源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 父帝悲愁の物語

第三段 命婦帰参~その3

【現代語訳】3
 月も沈んでしまった。

雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらむ浅茅生の宿

(雲の上の宮中までも涙に雲がかかって見える秋の月だ、ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里に住んでいる者に)

 更衣の母君をお思いやりになりながら、灯芯をかき立てて油の尽きるまで起きておいであそばす。右近衛府の官人の宿直申しの声が聞こえるのは、丑の刻になったのであろう。人目をお考えになって、夜の御殿にお入りになっても、まどろみあそばすことも難しい。朝になってお起きになろうとなさっても、「以前は夜の明けるのも分からないで寝ていたのに」とお思い出しになられるにつけても、なお政治をお執りになることは怠りがちになっていらっしゃるようである。

 お食事などもお召し上がりにならず、朝食には形だけお箸をおつけになって、昼の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしいご様子を拝して嘆く。総じて、お側近くお仕えする人たちは、男も女も、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。「こうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのでしょう。大勢の人びとの非難や嫉妬をもお憚りあそばさず、あの方の事に関しては、御分別をお失いあそばされ、今は今で、このように政治をお執りになることも、お捨てになったようになって行くのは、たいへんに困ったことです」と、唐土の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと嘆息するのであった。

 

《「怠りがちになっていらっしゃるようである(おこたらせたまひぬべかめり)という言い方が注目されます。「めり」という視覚的推定の表現をすることで、語り手は自分と帝を切り離し、彼の様子を遠くから眺めてその気持ちを推測しているように書きます。それによって帝は独り立ちして実在感を増すことになります。

「おいたわしいご様子を拝して嘆く」とありますが、「おいたわしい」と感じているのはこの場合当然作者ではなく「お給仕の人」ですから、ここでもまた周囲の者達は、困ったことだと言いながら、それもやはり同情的、更に言えば好意的です。今になってそんなに思うのなら、更衣が生きている時にもう少し思いようがあったのではないかという気がしますが、それほどにこの人たちには更衣が蓮っ葉に見えていたということなのでしょう。

『評釈』が、物語の冒頭で「楊貴妃の例も引きい出でつべく」とあったのが、ここでは「唐土の朝廷の例まで引き合いに出して」となっていて、「対応する」と言っています。

このようにして更衣の物語が終わり、同時に光源氏登場の前史がここで一括りになるわけです。》



にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ 

第三段 命婦帰参 ~その2

【現代語訳】2
 「更衣は亡くなったが、いずれ若宮がご成長されたならば、しかるべき機会がきっとあろう。長生きをしてそれまでじっと辛抱するがよい」などと仰せになる。

あの贈物をご覧に入れる。「亡くなった人の住処を探し当てたという証拠のかんざしであったならば」とお思いあそばしても、まったく甲斐がない。

  尋ねゆく幻もがなつてにても魂のありかをそこと知るべく

(亡き更衣を探し行ける幻術士がいてくれればよいのだが。その人づてにでも魂のありかをどこそこと知ることができるように。)

 絵に描いてある楊貴妃の容貌は、上手な絵師と言っても、筆力には限りがあったのでまったく生気が少ない。「大液の芙蓉、未央の柳」にもほんとうにそっくりだった容貌に、唐風の装いをした姿は端麗ではあったろうが、更衣の慕わしさがあって愛らしかったことをお思い出しになると、花や鳥の色や音にも喩えようがない。朝夕の口癖に「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」とお約束あそばしていたのに、思うようにならなかった人の運命が、永遠に尽きることなく恨めしかった。

 風の音や虫の音を聞くにつけて、何もかも一途に悲しくお思いになるが、弘徽殿女御におかれては、久しく上の御局にもお上がりにならず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているようである。実におもしろくなく、不愉快だ、とお聞きあそばす。最近の帝のご様子を拝する殿上人や女房などは、苦々しい思いで聞いていた。たいへんに気が強くてとげとげしい性質をお持ちの方なので、何ともお思いなさらず無視して振る舞っていらっしゃるのであろう。

 

《贈り物をご覧になって、中に「御髪上げの調度のような物」があったからでしょう、帝は、これがあの『長恨歌』のかんざしだったら、とお思いになるのですが、こういうふうに、ことさらに悲劇をなぞってみるというのではなくて、ついつい内心でなぞらえてしまうというのは大変よく理解できます。楊貴妃のかんざしは幻術士によってあの世から皇帝のところに届けられて、皇帝はせめて彼女の居場所を知ることができたのですが、今、この帝にとって、更衣はまったく姿を消してしまったという思いです。

「絵に描いてある…」は、さっきまで見ていた「長恨歌」の絵を思って、という趣向でしょう。その絵よりも、本物の楊貴妃が美しかっただろうが、それよりもなお更衣が「愛らしかった」という書き方です。

ここでまたこのしめやかな情緒を打ち破るように弘徽殿女御が出てくるのが多角的で見事だと思います。彼女のこの管弦の遊びは、「夕月夜」に興じた、たまたまのものだったでしょうか、それとも帝に対する意図的なあてこすりだったのでしょうか。

