源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻五 若紫

第三段 源氏、紫の君を盗み取る~その6

【現代語訳】6

 あの邸に残った女房たちは、兵部卿宮がお越しになってお尋ね申し上げなさったが、お答え申し上げるすべもなくて、困り合っているのであった。

「暫くの間、他人には教えまい」と源氏の君もおっしゃるし、少納言の乳母もそう考えていることなので、固く口止めするように言い送っていた。ただ、「行く方も知れず、少納言の乳母がお連れしてお隠し申したことで」とばかりお答え申し上げるので、宮も仕方がないとお思いになって、

「亡くなった尼君も、あちらに姫君がお移りになることを、たいへん嫌だとお思いであったことなので、乳母がひどく出過ぎた考えから、おだやかに、お移しすることを不都合だ、などと言わないままに、自分の一存で、連れ出してどこかへやってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。

「もし、消息をお聞きつけ申したら、知らせなさい」とおっしゃる言葉も、女房たちには厄介なことである。僧都の所にもお尋ね申し上げなさるが、行方が知れなくて、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いになる。

 宮の北の方も、その母親を憎いとお思い申し上げておられた気持も消えて、自分の思いどおりにできようとお思いになっていた当てが外れたのを、残念なことにお思いになるのであった。

 姫の所には次第に女房たちが集まって来た。お遊び相手の童女や幼子たちもとても珍しく当世風なご様子なので、何の屈託もなくて遊び合っていた。

 姫は、男君がおいでにならなかったりして寂しい夕暮時などだけは、尼君を思い出し申し上げなさってつい涙ぐみなどなさるが、父宮は特にお思い出し申し上げなさらない。

最初からご一緒ではなく過ごして来られたので、今ではすっかりこの後の親を、たいそう馴れお親しみ申し上げていらっしゃる。外出からお帰りになると、まっさきにお出迎えして親しくお話をなさって、お胸の中に入って少しも嫌がったり恥ずかしいとは思っていない。そういう関係として、ひどくかわいらしい態度なのであった。

 智恵がつき、何かとうっとうしい関係となってしまうと、自分の気持ちと多少ぴったりしない点も出て来たのかしらと、心を置かれて、相手も恨み言もしがちになり、意外なもめ事が自然と出て来るものだが、これはまことにかわいらしい遊び相手である。

自分の娘などでも、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものだろうに、この人はとても風変わりな大切な娘であると、お思いのようである。

 

《物語として、兵部卿宮の方を片付けなくてはなりません。

結局、少納言が故尼君の気持ちを体して勝手に連れ出して行方不明になったということにします。

少納言も、こういう生活が始まってしまったのならば、待遇も手厚く、当面居心地も悪くないし、そもそも今更逆らいようもないのであってみれば、それしかないと腹を決めたということなのでしょう。宮は手がかりもなく、結局は諦めるよりありません。

それにしても、この宮夫婦の気持はちょっと引っかかります。宮は「惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いに」なったというのですが、自分の娘が見えなくなったというのに、その器量を気にする場合ではないではないでしょう。

北の方も、「母親を憎いとお思い申し上げておられた気持も消えて」はいいとして、「自分の思いどおりにできようとお思いになっていた」というのは、どうもあまりいいことを想像することができません。この二人は、この物語に出てくる人にしては珍しく、あまりいい人ではないようです。

弘徽殿女御は、悪役にされていますが、彼女の立場としては普通の考え方なのです。

姫は、宮家に行かなくて幸いだったと、読者はほっとできます。

源氏の配慮で、二条院では姫の周辺がますます整えられていき、それにつれて姫の源氏への親しみはいっそう増します。

あとはこの姫が無事に「紫の上」に生まれ変わるのを待つばかりです。

さて、この巻で源氏は、藤壺とのことによって、これからの半生、ずっとその責任を背負っていかねばならない大きな問題を抱えました。

そして一方で、同じようにこれからの半生、自分が責任を負うべき女性を得ました。

彼は、夕顔の巻で青春と決別して、この巻で一人の大人としての旅立ちをすることになったということです。》

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第三段 源氏、紫の君を盗み取る ~その5

 

【現代語訳】5

 源氏の君は、二、三日、宮中へも参内なさらず、この人を手懐けようとお相手申し上げなさる。そのまま手本にとのお考えか、手習いやお絵描きなど、いろいろと書いては、御覧に入れなさる。とても素晴らしくお書き集めになった。姫は、「武蔵野といへばかこたれぬ」と紫の紙にお書きになった、墨の具合がとても格別なのを、手に取って御覧になっていらっしゃった。少し小さく、

「 ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の露分けわぶる草のゆかりを

(まだ根は見たことがありませんが、愛しく思われます、武蔵野の露に難儀して訪ねられないでいる紫にゆかりの草を~まだ共寝してはいませんが、愛しく思われます、逢おうにも逢えない紫・藤壺ゆかりのあなたを)」

