【現代語訳】2
日が高くなってからそれぞれ殿上に参内なさった。とても落ち着いて、知らぬ顔をしていらっしゃるので、頭の君もとてもおかしかったが、公事を多く奏上し宣下する日なので、ひどく折り目正しく真面目くさっているのを見るのも、お互いについほほ笑んでしまう。人のいない隙に近寄って、
「秘密事は懲りたでしょう」と言って、とても得意そうな流し目である。
「どうして、そんなことがありましょう。忍んできながら何もないままで帰ってしまったあなたこそお気の毒だ。本当の話、嫌なものだよ、男女の仲とは」と言い交わして、
「鳥籠の山にある川の名(他言無用にしましょう)」と、互いに口固めしあう。
さてそれから後、ともすれば何かの折毎に、話に持ち出す種とするので、ますますあの厄介な女のためにと、お思い知りになったであろう。女は、相変わらずまこと色気たっぷりに恨み言をいって寄こすが、興醒めだと逃げ回りなさる。
中将は、妹の君にも申し上げず、ただ、「何かの時の脅迫の材料にしよう」と思っていた。
高貴な身分の妃からお生まれになった親王たちでさえ、お上の御待遇がこの上ないのを憚って、源氏に対してはとても御遠慮申し上げていらっしゃるのに、この中将は、「絶対に圧倒され申すまい」と、ちょっとした事柄につけても対抗申し上げなさる。
この君一人が、姫君と同腹なのであった。帝のお子というだけだ、自分だって、同じ大臣の中でも、ご信望の格別な父大臣が、内親王腹にもうけた子息として大事に育てられているのは、どれほども劣る身分とは、お思いにならないのであろう。人となりも、すべて整っており、どの面でも理想的で、満ち足りていらっしゃるのであった。このお二方の張り合いは、おかしな話がたくさんあった。けれども、煩わしいので省略する。
《結局は仲のよい若者同士の、ほほえましいやり合い、競い合いです。
小さいことですが、ここによれば、源氏も中将にも、異腹の兄弟が幾人かいたようです。
その中で、この二人はそれぞれに抜きんでていたということです。
さて、これでこの老侍女をめぐる二人のエピソードは終わりです。
それにしても、作者はどういう意味でこんなドタバタ劇の段を書いたのでしょうか。
思い出すのは、先にも触れたように軒端の荻とのことのあった帰りに、これもまた老侍女に見咎められたという滑稽なエピソードや、夕顔の葬儀の帰りの無様な落馬事件です。この作者は、まじめな話の終わりに、こういう笑い話を入れたくなるようです。読者へのサービス精神なのでしょうか。
また、源氏の恋愛体験の一つとしてみれば、末摘花とセットにして、数少ない失敗の例の話ということになりましょう。
それとは別に『光る』は、夕顔の巻第一章第一段で触れた、例のa、b系列という考え方から、桐壺の巻から直接に若紫の巻、そしてこの紅葉賀の巻につながると考えて、初めは空蝉、夕顔の二巻の内容に当たる源氏放蕩の話としてこの挿話を入れたのではないかとしています。》