源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 紫上の物語(1)

第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京~その2

【現代語訳】2

 聖は、お杯を頂戴して、

「 奥山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花の顔を見るかな

(奥山の松の扉を珍しく開けましたところ、まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました)」

と、感涙に咽んで君を拝し上げる。聖はお守りに独鈷を差し上げる。それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子で玉の飾りが付いた数珠を百済から入れてきた唐風の箱におさめたまま、透かし編みの袋に入れて五葉の松の枝に付け、また紺瑠璃の壺いくつもにお薬類を入れて藤や桜などに付け、さらに場所柄に相応しいお贈物類を捧げて、差し上げなさる。

 源氏の君は、聖をはじめとして読経した法師へのお布施類や用意の品々をいろいろと京へ取りにやっていたので、その近辺の樵人にまで相応の品物をお与えになり、この後の御誦経の布施をしてお出になる。

 部屋に僧都がお入りになって、源氏の君が申し上げなさったあのことを、尼君にそのままお伝え申し上げなさるが、

「何とも今すぐにはお返事申し上げようがありません。もし君にお気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、いずれなりと」とおっしゃるので、「これこれで」と同じようなご返事ばかりであるのを、がっかりなさる。

 お手紙を僧都に仕える小さい童にことづけて、

「 夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわずらふ

(昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので、今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします)」

 お返事の歌、

「 まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空のけしきをも見む

(本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか、そのようなことをおっしゃるお気持ちを見ることにいたしましょう)」

と、素養のあるとても上品な筆跡で無造作にお書きになっている。

 

《僧都の源氏への贈り物の数珠は、どうもたいへんな品です。この物語の一応の設定が西暦九百年代初めで、聖徳太子と言えば西暦六百年代初頭の人ですから、三百年前の宝物で、今なら間違いなく国宝指定と言える品でしょう。そういう品物が、個人同士の全くプライベートな贈り物としてやり取りされ、そういう話が読者にも違和感なく受け入れられた時代だったということです。

さて、僧都は、昨夜源氏から頼まれたことを、昨夜の内には話していなかったようで、すでに源氏と尼君の間でかなりのやり取りがあったことを知らないままに、今朝になって尼君に伝えます。もちろん尼君の返事は変わりません。「もう四、五年たってから、いずれなりと」という返事は、普通に妥当なことだと思われます。

尼君が返歌を「教養ある筆跡で、とても上品であるのを、無造作にお書きになっている」ということが注目されます。

まずとりあえずはこれと対照的だった、軒端の荻の「筆跡は、下手なのを分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない筆跡は、下手なのを分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない」(夕顔の巻第五章【現代語訳】2)という評が思い出されます。

そして尼君については、ここまでに語られたこの尼君の言動と合わせ考えて、このことに示された人柄の奥深さが偲ばれます。こういう人に育てられたあの女の子はさぞかしきちんとした子であろうと読者は思います。同時に、源氏は読者達以上にそう感じたことでしょう。》

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第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京~その1

【現代語訳】1

 明けて行く空はたいそう霞んで、山の鳥がどこかしことなく囀り合っている。名も知らない木や草の花々が色とりどりに散り混じり、錦を敷いたと見える所に、鹿があちこちと立ち止まったり歩いたりしているのも珍しく御覧になると、気分の悪いのもすっかり忘れてしまわれた。

 聖は、身動きも不自由だが、やっとのことで護身の法をして差し上げなさる。しわがれた声が、ひどく歯の間から洩れて聞きにくいのも、しみじみと尊く年功を積んだ様子で、陀羅尼を誦していた。

 お迎えの人々が参ってご回復されたお祝いを申し上げ、帝からもお見舞いがある。僧都は、見慣れないような果物をあれこれと谷の底から採ってきては、ご接待申し上げなさる。

「今年いっぱいの誓いが固うございまして、お見送りに参上できませぬ次第。かえって執心が残りそうに存じられてなりません」

などと申し上げなさって、お酒を差し上げなさる。

「山や谷川に心惹かれましたが、帝にご心配あそばされますのも、恐れ多いことですので。そのうち、この桜の時期を過ごさずに参りましょう。

 宮人に行きて語らむ山桜風より先に来ても見るべく

(大宮人に帰って話して聞かせましょう、この山桜の美しいことを、風の吹き散らす前に来て見るようにと)」

とおっしゃる態度や、声づかいまでが、眩しいくらい立派なので、

「 優曇華の花待ち得たるここちして深山桜に目こそ移らね

(お目に掛かって三千年に一度咲くという優曇華の花の咲くのにめぐり逢ったような気がして、深山桜には目も移りません)」

と申し上げなさると、君は微笑みなさって、「その時節に至って、一度咲くという花に出会うのは、難しいと言いますのに」とおっしゃる。

 