とある。
「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
「まだ、うまく書けません」と言って、顔を見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、つい微笑まれて、

「うまくなくても、まったく書かないのは好くありません。教えて上げましょうね」とおっしゃると、ちょっと横を向いてお書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子があどけないのも、かわいらしくてたまらないので、我ながら不思議だとお思いになる。

「書き損ってしまった」と恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、

「 かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらむ

(恨み言を言われる理由が分かりません、わたしはどのような方のゆかりなのでしょう)」

と、とても幼稚だが、将来の成長が思いやられて、ふっくらとお書きになっている。亡くなった尼君の筆跡に似ているのであった。「当世風の手本を習ったならば、とても良くお書きになるだろう」と御覧になる。

 お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしの相手である。

 

《いよいよ二人での暮らしが始まり、源氏は早速まず手習いから教育を始めます。

「武蔵野といへばかこたれぬ」については、『評釈』が次のように注を載せています。

「古今六帖五、紫、『知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ』(行ったこともないが、武蔵野と聞くとためいきが出る。そうだ、そんななのは、そこにはえている紫草なつかしいからだ)。源氏は、『紫』に藤壺の宮をよそえ、その姪の若草の君をもなつかしく思う意味で、手習いに書いたのである」

紫草は、根が紫色であるところからの名前で、染料の材料とされていました。武蔵野がその産地で、武蔵野といえば紫草を連想したと言われます。

藤壺の藤の花が紫で、その姪に当たる姫は紫のゆかり、そこで後に紫の上と呼ばれることになります。

源氏はこの歌を「紫の紙」に書き、その脇に小さく自分の本音を座興に、しかし姫には何のことか意味の分からない歌を書きました。

この屋敷がすっかり気に入ってしまった様子の姫は、源氏に対して大変素直で、自分の元の家や少納言を恋うこともありません。彼女自身にとってはこれまでがそんなに居心地が悪かったとも思われませんので、あまりに早い順応ぶりに、十歳そこそこの少女としては少し違和感がありますが、作者としてはそれもこれも、源氏の偉大さ、その魅力と言いたいのでしょう。

それを承認して読めば、ここに描かれる姫の様子は確かにどこを取っても大変にかわいらしく、いかにも素直な女の子と思われます。特に一度「恥じて隠し」たものを、更に求められて結局羞じらいながら見せる、というあたり、いかに源氏を信頼し甘える気持ちでいるかということが察せられて、いい場面です。

その詠んだ歌は、十歳の、文字さえまだ手習いの段階の娘にしては、見事すぎますが、源氏にまさるとも劣らないヒロインのことですから、大目に見ることにしましょう。》

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第三段 源氏、紫の君を盗み取る ~その4

【現代語訳】4

 夜が明けて行くにつれて見渡すと、御殿の造りざまや調度類の様子は改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような感じなので、少納言は、場違いだときまり悪い思いでいたが、こちらの対には女房なども控えていないのであった。たまのお客などが参った折に使う部屋だったので、男たちが御簾の外に控えていた。

 このように女をお迎えになったようだと耳にした人は、「誰であろうか。並大抵の人ではあるまい」と、ひそひそ噂する。御手水やお粥などをこちらの対にお運びする。

日が高くなってお起きになって、

「女房がいなくて不便であろうから、しかるべき人々を夕方にはお迎えなさるとよい」とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人をおやりになる。「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言われたので、とてもかわいらしい格好をして、四人が参った。

 姫君はお召物にくるまって臥せっていらっしゃったのを、無理に起こして、

「こんなふうに情けない思いをさせないで下さい。いい加減な男はこのように親切にしましょうか。女性というものは気持ちの素直なのが好いのです」などと、今からお教え申し上げなさる。

 ご容貌は、遠くから見ていた時よりも美しいので、優しくお話をなさりながら、興趣ある絵や遊び道具類を取りにやってお見せ申し上げ、お気に入ることどもをなさる。

 やっと起き出して座って御覧になるが、鈍色の色濃い喪服のちょっと柔らかくなったのを着て無心に微笑んでいらっしゃるのがとてもかわいらしいので、ご自身もつい微笑んで御覧になる。

東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立や池の方などをお覗きになると、霜枯れの植え込みが絵に描いたように美しくて、見たこともない四位、五位の人々の服装が色とりどりに入り乱れて、ひっきりなしに出入りしていて、「ほんとうに素晴らしい所だわ」と、お思いになる。御屏風類などの、とても素晴らしい絵を見ては、機嫌を良くしていらっしゃるのも、あどけないことだ。

 

