源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

■巻四 夕顔

空蝉、伊予国に下る

【現代語訳】

 伊予介は、神無月の朔日ころに下る。女房方が下って行くだろうということで、餞別を格別に気を配っておさせになる。また空蝉に対しても内々になさって、細工がよく美しい格好の櫛や扇をたくさん用意して、幣帛などを特別に大げさにして、あの小袿もお返しになる。

「 逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな

(再び逢う時までのせめてもの形見の品にと思って持っていましたが、すっかり涙で朽ちるまでになってしまいました)」

 こまごまとした事柄があるが、煩しいので書かない。

 お使いの者は帰ったけれど、小君を使いにして、小袿のお礼だけは申し上げさせた。

「 蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり

(蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は、返してもらっても自然と泣かれるばかりです)」

「思えば不思議に人並みはずれた意志の強さで、振り切って行ってしまったなあ」と思い続けていらっしゃる。今日はちょうど立冬の日であったが、いかにもそれと、さっと時雨れて、空の様子もまことに物寂しい。一日中物思いに過されて、

「 過ぎにしもけふ別るるも二道にゆくかた知らぬ秋の暮れかな

(亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道をどこかに去っていき、私もどこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ)」

 やはり、このような秘密の恋は辛いものだと、お分かりになったであろう。

 

このようなごたごたしたことは、努めてお隠しになっていらしたのもお気の毒なので、みんな省いておいたのに、「どうして、帝の御子であるからといって、それを知っている人までが、欠点がなく何かと褒めてばかりいるのか」と、作り話のように受け取る方がいらっしゃったのでお話ししたのだ。あまりにも慎みのないおしゃべりの罪は、免れがたいことだけれど。

 

《夕顔は亡くなり、空蝉は名残の小袿とともに僻遠の地に去っていきました。ついでにいえば軒端の荻も人の妻となりました。

立冬の日、源氏は一人になって、時雨れる空を眺めながら、人それぞれに「どこへ行くのか知れない」人生の旅の行く末を思って、物思いに耽ります。「それぞれ」には、もちろん彼自身も入っているに違いありません。こうしてふと歌を口にしても、それに返す者とて身近にいないのでした。

最後の語り手の言葉は、帚木の巻の冒頭と照応して、空蝉の巻を挟むこの三巻が、作者の意図としてひとまとまりのものであることを示している、とされます。

そして、その冒頭にあった源氏の「非難されなさる取り沙汰」というのは、ちょっと聞くとまったくけしからぬことと思われそうだが、ここまでお話した「このようなごたごたしたこと」なので、こうして細かくお聞きいただけば、それが決して非難されるようなものではなく、すばらしいお付き合いで、また交野の少将には笑われそうなくらい(帚木・冒頭)生真面目なお付き合いだったということがお分かり頂けたでしょう、それにしても少しお話しすぎたかも知れません、と、語り手は、語っているわけです。

さて、こうして帚木の巻に始まった、源氏十七歳の、青春の彷徨の物語が、その幕を閉じます。

もちろんこの後も源氏の女性問題は絶えることがありませんが、ここまでの話が、彼にとってどれほど痛切なものであったにしても、あくまでも若き日のエピソードであるのに対して、これからのそれは大人のもので、それぞれが彼の人生を直接的に左右する「事件」となって行くのです。》


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四十九日忌の法要 ~その2

 

【現代語訳】2

頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。

あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのままでお探し当て申すことができない。右近までもが音信ないので、不思議だと思い嘆き合っていた。はっきりした証拠はないが、様子からそうなのではあるまいかと、ささめき合っていたこともあるので、惟光に恨み言を言ってみたが、まるで問題にもせず、関係がないと言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、通っていたのが受領の子息の好色な者で、頭の君に恐れ申して、そのまま連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。

 この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。三人乳母子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き恋うるのであった。右近は右近で、口やかましく非難されるだろうと思い、源氏の君も今になって洩らすまいとお隠しになっているので、家の者たちは幼い姫君の噂さえ聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。

 源氏の君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさった次の夜に、ぼんやりと、あの某院そのままに、枕上に現れた女が、様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで、こんなことになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。

 

《娘をいつか引き取りたいという気持ちでいるので、「頭中将とお会いになる時にも」うしろめたく、娘の話などしたいのですが、話し出せば、自分の目の前で女を死なせてしまったことの顛末も言わねばならず、自分としてもみっともないし、中将も恨み言を言うだろうと思うと、具合が悪いので、結局何も言わないで過ごしています。

さて、夕顔の家の者たちは、あの満月の夜以来、大事な女主人が忽然と姿を消してしまったので、たいへん心配しています。

やはり源氏の君だったのではないかと惟光に正すのですが、これがまたさすがのしたたか者で、何も知らないと言い張って、その家の女房の所に変わらず通っています。

そうなると、もはや当時としては捜索する手立てもないようで、受領の息子が国に連れて下ったのだろうかなどと、いささかのんきにも思える想像をしてみるより他ありません。次の乳母関係がちょっと面倒ですが、『評釈』が整理してくれています。

