源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

■巻一 桐壺

第八段 源氏、成人の後

【現代語訳】
 元服なさってから後は、帝はかつてのように御簾の内にもお入れにならない。源氏は管弦の御遊びの時々、藤壺の琴に笛の音を通わせ、かすかに漏れてくるお声を慰めとして、内裏の生活ばかりを好ましく思っていらっしゃる。五、六日内裏に伺候なさって、大殿邸には二、三日程度と、途切れ途切れに退出なさるが、大殿方では、まだ今はお若い年頃であるので、つとめて咎めだてすることなくお許しになって、婿君として大切にお世話申し上げなさる。

 お二方の女房たちは、世間から並々でない人たちをえりすぐってお仕えさせなさる。源氏のお気に入りそうなお遊びをし、せいいっぱいにお世話なさる。

 内裏では、以前のまま淑景舎(桐壺)をお部屋にあてて、母御息所にお仕えしていた女房を、退出して散り散りにさせることなく、引き続いてお仕えさせなさる。

 実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。もとからの木立や築山の様子も趣のある所であったが、池をことさら広く造って、大騷ぎして立派に造営する。

「このような所に、理想とするような女性を迎えて一緒に暮らしたい」とばかり、胸を痛めてお思い続けていらっしゃる。

 「光る君という名前は、高麗人がお褒め申してお付けしたものだ」と、言い伝えているとのことである。


《源氏は後宮に残るのですが、さすがに帝は「かつてのように御簾の内にもお入れにならない」ので、源氏は慕わしい藤壺の姿を見る機会をとりあげられて、ただ遠くからその人の気配を感じてひそかに心を慰めるだけという、大変つらい状況に置かれます。いわば永遠の憧れ状態、言い換えれば「お預け」状態です。そしてそれによって、思慕する思いは当然いっそう強いものになったはずです。

左大臣は源氏の訪れが新婚としては不自然に間遠であるとは思いますが、世の親によくあるように、「まだ今はお若い年頃である」と自分で納得して直接的な手を打たないままに、新夫婦お付きの女房を選りすぐり、新郎の気に入るようにと、いたずらに環境整備にだけ手を尽くしています。

当の新郎は、決して幼いのではなかったのです。それどころか、新妻とは別の人に、ほぼ心を奪われている状態だったのです。

悲劇の予感を十分に抱かせて、光源氏前史「桐壺」の巻が終わります。

最後の名前の由来の一節はなにやら、作者のひどく皮肉な口ぶりを感じさせます。》


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第七段 源氏、左大臣家の娘(葵上)と結婚

【現代語訳】
 その夜、帝は、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる。婿取りの儀式は世に例がないほど立派にしておもてなし申し上げなさった。とても子供っぽくておいでなのを、不吉なまでにかわいいとお思い申し上げなさった。女君は、自分が少し年上でおいでなのに対して、婿君がたいそうお若いので、似つかわしくなく恥ずかしいとお思いでいらっしゃった。

 この大臣は帝のご信任が厚い上に、姫君の母宮が帝と同じ母后のお生まれでいらっしゃったので、どちらから言っても立派な上に、この君までがこのように婿君としてお加わりになったので、東宮の御祖父で、最後には天下をお治めになるはずの右大臣のご威勢も、物の数ともなく圧倒されておしまいになる。

ご子息たちが大勢、それぞれの夫人方にいらっしゃる。宮がお生みの方は、蔵人少将でたいそう若く美しい方なので、右大臣が、左大臣家とのお間柄はあまりよくないが、放っておくこともおできになれず、大切になさっている四の君に婿取りなさっていた。左大臣家に劣らず大切にお世話なさっていて、どちらも理想的な婿舅の間柄である。

 源氏の君は、主上がいつもお召しになりお放しにならないので、気楽に私邸で過すこともおできになれない。心中では、ひたすら藤壺のご様子を、またとない方とお慕い申し上げて、「そのような女性こそ妻にしたいものだ、似た方もいないほどでいらっしゃることだ。大殿の姫君は、たいそう興趣ありそうに大切に育てられている方だと思われるが、気が合わない」とお感じになられて、子供心一つに思いつめて、とても苦しいまでに悩んでいらっしゃるのであった。


