源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 藤壺の物語(二)

第二段 二月十余日、藤壺に皇子誕生

【現代語訳】2

 命婦の君にたまたまお会いになって、切ない言葉を尽くしてお頼みなさるが、何の効果もあるはずがない。若宮のことをどうしても御覧になりたいとおっしゃるので、
「どうして、こうまでもご無理をおっしゃるのでしょう。そのうち自然に御覧あそばされましょう」と申し上げながら、困っている様子は、お互いに一通りでない。憚り多いことなので、正面切っておっしゃることができず、
「いったいいつになったら、直接にお話し申し上げることができるのだろう」と言ってお泣きになる姿は、お気の毒である。
「 いかさまに昔むすべる契りにてこの世にかかるなかの隔てぞ

(どのように前世で約束を交わした縁で、この世にこのような二人の仲に隔てがあるのだろうか)

このような隔ては納得がいかない」とおっしゃる。

命婦も、宮のお悩みでいらっしゃる様子などを拝見しているので、そっけなく突き放してお扱い申し上げることもできない。
「 見ても思ふ見ぬはたいかに嘆くらむこや世の人のまどふてふ闇

(若宮を御覧になっている方も物思いをされています、御覧にならないあなたはまたどんなにお嘆きのことでしょう、これが世の人が言う親心の闇でしょうか)

おいたわしい、お心の休まらないお二方ですこと」と、こっそりとお返事申し上げたのであった。

こんなことばかりでどうしようもなくて、お帰りになるものの、藤壺は、世間の人々の噂も煩わしいので、困ったこととおっしゃりもしお考えにもなって、命婦を以前信頼していたようには気を許してお近づけなさらない。人目に立たないように穏やかにお接しになっているけれども、気に食わないとお思いになる時もあるようなので、命婦はとても身にこたえて、思ってもみなかった心地がするようである。

 

《藤壺の不安や怖れをよそに、いやおそらくはそれをよく分かるからこそでしょう、源氏はひたすら言い寄り、逢瀬を、せめて面会をと、求めます。しかし、以前源氏を藤壺に手引きした命婦も、もはやどうしようもないほどに、藤壺の思いは固いようです。

この段は前段で言ったように第二章第二段を受けた段ですが、あの時は「何とはかない御縁か」と自分たちの間柄を嘆いていただけだったのですが、今の二人にはそれに加えて、もし露見すれば自分たちの立場そのものが崩壊することになるのではないかという問題を抱えてしまって、その不安が現実的なものとなって感じられ、藤壺は死さえも考えるようになって来ました(この四行、前節から移動)。

そして彼女は、御子が生まれると一転して、今度は弘徽殿に負けないためにも心強く生きようと考えるようになります。

するとまたその御子が源氏に生き写しであるという問題が起こって彼女の不安と怖れを倍増するのですが、それを自分一人の中に収めることを覚悟して、源氏を遠ざけるべく、仲立ちをしてきた命婦を、めだたないようにながら、遠ざけます。

それは強くなった彼女の決意の具体的な現れなのであり、めだたないように振る舞ったのは、こうした中にあってなお賢明さを失わない藤壺のたしなみの確かさを示しています。

言うまでもないことですが、藤壺のその覚悟によって、命婦はその立ち位置を大きく失墜して、以前は源氏がやってくると「命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た」のでしたが、その中で彼女だけが、今や藤壺のお側に行くことも少なくなって、「思ってもみなかった心地がする」ということになりました。

