源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 藤壺の物語

第三段 初秋七月に藤壺宮中に戻る

【現代語訳】

 七月になって宮は参内なさった。お久しぶりでいとおしくて、以前にも増す御寵愛ぶりはこの上もない。お腹が少しふっくらとおなりになって、お元気がなく面痩せしていらっしゃるのは、それはそれでまた、なるほど比類なく素晴らしい。

 例によって、明け暮れ帝はこちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、琴や笛など、いろいろと君にご下命あそばす。つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、藤壺宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。

 

《藤壺が宮中に帰ります。美人は愁いに沈む姿も格別の美しさだと言われますが、彼女もまたそのようで、さらに懐妊とあって余計に寵愛が深まります。

よもやそういう心労などあろうとも思わない帝は、ただただ体調を気遣って、彼女を慰めようと、季節もよし、管弦の遊びがしばしば催されますが、その度毎に、秘蔵の子であり、管弦の名手である源氏は呼び出されずにはいられません。

満座の中で、誰も知らないままに二人だけが同じ悩みを抱きながら向き合うことになります。藤壺は源氏の顔を見ないわけには行かず、また源氏の奏でる調べには彼の思いがこもらずにはいません。その秘密の交感がまた二人に罪の意識を抱かせます。

夕顔を失うことによって心に深い傷を負った源氏でしたが、それはどれほど深くとも、心の域を出るものではないという点で、やはり青春の事件でした。

しかしこの藤壺とのことで彼が背負ったものは、単に二人の心の問題だけではありません。それは生まれてくる子供を含めて、現実社会に具体的な影響力を持った問題です。彼はここで一人の成人としての問題、それも並外れて大きな、そして終わることのない問題を抱えることになったのです。

彼はこの種の行動を起こす初めは、自分の魅力に任せて、至って身勝手で強引です。そのことはすでにいくつかの悲劇を引き起こし、これからもそうですが、しかし、それらの起こしてしまった悲劇に対しては、彼は常に極めて真摯に悩み、悲しみます。その姿勢は生涯変わりません。その点において彼はこのシリアスな物語の主人公たる資格を持っているのです。

さて、二人だけの絶対的な秘密となったこの事件は、二人の心の中に重い重しとなったまま、またしばらく物語の伏流となって底にかくれ、表には源氏の日常の物語が進んでいきます。》

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第二段 妊娠三月となる

【現代語訳】

 藤壺宮も、なんとも実につらい身の上であったことだとお嘆きになると、ご病気もお進みになり、早く参内なさるようにとの御勅使が度々あるが、そのお気持ちにもなれない。

 本当にご気分が普段のようにおいであそばさないのは、どうしたことかと、密かに思い当たられることもあったので、つらく、「どうなることだろうか」とただお悩みになるばかりである。

 暑いころは、ますます起き上がりもなさらない。三か月におなりになると、とてもはっきりと分かるようになって、女房たちもそれとお気付き申すにつけ、情けないご宿縁のほどが恨めしい。他の人たちは思いもよらないことなので、「この月まで、ご奏上あそばされなかったとは」と、意外なことに思い申し上げる。ご自身一人には、はっきりとお分かりになる節もあるのであった。

 お湯殿などにも身近にお仕え申し上げて、どのようなご様子もはっきり存じ上げている、乳母子の弁や命婦などは変だと思うが、お互いに口にすべきことではないので、やはり逃れられなかったご宿縁を、命婦は驚きたいへんなことと思う。

 帝に対しては、物の怪のせいですぐには兆候がなくあそばしたように奏上したのであろう。周囲の人もそうとばかり思った。帝はますます愛しくこの上なくお思いあそばして、御勅使などがひっきりなしにあるにつけても、空恐ろしく、物思いの休まる時もない。

 源氏中将の君もただごとではない異様な夢を御覧になって、夢解きをする者を呼んで、ご質問させなさると、及びもつかない思いもかけないことに判じたのであった。

「その夢の中に、順調に行かないことを示すところがあって、お身を慎みあそばさなければならないことがございます」と言うので、面倒に思われて、

「自分の夢ではない、他の方の夢を申すのだ。この夢が現実となるまで、誰にも話してはならぬ」とおっしゃって、心中では、「どのようなことなのだろう」と考えめぐらしておいでだったところ、この女宮のご懐妊のことをお聞きになって、「あの夢はもしやそのようなことか」と、お思い合わせになると、ますます熱心にあらん限りのお言葉を送り申し上げられるが、命婦も考えてみてまことに恐ろしく、難儀な気持ちが増してきて、まったく逢瀬を手立てのしようがない。以前はほんの一行のお返事がまれにはあったのも、すっかり絶えはててしまった。

 

《ことは遂に藤壺の宮の懐妊にまで及んでしまいます。藤壺の懊悩は計り知れません。ことのあまりの大きさに、彼女には誰一人ことを打ち明けて話せる人がないのです。

身近にいて、手引きをした命婦は、責任の一半があるのですから、何かできればいいのですが、自分のしたことの結果にただ「驚きたいへんなことと思う(原文・あさましと思ふ)」ばかりで、何事もできません。またこういう時、相手の男性だけはせめて力にならなくてはならないところですが、この場合、藤壺の気持ちからすれば、それこそ最も遠ざけなくてはならないと思われる人なのです。

