源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

■巻三 空蝉

第五段 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る ~その2

【現代語訳】2

 小君が、あちらに行ったところ、姉君が待ち構えていて、厳しくお叱りになる。

「とんでもないことであったのに、何とか逃げるだけは逃げましたが、他人の思惑は避けようもないことなので、ほんとうに困ったこと。まことにこのように幼い浅はかさを、あの方もまた一方でどうお思いになっていらっしゃろうか」

と言って、お叱りになる。どちらからも叱られて辛く思うが、あの源氏の君の手すさび書きを取り出した。叱りはしたものの、手に取って御覧になる。あの脱ぎ捨てた小袿を、どうされただろう、「伊勢をの海人」のように汗臭くはなかったろうか、と思うのも気が気でなく、いろいろと思い乱れている。

 西の君も、何とはなく恥ずかしい気持ちがしてお帰りになった。他に知っている人もいない事なので、一人物思いに耽っていた。小君が行き来するにつけても、胸ばかりが締めつけられるが、お手紙もない。あまりのことだと気づくすべもなくて、陽気な性格ながら、何となく悲しい思いをしているようである。

 薄情にした人も、そのように冷静に構えてはいるが、通り一遍とも思えないご様子を、結婚する前のわが身であったらと思うと、昔に返れるものではないが、堪えることができないので、この懐紙の片端の方に、

「 うつせみの羽に置く露の木隠れて偲び忍びに濡るるそでかな

(空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように、わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております)」

 

《この巻での源氏の軒端の荻に対する振る舞いについて、たとえば『源氏物語草子』(舟橋聖一)が、「早く言えば、…彼の行動は、全然、同情の餘知がない。モラルもへちまもない。ことごとく、怪しからん背德の行為である。戀愛の美しさも、性の神聖も、感じられない。否、彼の行動は、許すことの出來ない頽廃として強く否定されなければならないだろう」と書いています。もっともこの筆者自身の見解は、そうではあるが、「人間の長い一生は、間違いだらけ」であり、これもその一つで、それを責めることは出来ない、といった口ぶりで、やや曖昧に流しています。

しかしこの物語の作者は、源氏の振る舞いを「背徳」だなどとは全く思っていないように見えます。もちろん空蝉に対する振る舞いについても同様です。そして驚いたことに、それは対象となった二人の女性自身も、同様だということです。

現代、もしこういうことが行われれば、そこに合意がなかった場合、女性の側は何は措いてもまず、許し難い侮辱を受けたと感じるのでしょうか。

しかし言うまでもなく、源氏は現代の道徳の中で行動しているのではなく、平安時代中期の行動規範の中で生きています。

つまり、この物語は『草子』のように曖昧に読むのではなく、今日私たちが常識としているキリスト教流純潔尊重思想や西欧個人主義を一旦忘れて、「呼ばひ(夜這い)」が標準的求婚であった日本古代からの伝統的感性を承認しながら読まなくてはならないもののように思われます。

二人の女性は、源氏からあのような振る舞いを被ったことに対して、憤りや嘆きの一切を感じてはいないのです。彼女たちは、むしろもう一度同じことが起こらないのではないかということを嘆いています。それほど源氏は魅力的であったのです。

物語に書かれた範囲での源氏の最初の冒険は、こうして、二人の女性の心をひそかに、しかし大きく波立たせて、幕を閉じます。》


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第五段 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る~その1

【現代語訳】1

 小君をお車の後ろに乗せて、二条院にお帰りになった。出来事をお話しになって、「幼稚であった」と軽蔑なさって、あの女の気持ちを爪弾きをしながらお恨みなさる。気の毒で、何とも申し上げられない。

「とてもひどく嫌っておいでのようなので、わが身もすっかり嫌になってしまった。どうして、逢わないまでも、親しい返事ぐらいは下さらないのだろうか。伊予介にも及ばないわが身であることだ」などと、おもしろくないと思っておっしゃる。先程の小袿を、うらめしくはあるものの、お召物の下に引き入れて、お寝みになった。小君をお側に寝かせて、いろいろと恨み言をいい、かつまた、優しくお話しなさる。