いずれにしても、誰もが承知している帝の悲しみを無視して我が物顔に振る舞っているところに弘徽殿の激しい人柄が現れています。

ただ、ここでは弘徽殿のこの振る舞いを「殿上人や女房などは、苦々しい思いで聞いていた」のです。彼らはこれまでずっとこの女御とともに、帝と更衣の交際のありようを苦々しく思って来た人々でした。それが更衣が亡くなって以来、その弘徽殿から離れて、今やそのことについて少なくとも帝に対しては同情的になってきているのです。》

 

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第三段 命婦帰参~その1

【現代語訳】1
 命婦は、帝がまだお寝みあそばされなかったのだと、おいたわしく拝し上げる。御前にある壺前栽がたいそう美しい盛りに咲いているのを御覧あそばされるようにして、しめやかにおくゆかしい女房ばかり四、五人を伺候させなさって、お話をさせておいであそばすのであった。最近毎日御覧なさる、亭子院がお描きあそばされて、伊勢や貫之に和歌を詠ませなさった「長恨歌」の御絵にある、わが国の和歌や漢詩など、ひたすらその方面のことを、日常の話題にあそばされている。

 たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばす。しみじみとした趣きを忍びやかに奏上する。お返事を御覧になると、

「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてはどうしてよいか分かりません。このような仰せ言を拝見いたしましても、心の中はまっくら闇に思い乱れておりまして。

  荒き風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ静心なき

(荒い風を防いでいた木が枯れてからは小萩の身の上が気がかりでなりません)」などというようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。決してこう取り乱した姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおできあそばされず、初めてお召しあそばした年月のことまであれこれと思い出され、何から何まで自然とお思い続けられて、「片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだ」と、あきれてお思いあそばされる。

「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの宿願をよく果たしたお礼には、その甲斐があったようにしてやりたいと思い続けていたが。詮ないことだ」と口にされて、たいそう気の毒にと思いを馳せられる。

 


《帝はまだ起きておられました。思い出に耽って眠られず、また命婦の帰りを待ってもおられたのでしょう。このような時のお伽に相応しい、特に選ばれた少数の女房がお付きしています。

大変美しい場面で、いかにも王朝物語らしい「あはれ」にあふれる場面なのですが、実は、ここも私にはちょっと理解しかねるところなのです。

この帝はその女房たちと、毎日「長恨歌」の絵やそれに関わる詩歌を話題にしておられたというのですが、一体、今のこの帝のような立場で、極めてよく似た恋の失敗を物語った話を人と話し合おうという気になるものなのでしょうか。

作者や他の登場人物が「長恨歌」を引き合いに出して語るのは普通にありそうなことですが、自分が溺愛したためにその妃を失った皇帝の物語を、当の帝がひもとくのは、自分の傷口をえぐるような気がしなかっただろうか、と思うのです。

この帝は、御子誕生以来更衣への態度を改められたことからも解るように、自分の振るまいが拙かったために今の悲劇を生んだとよく承知しておられ、今、自責と悔いのさなかにおられるはずです。その時、同じ失敗をした悲劇の物語の絵を目の前に並べて、それが慰めになるというのは、ちょっとナルシストぶりが過ぎるような気がするのです。

ここは、作者がなんとしても「長恨歌」と重ね合わせて読ませようとして、ちょっとやり過ぎたのではなかったでしょうか。

あるいは、ここもまた、前に書いたように、帝は自分を省みるなどということは無いものなのだとして読むべきなのかも知れない、とも思わされます。

母君の歌を「不謹慎」というのは、実父に帝がおられるのに「静心なき」とは何事、という意味ですが、その結びが「お見逃しになるのであろう(原文・御覧じゆるすべし)」と推量になるのは、不自然に思われますが、今後しばしばこういう書き方がされます。

そのことについて『評釈』が、当時、物語は、多くは姫君にお付きの女房が、紙芝居のように大事な場面の絵を見せながら、語ってきかせるものだった、そこでこういう推量表現は「その絵を説明する女房の語り口が遺されたもの」であり、そこでは「物語の語り手が、二人(登場人物)から少し遠のくのである。語り手は読者の方に近づき、読者と一緒に二人の間を想像する」のだと説明していて、なるほどと思われます

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第二段 靫負命婦の弔問~その6

【現代語訳】6
 月は山の端に入りかけて、清く澄みわたった空に風がとても涼しくなって、草むらの虫の声ごえが涙を誘うようなのも、まことに立ち去りがたい庭の風情である。

「 鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

(鈴虫の鳴く声に誘われて声の限りに泣いても、長い秋の夜を尽きることなく流れる

涙でございますこと)」

お車に乗りかねている。

「 いとどしく虫の音しげき浅茅生に露置き添ふる雲の上人

(ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に、内裏からのお使い人のあるごとに、さらに涙がこぼれます)

