【現代語訳】
惟光が、数日して参上した。
「病人が、依然としてはっきりいたしませんので、いろいろと看病いたしておりまして」などと、ご挨拶申し上げて、お側によって申し上げる。
「仰せ言のございました後に、隣のことを知っております者を、呼んで尋ねさせましたが、はっきりとは申しません。『ごく内密に、五月のころから来ておいでの方があるようですが、どういう人かは、全くその家の内の人にさえ知らせません』と申します。
時々、中垣から覗き見いたしますと、なるほど、若い女たちの透き影が見えます。褶のような物を、申しわけ程度にひっかけているので、仕える主人がいるようでございます。
昨日、夕日がいっぱいに射し込んでいました時に、手紙を書こうとして座っていました女人の顔が、とてもようございました。憂えに沈んでいるような感じがして、側にいる女房たちも涙を隠して泣いている様子などが、はっきりと見えました」と申し上げる。源氏の君はにっこりなさって、「知りたいものだ」とお思いになった。
惟光は、ご声望こそ重々しいはずのご身分であるが、お年も若いし、女性たちがお慕いしお褒め申し上げている様子などを考えると、あまりお堅いのも、風情がなくきっと物足りない気がするだろう、人が問題にしない身分の者でさえ、やはりしかるべき女性には、興味をそそられるものなのだから、と思っている。
「もしや、何か分かることもありましょうかと、ちょっとした機会を作って、恋文などを出してみました。書きなれている筆跡で、素早く返事など寄こしました。悪くはない若い女房たちがいるようでございます」と申し上げると、
「さらに近づけ。突き止めないでは、きっと物足りない気がしよう」とおっしゃる。
あの、下層の最下層だと、人が見下した住まいであるが、その中にも、意外に結構なのを見つけたらばと、心惹かれてお思いになるのであった。
《惟光は、主人の気の多さにあきれながら、それでも忠実に源氏の求めに応じて情報収集をします。そして、人が問題にしない身分の者でさえ、やはりしかるべき女性には、興味をそそられるものなのだから、源氏ほどの人がちょっと好い女性であれば、心を動かさないのもよくない、と考えます。
ここの「さえ」は、普通には反対なのではないかという気がします。つまり、「源氏ほどの身分の人でさえ恋に心を奪われる、まして身分卑しい者は、…」。しかし、逆に「身分卑しい者でさえ、…、まして源氏ほどの高貴の人は…」と書かれています。
ここには、男女の愛情をよいものと考える考え方があります。恋愛はしばしば不道徳なものと見られますが、それは一夫一婦制においてであって、一夫多妻制においては、少なくとも男性の恋愛は自由であるわけです。まして「女性たちがお慕いしお褒め申し上げている様子などを考えると」、その女性たちにあまねく幸福を与えるのは男性の勤めとも言えます。かくして「色好み」は男子必須のマナーであることになります。そのマナーは、当時「人が問題にしない身分の者」でさえも持っていたものなので、まして源氏ほどの人はぜひとも持たなければならない、ということになります。
この夕顔の女への関心は、頭中将が「下層の女という身分になると、格別関心もありませんね」と言った(帚木の巻第一章第二段【現代語訳】3節)ことを思い出させます。これは空蝉のような受領階級よりも更に下の、名前だけの官職(揚名介・前々節)に就く者の縁者に過ぎないようです。
そうなると、中将たちさえも知らない、全く未知の世界で、優れた女性を見つけたのかも知れないのです。『集成』が「人気もないような陋屋に美女を見いだすという設定は、当時の物語に好んで取り上げられている」と言っています。》