《次第に夜が明け放れて、最初の一日が始まります。

少納言の、何の心準備もなくいきなり始まったまったく新しい生活の日の朝の、戸惑いから書き始められます。

そして、「こちらの対には女房なども控えていない」とありますが、これを『評釈』は、源氏の配慮で、連れて来られたままのみっともない服装をここの女房たちに見られたら、後々のどんな噂になるとも知れないからだと言っていて、なるほどと思われます。

少納言の気持として、男たちはともかく、女房たちに見られることがなく、とりあえず安堵したということを言っているわけです。

さらに、必要な女房を呼び寄せよとの言葉があります。姫にも、遊び仲間の童女、そして遊び道具と、行き届いた配慮がなされます。

源氏が姫に言う「女性というものは、気持ちの素直なのが好い」は、もちろん葵の上を意識しての言葉でしょう。

源氏が立っていったあと、姫は、先ほどやって来た子供たちといっしょに遊んでいて、あの山寺でもそうであったように、たまたま部屋の端近に走り出たのでしょうか、そこでは庭の様子も屏風の絵も、何もかもが「美しくて、見たこともない」情景です。

「荒れた、木立の手入れもされていなくて小暗く見える家」(第三章第一段【現代語訳】1節)からやってきた十歳の少女は、おさな心に思わず呆気にとられた様子で佇んでしまいますが、乳母のように「場違いだ」などとはつゆ思わない無邪気さで、すっかりここが気に入ってしまったのでした。》

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第三段 源氏、紫の君を盗み取る~その3

 

【現代語訳】3

 二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対にお車を寄せてお下りになる。姫君をとても軽々と抱いてお下ろしになる。

 少納言の乳母が、
「ほんとうにまるで夢のような心地がしますが、どういたしましたらよいのでしょうか」と、ためらっているので、

「それはあなたの考え次第でしょう。ご本人はお移し申し上げてしまったのだから、帰ろうと思うなら、送ってあげようよ」とおっしゃるので、仕方なくて下りた。急な事で驚きあきれて、胸の波立ちも収まらない。

「宮さまがどんなにかお叱りになられるだろう、姫君はどうおなりになるお身の上だろうか、とにもかくにも、身内の方々に先立たれたことが本当にお気の毒」と思うと、涙が止まらないのだが、さすがに不吉なので、じっと堪えている。

 こちらはご使用にならない対の屋なので、御帳などもないのであった。惟光を呼んで、御帳や御屏風などをここかしこに整えさせなさる。御几帳の帷子を引き下ろし、ご座所などをちょっと整えるだけで使えるので、東の対にご寝具類などを取り寄せに人をやって、お寝みになった。

 姫君はとても気味悪くて、どうなさる気だろうと、ぶるぶると震えていらっしゃるが、さすがに声を出してお泣きにはなられない。

「少納言の乳母の所で寝たい」とおっしゃる声は、まことに幼い。

「今からは、もうそのようにお寝みになるものではありませんよ」とお教え申し上げなさると、とても悲しくて泣きながら横におなりになった。

少納言の乳母は横になる気もせず、何も考えられず起きていた。

 

《源氏が少納言に言った「帰ろうと思うなら、送ってあげようよ」という言葉は、日ごろの彼の言葉とは思えない、冷たく強い言い方です。自分のしたことをさすがにいいこととは思えず、十八歳の少年の気持が高ぶっているのでしょうか。

言われた少納言の「何と言っても不吉なので」という思いは、これが姫の新しい生活、つまり結婚生活の門出だと考えていることを示すようです。

「寝殿を隔てて向こうの東の対から、蒲団の類を持って来させたとあるから、源氏はいつもは東の対で寝るのであろう。きょうからは、この若君と、西の対で寝るつもり」(『評釈』)であるようです。

姫が「少納言の所で寝たい」と訴えますが、源氏は許さず、自分の傍で寝させます。

どうやら、この場の人々はみんな、これを姫の形の上では結婚だと考えているようで、以後、私たちもそういうつもりで読むことになります。

『評釈』が、こうした一連の流れを、「あえて男が行えば、もう女には打つ手がない。…(姫は)この運命を甘受せねばならない。…いったんゆるした女は、ひたすら弱くなるのみである」と、女性という存在の悲哀として、いささか浪花節的に語っています。

確かにあるいは乳母の少納言はそういう気持ちを抱いたのかもしれませんが、しかし読者は源氏がどういう人かをすでによく承知していますから、もう少し楽観的で、姫が窮地から救い出された、というのは言い過ぎにしても、それに近い気持ちで読まれるように思います。

実際問題としてこの姫をいきなり、こわそうな継母や、馴染めるかどうか分からない異母姉妹の中に連れて行って、肩身狭く気遣いしながら過ごさせることを思えば、将来は分からないにしても、当面は大事にされるであろう源氏の許にいてもらう方が、読者としてしばらくは安心できるというものです。

