源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻八 花宴

第五段 三月二十余日、右大臣邸の藤花の宴~その2

【現代語訳】2

 管弦の遊びなどをとても楽しくなさって、夜が少し更けていくころに、源氏の君は、たいそう酔って苦しいように見せかけなさって、人目につかぬよう座をお立ちになった。
 寝殿には、女一の宮と、女三の宮がおられて、その東の戸口にいらっしゃって、寄り掛かってお座りになった。藤はこちらの隅にあったので、御格子を一面に上げわたして、女房たちが端に出て座っている。袖口などは、踏歌の時のように派手に出しているのを、似つかわしくないと、まずは藤壺周辺をお思い出しになる。
「苦しいところに、とてもひどく勧められて、困っております。恐縮ですが、この辺の物蔭にでもお隠しください」と言って、妻戸の御簾を引き被りなさると、
「あら、困りますわ。身分の賎しい人なら、高貴な縁者を頼って来るとは聞いておりますが」と言う様子を御覧になると、重々しくはないが、並の若い女房たちではなく、上品で風情ある様子がはっきりと分かる。
 空薫物をとても煙たく薫らせて、衣ずれの音もとても派手な感じにわざと振る舞って、心憎く奥ゆかしい雰囲気は欠けて、当世風な派手好みのお邸で、高貴な御方々が御見物なさるというので、こちらの戸口に座をお占めになっているのだろう。そこまでしてはどうかと思われたのだが、やはり興味をお惹かれになって、「どの姫君であったのだろうか」と、胸をどきどきさせて、
「扇を取られて、辛い目を見ました」と、わざとのんびりとした声で言って、近寄ってお座りになった。
「妙な、変わった高麗人ですね」と答えるのは、事情を知らない人であろう。

返事はしないで、わずかに時々溜息をついている様子のする方に寄り掛かって、几帳越しに手を捉えて、
「 あづさ弓いるさの山にまどふかなほの見し月のかげや見ゆると

(月が入る山の周辺でうろうろと迷っています、かすかに見かけた月をまた見ること

ができようかと)
 なぜでしょうか」と、当て推量におっしゃるのを、堪えきれないのであろう。
「 心いるかたならませばゆみはりの月なき空にまよはましやは

(本当に深くご執心でいらっしゃれば、たとえ月が出ていなくても迷うことがありま

しょうか)」

と言う声は、まさにその人のである。とても嬉しいのだが…。

 

《酔った振りの貴公子が、姫を捜して奥座敷に入ります。藤の花が咲き誇っています。その花を前にして、貴公子たちの遊興を見物しようと、当世風で、必ずしも源氏の好みではないようですが、上品な女房たちが居並んでいます。

源氏がその女房たちのところに「扇を取られて、辛い目を見ました」と、謎をかけます。これは催馬楽の一節、「高麗人に帯を取られて」のもじりなのだそうです。そこで「妙な、変わった高麗人ですね」という返事がうまれます。

几帳の向こうにいて溜息をつく人に気付いて手を取ると(こんなふうに簡単に手を取れる、というのも驚きですが)、求めた答えが返ってきます。その声があの有明の君の声だったのです。「まさにその人のである。とても嬉しいのだが…」と言いさしてこの巻が終わります。取りあえずは、『集成』の言うように「嬉しいのだが、右大臣家の姫君ではあり、人目も多い場で、どうにもならないという気持ちを表す」ということですが、もちろん、それとともに、更にその先、源氏の身に降りかかる一身上の事件の暗示でもあります。

さて、ここまでが『源氏物語』の言わば序章と言ったところで、今後物語を大きく動かすさまざまな要素のおおむねが語られてきました。

まず源氏の置かれた特異な境遇があって、そこに、明石の上を除く主要な人物の全てが出そろい、夕顔や空蝉との言わば青春の彷徨、藤壺との問題、若紫の存在、六条御息所との間柄、葵の上との関係、有明の女君(朧月夜の君)との出来事などが、言わば列挙され、以下にこれらが実際に源氏に問題として降りかかり、さまざまに絡み合って、彼の人生が動き始めることになります。》