「おまえは、かわいいけれど、つれない女の弟だと思うと、いつまでかわいがってやれるともわからない」と真面目におっしゃるので、とても辛いと思っている。

 しばらくの間、横になっていられたが、お眠りになれない。御硯を急に用意させて、わざわざのお手紙ではなく、畳紙に手習いのように思うままに書き流しなさる。

「 うつせみの身をかえてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな

(蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですが、やはり抜け殻の小袿にあなたの人柄が懐かしく思われます)」

とお書きになったのを、小君は懐に入れて持っている。

もう一人の女のことも、どう思っているだろうかと気の毒だけれども、いろいろとお思い返しなさって、お言伝てもない。

あの薄衣は、小袿のとても懐かしい人の香が染み込んでいるので、それをいつもお側近くに置いて見ていらっしゃった。

 

《源氏は、思いが叶わなかったのは小君のせいだとして嫌みを言い、ついでに、このままではお前を見放すぞと脅かします。

本当は彼のせいではなくて、源氏は八つ当たりをしているに過ぎないでしょう。しかし小君は、気の毒だと思いながら神妙に聞いています。

そしてこの巻の名の由来となる歌が、「手習いのように」書かれますが、源氏はあえて届けよとは言いません。彼女に対してすっかり自信をなくしてしまったのでしょう。

小君は、なんとか名誉を挽回するよすがにしたいと思って、その歌を持ち歩いています。

継娘の方へは、源氏は「いろいろとお思い返しなさって」何もしません。後朝の歌も送りません。『評釈』はその理由を、①空蝉に娘とのことが知られるのが堪えられなかった、②送ると今後も交渉を続けなくてはならなくなる、③空蝉に昨夜のことを既に知られていた場合、送らないことで、源氏の気持ちがまだ空蝉にあることを彼女に知らしめることができる、と挙げています。

しかし作者のこの娘に対するあつかいは、彼女の従順さ、幼さに比して、いささか厳しく思われます。「たしなみ」の無さ(第四段【現代語訳】2節)がよほど気に入らないということなのでしょうか。》

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第四段 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る~その3

【現代語訳】3

 小君が近くに寝ていたのをお起こしになると、気に掛けながら寝ていたので、すぐに目を覚ました。妻戸を静かに押し開けると、年老いた女房の声で、

「そこにいるのは誰ですか」と仰々しく尋ねる。厄介に思って、

「僕だよ」と答える。

「夜中に、これはまた、どうして外をお歩きなさいますか」と世話焼き顔で、外へ出て来る。とても腹立たしく、

「何でもありません。ちょっとここに出るだけです」と言って、源氏の君をお出し申し上げると、暁方に近い月の光が明るく照っていて、ふと人影が見えたので、

「もう一人いらっしゃるのは、どなたですか」と尋ねる。

「民部さんのようですね。けっこうな背丈ですこと」と言う。背丈の高い人でいつも笑われている人のことを言うのであった。老女房は、その人を連れて歩いていたのだと思って、

「今そのうちに、同じくらいの背丈におなりになるでしょう」と言い言い、自分もこの妻戸から出て来る。困ったが、押し返すこともできず、渡殿の戸口に身を寄せて隠れて立っていらっしゃると、この老女房が近寄って、

「お前様は、今夜は御前に詰めていらっしゃったのですか。一昨日からお腹の具合が悪くて、我慢できませんでしたので、局に下がっていましたが、人少なであるとお召しがあったので、昨夜参上しましたが、やはり我慢ができないようなので」と苦しがる。返事も聞かないで、

「ああ、お腹が、お腹が。また後で」と言って通り過ぎて行ったので、ようやくのことでお出になる。

やはりこうした忍び歩きは軽率で危ないものだと、ますますお懲りになられたことであろう。

 

《今夜は、来てすぐののぞき見以来、さまざまな想定外のことが起きて、長い長い一晩でした。もうこのまま何もなくて帰ったことにしても、なんの問題もないのですが、作者はもう一つ、最後に老女房を登場させて、クッションを入れて、場面を緊張させ、そして笑い話にして終わります。

 『評釈』は、「ここに喜劇の一場面をおく。前節、人違えの場は、いやらしさを禁じえない。あの場面での息苦しさが、これで助かるのである」と言いますが、「やはりこうした忍び歩きは軽率で危ないものだと、ますますお懲りになられたことであろう」と結んでいるところを見ると、作者が「前節」を「いやらし」い出来事として書いているとは思われません。