《左大臣家はめでたい縁組みで、帝の親任はますます厚く、爛漫の春を迎えたように見えます。ライバルの右大臣家とさえも、息子の蔵人の少将が右大臣の四の君との縁組みをして、右大臣から大切にされ、左大臣家同様に「理想的な婿舅の間柄」ができあがっています。

が、しかし、そうした幸福のさなかに、その幸福自体が、さりげないふうに小さなかげりを生みます。

「添い臥し」を務めて正室となった左大臣家の女君(巻九「葵」で中心的役を務めるところから、後世「葵の上」と呼ばれます)は、自分が源氏に年上であることに違和感を持ちます。そして源氏は、と言えば、帝のお召しが続いて左大臣家に行くのもままなりません。しかもそこには藤壺女御がいて、彼は葵の上と比べて、その人こそ妻にしたいと危険な思いを抱いています。

新しい夫婦の間には、最初から二人以外に誰も知らないままに溝が生じていたのです。

もっとも、このことについての具体的な話は、読者は若紫の巻第六段まで待たなくてはなりません。

さてここで読者は、作者がここまで、源氏を尋常でなくかわいがる帝の様子を描いてきた、物語上の事情を理解します。

それは、そうでなければ起こりえないことが、起こらなければならないからでした。

それは、源氏は元服の後もそのまま帝のそばに残り続けることになるという出来事です。そのことがなければ今後の物語を動かしていく最も大きな動機である藤壺女御と源氏との交渉が途絶えてしまいます。

源氏が藤壺と接触を持ちうるためには、臣籍に下って結婚してもなお、当分は帝のそば近くにいて、女御の気配を慕い続けてくれなければならないというわけだったのです。》

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第六段 源氏元服(十二歳) ~その2

【現代語訳】2
 加冠役の大臣が、皇女でいらっしゃる方との間に儲けた一人娘で、大切に育てていらっしゃる姫君を、東宮からも御所望があったのをご躊躇なさることがあったのは、この君に差し上げようとのお考えからなのであった。帝にも御内意をお伺い申し上げなさったところ、「それでは、元服の後の後見する人がいないようなので、その添い臥しにでも」とお促しあそばされたので、そのようにお考えになっていた。

 侍所に退出なさって、参会者たちが御酒などをお召し上がりになる時に、親王方のお席の末席に源氏はお座りになった。大臣がそれとなく仄めかし申し上げなさることがあるが、気恥ずかしい年ごろなので、何ともご挨拶をなさらない。

 御前から掌侍が宣旨を承り伝えて、大臣に御前に参られるようにとのお召しがあるので、参上なさる。御禄の品物を、主上づきの命婦が取りついで賜わる。白い大袿に御衣装一領はしきたりのとおりである。

 お盃を賜る折に、

「 いときなきはつもとゆひに長き世を契る心は結びこめつや

(幼子の元服の折、末永い仲をそなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか)」

 お心づかいを示されて、念をおされる。

「 結びつる心も深きもつゆいひに濃きむらさきの色しあせずは

(元服の折、約束した心も深いものとなりましょう、その濃い紫の色さえ変わらなければ)」

と奏上して、長橋から下りて拝舞なさる。

 左馬寮の御馬、蔵人所の鷹を留まり木に据えて頂戴なさる。御階のもとに親王方や上達部が立ち並んで、禄をそれぞれの身分に応じて頂戴なさる。

 その日の御前の折櫃物や、籠物などは、右大弁が仰せを承って調えさせたのであった。屯食や禄用の唐櫃類など、置き場もないくらいで、東宮の御元服の時よりも数多く勝っていた。かえっていろいろな制限がなくて盛大であった。


《源氏の正室となる姫君が話題として登場します。この日の加冠役であり、弘徽殿方に対抗する左大臣が、自分の一人娘を、東宮から所望された返事を引き延ばしておいて、源氏に差し出すことを画策し、この元服の折の「添い臥し」(東宮・皇子などの元服の夜、公卿などの娘が選ばれて、添い寝をすること、またその娘。…後にその配偶者となる例が多い。~『辞典』)に、と帝のお許しを得たのでした。