夕顔には乳母が二人いました。一人は右近の母で、これは早くなくなります(第七段【現代語訳】3節)。そしてもう一人は、頭中将との縁が切れて引きこもった西の京の乳母です(同段【現代語訳】2節)。この乳母に三人の乳母子がいて、その一人が夕顔の家の主人、つまり揚名の介の妻だったわけです。そこでは右近はよそ者ですから、自分の失態と言われかねない夕顔の顛末の話はしないというわけです。

かくして、揚名の介の家にとっては、ことはまったく謎のまま、ただ夕顔がいなくなったことが変わっただけで、全ては日常に埋もれて日が過ぎていきます。

一方源氏は、四十九日の法要の翌夜、夕顔を夢に見たいと思っている彼の思いに反して、あの女の姿が枕上に浮かびます。

この女が誰であったのか、古来議論のあるところで、あの某院に棲む魔物説と六条御息所説がありますが、ここに「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで」ありますから、少なくとも源氏は御息所のことは考えていないわけです。この部分に『集成』は「自分(源氏)の美しさに目を付けたまきぞえで」と傍訳を付けていて、源氏らしい考え方だという気がします。

ともあれ、全てが日常に復して過ぎていく中で、なにがしの院の魔性は、まだ源氏の周りを彷徨っていたのでした。》

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四十九日忌の法要~その1

【現代語訳】1

 あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、装束をはじめとしてお布施に必要な物どもを心をこめて準備し、読経などをおさせになった。経巻や、仏像の装飾までおろそかにせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に高徳の僧なので、またとないほどに催したのであった。

 ご学問の師で、親しくしておられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。誰それと言わないで、愛しいと思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀様にお任せ申す旨を、しみじみとお書き表しになったので、

「まったくこのまま、何も書き加えることはないようです」と申し上げる。

 我慢しようとなさっても、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、

「どういう方なのでだろう。誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだったとは、宿運の高いことだ」と言うのであった。

内々にお作らせになっていた布施の装束の袴をお取り寄せになって、

「 泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけてみるべき

(泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐を、いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて逢うことができようか)

今日までは魂が中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」

とお思いやりになりながら、念誦を心こめてなさる

 

《公式の場での源氏の姿が描かれます。まず盛大な法要の主宰者として見事は計らいをし、高徳の僧を呼ぶことができる人脈があり、学問の高位の師を持ち、みずからその文章博士の添削が必要のないほどの願文を書く知力を持っていることが示されます。

文章博士は、これほどの人が、あの夕顔に執心だったのだと、不思議に思いながらその人に思いを致すのですが、それに合わせて、いきさつを知っている読者は改めてまったくそうだと、二人のここまでの成り行きを改めて思い返すのです。

そして、源氏もまた夕顔の魂を遠い世界に見送りながら、「あの撫子」、常夏の女(今はそれが夕顔であることが明らかになったのでした)が歌でそう呼んだ頭中将との間の娘を、早く引き取りたいものだと、気に掛かります。》

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紀伊守邸の女たちと和歌の贈答~その2

【現代語訳】2

 あのもう一方は、蔵人少将を婿にしたと、お聞きになる。「おかしなことだ。どう思っているだろう」と、少将の気持ちも同情し、また、あの女の様子も知りたくて、小君を使いにして、「死ぬほど思っている気持ちは、お分かりでしょうか」と言っておやりになる。

「 ほのかにも軒端の荻をむすばずは露のかことをなににかけまし

(一夜の逢瀬なりとも軒端の荻を結ぶ契りをしなかったら、逢えなくなった恨み言を何かにかこつけて言ったりしましょうか、あの時の逢瀬が忘れられません)」

 丈高い荻に結び付けて、「こっそりと」とおっしゃったが、「間違って、少将が見つけて、わたしだったと分かったら、まあ許してくれよう」と思う高慢なお気持ちは、困ったものである。

 少将のいない時に見せると、恨めしいと思うが、このように思い出してくださったのも、やはり嬉しくて、お返事を、早く詠めたことだけを取り柄として渡す。

「 ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜にむすぼほれつる

(ほのめかされるお手紙を見るにつけても下荻のような、身分の賤しいわたしは、嬉しいながらも半ばは思い萎れています)」

 筆跡は、下手なのを分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない。灯火で見た顔を、自然と思い出されなさる。

「気を許さず対座していたあの人は、今でも思い捨てることのできない様子をしていたな。何の嗜みもありそうでなく、はしゃいで得意でいたことよ」とお思い出しになると、憎めなくなる。相変わらず、「こりずまにまたもなき名は立ちぬべし(性懲りも無く、また浮き名が立ってしまいそうだ)」の歌のごとき好色心のようである。