今夜の出来事は彼女たちにとって、また読者にとっても夢のような出来事ではあったのですが、思えば空蝉も美しい人ではなく、その継娘はたしなみがなく、所詮ここはたかだか受領の屋敷なのでした。

そこで最後に、老女の下痢の話という、至って下世話な挿話を入れることによって、源氏がいかに場違いなところにいるかということを、明らかにしているように思われます。

結局、源氏は一番の狙いは果たせないままで、いくつかの危機を乗り越えて帰ることになります。

源氏は反省しただろうと作者は言いますが、それも一時のことに過ぎなかったようです。》

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第四段 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る ~その2


【現代語訳】2

 女はだんだんと目が覚めて、まったく思いもよらぬあまりのことに、動顛した様子で、これといったたしなみで男に手出しを控えさせるような心づかいもない。男女の仲をまだ知らないわりには、ませたところがある方で、消え入るばかりに思い乱れるというわけでもない。

自分だとは知らせまいとお思いになるが、どうしてこういうことになったのかと、後から考えるだろうことも、自分にとってはどうということはないが、あの薄情な女が、強情に世間体を憚っているのもやはり気の毒なので、あなた逢いたさに度々方違えにかこつけて来ていたのだというふうにうまく言いつくろってお話しになる。気のまわる女なら察しがつくであろうが、まだ経験の浅い分別では、あれほどませているように見えても、そこまでは見抜けない。

 かわいくないわけではないが、お心が惹かれるようなところもない気がして、やはりあのいまいましい女の気持ちを恨めしいとお思いになる。「どこに這い隠れて、愚か者だと思っているのだろう。このように強情な女はめったにいないものを」とお思いになるにつけても、困ったことに気持ちを紛らすこともできず思い出していらっしゃる。

この女の、無邪気で初々しい感じもいじらしいので、それでも愛情こまやかに将来をお約束なさる。

「世間に認められた仲よりも、このような仲こそ、愛情も勝るものと、昔の人も言いました。あなたもわたし同様に愛してくださいね。世間を憚る事情がないわけでもないので、わが身ながらも思うにまかすことができないのですよ。また、あなたのご両親も許されないだろうと、今から胸が痛みます。忘れないで待っていて下さいよ」などと、いかにもありきたりにお話しなさる。

「人が何と思いますことかと恥ずかしくて、お手紙を差し上げることもできないでしょう」と無邪気に言う。

「誰彼となく、他人に知られては困りますが、この小さい殿上童に託して差し上げましょう。何げなく振る舞っていて下さい」などと言い置いて、あの脱ぎ捨てて行ったと思われる薄衣を手に取ってお出になった。


《「自分だとは知らせまいとお思いになるが、」云々が、省略が多くて分かりにくいところです。省略を補うと、おおむね、「自分だとは知らせまいとお思いになるが、どうしてこういうことになったのかと、後から考え(て、私が源氏であり、実は継母が目当てだったのだが、間違えられたのだと分か)るだろうことも、自分にとってはどうということはないが、あの薄情な女(空蝉)が強情に世間体を憚ってい(るのに、自分と源氏との関係を継娘にそれを知られる)のも、やはり(空蝉に)気の毒なので、あなた逢いたさに度々方違えにかこつけて来ていたのだというふうにうまく言いつくろってお話しになる」という内容のようです。

この若い娘は一応それを、そのままに受け取ったようで、物足りないながら、「この女の、無邪気で初々しい感じもいじらしい」と源氏は思います。

作者は、若さによって魅力的な女性と、たしなみによって魅力的な女性とを、源氏によって比較させているようです。

思いがけない源氏の振る舞いに寝ぼけ眼で「これといったたしなみで男に手出しを控えさせるような心づかいもない」という言葉に、作者の評価は明らかですが、源氏の言葉を全てそのまま信じているこの娘の言った「お手紙を…」の一言の「無邪気」さに、跳ねっ返り娘の思いがけない純真さが感じられて、いとおしく思ってしまうのは、私だけでもないと思います。

源氏は抜け殻(うつせみ)の「薄衣」を手に、部屋を抜け出します。》

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第四段 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る~その1