《小さなことで、判りにくいことがいくつかあります。

まず、この前節まで、場所は僧都の庵でしょうが、「聖は」以下については、何も書かれていません。『評釈』はあっさり「さて、聖の庵室に戻って、暁の加持を受ける」としていますが、聖が僧都の庵に来るとは考えにくいので、きっとそうなのでしょう。するとその前の鳥や鹿の話は、そこへ行く道すがらのことなのでしょうか。

 次に、僧都は珍しい果物を出してもてなしますが、「谷の底から採ってきて(原文・谷の底まで掘り出で)」というのが、よくわかりません。

初めに聖の庵室は「高い所なので、あちこちに、僧坊どもがはっきりと見下ろされる」とありましたから、下にある僧都の庵から持ってくるのをそう言ったのでしょうか。とすると「採って」は「取って」のほうがよいでしょう。『谷崎』や『評釈』の訳は「掘り出して」とそのまま言っていますが、果物を掘り出すというのは、どうも変です。

「今年いっぱいの…」以下の僧都と源氏のやり取りは、いかにもそれらしく落ち着いた好い対話で、僧都の昨夜の素っ気なさがうそのようです。どうやらあっさりした人と見えます。

僧都は源氏を三千年に一度咲くと言われる優曇華に喩えた歌を詠みますが、それに対する源氏の返事は、なかなか微妙です。

一応は、こんなに身近にいる私が、まさか優曇華とは、とんでもない、という謙遜なのでしょうが、どうも全否定のようには聞こえません。それほどではない、とは聞こえますが、むしろ、それなりのものではあるというニュアンスが強く響くように感じられて、いかにも若い人の返事という気がするのは、私のひが目でしょうか。

以前、優れたユーモアの小話として次のような話を聞きました。

ロシアの貴婦人の集まりで、一人がある貴婦人に「奥様はお色がお白くて羨ましいですわ」と褒めたところ、その人が「ありがとう、でも汚れっぽくて困るんですのよ」と答えて笑いを誘った、というのです。

聞いた時はなるほど、うまい返事だとは思ったものの、今では、それは結局色白を認めたことになるわけで、日本人にとってはユーモアにはならないのではないかという気がしています。

ここも何だかそういうような気がするのですが…。》

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第四段 若紫の君の素性を聞く ~その6

【現代語訳】6

「お気の毒な身の上と承りましたご境遇を、そのお亡くなりになった方のお代わりと、わたしをお思いになって下さいませんか。わたしも幼いころに、かわいがってくれるはずの母親に先立たれましたので、なんとも頼りない有様で年月を送っております。同じような境遇でいらっしゃるというので、お仲間にしていただきたいと、心から申し上げたいのですが、このような機会がめったにございませんで、どうお思いになられるかもかまわずに、申し出たのでございます」と申し上げなさると、

「とても嬉しく存ずべきお言葉ですが、お聞き違えていらっしゃることがあるのではないかと、憚られまして。このつまらぬ私一人を頼りにしている者はございますが、とてもまだ幼くて、大目に見てもらえるところもございませんようなので、お話を承りおくこともできないのでございます」とおっしゃる。

「みな、はっきりと承知致しておりますから、窮屈にご遠慮なさらず、深く思っております格別な心のほどを、御覧下さいませ」

と申し上げなさるが、まだとても不似合いなことを、そうとも知らないでおっしゃるのだとお思いになって、打ち解けたご返事もない。僧都がお戻りになったので、

「まあ、このように最初のお願いを申し上げましたので、心丈夫です」と言って、屏風をおしめになった。

 暁方になったので、法華三昧を勤めるお堂の懺法の声が、山下ろしの風に乗って聞こえて来るのが、とても尊く滝の音に響き合っていた。

「 吹きまよふ深山おろしに夢さめて涙もよほす滝の音かな

(深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて、感涙を催す滝の音であることよ)」

「 さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎやはする

(不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に、心を澄まして住んでいるわたしは驚きません)

