【現代語訳】
七月になって宮は参内なさった。お久しぶりでいとおしくて、以前にも増す御寵愛ぶりはこの上もない。お腹が少しふっくらとおなりになって、お元気がなく面痩せしていらっしゃるのは、それはそれでまた、なるほど比類なく素晴らしい。
例によって、明け暮れ帝はこちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、琴や笛など、いろいろと君にご下命あそばす。つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、藤壺宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。
《藤壺が宮中に帰ります。美人は愁いに沈む姿も格別の美しさだと言われますが、彼女もまたそのようで、さらに懐妊とあって余計に寵愛が深まります。
よもやそういう心労などあろうとも思わない帝は、ただただ体調を気遣って、彼女を慰めようと、季節もよし、管弦の遊びがしばしば催されますが、その度毎に、秘蔵の子であり、管弦の名手である源氏は呼び出されずにはいられません。
満座の中で、誰も知らないままに二人だけが同じ悩みを抱きながら向き合うことになります。藤壺は源氏の顔を見ないわけには行かず、また源氏の奏でる調べには彼の思いがこもらずにはいません。その秘密の交感がまた二人に罪の意識を抱かせます。
夕顔を失うことによって心に深い傷を負った源氏でしたが、それはどれほど深くとも、心の域を出るものではないという点で、やはり青春の事件でした。
しかしこの藤壺とのことで彼が背負ったものは、単に二人の心の問題だけではありません。それは生まれてくる子供を含めて、現実社会に具体的な影響力を持った問題です。彼はここで一人の成人としての問題、それも並外れて大きな、そして終わることのない問題を抱えることになったのです。
彼はこの種の行動を起こす初めは、自分の魅力に任せて、至って身勝手で強引です。そのことはすでにいくつかの悲劇を引き起こし、これからもそうですが、しかし、それらの起こしてしまった悲劇に対しては、彼は常に極めて真摯に悩み、悲しみます。その姿勢は生涯変わりません。その点において彼はこのシリアスな物語の主人公たる資格を持っているのです。
さて、二人だけの絶対的な秘密となったこの事件は、二人の心の中に重い重しとなったまま、またしばらく物語の伏流となって底にかくれ、表には源氏の日常の物語が進んでいきます。》