【現代語訳】1

 「どうなることか、愚かしいことがあってはならないが」とお思いになると、とても気後れするが、手引するのに従って、母屋の几帳の帷子を引き上げて、たいそうそっとお入りになろうとするのだが、皆寝静まっている夜のことであり、お召物が柔らかであるので、その衣ずれの音がするのが、かえってはっきりとわかるのであった。

女は、あれきりお忘れなのを幸いなことと努めて思おうとはするが、不思議な夢のような出来事を、忘れられないころなので、「心解けたる寝」さえ眠ることさえできず、昼間は物思いに耽り、夜は寝覚めがちなので、春ではないが、「木の芽」ならぬ「この目」も休まる時なく物思いがちなのに、碁を打っていた君は、「今夜は、こちらに」と言って、今の子らしくおしゃべりして、寝てしまったのだった。

 若い女は、無心にとてもよく眠っているようだ。そこへ、人が忍び込んでくる気配がして、薫きものの香りがとても高く匂って来るので、顔を上げると、単衣の帷子を打ち掛けてある几帳の隙間に、暗いけれども、にじり寄って来る様子が、はっきりと見える。何ということかと思われて、何とも分別もつかないまま、そっと起き出して、生絹の単衣を一枚着て、そっと抜け出したのだった。

 源氏の君はお入りになって、ただ一人で寝ているので安心なさる。床の下の方に二人ほど寝ている。衣を押しやって寄り添われると、先夜の様子よりは、大柄な感じに思われるが、お気づきにならない。目を覚まさない様子などが、妙に違っていて、だんだんとおわかりになって、あきれて情けなく思うが、「人違いをしてまごまごしていると見られるのも愚かしく、この人も変だと思うだろう、これから目当ての女を探し求めても、これほど避ける気持ちがあるようなら、甲斐もなく、相手も間抜けなことと思うだろう」とお思いになる。あの美しかった灯影の女ならば、その女でもしかたがないとお思いになるのも、よくないご思慮の軽薄さと言えようよ。

 

《恋はただでさえ無様な振る舞いですから、失敗すれば倍返しの滑稽が生じます。源氏もそのことを心配しますが、それなりの自信もあり、また今更引き返すこともできません。

一方、空蝉は源氏のことを思い、縁が切れた様子に一応はほっとしながら、やはり忘れられずに今夜も「寝覚めがち」でいます。「心解けたる寝」も「木の芽」も人を恋うる古歌を引いたもので、それによって彼女のひそかな思いを間接的に表しています。

ところで、実はその時、横には気まぐれな継娘が「『今夜は、こちらに』と言って」横になっていて、さっきまで喋っていたのでしたが、今はもう若者らしくぐっすり寝込んでいるのでした。

そこに衣ずれの音がして、覚えのある薫き物の香りがします。驚いた彼女は何はともあれと、ひとり部屋を抜け出します。

そんなこととは知らない源氏は、空蝉の去った後の床に入り込んできます。ところがそこにいる人の様子が以前と違い、大柄な人のようです。さては人違いか、と気付きますが、源氏は、ここでもやはり後には引けないと思うのでした。

「よくないご思慮の軽薄さと言えようよ(原文・わろき御心浅さなめりかし)」は女性作者自身の評ですが、あまり厳しいものではなく、苦笑いといった感じがします。

ところで、この時空蝉はどうして隣の継娘を起こさなかったのだろうかと、少し気になります。『評釈』はそうするには「事はあまりに急」だったのだと言っていますが、例えば実の娘だったら、また話は違っていたのではないでしょうか。

空蝉はおそらく彼女を娘とは思っておらず、もっと対等な一人の女性と考えていたのでしょう。そしてまた一方で、男女の肉体的接触について、当時、現代とはかなり異なった感覚があったのだろうと思わされる、空蝉の態度です。

つまり、正式な夫のある女性にはそれなりの貞操観念が必要だが、そうでない女性にとって、未婚既婚にかかわらず、男女のそういう関係はかなり自由だ、というような考え方があったのではないでしょうか。例えば処女性の尊重といったこともなく、浮気もある程度が黙認されるといったように。

そう考えると、今後のさまざまな話についても、ずいぶん理解しやすくなる点があるように思います。》

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