源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 光る源氏前史の物語

第五段 故御息所の葬送

【現代語訳】
 しきたりがあるので、先例の葬法どおりにお営み申すのを、母北の方は、娘と同じ煙となって死んでしまいたいと、泣きこがれなさって、野辺送りの女房の車に後を追ってお乗りになり、愛宕という所でたいそう厳かにその葬儀を執り行っているところに、お着きになったお気持ちは、どんなであったであろうか。
 「お亡骸を見ながら、なおも生きていらっしゃるものと思われるのが、まったくかいのないことなので、遺灰におなりになるのを拝見して、今はもう死んだ人なのだと、きっぱりと思い諦めよう」と、分別あるようにおっしゃっていたが、車から落ちてしまいそうなほどにお取り乱しなさるので、やはり思ったとおりだと、女房たちも手をお焼き申す。

 内裏から勅使がある。従三位の位を追贈なさる旨を、勅使が到着してその宣命を読み上げるのが、悲しいことであった。女御とさえ呼ばせないままになったのが、この上なく残念に思し召されたので、位階だけでもせめてもう一段上にと、御追贈あそばすのであった。
 このことにつけても非難なさる方々が多い。

人の情理をお分かりになる方は、お姿や容貌などが素晴しかったことや、気立てが素直で角の立つところが無く、憎めない人であったことなどを、今となってお思い出しになる。

見苦しいまでの御寵愛ゆえに、冷たくお妬みなさったのだが、性格がやさしく情愛こまやかだったお人柄を、帝付きの女房たちも恋い偲び合っている。「亡くてぞ(人の恋しかりける)」ということは、このような時のことかと思われた。



《『集成』に「当時の葬式は、普通男親、夫、兄弟が送り、女親は行かなかった」とあります。しかし、そうするとこの場合は更衣を送る人がいないことになります。母君はしきたりに背いてみずから送りに行きます。不憫に思うのが一番でしょうが、それだけではなく、少し後に語られますが、更衣の出仕は亡き夫の遺志を継いだもので、それが挫折したことへの無念の思いも混じっていたことでしょう。

 気丈に、灰になるのを見て区切りを付けたいと言っていますが、車から転げ落ちるばかりの嘆きです。娘がこうなっては彼女にはもう生き甲斐がありません。

「同じ煙にのぼりなむ(同じ煙になって死んでしまいたい)」とまで考えます。「同じく」と訳す向きもあるようですが、書かれたとおり「同じ一つの煙となって」、つまり娘と一つになって、もっと言えば娘を抱いて天に消えていきたい、という気持ちと考える方が切迫感があります。

「従三位」が追贈されるのですが、本来めでたいことであるはずのこのことが、この場合はかえって更衣の悲運を際だたせることになり、悲しい場面となります。

またしてもその帝の計らいに陰口を利く多くの妃たちがいますが、やはり一方で「人の情理をお分かりになる方」は、更衣の人柄を思って「恋い偲び」合います。

これまで作者は冷静に第三者として物語ってきたのですが、ここで「人の情理をお分かりになる方は」と、思わず更衣贔屓の言い方に変わり、「見苦しいまでの御寵愛(原文・さまあしき御もてなし)」と、本当は帝がよくなかったのだとついつい口にします。

死ねば誰でも皆とりあえずは「いい人」になるのですが、妃方の中には心を込めてそのように言う方が幾人かはあって、作者もそちらに寄っての言い方になったのでしょう。

もっとも、人をいい人だと言う人がいる時、言われた人が本当にいい人かどうかは、必ずしも保証できませんが、少なくとも言った当人は間違いなくいい人だと言えるので、ここも実際には、書かれているのとは逆に、更衣を懐かしみ、恋い偲ぶことが彼女たちを「ものを思ひ知りたまふ」人だと思わせたということなのでしょう。》

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第四段 母御息所の死去 ~その2

【現代語訳】2
 「死出の旅路にも、後れたり先立ったりするまいと、お約束あそばしたものを。いくらそうだとしても、おいてけぼりにしては、行ききれまい」と仰せになるのを、女もたいそう悲しいと、お顔を拝し上げて、

「 限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

(人の命には限りがあってお別れする悲しさに、今、別れ路に立って私が行きたいと思うのは、生きている世界への路でございます)

ほんとうにこのようになると存じておりましたならば」

と、息も絶えだえに、申し上げたそうなことはありそうな様子であるが、たいそう苦しげに気力もなさそうなので、このままここで、最期となってしまうようなこともお見届けしたいと、お考えあそばされるが、「今日始める予定の祈祷などを、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から始めます」と言って、おせき立て申し上げるので、たまらなくお思いあそばしながら退出させなさる。

 お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねあそばす。勅使が行き来する間もないうちに、しきりに気がかりなお気持ちをこの上なくお漏らしあそばしていらしたところ、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って更衣の里人が泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰参した。お耳にあそばすと御心が顛倒して、すっかり御分別を失われて、引き籠もっておいであそばす。