彼女はただ一人で、「なんとも実につらい身の上であったことだ(原文・いと心憂き身なりけり)」と思うばかりです。

二人の間を手引きした王の命婦も、その責任を痛感します。そして宮の湯殿のお世話を一緒にする乳母子の弁との間の緊張感の無言の対話が巧みに差し挟まれます。

宮のこれまでの恵まれた人生を思えば、こんなことになるはずではなかったのです。それが、自分はそんな気はなかったのに帝が源氏を部屋まで入らせて仲良くさせようと苦心され、その挙げ句がこういう結果を生んでしまったのです。彼女自身は帝を恨むことなどもちろん考えもせず、ただただそういう巡り合わせの不運を背負った身だったのだと、今更に気が付き、みずからの「さがのつたなさ」を、泣くしかありません。

それと知らないまま源氏は異様な夢を見て、それを解かせると、「及びもつかない思いもかけないこと」に解きます。それは「源氏が天使の父となるであろうということ」だと『集成』は言います。

驚いている源氏に、宮懐妊の話が伝わり、宮に会おうとしますが、命婦はもはや取り次ごうとはしません。

当然考えられたはずのことではありますが、しばしばこういう過ちが起こります。思えば人間とは不思議なふうに作られているもので、私たちにとって甘い蜜はしばしばきつい毒をふくんでいるようです。誰も決してそれを知らないのではないのですが…。》

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第一段 夏四月の短夜の密通事件

【現代語訳】

 藤壺の宮が、ご病気になられて里にお退りになった。源氏は、主上がお気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしいと拝見しながら、せめてこのような機会にもと気もそぞろで、まったくどこにもお出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると王命婦にあれこれとおせがみになる。

 どのように手引したのだろうか、とても無理してお逢い申したのだったがその間も、現実とは思われないのは、辛いことであるよ。宮も、以前の悪夢のようだった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰などが、やはり普通の女人とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらなかったのだろう」と、辛くまでお思いになられる。積もる思いをどれほどお話し申し上げきれようか。夜の明けぬ山にでも泊まりたいところだが、あいにくの短夜なので、情けなく、かえって辛い逢瀬である。

「 見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな

(お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので、夢の中にこのまま消えてしまいとうございます)」

と、涙にひどくむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、

「 世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても

(世間の語り草となるのではないでしょうか、この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のことということにしたとしても)」

 お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。命婦の君がお直衣などは取り集めて持って来る。

 お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。源氏のお手紙なども、宮は例によって御覧にならないという知らせばかりなので、いつものことながらも辛く悲しくお思いになられて、参内もせず二、三日閉じ籠もっていらっしゃるので、帝が、また「どうしたのか」とご心配あそばさすらしいのも、そら恐ろしいことだとお思いになる。


《源氏にとって、いわば原罪となって今後の物語の骨格を作っていく出来事の、具体的発端です。

ここに描かれた藤壺は、確かに男性にとって魅力的です。気品があっていじらしいという二つの要素の組み合わせも希有のことですし、しかも罪を犯すことのなるのをみずから嘆きながらなお自分に慕い寄ってくる女性に心を奪われない若い男はいないでしょう。

まして、それがもし発覚したら当人達の身の破滅だけでは済まない、社会的大問題になるという危険を背景にしてのことであれば、なおさら愛の感情は高まるでしょう。

それが「どのように手引したのだろうか」と手順を一切語らないことによって、現実から遮断された時間と空間が作られて、あたかも別世界での出来事のように語られた結果、大変に優美な印象を与えて、美しくも悲しい、見事な濡れ場になっているように思います。

その点『光る』が、「とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のある御物腰など」というあたりを「形容だくさんの言い方は、理屈として筋は通ってはいるけれども、小説的陶酔には導かない」として、「ベッド・シーンがあんまり上手じゃないですね」と言っています。確かにそういうことはありますが、あまり具体的に「ベッド・シーン」として書く意図はなかったのではないでしょうか。あくまでもオブラートに包んで、生身を曝すのではなく、言わば概念としてでよいから、最上級のままで置こうとしたように思われます。

さて、それに続いて「以前の悪夢のようだった出来事をお思い出しになる」と急に言われて、読者は、これまで幾度も(例えば帚木の巻第二章の最後、また同じ第三章第二段【現代語訳】2節)うすうすそういうこともあったのではないかと思わされてきていますから、やっぱりそうだったかとは思いますが、ここまでのことがあっていたということには、さすがに驚くことになります。

一度なら青春の間違いと言えても、重ねてとなるとその罪の深さは比較になりません。

それが、あの少女のことを書いたすぐ後に、重ねるように書かれているのも、清純と罪の、対照の妙と言っていい書き方だと思います。

ともあれ物語は、こうして突然一挙にシリアスな方向に向かって展開していくことになったのです。帝が源氏の不調を心配しておられるということを聞いた時の源氏の怖れは、いかばかりかと察せられます。

それにしても、作者が現実に宮廷で生活していて、帝や中宮、女御とおそらくは浅くない接触を日常的に持ちながら、しかもその人達をこそ読者にして、こういう、一般的にはいかがわしい不祥事件を直接的に描くことができたというのは、ずいぶん自由にものが書けたものだと驚いてしまいます。例えば現在こういう小説を発表したら、どういうことになるだろうかと思ってしまいます。》





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