やはり読者にとってここの源氏は「白馬の王子」であり、兵部卿宮の方が悪役なのです。

それにしても少納言はそうは考えられないのが当然で、その夜一晩、横にもならずにつくねんと起きたまま過ごしていたという一言は、ここまでの彼女の振るまいとあわせ考えて、その置かれた状況と心中を見事に現し、彼女の実在感を感じさせます。》


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第三段 源氏、紫の君を盗み取る~その2



【現代語訳】2 

 門を打ち叩かせなさると、何も事情を知らない者が開けたので、お車を静かに引き入れさせて、惟光大夫が妻戸を叩いて合図の咳払いをすると、少納言の乳母が察して出て来た。

「ここに、おいでになっています」と言うと、

「若君はお寝みになっております。どうしてこんな暗いうちにおいでになったのですか」と、どこかからの帰りがけと思って言う。

「宮邸へお移りになるそうですが、その前にお話し申し上げておきたいと思って」とおっしゃると、

「何事でしょう。きっとしっかりしたお返事をなさることでしょう」と言って笑っている。源氏の君がお入りになると、とても困って、

「くつろいで、見苦しい年寄たちが寝ておりますので」とお制し申し上げる。

「まだお目覚めではないでしょうね。どれ、お目をお覚まし申しましょう。このような素晴らしい朝霧を知らないで、寝ていてよいものですか」とおっしゃって、ご寝所にお入りになるので、「もし」とも、お止めできない。

 姫は何も知らないで寝ていらっしゃったが、源氏の君が抱いてお起こしになるので、目を覚まして、父宮がお迎えにいらっしゃったと、寝惚けてお思いになった。

 お髪を掻き繕いなどなさって、

「さあ、いらっしゃい。父宮さまのお使いとして参ったのですよ」とおっしゃる声に、違う人だったと、びっくりして恐いと思っているので、

「なんと情けない。わたしも同じですよ」と言って、抱いてお出になるので、大輔や少納言の乳母などは、「これは、なんとしたことでしょう」と申し上げる。

「ここには常に参られないのが気がかりなので、気のおけぬ所にと申し上げたが、残念なことに、宮邸にお移りになるそうなので、ますますお話もしにくくなるだろうから。誰か一人付いて参られよ」とおっしゃるので、気も動顛して、

「今日は、まことに都合が悪うございましょう。宮さまがお越しあそばした時には、どのようにお答え申し上げましょう。自然と年月を経てそうなられるご縁でいらっしゃれば、どうにでもなられましょうのに、何とも考える暇もない急な事でございますので、お仕えする者たちもきっと困りましょう」と申し上げると、

「よし、後からでも女房たちは参ればよかろう」と言って、お車を寄せさせなさるので、驚きあきれて、どうしたらよいものかと困り合っている。

 姫も様子が変だとお思いになってお泣きになる。少納言の乳母はお止め申し上げるすべもないので、昨夜縫った姫のお召し物を手にして、自分も適当な着物に着替えて、車に乗った。



《ここの冒頭、すぐに乳母が出てきたことにしても話に問題はないのですが、まず「何も事情を知らない者」が出て来ることによって、この訪問が、まだ人が動き出さない早朝の、屋敷内がひっそりとした時間であったことを感じさせます。

 乳母の「何事でしょう。…」の軽口が効果的で、静から動へ、ここから「お制し申し上げる」、「お止めできない」、「「これは、なんとしたことでしょう」、「気も動顛して」と一気に、テンポよく展開していく作者の手際がいかにも自然に鮮やかで、最後の「車に乗った」まで、息もつかせず読み進まされます。

源氏の行動ももちろんそれにそって、優しく穏やかな言葉と権威による強引な振る舞いによる、一気呵成の果断なものです。女房たちが遠慮しながらも懸命に止めようとして、あたふたとしている中で、源氏が、彼自身気がせかれて急いでいるという、この場の様子が、大変よく描かれています。

最後の、乳母の少納言が覚悟を決めてお召し物を抱えて車に飛び乗ったという結び方が、車の中での様子も彷彿とさせて、大変印象的です。

物語の読者である女房たちの中には、このように、自分をうむを言わさず掠って行ってくれるすてきな男性が現れるのを夢に描いている者がいたに違いありません。
 いや、こういう強引な「白馬の王子」の登場は、古今東西、変わるところのない女性の内奥の願望なのではないでしょうか。しかし、現代のような民主主義、個人主義の時代には、男性の方が相手の人権を考えると怖くて、そういう振る舞いができなくなってしまったのだ、などと余計なことを考えてしまいます。
 「むかしの若人は、さるすけるもの思ひをなむしける。今の翁まさにしなむや」(『伊勢物語』第四十段)》

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