  

《空蝉の便りから軒端の荻(ここの歌からこの名があるのですが)を思い出します。

「『まあ許してくれよう』と思う高慢なお気持ち」は、全く困ったものですが、読者としてはこのくらい言われると笑うしかないでしょう。実際、相手の少将にしてみれば、もうすんだことでもあるし(多分そうでなくても)、泣き寝入りするしかないでしょう。

それに、この物語がこれほど世に受け入れられた時代の男性が、現在競合しているわけでもない男女関係に、源氏が心配するほど拘泥するとは思われません。

ここはむしろ、源氏が自分のしたことをみずから大したことのように思っているという、全く若者のうぬぼれ、独りよがりを笑えばいいのではないでしょうか。

軒端の荻は、空蝉と碁を打っていた時の、まだ世を知らないで「何の嗜みもありそうでなく、はしゃいで得意でいた(原文・何の心ばせありげもなく、さうどき誇りたりし)」姿として思い出されて、源氏は純真で才気のかった処女性への懐かしさを感じます。

ことさらめいた筆跡も、そういう人にありがちなもので、総じて、空蝉とは対照的な、未熟な女性の魅力といったものをうまく描き出しています。

それにしても、夕顔の事件を経ながら、早くもこのようにちょっかいを出そうという心のあり方には、現代から見るといささか違和感があります。これからもそうですが、彼は経験によって何かを身につけていくということがない人のようです。

彼の栄達も、また人間性の深まりも、彼が何か努力して手にするのではなく、全て彼の周囲に起こってくることに対する、その時々の彼の自然な反応の結果として、手にすることになるものなのです。彼は、努力、研鑽、経験、錬磨などということには縁遠い人で、そういう意味では野性的、あるいは植物的だと言ってもいいでしょう。》

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紀伊守邸の女たちと和歌の贈答~その1

【現代語訳】1
 あの伊予介の家の小君は参上する折はあるが、特別に以前のような伝言も下さらないので、嫌な女だとお見限りになられたのをつらいと思っていた折柄、このようにご病気でいらっしゃるのを聞いて、空蝉はやはり悲しい気がするのであった。遠くの国へ下ることになって、さすがに心細い気がするので、お忘れになってしまったかと、試しに、

「承りまして、案じておりますが、口に出してはとても、

  問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる

(お見舞いできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたが、わたしもどんなにか思い悩んでいます)

『益田(生きている甲斐がない)』とは本当のことで」と申し上げた。

久しぶりにうれしいので、この女へも愛情はお忘れにならない。

「生きている甲斐がないとは、誰が言いたい言葉でしょうか。

  空蝉の世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

(あなたとのはかない仲は嫌なものと知ってしまったのに、またもあなたの言の葉に期待を掛けて生きていこうと思います)

頼りないことよ」

と、お手も震えるので乱れ書きなさっているのは、いっそう美しい感じである。いまだにあの脱ぎ衣をお忘れにならないのを、気の毒にもまた心ときめいても思うのであった。

 このように状のあるやりとりはするけれども、お側にとは思いもせず、とは言え、つまらぬ女だと思い切られてしまいたくはない、と思うのであった。



《ふたたび空蝉です。源氏にすれば手痛い仕打ちを受けて、あれ以来彼女とは関わっておらず、ずっと夕顔に執心で、ほぼ忘れていたようです。

一方空蝉は、空蝉の巻の最後の歌(彼女自身の歌ではないようですが)にあったように、「忍び忍びに濡るる袖かな」といった思いだったのでしょう、夫に従って伊予に下る日が近づく頃、源氏の不調を知って、それを頼りに見舞いの手紙を送ります。

『評釈』はそういう空蝉を「とつおいつして決定しえない性格である」と言いますが、そうではないでしょう。

彼女は、すでに伊予介の妻として生きることを決意して、もはや決して源氏に靡くことはありませんが、しかし源氏の愛を受けたことを自分の誉れと思って強く慕い、源氏からつまらぬ者と思われたくないという一点を守ろうと思っています。明確で堅固な一線を画して、そこを隔てて源氏と可能な限りのお付き合いをしたいと考えている、という点で、ある意味では合理主義者と言ってもいい、独特の個性を持った女性であるように思います。

『空蝉の夢』(原田敦子著・『人物論』所収)は、「源氏の前から身を引こうとする空蝉の自己抑制の姿勢は」、もし伊予の介に嫁ぐ前に源氏に会っていたら、あるいは別の人生があったかも知れないという、彼女の「ありうべかりし夢」を「現実によって裏切ることなく守り続け、永遠に源氏を思慕するための所為」だったのだと、言います。

こういう女性は、男の側として自分の意のままに靡くというようなことを期待したりさえしなければ、この頃の源氏のような心には、案外その憂さを紛らしてくれる、気軽で親密な異性の友人たり得たのかも知れません。》

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