源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 紫上の物語(1)

第七段 北山へ手紙を贈る~その2

【現代語訳】2

 僧都のお返事も同じようなので残念に思って、二、三日たって、惟光を差し向けなさる。

「少納言の乳母という人がいるはずだ。その人を尋ねて、詳しく相談せよ」などと言い含めなさる。「何とも、お目の届かぬところのない好き心であることだ。あれほど子供じみた様子であったのに」と、はっきりとではないが少女を見た時のことを思い出すとおかしい。

 わざわざ、このようにお手紙があるので、僧都も恐縮の由を申し上げなさる。少納言の乳母に申し入れて面会した。詳しく、お考えになっておっしゃったご様子や、日頃のご様子などを話す。多弁な人なので、もっともらしくいろいろ話し続けるが、「とても無理なお年なのに、どのようにお考えなのであろうか」と、大変心配なことだと、誰もがお思いになるのであった。

 お手紙にも、とても心こめてお書きになって、例によってその中に、「あの一字一字お書きなのを、やはり拝見したいのです」とあって、

「 あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ

(浅香山の名のように浅い気持ちで思っているのではないのに、どうしてわたしから離れていらっしゃるのでしょう)」

 お返事、

「 汲みそめてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき

(うっかり初めて汲んでみて後悔したと聞きました山の井のように浅いところに、どうして姿を写すことができましょうか)」

 惟光も同じ意味のご報告を申し上げる。「この尼君の病気が多少回復したら、しばらく過ごして、京のお邸にお帰りになってから、改めてお返事申し上げましょう」と少納言からあったのを、待ち遠しくお思いになる。

 

《先日の使いでは駄目と見て、いよいよ惟光を行かせますが、惟光もこの執心は理解が行きません。あんな幼子を相手に、いよいよ物好きな、と彼は主人の風変わりを道中笑いながら出かけます。しかし、彼は役目はしっかりと務める人です。言われたとおり少納言の乳母に会い、源氏の思いを汲んでいろいろと話してがんばります。

 源氏の贈った歌は、万葉集にある「あさか山影さへ見ゆる山の井の浅きこころをわが思はなくに」をふまえていて、尼君の手紙に「まだ『難波津』の歌さえ、ちゃんと書き続けません」とあったのに応じているとされます。

この二首の古歌は、『古今集』仮名序で、並べ挙げられて「この二歌は、歌の父母にて、手習ふ人の初めにもしける」とあって、言わば一組の歌なのです。

ということは、作者は、前節で尼君の手紙を書いた時に、すでにここでの源氏のこの歌を予定していたわけで、現代の作家なら当然のことでしょうが、書き進めていく準備がずいぶん細かいところまでなされていたのだと、驚かされます。

さてしかし、返事は変わりません。尼君の体調が戻ってから改めて、と延期して、尼君の方としては、ほとぼりの冷めるのを待つ雰囲気です。
 ここで物語は幼い姫君の話からいったん離れます。そして大事件へと展開するのです。》


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第七段 北山へ手紙を贈る~その1

【現代語訳】1

 翌日、お手紙を差し上げなさった。僧都にもそれとなくお書きになったのであろうが、尼上には、

「取り合って下さらなかったご様子に気がひけまして、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになったことでした。これほどに申し上げておりますことにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことでしょうか」

などと書いてある。中に、小さく結んで、

「 おもかげは身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど

(山桜の面影がわたしの身から離れません、心のすべてをそちらに置いて来たのですが)

 夜間に吹く風が、心配に思われまして」

と書いてある。ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。

「まあ、困ったこと。どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。

「行きがかりからのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのでは、お返事の申し上げようがなくて。まだ『難波津』の歌さえ、ちゃんと書き続けませんようなので、お話するかいもありません。それにしても、

  嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ

(激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に、その散るまでの短い間だけお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます)

ますます気がかりでございまして」

とある。

 

《山から帰参したその日、久し振りに会った葵の上に失望した源氏は、その翌日、早速北山に手紙を送りました。

僧都宛にも書いたようですが、そちらの内容は書かれません。『評釈』は、作者にとって男同士の手紙(それは漢文体の硬いものであり、「物語の文体に合致」しないからだとしていますが、それよりもやはりあの僧都は彼にとって煙たい人で、あのようににべもなく断られた以上、重ねては言いにくかったからではないでしょうか。いかにも若い未熟な男性の、同性の年功者に対する畏れ、憚りといった感じが出ていて、おもしろく思われます。

