【現代語訳】
藤壺の宮は、そのころご退出なさったので、例によって、お会いできる機会がないかと窺い回るのに夢中であったので、大殿では穏やかではなく思っていらっしゃる。その上、あの若草の君をお迎えになったのを、「二条院では、女の人をお迎えになったそうだ」と、誰かが申し上げたので、まことに気に食わないとお思いになっていた。
源氏は、「内々の様子はご存知なく、そのようにお思いになるのはごもっともだが、素直に普通の女性のように恨み言をおっしゃるのならば、自分も腹蔵なくお話してお慰め申し上げようものを、心外なふうにばかりお取りになるのが不愉快なので、起こさなくともよい浮気沙汰まで起こるのだ。あの方のご様子は、どこといって不十分で不満だと思われるというような欠点もない。誰よりも先に結婚した方なので、愛しく大切にお思い申している気持ちを、まだご存知ないのであろうが、いつかはお思い直されよう」と、「おだやかで、軽率でないご性質だから、いつかは」と、期待できる点では、他の方とは違うのだった。
《源氏が訪れることの少ない葵の上は、そのことを大変に不満に思います。そのことを源氏も知らないわけではありません。しかし葵の上はプライドとして何も言わないし、源氏も、そういう頑なさが窮屈だと感じて、自分から彼女の気持ちをほぐす努力をしません。彼女の方が素直に接するなら自分もそうできるのだが、と考えます。
実はこれによく似た夫婦の行き違いを見事に描いた近代の作品があるので、長くなりますが、引いてみます。漱石の『道草』第二十一章です。金を軽蔑して学問にいそしんでいる大学教授、健三はある日、妻から家計の苦しさを突きつけられます。
「健三はもう少し働らかうと決心した。その決心から來る努力が、月々幾枚かの紙幣に變形して、細君の手に渡るやうになったのは、それから間もない事であった。
彼は自分の新たに受け取ったものを洋服の内隱袋から出して、封筒の儘畳の上に放り出した。默ってそれを取り上げた細君は裏を見て、すぐ其紙幣の出所を知った。家計の不足は斯くの如くにして無言のうちに補なはれたのである。
その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。然し若し夫が優しい言葉を添へて、それを渡して呉れたなら、屹度嬉しい顔をする事が出來たらうにと思った。健三も又若し細君が嬉しさうにそれを受け取ってくれたら優しい言葉も掛けられたらうにと考へた。それで物質的の要求に應ずべく工面された此金は、二人の間に存在する精神上の要求を充たす方便としては寧ろ失敗に歸してしまった。
細君は其折の物足らなさを回復するために、二三日經ってから、健三に一反の反物を見せた。
『あなたの着物を拵へやうと思ふんですが、是は何うでせう』
細君の顏は晴々しく輝やいてゐた。然し健三の眼にはそれが下手な技巧を交へているやうに映った。
彼は其不純を疑った。さうしてわざと彼女の愛嬌に誘われまいとした。細君は寒さうに座を立った。細君の座を立った後で、彼は何故自分の細君を寒がらせなければならない心理状態に自分が制せられたのかと考えて益々不愉快になった。…
二人は互に徹底するまで話し合ふ事のついに出來ない男女のやうな氣がした。從って二人とも現在の自分を改める必要を感じ得なかった。」
こういう行き違いを漱石は近代的自我・自意識の衝突というふうに捉えていたわけで、彼の一つの大きなテーマだったと思われますが、人の中に潜むこのような意識自体は、別に近代特有のものというわけではないようです。
ただのたわいない意地の張り合いとも言えるこうした小さなひび割れが、やがて取り返しの付かない決裂にまで増幅してしまうのもまた、人間の悲哀であるようです。この作者もまた、そういうことをよく知っていたのです。》