源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

■巻一 桐壺

第四段 先帝の四宮(藤壺)入内 ~その2

【現代語訳】2
 姫君が心細い有様でいらっしゃるので、帝は「ただ、わが皇女たちと同列にお思い申そう」と、たいそう丁重に礼を尽くして申し上げあそばす。お仕えする女房たちや、御後見人たち、ご兄弟の兵部卿の親王などは、「こうして心細くおいでになるよりは、内裏でお暮らしになって、きっとお心が慰むように」などとお考えになって、参内させ申し上げなさった。

 藤壺と申し上げる。なるほど、ご容貌や姿は不思議なまでによく似ていらっしゃる。この方は、ご身分も一段と高いので、そう思って見るせいか素晴らしくて、お妃方もお貶め申すことがおできになれないので、誰に憚ることなく何ひとつ不足ない。亡くなった更衣は、周囲の人がお許し申さなかったところに、御寵愛があいにくと深かったのである。帝のお悲しみが紛れるというのではないが、自然とお心が移って行かれて、格別にお心がお慰みになるようであるのも、哀しい人情のさがというものであった。

 

《姫君の入内に反対だった母后が亡くなると、兄の勧めなどもあって、いよいよこの姫君の入内ということになります。

勧めた人が、普通なら位の上から順に書かれそうなところですが、「お仕えする女房たちや、御後見人たち、ご兄弟の兵部卿の親王など」という逆順になっているのがおもしろいところです。

それは該当する人の数の多い順であり、日常身近にいる順ですが、読者は、おそらく入内してほしいと強く思う順なのだろうと思うことになります。

ということは、逆に言えば、姫君のことを案じる度合いの薄い順ということでもあるでしょう。女房たちは姫が入内すれば、自分達が宮廷の華やかな生活ができると期待したでしょうし、後見人は姫君の入内によって生じる自分達の利益を考えたに違いありません。兄宮は、恐らくは母君と同様の不安を抱きながら、母君のように彼らを抑えることができずに、周囲の意を受けて姫君に最後の話をしたのです。

藤壺というのは後宮の一室である飛香舎の別名で、弘徽殿と並んで帝の居所に最も近い部屋です。先帝の姫君だから、そういう待遇を得たわけですが、故更衣が最も遠い部屋だったのと対照的です。

さて、かわいい姫君を得て帝の心は安らぐのですが、それを「哀しい人情のさが(原文・あはれなるわざ)」と書くのは、この場合、明らかに女性の視点からなのであって、作者の女性としての哀しみが漏れ出た部分と思われます。》


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第四段 先帝の四宮(藤壺)入内~その1


【現代語訳】1
 年月がたつにつれて、御息所のことをお忘れになる折がない。少しは慰められるかと、しかるべき婦人方をお召しになるが、「せめて準ずる程に思われる人さえめったにいないものだ」と、厭わしいばかりに万事を思し召されていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れておいでであるという評判が高くいらっしゃる方で、母后がまたとなく大切にお世話申されていられる方を、帝にお仕えする典侍は、先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、ご幼少でいらっしゃった時から拝見し、今でも時に拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代の帝にわたって宮仕えいたしてまいりましたけれど、一人も拝見できませんでしたが、この后の宮の姫宮さまは、たいそうよく似てご成人なさっていらっしゃいます。世にもまれなご器量よしのお方でございます」と奏上したところ、「ほんとうにか」と、お心が止まって、丁重に礼を尽くしてお申し込みあそばしたのであった。

 母后は、「まあ怖いこと。東宮の母女御がたいそう意地が悪くて、桐壺の更衣が、露骨に亡きものにされてしまった例も不吉で」と、おためらいなさって、すらすらとご決心もつかなかったうちに、母后もお亡くなりになってしまった。

 


《この姫君こそが源氏の生涯の心の生活を陰に陽に支配する女性となります。

が、それは次第に解ってくることとして、ここでは「母后」が気になります。この人は、原文でたった百字ほどの間の命で、出てきたと思ったら、すぐに亡くなってしまいます。

帝の思し召しに逆らうくらいですから、もっと活躍する場があってもよさそうですが、それだけで終わりです。そんな短命な(?)人がどうして出てくる必要があったのかと考えてみると、どうやら「東宮の母女御」(弘徽殿女御)を批判することだけにあるようです。

この間までは、後宮あたりでの批判だったのですが、このころにはもう外部の人にもこういう噂をされるようになって来ているのだということを、作者が読者に納得させたいようです。

