源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 薫の物語

第五段 浮舟、薫らの帰りを見る

【現代語訳】

「この子に託して、とりあえず少しお伝えください」と申し上げなさると、手紙を書いてお与えなさる
「時々は山においでになって遊んで行きなさいね。縁のないことのようにお思いになってはならないわけもあるのです」と、お話しなさる。

この子は理解できないが、手紙を受け取ってお供して出る。

坂本になると、ご前駆の人びとがそれぞれ少し離れて、

「目立たないように」とおっしゃる。

 小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって、気の紛れることなく、遣水の螢だけを昔が偲ばれる慰めとして眺めていらっしゃると、いつものように遥か遠くに谷の見やられる軒端から、前駆が格別の先払いをしてたいそうたくさん灯している火の揺れ動く光が見えるといって、尼君たちも端に出て座る。
「どなたがおいでになるのだろう。ご前駆などもとても大勢に見える」
「昼、あちらに引干しを差し上げた返事に、『大将殿がいらっしゃって、ご饗応の事が急になったので、ちょうどよい時であった』と、言ったが」
「大将殿とは、今上の女二の宮の夫君のことでいらっしゃろうか」などと言うのも、とてもこの世離れして、田舎じみていることよ。

ほんとうにそうなのであろうか、時々、このような山路を分けていらしたとき、はっきりその人と聞き分けられた随身の声も、ふと中に混じって聞こえる。
 月日の過ぎ行くままに、昔のことがこのように忘れられないでいるのも、

「今さらどうなることでもない」とつらい気持ちになるので、阿弥陀仏に思いを紛らわして、ますます無口になっている。横川に行き来する人だけが、この近辺では身近な人なのであった。

 

《僧都が童を誉めたのを聞いて、もう今日は仕方がないと帰ろうとしていた薫が、すかさず「この子に託して…」と最後の一押しをします。

すると、何と、僧都は、急転直下、あっさり手紙を書いてくれたのでした。

一体何があったのでしょうか。「申し上げなさると」と「手紙を書いてお与えなさる」の間に何の説明もないのが不思議です。この子に手紙を託すというアイディアが、どうしてこれほどに彼の気持ちを変えたのか、よく分かりません。

僧都は手紙を渡して、童にやさしく語りかけます。この子は、とっくに、薫が改めて語り始める最初(前段冒頭)にすでに僧都に「この子が、あの女人の近親なのですが…」と紹介しているのですが、その時には僧都にはなんの反応もありませんでした。それを、今ことさらにこういうふうに書かれると、どうしたのだろうと思ってしまいます。『評釈』も戸惑ったふうに「この子をものにしたい気でもあるのか」と言いますが、まさか…。

しかしそんなことまで考えさせるくらいに、やはりどうも、何か変です。

が、それは読者の方の話で、薫にとっては手紙さえ書いてもらえばいいわけです。彼はそれを童に持たせて、小野の里に下って行きました。

もう日も暮れて、一行の松明の灯りが揺れながら通って行きます(次の段で、薫は今日は寄らないで帰るのだということが分かります)。

庵では何ごとかとみんなが端近に出てざわめきます。

そう言えば、今日昼にお山に薫大将様がおいでだったそうですから、あの方のお通りなのでは…、という話を聞いて浮舟の胸はどきりとしました。

そうするうちに次第に近づいてくると、なんとその中に、宇治で聞き知った薫の随身の声が聞こえるではありませんか。彼女は思わず違っていてほしいと(いや、そうであってほしいと思わなかったでしょうか)、「阿弥陀仏」を唱えて、身を縮めます。

この道を通る人は、横川へ往来する人以外にはないのです、と作者は念を押します。もう薫の一行に間違いないという意味なのでしょう。そんなことは読者には分かったことですが、ここは浮舟の気持を言っているのであって、原文では「なむ…ける」の強意と「気付き」の表現が、彼女の驚きを表現しています。》

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第四段 薫、僧都に浮舟への手紙を求める

【現代語訳】

 あの弟御の童をお供として連れておいでになっていた。他の兄弟たちよりは器量もよく見えるその子を呼び出しなさって、
「この子がその人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。お手紙をちょっとお書きください。誰それがということではなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」とおっしゃると、
「拙僧は、この案内役になってきっと罪障を負いましょう。事情は詳しくお話しいたしました。今は、ご自身でお立ち寄りあそばしてしかるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」と申し上げなさると、にっこりして、
「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。私は、在俗の姿で今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。
 幼い時から、出家を願う気持ちは強くありましたが、母三条宮が心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、俗事にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごしますうちには、また断れない事も次々と多く加わって過ごしておりますが、公私ともに止むを得ない事情によってこうしていますものの、それ以外のところでは、仏がお制止になる筋のことを少しでも聞き及んでいることは何とか守り抜こうと、身を慎んで、心の中は聖に負けませんのに、ましてや、ちょっとしたことで重い罪障を負うようなことなどは、どうして考えましょうか。まったく有りえないことです。お疑いなさいますな。ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというだけで、きっと嬉しく気が休まりましょう」などと、昔から深かった道心をお話しなさる。
 僧都も、なるほどと、うなずいて、
「ますます尊いことです」などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、
「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」と、思いあぐねてお帰りになるときに、この弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。

 