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第五段 三月二十余日、右大臣邸の藤花の宴~その1

【現代語訳】1

 あの有明の君は、夢のようにはかなかった逢瀬をお思い出しになって、とても物嘆かしくて物思いに沈んでいらっしゃる。春宮には四月ごろ入内とご予定になっていたので、とてもやるせなく思い乱れていらっしゃったが、男君もお捜しになるにも手がかりがないわけではないが、どの姫とも分からず、特に好ましく思われていないご一族に関わるのも、体裁が悪く思い悩んでいらっしゃるところに、三月の二十日過ぎ、右の大殿の弓の競射会があり、上達部、親王方が大勢お集まりになって、引き続いて藤の宴をなさる。

花盛りは過ぎてしまったが、「ほかの散りなむ(他の花が散ってしまった後に咲け)」と、教えられたのであろうか、遅れて咲く桜二本がとても美しい。新しくお造りになった殿を、姫宮たちの御裳着の儀式の日に、磨き飾り立てたのだった。派手好みでいらっしゃるご家風のようで、すべて当世風に暮らしておいでである。
 源氏の君にも、先日、宮中でお会いした折にご案内申し上げなさったが、おいでにならないので、残念で折角の催しも見栄えがしないとお思いになって、ご子息の四位少将をお迎えに差し上げなさる。
「 わが宿の花しなべての色ならば何かはさらに君を待たまし

(わたしの邸の藤の花が世間一般の色をしているのなら、どうしてあなたをお待ち致

しましょうか)」
 宮中においでの時だったので、お上に奏上なさる。
「得意顔だね」と、お笑いあそばして、
「わざわざお迎えがあるようだから、早くお行きになるのがよい。女御子たちも成長なさっている所だから、赤の他人とは思っていまいよ」などと仰せになる。御装束などお整えになって、たいそう日が暮れたころ、待ちかねられて、お着きになる。
 桜襲の唐織りの御直衣に、葡萄染の下襲の裾をとても長く引いて、参会者は皆袍を着ているところに、しゃれた皇子らしい姿の優美な様子で、丁重に迎えられてお入りになるお姿は、なるほどまことに格別である。花の美しさも圧倒されて、かえって興醒めである。

《この巻は、前の紅葉賀の巻を受けて、桜の宴で始まり、後半は藤の宴です(もっとも、『評釈』は、巻名・花宴は帝主催の桜の宴を指し、大臣主催の藤の宴は私的なもので並べて論じられないから、それに含まないと言っています)。

 かの女君はあの一夜の逢瀬に、すっかり心を奪われてしまっていたのでした。その姫が誰であったか、「春宮には四月ごろ入内とご予定になっていた」と読者に明かされます。が、源氏はまだ知りません。

 そんな時に、右大臣は自慢の屋敷の花の宴に源氏の姿が見えないのが物足りないと考えました。奥方の弘徽殿が源氏を嫌っている、または警戒しているのとは、ちょっと違うようです。彼は息子をわざわざ源氏を迎えに遣ります。よもや当面もっとも大事な娘とその男が、困った関係になっているなどとは夢にも知らないで…。どうもこの人は、少し軽いところのある人らしいのです。

優美で華やいだ貴族生活の中で、近々東宮に輿入れの予定の姫がいて、そこにあまたの貴公子が集っており、そこへ一際美しく花も恥じらう貴公子の登場というわけです。帝の父親らしい助言も自然でなかなかいい感じです。

しかし源氏は今、彼を待ちかまえる事件の世界に足を踏み入れたのです。

紅葉賀の巻の藤壺懐妊事件と同様に、雅で華やかな舞台の中でこの「有明の女君」(朧月夜の君)との関係という、源氏と右大臣の双方にとっての爆弾が仕掛けられます。そしてそれは、その二人して、それぞれに自分から招き寄せたことなのです。》