更衣の死、更衣の母君の死も現代の読者にはまことにあっけなく思われましたが、この人もそうです。小説の書き方の裏技として、物語の展開に困ったら、登場人物を殺してしまえ、というのがあるそうですが、この物語には、更衣には父が無く、源氏には母が、というように、今後も主要な人物として、片親とか親のいない、またはいないに等しい人が多く出てきます。

近年、日本では結婚した夫婦の三組に一組が離婚するという数字もあるそうですが、死別生別の違いはあるにしても、子供にとっては似たような時代なのかも知れないという気もします。》


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第三段 高麗人の観相、源姓賜わる

【現代語訳】
 その当時、高麗人が来朝していた中に、優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、内裏の内に召し入れることは宇多帝の御遺誡があるので、たいそう人目を忍んで、この御子を鴻臚館(宿舎)にお遣わしになった。後見役のようにしてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、人相見は目を見張って、何度も首を傾け不思議がる。

「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。と言って、朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」と言う。

 右大弁も、たいそう優れた学識人なので、語り合った事柄は、たいへんに興味深いものであった。漢詩文などを作り交わして、相人が、今日明日のうちにも帰国する時に、このようにめったにない人に対面した喜びや、かえって悲しい思いがするにちがいないという気持ちを趣き深く作ったのに対して、御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになったので、この上なくお褒め申して、素晴らしいいくつもの贈物を差し上げる。
 朝廷からも相人にたくさんの贈物を御下賜なさる。
自然と噂が広がって、帝はお漏らしあそばさないが、東宮の祖父大臣などは、どのようなわけでかとお疑いになっているのであった。

帝は、深いお考えから、日本流の観相をお命じになって、既にお考えになっていたことなので、今までこの若君を親王にもなさらなかったのだが、「あの相人はたしかに優れていたのだ」とお思いになって、「外戚の後見のない無品の親王というような不安定な生涯は送らせまい。わが御代もいつまで続くか分からないのだから、臣下として朝廷のご補佐役をさせるのが、将来が安心できる」とお決めになって、ますます諸道の学問を習わせなさる。

 際だって聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、親王とおなりになったら、世間の人から立坊の疑いを持たれるにちがいなさそうでいらっしゃるので、宿曜道の優れた人に占わせなさっても同様に申すので、源氏にして臣下とするのがよいとお決めになった。

 


《その彼を見た高麗の相人は、御子を見て、驚いて首をかしげ、帝王になれば国が乱れる、国の重臣であるには惜しい相だ、と言います。つまり、トップでは国が乱れる、しかし二番ではない、という意味不明の観相です。

先の段でこの御子のあまりの超人ぶりに匙を投げそうになった現代の読者も、この話によって、また、何?という気持ちになって読み進めることになるはずです。

ところで、この七歳の超人的御子の学問のレベルは実際どのくらいなのかというと、「御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになった」というほどだったのです。小学一年生が国の使いとして訪れた一流知識人との別れに際して、その人の国の言葉で詩を作って、しかも感動を呼んだとは、一体どういう作品かと思いますが、ともかくそのくらい優れた才能だったのです。 

ここでまた、東宮の祖父大臣という弘徽殿方の視点が入ります。

 話が一本道にならないで、一つの人の振る舞いが、当人の知らないところでも人々の反応を引き起こし、それが陰に陽に波紋を起こしながら、全体的な世の動きとなってそこに人を巻き込んで進んでいく、そういう世の中の広がり、奥行きがきちんと捉えられていると言えます。

高麗人の観相も、帝のお考えも、そして宿曜道の占いも、すべて親王としておくことはよくないという判断で一致することになって、いよいよ御子は「源氏」の姓を賜って臣下に下ることになります。

こうして大きな問題の渦の中に生まれ出たこの物語の主人公の立ち位置が、ようやく定まりました。

生まれる前から彼の周囲にあった問題は母・更衣とその母君の死によってぬぐい去られ、その悲しみと不思議な相とを抱えて、それ以外は完璧に恵まれた境遇の中で、いよいよ次からこの主人公の物語が動き始めることになります。

ここまでの主人公・帝が次第に背景に退いて、源氏が表に現れてくるのです。》


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第二段 読書始め(七歳)

【現代語訳】
 今は内裏にばかりお暮らしになっている。七歳におなりになったので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃるので、空恐ろしいまでにお思いあそばされる。