耳慣れてしまったからでしょうか」と申し上げなさる。

 

《源氏は初め(【現代語訳】3節)に僧都に「通い関わっています所もありますが」と言っていたのですから、将来いずれは妻に、とは思っていても、今の気持ちとしては、とりあえずは言わば養女のような形でほしいというようなことを言っているつもりなのでしょうが、聞く方はそうは聞きません。そう言うことを言い出すにしては、源氏が若すぎるからでしょう。なにしろ幼い姫とも十歳にも足りない年の差しかないのです。

源氏の従者達なら主人が「普通以上に風変わりなことをお好みになるご性格」であることを承知しています(第三段【現代語訳】3節)から、年に似合わないそういう「風変わりな」考えを理解するかも知れませんが、ここではそうはいきません。当然妻にしたいと言っているのだと思って応対をします。そうすると「お聞き違えていらっしゃること」があるのだとしか思えません。それほどに源氏の申し出は「風変わりなこと」だったわけです。

尼君にすれば、なにしろ孫はまだ十歳そこそこなのです。それに、源氏がどれほどのことを承知しているかも判らず、なにしろ「あんまり急」で、とてもまじめな話とは思われず、丁重にお断りするしかありません。

そこに僧都がお勤めから帰ってきたので、話は中断します。源氏にとって僧都はやはりそうとう「気のおける人」(第一段【現代語訳】1節)であるようです。

源氏は、歌で、僧都にここに誘っていただいて、快い滝の音(懺法の声)を聞き、おかげさまで煩悩の夢から覚めました、と挨拶するのですが、快い滝の音が聞けたとは、姫の詳しい話を聞くことができたという思いもこもっているのでしょう。

僧都は、私たちは「滝の音」は慣れっこで、といやに冷淡な返事をします。源氏を、名に負う方と敬意は持っていても、この申し出は問題にならない若気の至りとしか思っていないようです。》



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第四段 若紫の君の素性を聞く ~その5

【現代語訳】5

「まったく、このような言葉を頂戴して分かるはずの人もいらっしゃらないことは、ご存知でいらっしゃりそうなのに。どなたに」と申し上げる。

「自然としかるべきわけがあって申し上げているのだろうとお考え下さい」

とおっしゃるので、奥に行って申し上げる。

「まあ、華やいだことを。この姫君を年頃でいらっしゃるとでもお思いなのだろうか。それにしても、あの『若草』と詠んだのをどうしてご存知でいらっしゃるのか」と、あれこれと不思議なので困惑して、遅くなっては失礼になると思って、

「 枕ゆふ今宵ばかりの露けさを深山の苔にくらべざらなむ

(今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって、深山に住むわたしたちの露を引き合いに出さないで下さいまし)

乾きそうにございませんのに」とご返歌申し上げなさる。

「このような取り次ぎを介してのご挨拶は、まだまったく致したことがなく、初めてのことです。恐縮ですが、このような機会に、真面目にお話させていただきたいことがあります」と申し上げなさると、尼君は、

「聞き違いをなさっていらっしゃるのでしょう。まことに立派なお方に、どのようなことをお返事申せましょう」とおっしゃると、

「きまりの悪い思いをおさせになってはいけません」と女房たちが申す。

「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目におっしゃっているのは、恐れ多い」

と言って、いざり寄りなさった。

「突然で、軽薄な振る舞いと、きっとお思いになられるにちがいないような機会ですが、わたし自身にはそのように思われませんので。仏はもとよりお見通しで」

とおっしゃって、尼君の落ち着いていて気の置ける様子に気後れして、すぐにはお切り出しになれない。

「おっしゃるとおり、思い寄りも致しませぬ機会に、こうまでおっしゃっていただいたり、お話させていただいたりしますのも、どうして浅いお気持ちと思いましょうか」とおっしゃる。

 

《源氏の歌を受け取った侍女は、まさかあの姫に当ててのものとは思わず、不審に思います。

尼君は「まあ、華やいだことを(原文・あな、今めかし)」と思います。「初草の若葉の」とありましたから、姫に当てての歌とは分かりますが、年端もいかぬ幼子なのにと、なお不審に思います。それに、長く山に籠もっている尼君達からすれば、こういう振る舞いは蓮っ葉で不謹慎なことに思えるのでしょう。僧都と同様に、とんでもないことと驚き、また、昼の歌をどうして知られたのだろうと不思議に思いますが、ともかく、「男君の歌のうち『袖の露』だけを知ったふりで答え、上の句は聞こえないふり」(『評釈』)をして触れないで、暗に拒否する返事にします。

