源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 夕顔の物語(2)

第六段 十七日夜、夕顔の葬送 ~その3

【現代語訳】3

 お入りになると、灯を遺骸から背けて、右近は屏風を隔てて臥していた。どんなに侘しく思っているだろう、と御覧になる。気味悪さも感じられず、とてもかわいらしい様子をして、まだ少しも変わった所がない。手を握って、

「わたしに、もう一度、声だけでもお聞かせ下さい。どのような前世からの因縁があったのだろうか、少しの間に、心の限りを尽くして愛しいと思ったのに、残して逝って、途方に暮れさせなさるのは、あまりのこと」と、声も惜しまず、いつまでもお泣きになる。

 大徳たちも、誰とは知らないで訝りながら、皆、涙を落としたのだった。

 右近に、「さあ、二条院へ」とおっしゃるが、

「長年、幼うございました時から、片時もお離れ申さず、馴れ親しみ申し上げてきた方に、急にお別れ申して、どこに帰ったらよいのでございましょう。どのようにおなりになったと、皆に申せましょう。悲しいことはさておいて、皆にとやかく言われますのが、辛くて」と言って、泣き崩れて、

「煙と一緒になって、後をお慕い申し上げたく思います」と言う。

「もっともだが、世の中はそのようなものだ。別れというもので、悲しくないものはない。先立つのも残されるのも、同じく寿命で定まったものなのだ。気を取り直して、私を頼れ」と、お慰めになりながらも、

「このように言う我が身こそが、生きながらえられそうにない気がする」とおっしゃるのも、頼りない話である。

 惟光が、「夜が明けてしまいましょう。早くお帰りあそばしますように」と申し上げるので、幾度もお振り返りなさって、胸をひしと締め付けられた思いでお出になる。

 

《源氏は部屋に入って、昨日と代わらないままの夕顔と最後の対面をします。その悲しみの痛切さは、彼を誰とも知らない僧達にも解って、僧でありながらもらい泣きをします。

源氏は右近に二条院に入ることを勧めます(それはつまり彼女へも身分を明かしたということでもあります)が、彼女はむしろこのまま主人の煙と一緒になって後を追いたいと嘆きます。

ここで『評釈』は、この右近の言葉遣いから、彼女は夕顔の乳母子だったことが解ると言います。確かに「馴れ親しみ申し上げてきた(原文・馴れきこえつる)」というのは、例えば「お仕えしてきた」というのとは違うことを言っているように思われますし、そう考えれば右近の悲しみはいっそう深いものとなります。そしてそのことは後の第七段【現代語訳】3節で右近の口から語られます。

源氏はなお彼女に、自分を頼れと言うのですが、その右近を説く言葉は、昨夜の物の怪に襲われた時の狼狽ぶりからは想像もつかない、訳知りの様子です。しかしまた、その言葉の下から、「自分も生きられそうにない」と本音の悲しみも正直に語ります。

するとこの作者はすかさず「頼りない話である」と冷たく一筆を入れるのです。》

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第六段 十七日夜、夕顔の葬送 ~その2

【現代語訳】2

「この上ともうまくやってくれ」と、葬式の作法をおっしゃるが、

「いやいや、大げさにするべきではございません」と言って立つのを、とても悲しくお思いになられて、

「不都合なことと思うだろうが、今一度、あの亡骸を見ないのが、とても心残りなので、馬で行ってみたい」とおっしゃるので、まったくとんでもない事だとは思うが、

「そのようにお思いになるならば、仕方ございません。早く、お出かけあそばして、夜更けない前にお帰りなさいませ」と申し上げるので、最近のお忍び用にお作りになった、狩衣のご衣装に着替えなどしてお出かけになる。

 お心はまっ暗闇で、大変に堪らないので、このようなとんでもない道中に出かけようとするにつけても、危なかった昨夜に懲りて、引き返そうかとお迷いになるが、やはり悲しみの晴らしようがなく、「現在の亡骸を見ないでは、再び来世で生前の姿を見られようか」と、悲しみを堪えなさって、いつものように惟光、随身を連れてお出掛けになる。

 道が遠く感じられる。十七日の月がさし昇って、河原の辺りでは、御前駆の松明も仄かであるし、鳥辺野の方などを見やった時など何となく気味悪いのだが、何ともお感じにならず、心乱れたままでお着きになった。

