【現代語訳】
元日には、例年のように、院に参賀なさってから、内裏、春宮などにも参賀に上がられる。そこから左大臣家に退出なさった。左大臣は新年の祝いもせず、故人の事などを話し出しなさって、張り合いもなく悲しいと思っておられるところに、悲しみを増すかのようにこのようにお越しになられたのにつけても、我慢しようとなさるが、堪えがたい思いにおなりである。
源氏は、一つお年をとられたせいか、堂々たる風格までがお加わりになって、以前よりもことにお綺麗にお見えになる。殿の御前を立って、故人のお部屋にお入りになると、女房たちも珍しく拝見申し上げて、涙を抑えることができない。
若君を拝見なさると、すっかり大きく成長して、にこにこしていらっしゃるのも、しみじみと胸を打つ。目もと、口つきが、まったく春宮と同じご様子でいらっしゃるので、「人が見て不審にお思い申すかも知れない」と御覧になる。
お部屋の装飾なども昔に変わらず、御衣掛のご装束なども、いつものようにして掛けてあるが、女君のご装束が並んでないのが、見栄えがせず寂しい。
母宮からのご挨拶として、
「今日はたいそう堪えておりますが、このようにお越し下さいましたので、かえって」などとお申し上げになって、
「今まで通りのつもりで新調しましたご衣装も、ここ幾月はますます涙に霞んで、色合いも映えなく御覧になられましょうかと存じますが、今日だけはやはり粗末な物ですが、お召し下さいませ」と言って、たいそう丹精こめてお作りになったご衣装類を、またさらに差し上げになさった。必ず今日お召しになるように、とお考えになった御下襲は、色合いも織り方もこの世の物とは思われず、格別な品物なので、ご厚意を無にしてはと思ってお召し替えになる。もし来なかったら、さぞかし残念にお思いであったろう、とおいたわしい。お返事には、
「『春や来ぬる』とも、まずは御覧になっていただくつもりで参上致しましたが、思い出さずにはいられない事柄が多くて、十分に申し上げられません。
あまた年今日あらためし色ごろもきては涙ぞふるここちする
(何年来元日毎に参っては着替えをしてきた晴着ですが、今日も来てそれを着ると涙がこぼれる思いがします)
とても気持を鎮めることができません」と、申し上げなさった。お返歌は、
「 新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり
(新年になったとは申しても降りそそぐものは、老母の涙でございます)」
並々なお悲しみであるはずはないことだ。
《葵の巻の終わりは、やはり葵の上の屋敷でなければならないということでしょうか、新年を迎えて、源氏は左大臣家へ挨拶に赴きます。
『評釈』によれば、「妻の死に対する夫の服は、三月」だと言い、葬儀は八月下旬でした(第二章第七段1節)から、自然な行動ですが、しかし邸は、まだあげて葵の上を亡くした悲しみの中に新年を迎えていました。そこに源氏が訪れたことによって大殿も母宮もいっそう涙々となります。
そのことは、この新しい年が、明るく希望に満ちたものではないことを暗示しているのかも知れません。
若君が「目もと、口つきが、まったく春宮と同じご様子でいらっしゃる」という一節が、あたかも普段秘められている源氏の心中の抜きがたい不安を思い出させる一刷毛の黒雲のように、しかしさらりと書き添えられています。
ともあれ、こうして、葵の上と御息所の車争いから始まって、生き霊の出現、正室葵の上の死、そして紫の上との間柄の新たな展開という、この物語にとっての大きな波乱の巻が終わります。
『光る』が「丸谷・『葵』の巻、これはいいですね。魅力のあるエピソードがいっぱい詰まっていて、適切な順序で並んでいる。どうしてこんなにうまい順序で並ぶことができるだろうと思うくらいです。…『葵』は才能のある作家が最初から書きたいと思っていたところの一つだと思います」と言っています。