関係する人たち三人がすべて、息を潜めて成り行きを見守ることとなります。》

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第二段 二月十余日、藤壺に皇子誕生

【現代語訳】1
 参賀のご挨拶といっても、多くの所にはお出かけにならず、内裏、春宮、一院だけで、その他では、藤壺の三条の宮にお伺いなさる。
「今日はまた格別にお見えでいらっしゃるわ」、「ご成長なさるに従って、恐いまでにおなりでいらっしゃるご様子ですわ」と、女房たちがお褒め申し上げているのを、宮は几帳の隙間からわずかにお姿を御覧になるにつけても、物思いなさることが多いのであった。
 御出産の予定の十二月も過ぎてしまったのが気がかりで、今月はいくら何でもと、宮家の人々もお待ち申し上げ、主上におかれてもそのお心づもりでいるのに、何事もなく月が替わった。「御物の怪のせいであろうか」と、世間の人々もお噂申し上げるのを、宮はとてもつらく、「このことのために、わが身を滅ぼすことになってしまいそうだ」とお嘆きになると、ご気分もとても苦しくてお悩みになる。
 中将の君は、ますます思い当たって、御修法などをはっきりと事情は知らせずに方々の寺々におさせになる。「世の無常につけても、このままではかない仲で終わってしまうのだろうか」と、あれこれとお嘆きになっていると、二月十日過ぎのころに、男御子がお生まれになったので、すっかり心配も消えて、宮中でも宮家の人々もお喜び申し上げなさる。
 「長生きを」とお思いなさるのは、つらいことだが、「弘徽殿などが、呪わしそうにおっしゃっている」と聞いたので、「死んだとお聞きになったならば、物笑いの種になろう」と、お気を強くお持ちになって、だんだん少しずつ気分が快方に向かわれた。
 お上が、早く御子を御覧になりたいとおぼし召されること、この上ない。あの、密かなお気持ちとしても、ひどく気がかりで、人のいない時に参上なさって、
「お上が御覧になりたがっていらっしゃいますので、まず拝見して詳しく奏上しましょう」と申し上げなさるが、
「まだ見苦しい程ですので」と言って、お見せ申し上げなさらないのも、ごもっともである。実は、とても驚くほど珍しいまでに生き写しでいらっしゃる顔形は、紛うはずもない。宮が、良心の呵責にとても苦しく、「女房たちが拝見しても、不審に思われた月勘定の狂いを、どうして人が変だと思い当たらないことがあろうか。それほどでないつまらないことでさえも欠点を探し出そうとする世の中で、どのような噂がしまいには世に漏れようか」と思い続けなさると、わが身がなんとも情けない。




《めでたい御子の誕生ですが、藤壺が里下がりをしたのが四月と思われますから、帝の御子なら一月が限界、しかしその月が「何事もなく月が替わ」ってしまいます。人々は、帝への懐妊の奏上が遅れた時もそうであったように、「御物の怪のせい」と噂しますが、それは、いつ疑念に変わるやも知れません。秘密が露見した時の彼女の立場は想像にあまります。藤壺はの悩みはいやましに深まるばかりです。

 不安は源氏も同じで、「ますます思い当たって」、つまり日が経つにつれて、その分だけ、自分の子であることの確率が高くなっていくわけで、「御修法」は、普通なら安産の、と考えるところですが、彼としてはそれに加えて、なにとぞ秘密の漏洩を防ぎ給えの思いもあったに違いありません。

しかしやっと「二月十日過ぎのころ」、かろうじてその疑念が噂になる前に、出産です。
「すっかり心配も消えて」と一転するところが機微を突いて面白く、男御子であったことも加えて、疑念や不安は、一時的にかも知れませんがすっかり忘れられて、お祝いムード一色になります。
そんな中で、藤壺は「長生きを」と心を引き締めます。ちょっと分かりにくく、諸説あるようですが、『評釈』の説が納得できます。「皇子が誕生した。…だから心を励まして『命長くも』(あらむ)と思召す。しかし生きることは藤壺にとっては『心憂い』、ともすればくずれようとするその心に、むちうつわけである。その時、弘徽殿の呪、その声が、藤壺の心をふるいおこした」のです。
彼女は、源氏が慕い求めるようになって以後、いつも悩み苦しんでいる姿ばかりで登場しますが、ここでは母として、珍しく強い女の姿を見せているわけです。
しかし、彼女のその決意を揺さぶるように、御子の顔が源氏に生き写しだという新しい事実が生じて、改めて「月勘定の狂い」と合わせての世間の問題になるのではないかという不安がかきたてられます。
実際を言えば、生まれたばかりの子どもが誰それに似ているなどというのは、祝の言葉として周りの人がお世辞に言うことではないかと私は思うのですが、そのあたりは物語ですから目をつぶる方がいいでしょう。》


