【現代語訳】3
この二つの例を考え合わせますと、若い時の考えでさえも、やはりそのように派手で目立つところのある振る舞いは、とても不安で信頼できなく思われました。これからは、いっそう強くそのように思われることでしょう。
あなた方も、お気持ちのままに、手折るとこぼれ落ちてしまいそうな萩の露や、拾ったと思うと消えてしまう玉笹の上の霰などのような、しゃれていてか弱く風流なのばかりが、興味深くお思いでしょうが、今はそうであっても、七年余りのうちにお分かりになるでしょう。私めごとき卑賤の者の忠告として、色っぽくなよなよとした女性にはお気をつけなさいませ。
間違いを起こして、相手となる男の愚かな評判までも立ててしまうものです」
と、忠告する。頭中将は例によってうなずく。源氏の君は少し微笑んで、そういうものだろうとはお思いのようである。
「どちらの話にしても、体裁の悪くみっともない体験談だね」
と言って、皆でどっと笑い興じられる。
《「色っぽくなよなよとした女性」よりは実際的な女性を選ぶべきだというのが、左馬頭の結論になったようです。
「七年余りのうちにお分かりになる」と言っていますから、彼はそのくらい年長だということですが、彼は誰に向かって話していたのでしょうか。彼の話を引き出したのは頭中将ですから、中将に向かってなのではないかと思われますが、諸注はこれを、「源氏より七歳ほど年長のようである」(『集成』)としています。長い話は中将に向かって話してきて、この最後のアドバイスは、やはり一座の中心であり、最も若い源氏に向き直って語りかけたのだと読むのが、情景に動きが感じられていいように思います。
「そういうものだろうとはお思いのようである(原文・さることとはおぼすべかめり)」という言い方が注意を引きます。「は」が入っているので、気を付けなくてはならないようだとその時思うだけは思ったのだが、実際には、ということで、以下の物語を暗示して、おかしくもあり、期待もされます。
最後の源氏の言葉は、七歳年上の相手に言うのにはちょっと上から過ぎるような気もしますが、立場の違いなのでしょう。子供扱いされて言い返す言葉としてはうまい言葉で、その場の雰囲気がよく感じられます。》