恨み言もつい申し上げてしまいそうで」と取り次ぎの女房に言わせなさる。趣のあるような御贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと、このような入用もあろうかとお残しになった御衣装一揃いに、御髪上げの調度のような物をお添えになる。

 若い女房たちは、悲しいことは言うまでもないとして、内裏の生活を朝な夕なと馴れ親しんでいるので、たいそう物足りなく、主上のご様子などをお思い出し申し上げると、早く参内なさるようにとお勧め申し上げるが、「このように忌まわしい身が付き随って参内申すようなのも、まことに世間の聞こえが悪いであろうし、また、しばしもお顔を見申さずにいることも気がかりだ」とお思い申し上げなさって、思い切って若宮を参内させなさることがおできになれないのであった。

 

《この命婦が宮中から出たのは「夕月の美しい時刻」でした。「『夕月夜』は、昼過ぎから出て夜半に入る」(『集成』)もので、もうその月が「入り方」ですから、「夕暮れ時」に来て、途中に「夜も更けてしまった」とあって、今、夜半近くまで、思いのほか長くいたということになります。
 それにしては書かれてある対話は少し少ないようにも思われますが、もちろんみなまで書くことはできませんし、言葉の内容の充実がそれを補って十分という気もします。

「まことに立ち去りがたい庭の風情」というのは、作者の言葉ですが、もちろん命婦の立場に立っての思いです。自分が帰れば母君はまた元通り、ひとり悲しみの中に取り残されることになります。まして今度は若宮を手放すことを約束してしまった後でもあり、悲しみはひとしおだろうと思われます。母君の返しの歌に「恨み言」が混じるのもやむを得ないことです。

以下は、母君が命婦に話した話の背景を語っています。

実は日ごろから母君は周りの女房たちに参内するように勧められていたのでした。いや、求められていたと言う方がいいかも知れません。

そして女房たちは若宮にもおそらく宮中の楽しい生活の様子を繰り返し聞かせて来たことでしょう。母君が命婦に語った、若宮が「参内なさることばかりお急ぎになる」(【現代語訳】3節)というのは、そのせいなのです。

若宮はいずれは参内させなくてはなりません。母君は若い彼女たちがここにいて寂しいという気持ちもよく解るので、自分は、若宮とともに参内しない限り、結局自分だけここに一人になってしまうことを、早晩覚悟しなくてはならなかったのです。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ 

第二段 靫負命婦の弔問 ~その5

【現代語訳】5

 「主上様もご同様でございまして。御自分のお心ながら、強引に周囲の人が目を見張るほど御寵愛なさったのも、長くは続きそうにない運命だったからなのだなあと、今となってはかえって辛い宿縁であった。決して少しも人の心を傷つけたようなことはあるまいと思うのに、ただこの人との縁が原因で、たくさんの恨みを負うはずのない人の恨みをもかったあげくには、このように先立たれて、心静めるすべもないところに、ますます体裁悪く愚か者になってしまったのも、前世がどんなであったのかと知りたい、と何度も仰せられては、いつもお涙がちばかりでいらっしゃいます」と話しても尽きない。泣く泣く、「夜がたいそう更けてしまったので、今夜のうちに、ご報告を奏上しよう」と急いで帰参する。

 

《どうも気になるところで、賢いはずの命婦の言葉とは思えないような気がします。

 この物語の中で腑に落ちないいくつかの中の一つで、せめて少しでも、自分が悪かったという意味のことを言ってほしいような気がするのですが、ここで命婦が語った帝の言葉は母君にどう聞こえたでしょうか。

この言い方では、まるで帝が人の恨みを買うことになったのは更衣のせいだと後悔して、責任を更衣に押し付けているようです。これまでの話をどう思い返してみても、アクションはいつも帝からのもので、更衣は言われるがままだったはずです。

男が女に直接「お前のために俺はダメになった」と言うのなら、それでもまだ逆説的な愛の表現になる場合もあるでしょうが、それを母君が聞かされたのでは、そのために娘を亡くした母君の立つ瀬はないように思うのです。命婦は慰めるために言っているのでしょうが、私には慰めになったとはとても思えません。

それでも『評釈』は「主上も同じ被害者なのだ、同類があると思えば心も慰もう、主上を恨まないように。命婦はこういう気持ちで言ったのである。」と言います。

さらには、帝の使者として、母君の言葉に対して、それ以上おっしゃってはいけませんよと押さえる意味で言ったのでしょうか。母君もそれを了解してそれ以上言わなかったのか、と思ったりもします。

あるいはまた、それとは別に、帝という立場では、自分の行為は全てが必然のことと考えて、それに対する反省・自責などというものは無いものなのかも知れないと思ったりします。もしそうであるなら、自分の身に、またはその周りに起こる悲劇は全て運命だということになりますから、こういう考え方になることも肯けます。

そういえば前節の母君からの帝への恨み言も、帝へという気持ち言っているのではなく、娘が陥った運命への恨み言だったのかも知れません。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ 

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