 周囲一帯さえもぞっとするような所だが、板屋の隣に堂を建ててお勤めしている尼の家は、まことにもの寂しい感じである。御燈明の光が、微かに隙間から見える。その家には、女一人の泣く声ばかりして、外で法師たち二、三人が話をしたり、特に声を立てない念仏を唱えたりしている。寺々の初夜も、皆、お勤めが終わって、とても静かである。清水寺の方角は光が多く見え、人の気配がたくさんあるのであった。この尼君の子である大徳が尊い声で、経を読んでいるので、涙も涸れんばかりに思わずにいらっしゃることがおできになられない。

 

《ここでとうとう源氏の口から「なきがら」という言葉が出て、どうやら彼も覚悟を決めたようです。

そこで彼は夕顔と最後の対面を希望します。惟光からすれば、せっかく二人の間を無関係のものとするために亡骸を東山に隠したのに、そこへまた源氏に行かれては、関係に感づくものが無いとも限らない危険な、「まったくとんでもない」振る舞いです。

しかし源氏の気持ちが純粋で切実なものであることを、乳母子の彼は十分に承知していますから、その無理を何とか叶えようとします。

『評釈』はこの源氏の頼みを、「事務的な惟光の態度を見ると、とたんに君は無理が言いたく」なって言い出したことと言っていますが、それでは源氏の夕顔に対する思いが未だに「いい加減な遊び心」のままであるかのように思われて、以下の場面が台無しです。

出かけはしたものの、本当に行ってよいものかどうかと、とつおいつの迷いがあります。何と言っても昨夜あのように魔性に襲われた恐ろしさが、若い(幼い)彼の心を捉えていました。もしまた今夜同じような目にあったら、それこそ自分も最後にならないとも限りません。と言って、今あの女の最期を見届けないでは、あの世であわせる顔がないような気もします。彼は迷いと悲しみと恐ろしさに必死に堪えながら道中を行き、周囲の様子を見る心の暇などありません。

行きついてみるとこれはまた、見たことのないわびしげな所で、たった一人右近が泣いていて、いかにもわびしげに通夜らしいことが行われています。自分の関わった女が、かくもわびしい送られ方とは、と源氏の悲しみはまさるばかりです。》


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第六段 十七日夜、夕顔の葬送~その1

【現代語訳】1

 日が暮れて、惟光が参上した。これこれの穢れがあるとおっしゃって、お見舞いの人々も、皆立ったままの挨拶で退出するので、人は多くない。呼び寄せて、

「どうであったか。もうだめだと見えてしまったか」

とおっしゃると同時に、袖をお顔に押し当ててお泣きになる。惟光も泣きながら、

「もはやご最期のようでいらっしゃいます。いつまでも一緒に籠っておりますのも具合が悪く、明日は、日柄も悪くないようですので、あれこれ葬儀のことを、懇意の大変に尊い老僧に、頼んでおきました」と申し上げる。

「付き添っていた女はどうしたか」とおっしゃると、

「その者がまた、生きていられそうにないような様子です。自分も死にたいと取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのを拝見しました。『あの前に住んでいた家の人に知らせよう』と申しますが、『今しばらく、落ち着きなさい、事情をよく考えてから』と、宥めておきました」と、ご報告申すにつけて、とても悲しくお思いになって、

「わたしも、とても気分が悪くて、どうなってしまうのであろうかと思われる」とおっしゃる。

「何を、今更くよくよとお考えあそばしますか。そうなるように前世の因縁として、万事決まっていたのでございましょう。誰にも聞かせまいと存じまして、惟光めが身を入れて、万事始末いたします」などと申す。

「そうだ。そのように何事も因縁と思ってはみるが、いい加減な遊び心から、人を死なせてしまった非難を受けねばならないのが、まことに辛いのだ。少将の命婦などにも聞かせるな。尼君はましてこのようなことなど、お叱りになるから、恥ずかしい気がしよう」と、口封じなさる。

「その他の法師たちなどにも、すべて、説明は別々にしてございます」と申し上げるので、頼りになさっている。

 わずかに会話を聞く女房などは、「一体何事だろうか、穢れに触れたとおっしゃって、宮中へも参内なさらず、また、このようにひそひそと話して嘆いていらっしゃる」と、少し不思議がっている。

 