左大臣とすれば、帝に差し出そうにも藤壺がいるし、東宮のところでは何と言っても右大臣の下に付くことになるし、それに弘徽殿女御が姑では心配だ、今をときめく源氏なら、臣籍といえども申し分ない、と考えたのでしょう。

酒宴となって源氏は親王の末席に着きますが、その下隣は臣下筆頭の左大臣です。帝の配慮なのでしょう。左大臣は早速源氏に「それとなく仄めかし申し上げなさる」のです。しかし源氏は、藤壺に対しては「ちょっとした花や紅葉にことつけても、お気持ちを表し申す」という具合だったのですが、返事をしません。

さすがに結婚となるとまだ幼くて「挨拶のしようを知らない」と『評釈』は言いますが、しかし、本当の理由はそうではなく、この次の節に書かれるように、そこには藤壺への思いが関わっていたのではないでしょうか。それは読者だけが知ることとして、作者はここでは知らん顔をして過ごしていると考えた方が、話が合うように思われます。

帝は、左大臣に禄を渡す折に、歌でその首尾を尋ねるのですが、作者はそれを「お心づかいを示されて、念をおされる(原文・御心ばえありて、驚かさせたまふ)」と書きます。左大臣にとって思いがけないお訊ねだったということです。

それは帝がそれほど源氏のことを気に掛けているということであり、左大臣からすればそういう源氏を婿とすることができるという点でいっそう喜ばしことであるでしょう。彼が庭で舞った舞は、もちろんこういう場合の帝へのお礼の形に則ったものですが、彼の本心からの喜びの舞で、文字通り、手の舞い、足の踏むところを知らず、というように感じられます。

下々への禄が庭に並べられますが、「置き場もないくらい」で、「東宮の御元服の時よりも数多く勝って」いました。それもこれもひたすら、どれほどの寵愛かを示し、そして源氏のすばらしさを強調しているわけです。》



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第六段 源氏元服(十二歳)~その1

【現代語訳】1
 帝は、この君の御童子姿をとても変えたくなくお思いであるが、十二歳で御元服をなさる。御自身お世話を焼かれて、定まったしきたりの上に、さらに儀式をお加えあそばす。

 先年の東宮の御元服が、紫宸殿で執り行われたのだが、その儀式がいかめしく立派であったという世の評判にひけをとらないようになさる。各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおりに奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に勅命があって、善美を尽くしてお勤め申した。

 お住まいの清涼殿の東廂の間に、東向きに椅子を立てて、元服なさる君のお席と加冠役の大臣のお席とが、御前に設けられる。儀式は申の時で、その時刻に源氏が参上なさる。角髪に結っていらっしゃる顔つきや、童顔の色つやは、髪形をお変えになるのは惜しい感じである。大蔵卿が理髪役を奉仕する。たいへん美しい御髪を削ぐ時、いたいたしそうなのを、主上は、「亡き母の御息所が見たならば」と、お思い出しになると、涙が抑えがたいのを、思い返してじっとお堪えあそばす。

 加冠なさって、御休息所にお下がりになり、ご装束をお召し替えになって、東庭に下りて拝舞なさる様子に、一同は涙をお落としになる。帝は帝で、誰にもまして堪えきれなされず、お悲しみの紛れる時もあった昔のことを、立ち返って悲しく思われなさる。このように幼い年ごろでは、髪上げして見劣りをするのではないかと御心配なさっていたが、驚くほどかわいらしさがお増しになっていらっしゃった。

 

《ここもなかなか微妙なところです。

帝は東宮の元服に劣らないように盛大に取りはからわれたとあるのですが、どうして帝はここまで源氏を飾り立てようとするのが、疑問に思ってしまいます。

もちろん源氏がかわいかったからなのですが、いくらそうだと言っても、歴とした東宮がいるのですから、これだけのことをすれば、表には出ないにしても東宮側が快く思わないだろうということは、当然予想されるでしょう。

もっとも、源氏はもう臣籍に下ったのですから、どれほど帝の寵を得ても、東宮と次の帝位を張り合う地位ではありません。だから帝は安心してかわいい源氏に存分の肩入れができるとも言えますが、東宮の気持ちとしては落ち着かないでしょう。