それに比べて、尼上に対しては、甘えと自分の魅力への自信と、したがっていささかの侮りがあるといっていいでしょう。

源氏の手紙の中の「小さく結んで」あったのはあの少女宛のもののようです。歌の「山桜」はもちろんあなた(少女)を暗示しています。

「難波津」は子供が最初の手習いに書く歌、それをまだ続け字で書けない幼なさで、お手紙を戴いても、ろくに返事も書けないほど幼い子供なのです、という尼君の返事です。

彼女は、源氏の申し出を、あくまで「行きがかりからのお話(原文・ゆくての御こと)」、たまたま思いつかれただけの気まぐれと流してしまいたい気持のようです。あるいは彼女の耳には、源氏の艶聞のいくらかも聞こえていたのかも知れません。》


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第六段 内裏と左大臣邸に参る~その2

【現代語訳】2

「たまさかにおっしゃるかと思えば、心外なお言葉ですね。『尋ねないのは、辛いもの』、などという間柄は、私たちとは違う間柄で使う言葉でしょう。嫌なふうにおっしゃいますね。いつまでたっても変わらない体裁の悪い思いをさせるお振る舞いを、もしや、お考え直しになるときもあろうかと、いろいろとしてみておりますうちに、ますますお疎んじになられたようですね。もう仕方ありません、長生きさえしたら、いつかは」

と言って、夜のご寝所にお入りになった。

女君は、すぐにもお入りにならず、源氏もお誘い申しあぐねなさって、溜息をつきながら横になっているものの、何となく気まずいのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれや男女の間柄のこと思って心をお乱しておられるのだった。

 この若草の君が成長していく間がやはり気にかかるので、「まだ相応しくない年頃と思っているのも、もっともだ。口説きにくいことだなあ。何とか手段を講じて、ほんの気楽に迎え取って、毎日の慰めとして一緒に暮らしたい。父の兵部卿宮は、とても上品で優美でいらっしゃるが、つややかなお美しさではないのに、どうして、あの一族の方に似ていらっしゃるのだろう。父宮が同じお后様からお生まれになったからだろうか」などとお考えになる。血縁がとても親しく感じられて、何とかしてと、深く思われる。

 

《源氏も負けずに、いや、むきになって言い返します。

葵の上が言った「尋ねないのは、辛いもの」は、「忍ぶ恋」の間柄で詠まれた歌を引いたものらしく、源氏は、自分たちは正式の夫婦なのだから、そういう言葉で表されるような問題はないはずだ、もっと私を信じて安心していてほしいと言っているわけです。

しかし、プライドを持ちながら、年上であることに引け目を抱いている葵の上にその余裕はありません。

また「お考え直しになるときもあろうかと、いろいろとしてみておりますうちに」と言いますが、しかし彼は一体何をしてきたでしょうか。少なくとも作者は何も語っていません。

源氏はしばしば「完璧な人として描かれている」と評されますが、それは外見と種々の才能と、そして行為の結果に関しての真摯さについてであって、特に若き日の彼には、例えばここの場面で必要な思慮・配慮といった点では、普通の人と同じようで問題なしとしません。彼もまたプライドからでしょうか、ひたすら自分を正当化しようとします。

そして寝室で、二人はお互いが自分のプライドと正当性の殻に籠もって背き合うことになります。状況は違いますが、有島武郎の言った「こちんとした心」(『小さき者へ』)という言葉が思い出されます。