 「今はどなたもお憎みなされまい。せめて母君がいないということに免じてでも、おかわいがってお上げなさい」と仰せになって、弘徽殿などにもお渡りあそばすお供としては、そのまま御簾の中にお入れ申し上げなさる。恐ろしい武士や仇敵であっても、見るとつい微笑まずにはいられない様子でいらっしゃるので、女御も放っておくことがおできになれない。皇女がお二方、この御方にはいらっしゃったが、お並びになりようもないのであった。他のお妃がたもお隠れにならずに、今から優美で立派でいらっしゃるので、たいそうおもしろい一方で、また気もおける遊び相手だと、どなたも思い申し上げていらっしゃった。

 本格的な御学問はもとよりのこと、琴や笛の才能でも宮中の人びとを驚かせ、すべて一つ一つ数え上げていったら、仰々しく嫌になってしまうくらい、優れた才能のお方なのであった。


《才色兼備は普通には女性用の言葉ですが、源氏はまさにそういった様子でした。容貌も、かわいらしさも、また学問やあらゆる楽器の才能も、そしてその出自も、およそ当時の男性として身に備えたい一切のものをもった、万能の男性として描かれていきます。

そのかわいらしさは、あの弘徽殿の女御さえも思わず微笑んでしまうほどだったと言います。
 『評釈』が、物語と小説を区別して、「物語の主人公の幼年時代はこんなものである。よほど普通人と違った者でなくては、物語の主人公にはなれなかったのだ。西洋でも古くはそうであった。普通人が主人公になる小説は、ブルジョアの勃興以後である」と言っています。

『源氏物語』が書かれたのは西暦でちょうど一〇〇〇年頃ですが、実はそのころ世界の文学作品はまだ全く寥々たるもので、大変乱暴に言えば、人類はギリシャ悲劇と唐詩しか持っていなかった時代なのです。ダンテでさえこの三〇〇年後、シェクスピアも五〇〇年、ドストエフスキーやスタンダールは八〇〇年後を待たなければなりませんでした。

だから、ここで描かれる源氏の様子が、ほとんどお伽噺的絵空事としか思われないほどでも無理はないので、リアリズムに徹した少しせっかちな人なら、まったくもって「仰々しく嫌になってしまう」ようなあり得ない話だと感じて、ここでこの冊子を投げ出しても、あながち不思議ではないでしょう。

しかしそれが、近代小説と見まごうばかりの物語に発展していくのですから、驚きです。

さて、その万能の人にただ一つの謎が付け加えられるのが次の段で、それが物語を引っ張る筋になります。》


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第一段 若宮参内(四歳)

【現代語訳】
 月日がたって、若宮が参内なさった。ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、たいへん不吉なまでにお感じになった。

 翌年の春に、東宮がお決まりになる折にも、なんとか第一皇子を超えさせたいと思し召されたが、ご後見すべき人もなく、また世間が承知するはずもないことだったので、かえって危険であるとお差し控えになって、顔色にもお出しあそばされずに終わったので、「あれほどおかわいがっていらっしゃったが、限界があったのだなあ」と、世間の人びともお噂申し上げ、弘徽殿女御もお心を落ち着けなさった。

 あの祖母北の方は、悲しみを晴らすすべもなく沈んでいらっしゃって、せめて死んだ娘のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいと願っていらっしゃったことの現れか、とうとうお亡くなりになってしまったので、帝が、またこのことを悲しく思し召されることはこの上もない。御子は六歳におなりのお年なので、今度はお分かりになって、恋い慕ってお泣きになる。長年お親しみ申し上げなさってきたのに、後に残して先立つ悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃっていたのであった。

 


《いよいよ源氏が表舞台に登場します。

三歳の袴着の時に人目を驚かすかわいらしさだったのですが、「ますますこの世の人とは思われず美しく」なってきました。

「不吉なまでに(原文・ゆゆしう)」がなにか含みがあるのではないかと気になりますが、「当時は、あまりに美しいものは神が愛でて連れて行く、早死にすると考えられていた」(『集成』)のだそうで、これからもしばしば使われる、言わば美しいことの最上級のほめ言葉であるわけです。

立太子の時も、帝は自分の思いを抑えて冷静に第一皇子を東宮に立てます。本当は賢い人なのです。こういう冷静さが、もし更衣についてもう少しあったならば、と思いますが、恋という病の中では如何ともしがたかったのでしょう。

周囲は帝の深謀とは考えないで、帝の愛情に「限界があったのだなあ」と思ったというのが、またいかにもなるほどと思われます。きっと世の中には、こういう誤解が溢れているのでしょう。

ところで、更衣に次いでその母君も、娘の所に行きたいと思っていたからか、といささか皮肉に聞こえる書き方が気になるところですが、ここで亡くなります。

読者にとってはいかにもあっさりと、姿を消してしまったという感じで、やはり作者は先を急いでいるように思われます。》



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