 御子は、それでもとても御覧になっていたいが、このような折に宮中に伺候していらっしゃるのは、先例のないことなので、退出なさろうとする。何事があったのだろうかともお分かりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、父主上もお涙が絶えずおこぼれあそばしているのを、変だなと拝し上げなさっているのを、普通の場合でさえ、このような別れの悲しくないことはない次第なのを、いっそうに悲しく何とも言いようがない。

 

《更衣は帝との別れ際に「いとかく思うたまへましかば(原文・ほんとうにこのようになると存じておりましたならば)」と言いさして、後の言葉を飲み込むのですが、普通に続けるとすれば「宮仕えなどには出ませんでしたでしょうに」となるでしょう。

それは読み方によっては帝に対して大変な不敬に当たるはずで、ちょっとびっくりします。しかし「ましかば」という反実仮想表現は強調の一種であることから考えれば、言いたいのはそういう仮想の部分ではなくて、言葉にされていない思いの方なのです。

「ほんとうにこのようにと存じておりましたならば、(宮仕えなどには出ないで、こういうお別れのつらさを味わわないですんだでしょうに、実際にはそう分かっていませんでしたので、お仕えしご寵愛を頂いて、お別れのつらさを感じております)」となる、最後の部分、「お別れをつらさを感じております」を、そういう言い方で強調しているわけです。

ともあれ更衣は、本格的に具合が悪くなってからわずか一週間ほどの患いで、しかも里下がりして、何とその夜に、帝にとって以上に読者にとって、まことにあっけなく亡くなってしまいます。

『源氏物語』は実は「若紫」から書かれ始めて、「桐壺」は後で書き足されたのだという説があります(このことには少し先で、また触れます)が、そうだとすれば、それがこういう慌ただしさを生んだのかも知れません。

さて、初めて読む読者は、ヒロインだと思っていた人が退場して、一体これから物語はどう続くのかと思って読み進めます。すると、その目の前に御子が現れ、よちよち歩きを始めます。

『集成』が「延喜七年(九〇七)、七歳以下の子供は親の喪に服するに及ばないということになった。…この物語の時代は延喜七年以前ということになる」と考証しています。『源氏物語』の執筆開始は一〇〇〇年頃とされていますから、一世紀前のことになります。冒頭の「いづれの御時にか」を当代の読者はそのように意識して読んでいたわけです。

現代で考えると大正初期あたりの話ということになるでしょう。私たちが『豊饒の海』(三島由紀夫作)を読み始める感じです。》

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第四段 母御息所(桐壺更衣)の死去~その1

【現代語訳】1
 その年の夏、御息所が、ふとした病にかかり、退出しようとなさるのを、お暇を一向にお許しあそばさない。
 ここ数年来、いつもご病気がちでいらっしゃるので、見慣れておられて、「このまましばらく様子を見よ」とおっしゃるばかりだったが、日々に重くおなりになって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱されたので、母君が涙ながらに奏上して、退出させ申し上げなさる。
 このような時にも、あってはならない失態を演じてはならないと配慮して、御子はお残し申して、人目につかないようにして退出なさる。

 決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく残念におぼし召される。
 たいそう照り映えるように美しくかわいらしい人が、ひどく顔がやつれて、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、あるかなきかに消え入るようでいらっしゃるのを御覧になると、帝はあとさきもお考えあそばされず、すべてのことを泣きながらお約束あそばされるが、更衣はお返事を申し上げることもおできになれず、まなざしなどもとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しくて、意識もないような状態で臥せっていたので、どうしたらよいものかと心をお乱しになる。
 いったんは輦車のご用意などをお命じになったものの、再び更衣の部屋にお入りあそばして、どうしても退出をお許しになることがおできにならない。



《「御息所」は皇子を生んだ妃の呼び名、ここではあの更衣を指しています。彼女の体調は日に日に重り、今はしばらく里下がりして休養するしかない状態です。しかしそういう状態をずっと見て生きた帝には特に今が大変というふうには見えなかったのでしょう、なおしばらくそのまま過ごさせられます。そして、ついにやや急変があって、里下がりということになりますが、帝には決心がつきません。

「決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず」は、「宮中では思うように養生もできないのと、万一の時の死の穢れを憚って、病気退出をするのがならわし」(『集成』)だったことによるようです。やはり若宮誕生以来蘇った帝の理性で、懸命に自分の情を抑えたわけです。

また、「あってはならない失態(原文・あるまじき恥)」というのは、退出の折に嫌がらせを受ける怖れがあり、「御子が同行していれば、その体面が傷つけられる」(『集成』)ということです。御子誕生以後三年ですが、更衣に対しては、そういうことがもう何年も続いていて、更衣が体調を崩すのも無理かぬことと思わせます。

この段の叙述が、初めには「お暇を一向にお許しあそばさない」とあって、途中の「決まりがあるので」を経て、終わりに「お許しになることがおできにならない」となっていることが、その間の帝の理性と情の間を揺れ動く思いを伝えます。

まずは自分の意志で「許さない」と決定をしながら、すぐに「決まり」を顧慮すべきことを思い、終わりは、もう許すしかないとよく承知しながら、それが「おできにならない」と、情が意志を越えて働いています。