《当時の人にとって、死は大変に曖昧だったようです。夕顔の場合は、「なにがしの院」で源氏が預かりの子に措置を命じて部屋に帰った時に、①「探って御覧になると、息もしていない」とあり、明かりが来て揺り動かした時には、②「すっかりもう冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていた」とあり、そのすぐ後に、③「すっかり冷たくなっていたので、次第に生きている感じも薄れて行く」とありました。

ちなみに『評釈』は③の段階の「鑑賞」で「死体」としていますし、『集成』は③の前ですでに「むなしく死んでしまった」という傍訳を付けています。が、源氏はその後も、「いくら何でも、死にはなさるまい」と思い、いまなおここでも「もうだめだと見えてしまったか」と訊ねますし、惟光も「もはやご最期のようでいらっしゃいます」と、未だに確定的ではない、すくなくとも院を出た後に亡くなったようだという返事をします。しかもその一方ですでに葬儀の手筈を整えています。私たちは今後もこの物語で幾度か人の死に立ち会い、その度にこうした思いを持つはずです。

思えば、本来、人の死というのは、肉体的にも精神的にも、そういうものなのかも知れません。以前、養老孟司氏が「人は、身近な人の死は決してそのままでは受け入れられないものだ。だから葬儀という区切りの儀式を行い、繰り返し法要を行って、それによって少しずつその死を自分に納得させようとするのだ」と書いておられて、感銘を受けました。

さて源氏はここで「いい加減な遊び心から、人を死なせてしまった(原文・浮かびたる心のすさびに、人をいたづらになしつる)」ことを痛切に反省・後悔します。

彼のここまでの苦悩が多く外聞を憚ることからのものであったところから、一歩進んでいると言えます。彼の数多い女性関係を放蕩として許し難く思う読者があっても、そこでなされる彼の内省の痛切さは認めざるを得ないでしょう(「軒端の荻」の一件は唯一の例外と思われます)。そこに源氏が、当時の主たる読者である女房たちにとって永遠の憧れである資格があると言えます。

それにしても源氏にとって乳母は思いのほかに大きな存在であるようで、ここでもこの事件を知られた時の彼女の思惑を気に掛けています。ほほえましくも滑稽な一面で、この作者は、源氏の悲しむ場面でしばしばこういう話をさらりと一筆加えて、源氏をただの悲劇のヒーローでおくことはしません。》


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第五段 源氏、二条院に帰る~その3

【現代語訳】3

「乳母で、この五月のころから、重く患っておりました者が、髪を切り受戒などをして、その甲斐があってか、持ち直していましたが、最近、再発して、弱っていまして、『今一度、見舞ってくれ』と申していたので、幼いころから馴染んだ人が、今はの際に薄情なと思うだろうと存じて参っていたところ、その家にいた下人で病気していた者が、急に暇をとる間もなく亡くなってしまったのを、恐れ遠慮して日が暮れてから運び出したのを、聞きつけましたので、宮中では神事のあるころで、まことに不都合なことと存じ謹慎して、参内できないのです。この早朝から、風邪でしょうか、頭がとても痛くて苦しうございますので、大変失礼したまま申し上げる次第です」などとおっしゃる。頭中将は、

「それでは、帝にはそのような旨を申し上げましょう。昨夜も、管弦の御遊の折に、畏れ多くもお探し申しあそばされて、御機嫌がお悪うございました」と申し上げなさって、また引き返して、

「どのような穢れにご遭遇あそばしたのですか。ご説明なされたことは、本当とは存じられません」と言うので、胸がどきりとなさって、

「このように詳しくではなく、ただ思いがけない穢れに触れた由を、奏上なさって下さい。まったく申し訳ないことでございます」

と、さりげなくおっしゃるが、心中は、どうしようもなく悲しい事とお思いになるにつけ、ご気分もすぐれないので、誰ともお顔を合わせなさらない。

蔵人の弁を呼び寄せて、きまじめにその旨を奏上させなさる。大殿などにも、これこれの事情があって、参上できないお手紙などを差し上げなさる。

 

《源氏は死に触れたことを説明するのですが、もちろん、事実の話はできません。急ごしらえの嘘で、回りくどく、しかも偶然が重なった説明です。乳母を訪ねるのに言い訳はいらないでしょうし、あえて「再発」とする必要もなさそうです。たまたま病気の下人がいて、たまたまその日に亡くなり、たまたまそれを「聞きつけ」たというのも、もちろんあり得うることではありますが、いかにも拵えた話とも思われます。

