源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 紫の物語

第三段 故祖母君の服喪明ける

【現代語訳】

 少納言は、「思いがけず嬉しい運が回って来たこと。これも、故尼上が、姫君様をご心配なさって、御勤行にもお祈り申し上げなさった仏の御利益であろうか」と思われる。「大殿には、歴とした方がいらっしゃられるし、あちらこちら大勢繋がりをお持ちになっているので、本当に成人されてからは厄介なことも起きようか」と案じられるのだった。しかし、このように特別になさっていらっしゃるご寵愛ぶりは、とても心強い限りである。
 ご服喪は、母方の場合は三箇月であるのだからと、晦日には忌明け申し上げさせなさるが、他に親もなくてご成長なさったので、派手な色合いではなく、紅、紫、山吹の地だけを織った御小袿などを着ていらっしゃる様子は、たいそう当世風でかわいらしげである。

 男君が、元日の朝拝に参内なさろうとして、お立ち寄りになった。
「今日からは大人らしくなられましたか」と言って微笑んでいらっしゃる、とても素晴らしく魅力的である。早速、お人形を並べ立てて、忙しくしておられる。三尺の御厨子一対と、道具類を飾り並べて、他に小さい御殿をたくさん作って、差し上げなさっていたのを、辺りいっぱいに広げて遊んでいらっしゃる。
「鬼を祓うといって、犬君がこれを壊してしまったので、直しておりますの」と言って、とても大事件だとお思いである。
「ほんとうにとてもそそっかしい人のやったことですね。直ぐに直させましょう。今日は言葉を慎んで、お泣きなさるな」と言って、お出かけになる様子の、辺り狭しのご立派さを、女房たちは端に出てお見送り申し上げるので、姫君も立って行ってお見送り申し上げなさって、お人形の中の源氏の君を着飾らせて、内裏に参内させる真似などなさる。
「せめて今年からはもう少し大人らしくなさいませ。十歳を過ぎた人は、お人形遊びはいけないと申しますのに。このようにお婿様をお持ち申されたからには、それらしくおしとやかにお振る舞いになって、お相手申し上げあそばせ。お髪をお直しする間さえ、お嫌がりあそばして」などと少納言も、お諌め申し上げる。遊びにばかり夢中になっていらっしゃるので、これではいけないと思わせ申そうと思って言うと、心の中で、「私は、それでは、夫君を持ったのだわ。この女房たちの夫君というのは、何と醜い人たちなのであろう。私は、こんなにも美しく若い夫を持ったのだわ」と、今になってお分かりになるのであった。さすがに、お年が一つ増した証拠なのであろう。 

このように幼いご様子が何かにつけてはっきり分かるので、殿の内の女房たちも変だと思ったが、とてもこのように夫婦らしくないお添い寝相手だろうとは思わなかったのである。

 

《『戦争と平和』では、ナターシャが出てくると、俄然物語の天井が抜けて明るさと軽やかさがあふれ、ほほえましく精彩を放つように思われますが、この物語ではこの姫君です。

新しい年を迎えて源氏の挨拶は「今日からは大人らしくなられましたか」です。彼女と対等の付き合いができる日を彼は待ちわびているのです。しかし彼女は、それと思いもせずに相変わらず雛遊びに余念がありません。あの若紫の巻の小柴垣の垣間見の場面(第一章第四段1節~以下このようにちょっと引用表示を簡略にします)と同じく、ここでも例のそそっかしやの犬君とやりあいがあったようで、そのままの面影を残しています。「鬼を祓うといって、…」は、源氏を見上げていったのでしょうか、「とても大事件だとお思いである」という彼女の今にも泣き出しそうな子どもながらの真剣な、訴えるような表情が思い描かれて、読みながらつい微笑んでしまいます。

あまりの無邪気さに見かねて乳母の少納言が二人になった時に、「お婿様をお持ち申されたからには、それらしくおしとやかに」とそっと教え、姫も「私は、それでは、夫君を持ったのだわ(原文・われは、さは、夫まうけてけり)」(あまりうまい訳ではありません。「けり」はいわゆる詠嘆・気付きの「けり」。「て」は助動詞「つ」、ここは強めの用法です。)と思い至るのですが、「この女房たちの夫君というのは、何と醜い人たちなのであろう。わたしは、こんなにも魅力的で若い夫を持ったのだわ」と、分かったようでいて、相変わらず人形遊び感覚で、どうもまだよくは分かっていないようです。それがまたいかにも純真な少女らしく、愛らしく思われます。

添い寝をしながら、夫婦ではない夫婦関係、それは当時として考えられないことで、女房たちは一体どういう方なのかと不審に思うのですが、思えばそれはちょうど源氏が幼少の頃、高麗人の占い師から「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」(桐壺の巻第三章第三段)と言われた時の不審と同じです。

この二人は、それぞれにそういう不思議な宿命を背負った者同士という、特異な間柄なのです。》


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第二段 藤壺の三条宮邸に見舞う

【現代語訳】

 藤壺が退出していらっしゃる三条の宮に、ご様子も知りたくて参上なさると、命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た。「他人行儀なお扱いだな」とおもしろくなく思うが、気を静めて世間一般のお話を申し上げておられるところに、兵部卿宮が参上なさった。
 源氏の君がいらっしゃるとお聞きになって、お会いになった。