源氏は引き下がりません。今度は取り次ぎを介さずに直接の話を、と求めます。夕方の僧都には、一言で終わりだったのですが(そして次の節で僧都が現れると、話を中断しますが)、どうも女性に対しては押しの強いところがあるようです。

「聞き違いを…」は奧で取り次ぎの女房に言っている言葉ですが、女房たちに取りなされて源氏の話を聞くことにします。

いざ向き合うと、直接の保護者ですから、僧都のように「後で話しておきます」とも言えず、またそこは女性で、あまり冷淡なことも言えず、「どうして浅いお気持ちと思いましょうか」と言わざるを得なかったようです。

すると、源氏の方も、俄然話しやすくなります。》

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第四段 若紫の君の素性を聞く~その4

【現代語訳】4

 源氏の君は、気分もとても悩ましいところに、雨が少し降り、山風が冷やかに吹いてきて、滝壺の水嵩も増して音が大きく聞こえる。少し眠そうな読経が途絶え途絶えに物淋しく聞こえるなども、何でもない人も場所柄しんみりとした気持ちになる。まして、源氏はいろいろとお考えになることが多くて、お眠りになれない。僧は宵のお勤めと言ったが、夜もたいそう更けてしまった。

奥でも、人々の寝ていない様子がよく分かって、とても密かにしているが、数珠が脇息に触れて鳴る音がかすかに聞こえ、ものやさしくそよめく衣ずれの音を、上品だとお聞きになって、広くなく近いので、外側に立てめぐらしてある屏風の中ほどを、少し引き開けて、扇を打ち鳴らされると、奥の方で意外な気がしているようだが、聞こえないふりもできまいということで、いざり出て来る人がいるようだ。少し後戻りして、

「おかしいわ、聞き違いかしら」と不審がっているのを、お聞きになって、

「仏のお導きは、暗い中でも、決して間違うはずはありませんが」

とおっしゃるお声がとても若く上品なので、お返事する声づかいも気がひけるけれども、

「どのお方へのご案内をするのでしょうか。分かりかねますが」と申し上げる。

「なるほど、唐突なことだとご不審になるのも、ごもっともですが、

  初草の若葉の上を見つるより旅寝の袖も露ぞかはかぬ

(初草のごときうら若き少女を見てからは、私の旅寝の袖は恋しさの涙の露で濡れて少しも乾いてくれません)

と申し上げて下さいませんか」とおっしゃる。

 

《僧都は立ち去って、源氏は残されます。ひとりになると、しばらく忘れていた体調のわるさも改めて感じられる上に、外は雨も降り風も騒ぎ、僧都が自慢していた庭の水音も高く聞こえ、どこからか読経の声も切れ切れに聞こえて、ひたすらわびしい気持にかられます。源氏は、先ほどの僧都との話の不首尾を思い、少女を思い、また藤壺を思って気も塞ぎ、眠られません。

ふと奥の部屋から人の起きている気配がします。その気配から、昼間見た尼君たちに相違ないようです。その品の好さに言葉を交わしたく、扇を打って呼びかけ、取り次ぎを頼みます。

「夜もたいそう更けてしまった」ころのこうした振る舞いは、私たちには考えられないことだと思いますが、この時代の人はずいぶん宵っ張りだったようで、それほど不自然なことではないようです。『枕草子』第百七十三段には、大雪の夜、宵(「上代の夜の時間の区分、ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの第二の部分」・『辞典』)を過ぎた頃に男が雪見舞いといった趣で女房たちを訪ねて来て、簀の子に腰掛けてそのまま夜明けまでお喋りをして帰った、という話が書かれています。

こういう呼びかけに応じる場合、「聞き違いかしら」といったん留まるのは「心得あるしぐさ」だと、『評釈』は言います。そのまますぐに出て行くのは待っていたようで、はしたないということなのでしょう。

源氏は歌を贈りますが、その歌は「初草の若葉の」と詠み始められて、昼に尼君が詠んだ歌を聞いていたことが判る仕掛けです。「旅寝の袖も」と言ったのもまた、尼たちが泣いていたことを暗示して、話を聞いた私も泣けてきました、という気持です。》

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