 
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第四段 紫の君の理想的成長ぶり、葵の上との夫婦仲不仲

【現代語訳】

 「大殿にも久しく御無沙汰してしまったなあ」とお思いになるが、幼い姫君も気がかりなので慰めようとお思いになって、二条院へお出かけになった。見れば見るほどとてもかわいらしく成長して、かわいらしく利発な気立てで、まことに格別である。不足なところのないように、ご自分の思いのままに教えよう、とお思いになっていたのに叶う感じにちがいない。男手のお教えなので、多少男馴れしたところがあるのではないかと思うと、不安である。
 この数日来のことをお話しになったり、お琴など教えて一日過ごしてお出かけになるのを、またいつものお出かけと残念にお思いになるが、今ではとてもよく躾けられて、むやみに後を追ったりしない。
 大殿では、例によってすぐにはお会いなさらない。所在なくいろいろとお考え廻らされて、箏のお琴を手すさびに弾いて、「やはらかに寝る夜はなくて」とお謡いになる。大臣が渡っていらっしゃって、先日の御宴の趣深かったことをお話し申し上げなさる。
「この高齢で、明王の御世を、四代にわたって見て参りましたが、今度のように作文類が優れていて、舞、楽、楽器の音色が整っていて、寿命の延びる思いをしたことはありませんでした。それぞれ専門の道の名人が多いこのころに、お詳しく精通していらっしゃって、お揃えあそばしたからです。わたくしごとき老人も、ついつい舞い出してしまいそうな心地が致しました」と申し上げなさると、
「特別に整えたわけではございません。ただお役目として、優れた音楽の師たちをあちこちから捜したまでのことです。何はさておき、『柳花苑』は、本当に後代の例ともなるにちがいなく拝見しましたが、まして、『さかゆく春』に倣って舞い出されたら、どんなにか一世の名誉だったでしょうに」とお答え申し上げになる。
 弁、中将なども来合わせて、高欄に背中を寄り掛らせて、めいめいが楽器の音を調えて合奏なさるのが、まことに素晴らしい。

 

《二人の女性が並べて語られます。

紫の君は申し分なく成長しています。源氏が、夜、家を開けるのにさえも、もう不平を言ったりしなくなっています。

それに比べて葵の上は、相変わらず心がほどけないままです。女性が自己主張をすることの困難さが浮き彫りになります。一度こじれた間柄は、源氏が恨みっぽく催馬楽を謡ったくらいでは、もちろん修復できません。

父大殿がやってきて先日の祭の折の源氏を絶賛して相手をし、源氏もそれに対して配慮のきいた対応をして、この二人は息が合っています。さらに二人の息子もやってきて、一緒に楽しい時を過ごしますが、その分、大殿の意に反して、脇にいる女君がますます浮き上がる感じになります。

「男手のお教えなので…」は「と思ふこそ、うしろめたけれ。」と敬語抜きで結ばれていますから、「思ふ」のは源氏ではなくて作者、つまり草子地です。物語の横合いから作者が顔を出して、姫君の将来を心配してみせることによって、物語を作者から独立したものに見せている、作者が作ったのではなく、実際にあった出来事を語っているという形にしているわけです。》

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第三段 桜宴の翌日、昨夜の女性の素性を知りたがる

【現代語訳】

 その日は後宴の催しがあって、忙しく一日中お過ごしになった。箏の琴をお務めになる。昨日の御宴よりも優美に興趣が感じられる。藤壺は暁に御局にお上りになった。

「あの有明は、退出してしまったろうか」と心も上の空で、何事につけても手抜かりのない良清、惟光に命じて、見張りをさせておかれたところ、御前から退出なさった時に、
「たった今、北の陣から、あらかじめ物蔭に隠れて立っていた車どもが退出しました。御方々の実家の人がいました中で、四位少将、右中弁などが急いで出てきて、送って行きましたのは、弘徽殿方のご退出であろうと拝見しました。ご立派な方が乗っている様子がはっきり窺えて、車が三台ほどでございました」とご報告申し上げるにつけても、胸がどきっとなさる。

「どのようにしてどの君と確かめ得ようか。父大臣などが聞き知って、大げさに婿扱いされるのも、どんなものか。まだ相手の様子をよく見定めないうちは、厄介なことだろう。そうかと言って、確かめないでいるのも、それまた、誠に残念なことだろうから、どうしたらよいものか」とご思案に余って、ぼんやりと物思いに耽り横になっていらっしゃる。
「姫君は、どんなに寂しがっているだろう。何日も会っていないから、ふさぎこんでいるだろうか」と、いじらしくお思いやりなさる。

あの証拠の扇は、桜襲の色で、色の濃い片面に霞んでいる月を描いて、水に映している図柄は、よくあるものだが、人柄も奥ゆかしく使い馴らしている。「草の原をば」と詠んだ姿ばかりが、お心にかかりになさるので、
「 世に知らぬここちこそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて

(今までに味わったことのない気がする、有明の月の行方を見失ってしまって)」

とお書きつけになって、取ってお置きになった。

 