こういう夫婦の、理論的に見えて感情的な対立を解くには、結局どちらかが上手に折れるしかないのですが、若い二人にはそういう余裕は生まれません。

そのやりきれない気まずさの中で、源氏は無垢なあの女の子のことを恋しく思い浮かべています。》



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第六段 内裏と左大臣邸に参る~その1

【現代語訳】1

 源氏の君は、まず内裏に参内なさって、ここ数日来のお話などを申し上げなさる。

「たいへんひどくお痩せになってしまったものよ」とおっしゃって、ご心配あそばした。聖の霊験あらたかであったことなどを、お尋ねあそばす。詳しく奏上なさると、

「阿闍梨などにも任ぜられてもよい人であったのだな。修行の功績は大きいのに、朝廷に知られていなかったことよ」と、尊重なさりたく仰せられるのであった。

 大殿が、参内なさっておられて、

「お迎えにもと存じましたが、お忍びの外出なので、どんなものかと遠慮して。のんびりと、一、二日、お休みなさい」と言って、

「このまま、お供申しましょう」と申し上げなさるので、それほどお気も進まないが、連れられて退出なさる。

 ご自分のお車にお乗せ申し上げなさって、自分は下座にお乗りになる。大切にお世話申し上げなさるお気持ちの有り難さに、やはり胸のつまる思いがなさるのであった。

 大殿邸でも、おいであそばすだろうとご用意なさって、久しくお見えにならなかった間に、ますます玉の台のように磨き上げ飾り立て、用意万端ご準備なさっていた。

 女君は、例によって物蔭に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないのを、父大臣が強くご催促申し上げなさって、やっと出ていらっしゃった。まるで絵に描いた姫君のように座らされて、ちょっと身体をお動かしになることも難しく、きちんと行儀よく座っていらっしゃるので、心の中の思いを話したり、北山行きの話をもお聞かせしたりしたいのも、話のしがいがあって、楽しいご返事を下さるならいいのだが、少しも打ち解けず、源氏の君をよそよそしく気づまりな相手だとお思いになって、年月を重ねるにつれて、お気持ちの隔たりが増さるのが、とても辛く心外なので、

「時々は、世間並みの妻らしいご様子を見たいですね。私がひどく苦しんでおりました時にも、せめてどうですかとだけでも、お尋ね下さらないのは、今に始まったことではありませんが、やはり残念で」と申し上げなさる。ようやくのことで、

「『尋ねないのは、辛いものなの』でしょうか」と、流し目に御覧になっている目もとは、とても気後れがしそうで、気品高く美しそうなご容貌である。

 

《まず内裏に行き、帝に挨拶を終えて、左大臣に誘われて大殿邸に行きます。作者は「それほどお気も進まないが」とことさらに言い添えます。大殿のお志は身に沁みるのですが、正妻・葵の上が、どうにもなじめないのです。

 その葵の上は、読者に対しては、ここで初めて具体的な姿を見せます。

その姿は、「絵に描いた姫君のように」とあるので、そのように美しいのかと思うと、美しいのはそのとおりとしても、おまけに動かないところまで、まるで絵だというのです。ろくに口も聞かず、動きもしないとあっては、これでは確かに相手をするのに窮屈です。

ここの「『尋ねないのは、辛いものなの』でしょうか」という葵の上の言葉は、歌を引いたもののようですが、元の歌を特定できないようです。言っている意味は「問わないのほんとうにつらいものでしょうか」。つまり「源氏の『問はせたまはぬこそ(お尋ね下さらないのは)』の言葉を受けて、問われぬ私の気持ちもお分かり下さいましょう、という皮肉である」(『集成』)ということのようです。

源氏は他の女性との関係があって長く来なかったのですから、確かに彼の不平は虫がよすぎますが、葵の上も見舞いの便りくらいは出せばよかったのです。彼女のこの返事は源氏の(美しい?)鼻の頭を指ではじくような辛辣さがあります。

この人がなぜそうなのかというと、もちろんそういう人柄、たぶん大変に生真面目だとか、ということもあるのでしょうが、少なくとも始まりは、彼女が源氏よりも四歳年上であることにコンプレックスを持ったからなのでした(桐壺の巻第七段)。

それを解きほぐすのは、結婚の当初なら容易なことだったのでしょうが、あいにくそのころ源氏は藤壺女御と引き離されて悩ましい思いでいたころで、新しい妻の心に分け入ろうというような余裕がありませんでした。それも、彼女が源氏の好みの人なら少しは違っていたのかも知れませんが、どうもそうではなかったのでしょう。それから後は空蝉、夕顔、六条御息所と、彼の心の空隙を埋めてくれそうな人を求めて彷徨っていて、その間に、一旦できてしまった二人の溝は、次第に深いものになっていたのでした。

生真面目(周囲の言うとおりに行動する、いい子)で、頭がよく(源氏への辛辣な切り返しの返事ができ)、抑制力があって(絵のようにじっとしていられ)、誇り高い(源氏が行ってもすぐには出てこない)、そういう人がコンプレックスと憤りとを持っているとなると、向き合う難しさは、なまなかなものではないでしょう。