宮がとても風情あるご様子をして、色っぽくなよやかでいらっしゃるのを、源氏は「女として見るにはきっと素晴らしいに違いなかろう」と、拝見なさるにつけても、ひそかにあれこれと親しみをお感じになって、懇ろにお話など申し上げなさる。

宮も、君のご様子がいつもより格別に親しみやすく打ち解けていらっしゃるのを、「じつに素晴らしい」と拝見なさって、婿でいらっしゃるなどとはお思いよりにもならず、「女としてお会いしたいものだ」と、好き者らしいお気持ちにお考えになる。
 日が暮れたので、宮が御簾の内にお入りになるのを、源氏は、羨ましく、昔はお上のお計らいで、とても近くで直接にお話申し上げになさったのに、すっかり疎んじていらっしゃるのも辛くお感じになるのは、是非もないことである。
「しばしばお伺いすべきですが、特別の事でもない限りは、参上するのも自然滞りがちになりますが、しかるべき御用などは、お申し付けがございましたら、嬉しく」などと、堅苦しい挨拶をしてお出になった。

命婦も、手引き申し上げる手段もなく、藤壺の宮のご様子も、以前よりはいっそう心憂いことにお思いになっていて、打ち解けなさらないご様子も、恐れ多くおいたわしいので、何ごともないままに月日が過ぎて行く。

「何とはかない御縁か」とお悩みになることは、お二人とも尽きることもない。

 

《源氏は、出産を控えて里下がりした藤壺を見舞うのですが、侍女達の応対しか受けられません。

そこに兵部卿の宮が見舞いにやってきて、源氏と面会します。宮は、藤壺の兄であって、かつ紫の君の父に当たる人で、源氏としてはただならぬ人にあたるわけですから、普通なら大変気まずい気分になりそうですが、それとは逆に「ひそかにあれこれと親しみをお感じにな」ります。

この思いは、夕顔の巻第二章で空蝉の夫・伊予の介の挨拶を受けた時に、「ばつが悪く正視できなくて」とあったのに比べると、ずいぶん気楽な感想で、上からの目線であるようにも感じられますが、そうした甘い思いは、宮が兄弟として御簾のうちに入っていく特権を持っていることを示されて、一挙に突き放されたような気持ちになることによって、うまい対照になっています。

帚木の巻第三段【現代語訳】3節にもありましたが、男性を「女として」見たいという言い方は、男性の優美な魅力を表す表現です。前の繰り返しになりますが、「女として(原文・女にて)」見たいというのは、A「その男性を女性にして見たい」とB「女性の立場としてその男性を見たい」という両方の意味に取れて確定できないようですが、一応Aと考えておきます。すると、ここでは双方が相手を女性にしたいと思って見ているという、私たちから見るとちょっと不思議な光景ですが、それほどに女性的な美意識に支配された時代だったということなのでしょう。

蛇足ながら、しかしそういうふうに言ってみると、現代もまた、非常に強くそういう面を持っているようにも思われます。一方で男性の美学が基調であった社会というのは、と考えてみると、鎌倉時代から江戸の初め頃まで、それから明治維新のころからバブル崩壊まで、…くらいのものでしょうか。男は、闘いがなければ存在理由に乏しいのでしょうか。》

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第一段 紫の君、源氏を慕う

【現代語訳】

 幼い人は馴染まれるにつれて、とてもよい性質、容貌で、無心になついて、お側からお放し申されない。「暫くの間は、邸内の者にも誰それと知らせまい」とお思いになって、今も離れた対の屋に、お部屋の設備をまたとなく立派にして、ご自分も明け暮れお入りになって、ありとあらゆるお稽古事をお教え申し上げなさる。お手本を書いてお習字などさせては、まるで他で育ったご自分の娘をお迎えになったようなお気持ちでいらっしゃった。
 政所、家司などをはじめとして、別に分けて、心配がないようにお仕えさせなさる。惟光以外の人は、ただもう不審にばかり思い申し上げていた。あの父宮も、ご存知ないのであった。
 姫君は、やはり時々お思い出しなさる時は、尼君をお慕い申し上げなさることが多い。君がおいでになる時は気が紛れていらっしゃるが、夜などは、時々はお泊まりになるものの、あちらこちらの方々にお忙しくて、暮れるとお出かけになるのを、お後を慕いなさる時などがあるのを、とてもかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。
 二、三日宮中に伺候し、大殿にもいらっしゃる時は、とてもひどく塞ぎ込んだりなさるので、かわいそうで、母親のいない子を持ったような心地がして、外出も落ち着いてできなくお思いになる。

僧都は、これこれと、お聞きになって、不思議な気がする一方で、嬉しいことだとお思いであった。あの尼君の法事などをなさる時にも、立派なお供物をお届けになった。

 

《このあたり、藤壺、葵の上、それにこの姫君と、三人の女性が並べて語られます。

前節の、葵の上とのガラス同士が触れ合ってキリキリときしむような心の中での鞘当てから一転して、幼く無心な姫とのなんともほのぼのとしたふれあいが語れます。

既に完成した女性として自立した葵の上は、年上ということもあって理想的に慎ましやかに振る舞うのに対して、この姫はまだ幼く、嬉しい時は喜び、寂しい時は後を追い、自分の気持ちのまま自由に振る舞います。それを源氏は「とてもかわいい」と思うのですが、それは葵の上にはできない振る舞いです。》


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