【現代語訳】2
命婦の君にたまたまお会いになって、切ない言葉を尽くしてお頼みなさるが、何の効果もあるはずがない。若宮のことをどうしても御覧になりたいとおっしゃるので、
「どうして、こうまでもご無理をおっしゃるのでしょう。そのうち自然に御覧あそばされましょう」と申し上げながら、困っている様子は、お互いに一通りでない。憚り多いことなので、正面切っておっしゃることができず、
「いったいいつになったら、直接にお話し申し上げることができるのだろう」と言ってお泣きになる姿は、お気の毒である。
「 いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ
(どのように前世で約束を交わした縁で、この世にこのような二人の仲に隔てがあるのだろうか)
このような隔ては納得がいかない」とおっしゃる。
命婦も、宮のお悩みでいらっしゃる様子などを拝見しているので、そっけなく突き放してお扱い申し上げることもできない。
「 見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇
(若宮を御覧になっている方も物思いをされています、御覧にならないあなたはまたどんなにお嘆きのことでしょう、これが世の人が言う親心の闇でしょうか)
おいたわしい、お心の休まらないお二方ですこと」と、こっそりとお返事申し上げたのであった。
こんなことばかりでどうしようもなくて、お帰りになるものの、藤壺は、世間の人々の噂も煩わしいので、困ったこととおっしゃりもしお考えにもなって、命婦を以前信頼していたようには気を許してお近づけなさらない。人目に立たないように穏やかにお接しになっているけれども、気に食わないとお思いになる時もあるようなので、命婦はとても身にこたえて、思ってもみなかった心地がするようである。
《藤壺の不安や怖れをよそに、いやおそらくはそれをよく分かるからこそでしょう、源氏はひたすら言い寄り、逢瀬を、せめて面会をと、求めます。しかし、以前源氏を藤壺に手引きした命婦も、もはやどうしようもないほどに、藤壺の思いは固いようです。
この段は前段で言ったように第二章第二段を受けた段ですが、あの時は「何とはかない御縁か」と自分たちの間柄を嘆いていただけだったのですが、今の二人にはそれに加えて、もし露見すれば自分たちの立場そのものが崩壊することになるのではないかという問題を抱えてしまって、その不安が現実的なものとなって感じられ、藤壺は死さえも考えるようになって来ました(この四行、前節から移動)。
そして彼女は、御子が生まれると一転して、今度は弘徽殿に負けないためにも心強く生きようと考えるようになります。
するとまたその御子が源氏に生き写しであるという問題が起こって彼女の不安と怖れを倍増するのですが、それを自分一人の中に収めることを覚悟して、源氏を遠ざけるべく、仲立ちをしてきた命婦を、めだたないようにながら、遠ざけます。
それは強くなった彼女の決意の具体的な現れなのであり、めだたないように振る舞ったのは、こうした中にあってなお賢明さを失わない藤壺のたしなみの確かさを示しています。
言うまでもないことですが、藤壺のその覚悟によって、命婦はその立ち位置を大きく失墜して、以前は源氏がやってくると「命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た」のでしたが、その中で彼女だけが、今や藤壺のお側に行くことも少なくなって、「思ってもみなかった心地がする」ということになりました。