【現代語訳】2
聖は、お杯を頂戴して、
「 奥山の松のとぼそをまれにあけてまだ見ぬ花の顔を見るかな
(奥山の松の扉を珍しく開けましたところ、まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました)」
と、感涙に咽んで君を拝し上げる。聖はお守りに独鈷を差し上げる。それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子で玉の飾りが付いた数珠を百済から入れてきた唐風の箱におさめたまま、透かし編みの袋に入れて五葉の松の枝に付け、また紺瑠璃の壺いくつもにお薬類を入れて藤や桜などに付け、さらに場所柄に相応しいお贈物類を捧げて、差し上げなさる。
源氏の君は、聖をはじめとして読経した法師へのお布施類や用意の品々をいろいろと京へ取りにやっていたので、その近辺の樵人にまで相応の品物をお与えになり、この後の御誦経の布施をしてお出になる。
部屋に僧都がお入りになって、源氏の君が申し上げなさったあのことを、尼君にそのままお伝え申し上げなさるが、
「何とも今すぐにはお返事申し上げようがありません。もし君にお気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、いずれなりと」とおっしゃるので、「これこれで」と同じようなご返事ばかりであるのを、がっかりなさる。
お手紙を僧都に仕える小さい童にことづけて、
「 夕まぐれほのかに花の色を見てけさは霞の立ちぞわずらふ
(昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので、今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします)」
お返事の歌、
「 まことにや花のあたりは立ち憂きと霞むる空のけしきをも見む
(本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか、そのようなことをおっしゃるお気持ちを見ることにいたしましょう)」
と、素養のあるとても上品な筆跡で無造作にお書きになっている。
《僧都の源氏への贈り物の数珠は、どうもたいへんな品です。この物語の一応の設定が西暦九百年代初めで、聖徳太子と言えば西暦六百年代初頭の人ですから、三百年前の宝物で、今なら間違いなく国宝指定と言える品でしょう。そういう品物が、個人同士の全くプライベートな贈り物としてやり取りされ、そういう話が読者にも違和感なく受け入れられた時代だったということです。
さて、僧都は、昨夜源氏から頼まれたことを、昨夜の内には話していなかったようで、すでに源氏と尼君の間でかなりのやり取りがあったことを知らないままに、今朝になって尼君に伝えます。もちろん尼君の返事は変わりません。「もう四、五年たってから、いずれなりと」という返事は、普通に妥当なことだと思われます。
尼君が返歌を「教養ある筆跡で、とても上品であるのを、無造作にお書きになっている」ということが注目されます。
まずとりあえずはこれと対照的だった、軒端の荻の「筆跡は、下手なのを分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない筆跡は、下手なのを分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない」(夕顔の巻第五章【現代語訳】2)という評が思い出されます。
そして尼君については、ここまでに語られたこの尼君の言動と合わせ考えて、このことに示された人柄の奥深さが偲ばれます。こういう人に育てられたあの女の子はさぞかしきちんとした子であろうと読者は思います。同時に、源氏は読者達以上にそう感じたことでしょう。》