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第一段 左大臣邸に赴く

【現代語訳】

 宮中から大殿にご退出なさると、いつものように端然と威儀を正したお姿で、やさしいそぶりもなく窮屈なので、
「せめて今年からでも、もう少し夫婦らしく態度をお改めになるお気持ちが窺えたら、どんなにか嬉しいことでしょう」などとお申し上げなさるが、「わざわざ女の人を置いて、大事にしていらっしゃる」と、お聞きになってからは、「重要な夫人とお考えになってのことであろう」と、隔て心ばかりが自然と生じて、ますます疎ましく気づまりにお感じになられるのであろう。源氏がつとめて気付かないように振る舞って、冗談をおっしゃるご様子には、強情を張り通すこともできず、お返事などちょっと申し上げなさるところは、やはり他の女性とはとても違うのである。
 四歳ほど年上でいらっしゃるので、年かさで気後れがするほどで、女盛りで非の打ちどころがなくお見えになる。「どこにこの人の足りないところがおありだろうか。自分のあまり良くない浮気心からこのようにお恨まれ申すのだ」と、お考えにならずにはいられない。 

同じ大臣と申し上げる中でも、御信望も格別でいらっしゃる方が、宮との間にお一人儲けて大切にお育てなさった気位の高さは、とても大変なもので、少しでも疎略なことがあると、けしからぬこととお思い申し上げなさるのを、男君は、「どうしてそこまでも」と、お仕向けなさるのも、お二人の心に隔たりがあるからなのであろう。
 大臣も、このように頼りないお気持ちを、辛いとお思い申し上げになりながらも、お目にかかられる時には、恨み事も忘れて大切にお世話申し上げなさる。翌朝、お帰りになるところにお顔をお見せになって、お召し替えになる時、由緒のある石帯を手ずから持ってお越しになって、お召物の後ろを引き結び直しなどや、お沓までも手に取りかねないほど世話なさる、大変なお気の配りようである。
「この帯は、内宴などということもございますそうですから、そのような折にでも」などと申し上げなさると、
「その時には、もっと良いものがございます。これはちょっと目新しい感じがするだけのものですから」と言って、無理にお締め申し上げなさる。なるほど源氏は、万事にお世話して拝見なさると、生き甲斐が感じられ、「たまさかであっても、このような方をお出入りさせてお世話するのに、これ以上の喜びはあるまい」と思うほどにお見えである。

 

《こういうところを読むと、源氏は一体この葵の上に何を求めているのだろうか、と改めて考えてしまいます。

作者は、「気位の高さは、とても大変なもの」と彼女に対して批判的ですが、源氏自身は、比類なく素晴らしいと認め、どう考えても自分の方が分が悪いと承知しています。

それなら、「源氏がつとめて気付かないように振る舞って、冗談をおっしゃるご様子には、強情を張り通すこともできず、(「やはり他の女性とはとても違う」魅力的な様子で)お返事などちょっと申し上げなさ」った時などは、絶好の機会なのですから、なぜもう一押ししないのだろうか、と、どうしても思ってしまいます。自分はそこまでやったのだから、後はそちらから靡いてくるべきだ、と思っているのでしょうか。

やはり『道草』の行き違いは根深いものであるようです。

懸命に拒否しようとする空蝉をあれほど追いかけたにもかかわらず、この人に対してはそういう態度を取りません。

そして、それにもかかわらず、父の大臣は、源氏をまるで付き人のように懸命にもり立てようと、涙ぐましい献身ぶりです。

ところで、『評釈』が「『紅葉賀』の巻には、いくつかの場面構成があり、それを幾度もくり返して、巻をつくり上げているように思う。…これらはくり返されるごとに、少しずつ奥行きを深めていく」という興味深い指摘をしています。

確かにそう思って読むと、以下のこの第三章は、四つに分けられた各段が、第一章と第二章に出てきた同じような場面と、それぞれ対応しているように見えます。

この第一段は第一章四段に対応して、葵の上と源氏の場面ですが、第一章四段では二人の不和がほとんど心理的なものだけであったものが、ここでは二条院の若紫の存在という具体的な問題が加わり、さらに先に述べたように、作者もいささか便宜的にながら、関係の破綻の方向に進めようとしている書き方になってきています。

そして次の第二段は第二章二段(源氏と藤壺の場面)と、また第三段は第一章一段(帝と藤壺)と、そして第四段は第二章一段(源氏と若紫)にそれぞれ対応していて、読むと、それぞれに先行する場面の問題が拡大あるいは深化していることが明らかです。

以下、その都度、そのことに触れていきます。》

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