この帝はどうにも女々しい男性に思えますが、女性に対しては草食性であることが、むしろ当時の紳士の条件であったようです。

悲しんでいる人にとって、割り切って明るく元気づけてくれる人と、一緒に泣いてくれる人と、さて、どちらがいいかというのは、難しい問題だという気がします。》


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第三段 若宮の御袴着(三歳)

【現代語訳】
 この御子が三歳におなりの年に、御袴着の儀式を一宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮や納殿の御物をふんだんに使って、大変に盛大におさせあそばす。そのことにつけても、世人の非難が大変に多かったが、お妃方は、この御子が成長なさって行かれるお顔だちやご性質が世間に類がないほど素晴らしくお見えになるので、お憎み通しなさることができない。
 ものごとの情理がお分かりになる方は、「このような方もこの末世にお生まれになるものであったよ」と、驚きあきれる思いで目を見張っていらっしゃる。


《更に帝は若宮の「御袴着の儀式」を第一皇子と同様にするという過分とも言える扱いをされたのですが、ここは、御子を取り巻く人々の外側から順に、「世」とお妃方と「ものごとの情理がお分かりになる方」という三段階に分けて語られます。

「世」、つまり御子を見る機会のない人たちは、そういう破格のお祝いをもっぱら非難するという態度を取ります。

そして実際に御子に触れる機会のあるお妃方は、一方で「世」と同じように、あるいは権力や寵愛を競っている分だけ「世」以上に「そねみ」を抱きながら、他方で実際の御子のかわいらしさに触れると、ついついその気持ちを忘れて眺めてしまうという状態です。

子どもは三歳までに一生分の親孝行をする、と言われますが、この頃の子どもはかわいいものです。

しかしそれでもこの御子は極めて特異です。

彼は弘徽殿の女御を初めとする周囲にとって決して望ましい存在ではなかったわけで、それに加えて今回の帝のお取り扱いに対する批判がありながら、そういう思いを忘れさてしまうほどのかわいらしさだったというのです。

原文で「(お妃方は)え嫉みあへたまはず」とあります。ここでもまた「え…ず」で、「お憎み通しなさることができない」、つまり他のお妃方が、憎らしく思って嫌がらせでもしてやろうかなどと思ってみるのだが、御子を見ていると、どうしてもかわいらしく思えていつまでもそれを続けることができず、ついつい自分の顔がほころんで微笑んでしまう、それほどかわいかったというのです。

次の「ものごとの情理がお分かりになる方は」とあるのが、先のお妃方とどういう関係なのか、ちょっと分かりにくく思われます。『評釈』は「政治上の立場や個人的好悪にかかわらず、美を美として認める、自由の心の持ち主である」としていますが、これはいささか大仰でしょう。敬語があることから見るとその妃方の中の一部の人ということなのでしょうか。権力や寵愛を競う立場には遠く、穏やかな暮らしをしている方々でしょう。

ともあれ、御子はその二重三種類の人々の中にいるというわけです。

そしてその一方で、更衣は、自分自身と帝と若宮の三人分の恨みを一身に受けることになって、その体調はどんどん悪化します。》


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第二段 御子誕生(一歳)~その3

【現代語訳】3
 更衣は、もったいない御庇護をお頼り申してはいるものの、軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、ご自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛を得たばっかりに、しなくてもよい物思いをなさる。
 お局は桐壺である。
大勢のお妃方の前を素通りなさって、そのひっきりなしのお渡りに、お妃方が大変に気をもまれるのも、まったくもっともであると思われる。参上なさるにつけても、あまり度重なる時々には、打橋や、渡殿のあちこちの通路に、けしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾が、がまんできないような、とんでもないことがある。

またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、こちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもならないように困らせなさることも多かった。

何かにつけて数知れないほど辛いことばかりが増えていくので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、ますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から伺候していらっしゃった更衣の部屋を他に移させなさって、上局として御下賜あそばす。その方の恨みはなおいっそうに晴らしようがない。


《この更衣の後宮での部屋は「桐壺」だというのですが、これは帝の居所の清涼殿からは最も遠く、その間には帝の寵愛を待っている幾人もの女御方の部屋があり、帝や更衣はそれらの部屋の前を行き来してお会いになることになります。書かれてあるように、当然その度毎のその女御方の苛立ちは並一通りではなかったでしょう。

こうして帝の更衣への愛情は、その一つ一つが全て他の女御方の不快をかき立てることになるのです。そして、そのことへの女御方の不満はもちろん帝へは向かわず、全て露骨に、あるいは陰湿に更衣に向けられます。

文中にある「渡殿」での「けしからぬこと」とは下の排泄物を置いておいたのだと言われます。女性は裳を引いて歩くのですから、さぞかしやりきれないことだったでしょう。

更衣のあまりにつらそうな様子に、帝はとうとう、清涼殿のとなりの後涼殿に部屋を貰っていた更衣を他に移して、その部屋をこの更衣に与えてしまわれたのです。帝としてはやむを得ない手立てだったのでしょうが、しかしこれはどう考えても拙いやり方で、それがまたまた周囲の恨みやねたみをかき立てたのは、当然です。》


 

 

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