『評釈』は藤壺入内の頃に「在位が長年になったのだから、主上の権威は桐壺の更衣の死後当時より遥かに強大になっている」としていますが、それにしても単にかわいいというだけでのこうした扱いは、帝の偏愛ぶりはいかにも愚かしく思えます。

しかし、帝としては、そのようにしてこの源氏が決して並の臣下ではないことを、天下に知らしめておくことが、後々のために必要だと考えたのかも知れません。

そして実は作者にも、読者にそのように知らしめておく必要があったのです。

そのわけは、この後の第七段になって明かされます。》


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第五段 源氏、藤壺を思慕

【現代語訳】
 源氏の君は帝のお側をお離れにならないので、帝が誰より頻繁にお渡りあそばす御方は、恥ずかしがって隠れてばかりいらっしゃれない。どのお妃方も自分が人より劣っていると思っていらっしゃる方はあるはずもなく、それぞれにとても素晴らしいが、お年を召しておいでになるのに対して、この方はとても若くかわいらしい様子で、頻りにお姿をお隠しなさるが、源氏は自然と漏れ拝見する。

 母御息所は、顔かたちすらご記憶でないのだが、「大変によく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げたので、幼心にとても慕わしいとお思い申し上げなさって、いつもお側に参りたく、親しく拝見したいという気持ちにおなりである。

 主上もこの上なくかわいいいとお思いのお二方なので、「お疎みなさるな。不思議と若君の母君とお見立てしてもよいような気がする。失礼だとお思いなさらず、いとおしみなさい。あの人の母の顔だちや、目もとなどが、あなたに大変によく似ていたので、あなたが母君のようにお見えになるのも、似つかわしくなくはない」などと、お頼み申し上げなさるので、幼心にも、ちょっとした花や紅葉にことつけても、お気持ちを表し申しあげる。 

源氏がこの上なく好意をお寄せ申していらっしゃるのだが、弘徽殿の女御は、またこの宮ともお仲がよろしくないので、それに加えて、もとからの憎しみももり返して、不愉快だとお思いになっていた。

 帝が世の中にまたとないお方だとご覧になり、評判も高くおいでになる宮のご容貌に対しても、源氏はやはり照り映える美しさにおいては比較できないほど美しそうなので、世の中の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壺もお並びになって、御寵愛がそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げる。

 

《源氏は次の段で十二歳になるので、ここでは十一歳くらいでしょうか。藤壺の女御は後に源氏より五歳年上と解るので、この時十六歳くらいということになります。「主上即位後十何年かたっているから、女御更衣に三十代の人が多い。…当時の女盛りは十五、六歳からせいぜい二十歳前後まで、三十をすぎればおばアちゃんだ」(『評釈』)という中で別格の若さであり、美しさです。

 おまけに典侍が、亡くなった母更衣によく似ていると言い、さらに加えて帝が、故更衣のことも言い添えて二人をできるだけ近づけようとしますから、源氏の女御への関心はいやが上にもつのることになります。

 というところで、またしても弘徽殿の女御の批判的な視点が入ります。

しかし、こうした弘徽殿の存在も、意地悪ばあさん的な印象は、読者に決して与えません。それは悪役にも悪役にならざるを得ない必然性がこれまでにきちんと描かれて来たことによります。

繰り返せば、彼女の肩には一族の命運がかかっており、出自はよく入内も早く、しかも立派に第一皇子を産んでいるので、帝は客観的には最大の寵愛を向けてしかるべき人なのです。そうなっていないのはひとえに帝のわがままであるとも言えるので、こちらにも十分な正当性があるわけです。

ということは、弘徽殿方を主人公とすればそれなりに帝や更衣を悪役に描くこともできるということでもあります。

世の中の人間関係、社会構造はそういうものであるということを、作者がよく承知しているからできることなのでしょう。

源氏の方は、母か、あるいは姉を慕うような気持で藤壺に思いを寄せますが、藤壺の方にはそれなりに男に見えて、ためらいがあるようです。

そして周囲から見ても、やはり並べてみたくなる様子で、どうも親子という認識ではないような書きぶりです。》


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