【現代語訳】3
静かな夕暮で、空の様子はとてもしみじみと感じられ、お庭先の前栽は枯れ枯れになり、虫の音も鳴き弱りはてて、紅葉がだんだん色づいているのが、絵に描いたように美しいのを、右近は見渡して、思いがけず結構な宮仕えをすることになったと、あの夕顔の宿を思い出すのも恥ずかしく思っている。
源氏は、竹薮の中で家鳩という鳥が太い声で鳴くのをお聞きになって、あの先日の院でこの鳥が鳴いたのを、とても怖いと思っていた様子が、ありありとかわいらしく思い出されるので、
「年はいくつにおなりだったか。不思議に普通の人と違って、か弱くお見えであったのも、このように長生きできなかったからなのだね」とおっしゃる。
「十九歳におなりだったでしょうか。私は亡くなった乳母があとに残して逝きましたので、三位の君様がわたしをかわいがって下さって、お側離れず一緒にお育て下さいましたのを思い出しますと、どうして生きておられましょう。なぜこう深く親しんだのだろうと、悔やまれて。気弱そうでいらっしゃいました姫君を頼るお方と思って、長年仕えて参ったことでございます」と申し上げる。
「頼りなげな人こそ、女はかわいらしいのだ。利口で我の強い人は、とても好きになれない。自分自身がてきぱきとしっかりしていない生まれつきだから、女はただ素直で、うっかりすると男に欺かれてしまいそうで、そのくせ引っ込み思案で夫の心にはついていくという人が愛しくて、自分の思いのままに育てて一緒に暮らしたら、慕わしく思われることだろう」などと、おっしゃると、
「そういったお好みには、お似合いだったと思われますにつけても、残念なことでございます」と言って泣く。
空が少し曇って、風も冷たく感じられる折柄、とても感慨深く物思いに沈んで、
「 見し人の煙を雲とながむればゆふべの空もむつましきかな
(契った人の火葬の煙があの雲かと思って見ると、この夕空も親しく思われるよ)」
と独り詠じられたが、ご返歌も申し上げられない。このようにして女君も生きていらしたならば、と思うにつけても、胸が一杯になる。
耳障りであった砧の音を、お思い出しになるのまでが、恋しくて、「八月九月正に長き夜」と口ずさんで、お臥せりになった。
《一転してあたりの情景です。『評釈』が前の節からのつながりとして、「いちおう言うべきことは言いあった思いで、二人は、ふと黙する」と、うまくつないでくれています。
そして『集成』は「六条の女君の邸の朝景色と、ここでの源氏の二条院の夕景色とが、絵のように美しいといわれ、夕顔の宿と対比されている」と言います。
二人は庭を眺めて、ひとときそれぞれ全く別の思いに耽ります。
源氏が家鳩の声からは「なにがしの院」での夕顔を恋しく思い浮かべ、そしてまたしても「マイフェアレデイ」の夢が語られます。
ところで、ここで源氏がたいへん珍しいことに、自分を批判的に「てきぱきとしっかりしていない生まれつき(原文・はかばかしくすくよかならぬ心ならひ)」と語っています。
ここまでの彼の行動について私たちは、ほとんど空蝉と夕顔に対するものしか知らないわけですが、そこでは、何れの場合もおおむねたいへん大胆で強引に思われる振る舞いだったのですから、このような優柔不断、柔弱という自己反省は、ちょっと意外な感じがします。
もっとも源氏の二人への思いはいずれも十分には成就しないままに終わっているわけで、しかもまだ傷心の癒えない時期のことですから、そういう点では彼が自分のことを、だらしないと思うのも理解できないわけではありません。
それにしても、自分が「てきぱきとしっかりしていない生まれつき」だから、「頼りなげな人」の方が望ましい、というのは、いささか退嬰的な感じです。
「利口で我の強い人は、とても好きになれない」というのが、あるいは後に出てくる葵の上を意識した言葉だとすれば、この時の気弱になった気分としては理解しやすく思われるとも言えます。》