《「藤壺は、暁に御局にお上りになった」というのは、入れ替わりに弘徽殿が退出したということのようです。そうすると、昨夜の姫君が里に下がるかも知れません。そこで「あの有明は、退出してしまったろうか」となるわけです。藤壺の名を出しながら、彼女への思いを一言も語らずに「あの有明」の君の話になるのは、ちょっと意外ですが、それほど彼の心を占めていたということでしょうか。

さて従者の報告を聞いて源氏は「すわ、かの女君よ、と恋の思いに胸をとどろかせ」(『評釈』)、「どのようにして、どの君と確かめ得ようか」と思案する中で、突然若紫のことを思い遣ります。そしてそれも一文だけで、すぐまた有明の女への思いに返ります。

このことについて『評釈』は「この物語が光る源氏の生活の一断面を物語っているのだということを示している。…近代小説のように主題に直結するプロットの緊密化を必ずしも第一義としない」と言っています。現実の場面としては確かにありそうなことで、人はどんなに大きな問題を考えている時でも、その合間に断片的にさまざまなことを思います。

当然藤壺のことを考えそうなところで、意外に考えず、関係なさそうなところで若紫を思い出す、生の現実では、そういうことはしばしばでしょう。

しかし、作者がそれを意識して語っているかと言えば、それは疑問無しとしません。作者は読者へのいわばリップ・サービスとして、かわいいヒロインの消息を間接的情報として提供したのではないでしょうか。》

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第二段 宴の後、朧月夜の君と出逢う~その3

【現代語訳】3

 桐壺には女房が大勢仕えていて、目を覚ましている者もいるので、このようなことを、
「何とも、ご熱心なお忍び歩きですこと」と突つき合いながら、空寝をしていた。

お入りになって横になられたが、眠ることができない。
「美しい人であったなあ。女御の御妹君であろう。まだうぶなところから、五の君か六の君であろう。帥宮の北の方や、頭中将が気にいっていない四の君などは、美人だと聞いていたが。かえってその人たちであったら、もう少しおもしろみがあっただろうに。六の君は春宮に入内させようと心づもりをしておられるから、気の毒なことだな。厄介なことで、どの人なのかを尋ねることもなかなか難しい、あのまま終わりにしようとは思っていない様子であったが、どうして、便りを通わす方法を教えずじまいにしたのだろう」などと、いろいろと気にかかるのも、心惹かれるところがあるのだろう。

このようなことにつけても、まずは、「あのお方の周辺の有様は、どこよりも奥まって近づきがたいことよ」と、なかなかないことと、つい比較してお思いになる。

 

《桐壺は源氏の宮中での部屋です。そこに仕える女房たちはさすがによく心得た者たちのようです。

帰ってきた源氏は横になって、あの女君は誰だったのかと思いを巡らすなかで、一見とんでもないことを思います。「かえってその人たちであったら、もう少しおもしろみがあっただろうに」。

これではあの女君に対する彼の振るまいが、まったくただの遊びだったのだろうかと思われて、極めて軽薄で不謹慎に思われて、源氏を小さく思わせるような気がします。

しかしここが大事なところで、これは相手が人妻であった方が情趣があったという意味のようですが、そうすると、恋は愛情ではなくて、情趣と考えられている、ということになるでしょう。

そこで『評釈』も「色好みとは、折口信夫博士の言われたように、男女関係の情趣を味解することのできる洗練された人間のことである。それは多分に遊戯的な恋愛態度なのであり、洗練を尊ぶ精神であった」と言っています。

スポーツも子供が広場でやっている間は遊びに過ぎませんが、芸の域に達した人のそれは、しばしばその人自身を鍛え育て、また見る者をも感嘆せしめます。源氏の恋もまた同じなのです。いや、おそらくは無意識にそういう恋を目指している、男はそのように振る舞うべきものだと、源氏自身が、そして作者が、考えているのです。

男性の方はそれでよいとしても、女性の方はそうはいかないように思うのですが、女性である作者がそう考えているのですから、男性も安心して、その、芸の域に達しようかという源氏の恋の情趣を、楽しんで読めばよいというわけです。

いろいろ詮索を巡らした源氏は、結局最後は、それにつけても、こうしたこともあろうと思ってか、「手引を頼むはずの戸口も閉めてしまって」いた(第二段1節)「あのお方」のことを、「なかなかないことと(原文・ありがたう)」思い遣るのです。

「あの方」は彼の胸の奥に重く腰を下ろして、彼の心を動かしているようです。》

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