そもそも、夫婦が面と向き合って自分の正当性を主張する、こういうやり取りをするようになっては、修復は困難です。男女の間柄は正当性によって結ばれているのではないからです。特にこの場合は言い分も原因も双方にあるのですから、とりあえずはどちらかが謝るしかありません。そして、普通、それは男の側の役目なのです。「怒っている女房を黙らせるのは簡単なことだ、一言、俺が悪かった、と言えばいい」というのは真理です。》

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第五段 翌日、迎えの人々と共に帰京~その3

【現代語訳】3

 お車にお乗りになるころに、左大臣邸から、「どちらへ行くともおっしゃらなくて、お出かけあそばしてしまったこと」と言って、お迎えの供人やご子息たちなどが大勢参上なさった。頭中将、左中弁、その他のご子息もお後をお慕い申して来て、

「このようなお供には、お仕え申しましょうと、存じておりますのに、あまりなことに、お置き去りあそばして」とお怨み申して、

「とても美しい桜の花の下に、しばしの間も足を止めずに引き返しますのは、もの足りない気がしますね」とおっしゃる。

 岩蔭の苔の上に並び座ってお酒を召し上がる。落ちて来る水の様子など、風情のある滝のほとりである。頭中将は懐にしていた横笛を取り出して吹き澄ましている。弁の君は扇を軽く打ち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。普通の人よりは優れた公達であるが、源氏の君のとても苦しそうにして岩に寄り掛かっておいでになる姿は、またとなく不吉なまでに美しいご様子で、他の何人にも目移りしそうにないのであった。いつものように、篳篥を吹く随身、笙の笛を持たせている風流人などもいる。

 僧都は、七絃琴を自分で持って参って、

「これで、ちょっとひと弾きあそばして、同じことなら、山の鳥をも驚かしてやりましょう」と熱心にご所望申し上げなさるので、

「気分が悪くてたまらないのだが」とお答え申されるが、ことに無愛想にはならない程度に琴を掻き鳴らして、一行はお立ちになった。

 名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や童子も涙を落とし合っていた。彼ら以上に、室内では、年老いた尼君たちなどは、まだこのようにお美しい方の姿を見たことがなかったので、「この世の人とは思われなさらない」とお噂申し上げ合っていた。僧都も、

「ああ、どのような因縁で、このような美しいお姿でもって、まことにむさ苦しい日本国の末世にお生まれになったのであろうと思うと、まことに悲しい」と言って、目を押し拭いなさる。

 この姫君は、子供心に、「素晴らしい人だわ」と御覧になって、

「父宮様のお姿よりも、優れていらっしゃるわ」などとおっしゃる。

「それでは、あの方のお子様におなりあそばせな」と申し上げると、こっくりと頷いて、「とてもすてきなことだわ」とお思いになっている。お人形遊びにも、お絵描きなさるにも、「源氏の君」と作り出して、美しい衣装を着せ、お世話なさる。

 

《これでもかとばかりに源氏の素晴らしさが語られます。私たちは少々辟易する気分ですが、贔屓のアイドルを語るとあれば、今日でもこんなものかも知れません。

そこにいる源氏についての絶賛はこれまでにも何度も出てきたところですが、ここでは特に源氏が去った後の僧都と女房たちの言葉が、それぞれに過大であり大袈裟でもあり、全く言葉を極めています。僧都の「ああ、どのような因縁で…」にしてもそうですが、とうとう作者は「父宮様のお姿よりも、優れていらっしゃるわ」と言わせてしまいます。

後の伏線という意味あって書かれたのでしょうが、思いがあまったというか、筆が滑ったというか、あの立派な尼君の元で育った姫が、自分の父を引き合いに出して他人をほめ、挙げ句に実の父よりもその人の子になりたいという意思表示をするなどというのは、この姫の品位を汚すように思われて、いささか頂けない気がします。

作者は、源氏が強引にこの姫君を引き取ることを、何とか自然な成り行きであるとしたかったのでしょう。

が、それは後のこととして、ともかく源氏は、山挙げての送別会の席でも「とても苦しそうにして、岩に寄り掛かって」いるという、まだ少々心配な状態でしたが、全山に大変なインパクトを残して去って行ったのでした。》


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