源氏より五、六歳年長で、世事に長けた頭中将にはそれはお見通しです。源氏の説明をいったん帝の使いという公人として承って引き下がり、返ってきて今度は友人として改めて、冷やかし半分に事情を尋ねて、源氏をドキリとさせ、読者をにやりとさせます。

うちひしがれている源氏に対する、こうした作者のクールさがこの物語を少女趣味的な方向に流さないで、悲しみを客観的に計らせて、しっかりしたリアリテイを保証します。つまり、作者はこの源氏の悲しみを、一面でお笑いだと承知してもいるということです。

源氏は、頭中将の態度に心配になり、帝には蔵人の弁(頭中将の異母弟のようです)に別に説明して奏上させ、左大臣には手紙を書いて弁明に努めます。

中将が源氏の秘密をばらしたりするなどということは、考えられないことですから、これもまた源氏の純真なまじめさを示すことになっているように思います。》

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第五段 源氏、二条院に帰る~その2

【現代語訳】2

 この人をお抱きになれそうもないので、上筵に包んで、惟光がお乗せする。とても小柄で、死人などという感じがせず、かわいらしげである。しっかりともくるめないので、髪の毛がこぼれ出ているのを見るにつけ、目の前が真っ暗になり、何とも悲しくお思いになって、最後まで見届けたい、とお思いになるが、

「早くお馬で二条院へお帰りあそばすのがよいでしょう。人騒がしくなりませぬうちに」と言って、右近を添えて車に乗せると、自分は徒歩で、源氏の君に馬はお譲り申して、裾を括り上げなどして、思えば大変奇妙で、思いがけない野辺送りだが、君のお悲しみの深いことを拝見すると、自分のことは考えずに行く。一方で、源氏の君は何もお考えになれず、茫然自失の様子で、二条院にお着きになった。

 女房たちは、「どこから、お帰りあそばしたのだろうか。ご気分が悪そうにお見えあそばします」などと言うが、御帳台の中にお入りになって、胸を押さえて思うと、まことに悲しいので、「どうして、一緒に乗って行かなかったのだろうか。もし生き返ったら、どんな気がするだろう。見捨てて行ってしまったと、辛く思うであろうか」と、気が動転しているうちにも、お思いやりになられると、お胸のせき上げてくる気がなさる。頭も痛く、身体も熱っぽい感じがして、とても苦しく、どうしてよいやら分からない気がなさるので、「こんなふうに病みついて、自分も死んでしまうのかも知れない」とお思いになる。

 日は高くなったが、起き上がりなさらないので、女房たちは不思議に思って、お粥などをお勧め申し上げるが、気分が悪くて、とても気弱くお思いになっているところに、内裏からお使者が来る。昨日、お探し申し上げられなかったことで、御心配になっていらっしゃる。大殿の公達が参上なさったが、頭中将だけを、「立ったままで、ここにお入り下さい」とおっしゃって、御簾の内側のままでお話しなさる。

 

《惟光は大変に手際よく、配慮の届いた処理をして、夕顔に最後まで付き添いたいという源氏を、有無を言わさず二条院に帰します。とにかく源氏は、その立場から、できるだけ何事もなかったふうに、自宅にいなければならないのです。

しかし自分の役目を思ってみると、「大変奇妙で、思いがけない野辺送り」です。何よりもまったく急な、事情のよく分からない出来事であり、またやつしているとは言え日常使う車での遺体搬送で、源氏ゆかりの勤めであるにも関わらず従う者もろくにいない、人目を憚っての務めです。その指揮をするなど、いい役回りではありませんが、全ては源氏のためと務めます。

二条院に帰った源氏は、改めて夕顔のことを案じますが、今更どうにもなりません。ただ後悔し、案じるだけです。心だけではなく、加えて体も、物の怪の毒気のせいでしょうか、具合が悪く、起き上がることも出来ません。そこに人が集まってきます。みんな断るのですが、帝や左大臣家からの使者とあれば、そうもいきません。余人は避けて、せめてと、ただ頭中将だけに会うことになります。

「立ったまま」というのは、死の穢れに触れた者と同座すると、その人も穢れ、さらにその人が行く場所が皆穢れると考えるという制度・規定(『延喜式』)があって、源氏がそれを配慮して同座させなかったということのようです。源氏の周囲はこの時はじめて、源氏が人の死に関わったことを知ることになったわけで、それは重大事なのですが、その事情が次に語られます。》

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