです」と言いますが、ここはそういうことを書こうとしたところではありません。

さらに同書はここでの源氏の行動を「レイプ」とも「野合」とも呼んでいますが、それもまったく違うでしょう。もし本当にそうだったのなら、この姫は今後語られるような形で源氏に馴染むことはできなかったでしょう。そもそも「本当の洗練されたエロチシズム」と「レイプ」や「野合」は、一体どうつながるのでしょうか。ここには「想像力」が「かきたてられる」ような言葉など、私には見当たりません。ここからエロチシズムを「かきたてられる」人は、もともとこの物語をそういうふうに読もうとする人ではないかという気さえしてしまいます。誰かが言っていましたが、その気で読めば「保健」の教科書でもエロ本になるのです。

その点では藤壺との時(若紫の巻第二章第一段)の方が、よほど想像力がかき立てられて、エロチックです。あそこは愛欲の場面なので、そう書く必要があったのです。そういう場面は実は大変珍しい例なのであって、私が前書きで愛欲の物語ではないと言ったのは、そういう意味だったのでした。

 ここで「性描写をはぶ」いたのは、そういう効果を狙ったからではなく、おそらく書く意志も必要もなかったからなのであって、ここに書かれているのは、ひたすらその起こったことへのこの姫の「思い」なのです。つまり、ひとりの少女の人間としてのいじらしく愛らしい姿なのです。

民主的な合意がなかったからレイプだ、というのは、合意などという概念さえなかったであろう時代には当てはまらない理解です。『源氏物語の愛』所収「源氏物語のおもしろさ-光源氏論-」(秋山虔著)が、「現代の作家がご自分の立場から発言なさるのは、それはそれで結構なのですが、作家の体内を通過した『源氏』なのですから、そのまま鵜呑みになさらないでいただきたいと思います」と言って、源氏の女性関係をレイプと呼ぶことについて、「それでは『源氏』を現代の風俗小説のレベルに引き据えてしまうことにならないでしょうか」と言っています。 

民主主義とは名ばかりの無秩序の時代と、身分の区別の下に価値観の確立していた時代と、どちらが普通の人にとって幸福な時代かという比較は、実は大変難しい問題です。人は、どういう時代でも、どうせ何らかの制約の中で生きるしかなく、その制約の軽重は容易に比較できることではありません。そして幸福と不幸はその枠の中にあるのです。

従って、作者はここに「女の悲しい運命」を織り込んだのだ、という『評釈』のような読み方も違うと思います。確かにこの姫は、今動揺の中にいます。しかし源氏への信頼が根のところで揺らいだのではなかったことは、物語を読み進めれば明らかなことです(のちの浮舟の巻第二章第七段に関連記事)

さて翌朝、源氏は後朝の歌を残して一端部屋を出ますが、姫は起きてきません。「以前から源氏と姫とは、一緒に寝ていた」(『評釈』)(紅葉賀の巻第二章第三段、第三章第四段1節)のですから、周囲はそれとは気付かず、体調が悪いのだと思っているようです。

昼頃、源氏が来てみると、姫はなお頑なにすねて、「男から後朝の文をもらったら、どうすべきかくらいは知っているはずなのだが、答える気にすらなれない」(『評釈』)でいます。源氏は「『なんと子供っぽいご様子か』と、かわいらしくお思い申し上げなさって、一日中」(同書)なだめすかすのですが、姫君の心はほぐれません。しかしその姫の姿は、源氏だけでなく読者にとっても、そして作者にとっても、ことのほか「ますますかわいらしい感じ(原文・いとどらうたげなり)」なのです。

この姫はここでは結局何も背負ったものはなく、普通の女性がそうであるように、劇的な通過点であっただけです。物欲しげに「想像力」を逞しくしたりしないで、書かれてあるとおりに、ひたすら「純真な姫君の初めての経験に対する驚きと戸惑いと羞じらい」があったのだと読むべきところです。

実は、そういう純真な彼女にして初めて、最後に背負う「悲しい運命」が、より大きな、そして高貴な悲劇性を持ちうるのです。》


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