【現代語訳】5
源氏の君は、小君がどのように手筈を調えるかと、まだ小さいので不安に思いながら横になって待っていらっしゃると、不首尾である旨を申し上げるので、あきれるほどに珍しい強情さに、「わが身までがまことに恥ずかしくなってしまった」と、とてもお気の毒なご様子である。しばらくは何もおっしゃらず、ひどく深く溜息をおつきになって、辛いとお思いになっている。
「 帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな
(帚木は近づけば消えるものだと知らないで訪ねていって園原の道に迷うように、あなたの心も知らないで、空しく迷ってしまったことです)
申し上げるすべもありません」
と詠んで贈られた。
女も、やはり、まどろむこともできなかったので、
「 数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
(しがない境遇に生きるわたしは情けのうございますから、見えても触れられない帚木のようにあなたの前から姿を消すのです)」
とお答え申し上げた。
小君が、とてもお気の毒に思って眠けを忘れてうろうろと行き来するのを、女房たちが変に思うだろう、と心配なさる。
例によって、供人たちは眠りこけているが、お一人だけ白けた感じでぼんやりと思い続けていらっしゃるが、他の女と違った心が、「消える」どころか依然としてはっきり立ちのぼっていると悔しく、一方では、こういう女であったから心惹かれたのだと、お思いになるものの、癪にさわり情けないので、思い切ってしまおうとお思いになるが、そうとも諦めきれず、
「隠れている所に、それでも連れて行け」とおっしゃるが、
「とてもむさ苦しい所に籠もっていて、女房が大勢いますようなので、恐れ多いことで」
と申し上げる。気の毒にと思っていた。
「それでは、おまえだけは、わたしを裏切るでないぞ」とおっしゃって、お側に寝かせなさった。お若く優しいご様子を、嬉しく素晴らしいと思っているので、源氏は、あの薄情な女よりも、かえってかわいくお思いになったということである。
《源氏にとって初めての失恋です。それも相手が受領の妻という中の品程度の女性からの拒絶を受けたのであって見れば「わが身までがまことに恥ずかしくなってしまった」という述懐には実感が伴います。それは小君までもが「とても気の毒に思って」同情するほどでした。
今度は源氏が、とつおいつ思い惑う番です。「こういう(心のしっかりした)女であったから心惹かれたのだ」と思ってみずから慰めようともしますが、収まらず、女性の隠れている場所に押しかけようとも考えます。
しかし、小君に、空蝉は幾人もの女房たちが侍る中にいるのですから、源氏ともあろう人が簡単に出入りすることはできないと諫められて、断念するしかありません。
居並んでいるであろう女房たちは、確かに大変な障害ではあるでしょうが、そのままなすすべなく手を拱く二人の姿は、まちがいなく十七歳と十二歳の少年と見えます。
源氏はやむなく、小君をそばに寝かせて、負けを噛みしめるしかないありませんでした。
『光る』はこの点について別の意味有りとして大きく論じていますが、それはそちらにお任せすることにします。
この巻の名の由来となった、ここの歌の「帚木」については、『源氏物語の謎』(増淵勝一・国研ウェブ文庫)に、「この木は園原山(長野県下伊那郡阿智村智里に所在。飯田市と岐阜県中津川市とのほぼ中間)の中腹にあった檜(ひのき)の一種で、周囲六メートル余り、地上二十二メートルの大木で、枝が四方にのび、遠くから見るときはまるでホウキを立てたように見えていて、近寄るとどれがその木かわからなくなってしまうという、不思議な大木だったということです。(『観光の飯田』86号、昭49・9刊)。現在はその根元だけが残っているそうです」とあります。》