《薫は、帰ることにはしたものの、帰り際に、「別の道を案出した」(『評釈』)ということのようです。

 連れてきていた浮舟の弟を僧都に見せて、あなたが案内できないのなら、この子に手紙を持って行かせたい、ちょっと手紙を書いてくれないか、と言い出しました。

 しかし僧都は、それでも出家の身の自分がそういう男女のことに関わることはできないと、断り、一方で「今は、ご自身でお立ち寄りあそば」すのに「何の差支えがございましょう」と言うのですが、これがちょっとよく分かりません。

『講座』所収「横川僧都の消息」は、戒を冒しての、正当ではない出家だった(第一段)のだから、もう「その夫の資格で」立ち寄るのは構わないと言っているのだと言います。しかしそれなら、前段ですでにそれは言えたことだったでしょう。

僧都は、浮舟の心が乱れることを気にして薫を案内するのを見合わせたはずで、ここのように、自分の罪障になるから案内できないが勝手に行くのは構わないというのでは、ひとえに彼女のために戒を冒してまでも出家させた彼らしくなく、初めに描かれていた高徳の相貌とはずいぶん異なる考え方ではないかと思われます。

結局、薫のような人がそこまで言うのなら、自分などではもはや止めることはできない、ということで、ただ少なくとも自分が手引きをすることはしないでおきたい、ということのように見えます。

 一方、では薫はなぜ自分では行かれないのかと言えば…、じつはそこのところは語られていませんが、確かに薫のような人がいきなり乗り込んでいくのはいかにも唐突で、匂宮ならやったかも知れませんが、手順を踏んでなるべく穏やかに自然に事を運ぼうとする薫のやりかたではないとは言えそうです。

 ともあれ、彼は何とか僧都の手紙を得たいと、まず僧都の疑念を晴らすために語ります。

私は「幼い時から、出家を願う気持ちは強く」あり、ただ諸般の事情でそれができないで来ただけで、普段から仏の戒めを守り「身を慎んでいて」、気持ちとしては「心の中は聖(修行に専念する私度僧・『集成』)に負け」ないつもりでいるくらいだから、決して色恋を引きずってあの人に会いたいのではない、ただただ母親に様子を伝えてやりたいだけなのだ、…。

 話を聞いて僧都は感心しました。そこで手紙を書いた、というのなら、話は簡単ですが、しかし、それでも手紙を書こうとは言いませんでした。そうこうしているうちに「日が暮れてしまっ」て、薫は、今日は本当に帰るしかないと、腰を上げます。

 その時になって、ちょっと変なのですが、初めて僧都は薫の後ろにいた(であろう)童を見たようです。僧都は思わず(でしょうか)その子を誉めました。そして、…。》

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第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼

【現代語訳】

そうであるらしいとちらっと聞いて、ここまでお聞き出しになったことではあるが、

「てっきり死んだ人として思い諦めていた人だが、それでは、本当は生きていたのだ」とお思いになると、夢のような気がしてあきれるほどのことなので、抑えることもできずに涙ぐまれなさったのを、僧都が立派な態度なので、

「こんな気弱い態度を見せてよいものか」と反省して、さりげなく振る舞いなさるが、

「このようにお愛しになっていたのを、この世では死んだ人と同然にしてしまったことよ」と、過ったことをした気がして、罪深いので、
「悪霊にとり憑かれていらっしゃったのも、そうなるべき前世からの因縁なのです。思うに、高貴な家柄の姫君でいらしたのでしょうが、どのような間違いで、このようにまでひどい身の上におなりになったのでしょうか」と、お尋ね申し上げなさると、
「一応は皇族の血筋というべきであったでしょうか。私も、初めから特別に重く思っていたわけではありませんで、ふとしたことで世話をするようになりましたが、また一方で、このようにまで落ちぶれてよいような身分の者とは思いませんでした。不思議にも行方も知れずいなくなってしまったので、身を投げたのかなどと、いろいろとはっきりしないことが多くて、確かなことは、聞くことができなくて。
 罪障を軽くしているので、とても良いことだと安心だと私自身は思いますが、その母親に当たる人が、ひどく恋しがって悲しんでいるそうなので、このように聞き出したと知らせてやりたいのですが、何か月も隠していらっしゃったご趣旨に背くようで、何かと騒々しくなりましょうか。親子の間の恩愛は絶ち切れず、悲しみを堪えることができずに、きっと尋ねて来ますでしょう」などとおっしゃって、そうして、
「まことに不都合な案内役とはお思いになりましょうが、あの坂本に下山なさってください。ここまで聞いて、いい加減に見過ごしてよいとは思えない人ですので、夢のようなことも、せめて今なりと話し合おう、と思うのです」とおっしゃる様子は、いかにもつらくお思いのようなので、
「尼姿になり出家をしたと思っていても、髪や鬢を剃った法師でさえおかしな気持の消えない者もいるという。まして、女人の身ではどのようなものであろうか。お気の毒にも、罪障を作ることになりはしないだろうか」と、困った依頼を受けたものだと心が乱れた。
「下山することは、今日明日は差し支えがあります。来月になって、お手紙を差し上げましょう」と申し上げなさる。まことに頼りないが、「ぜひ、ぜひ」と、急に焦れったく思うのも、みっともないので、

「それでは」と言って、お帰りになる。

 

《初めの「ちらっと聞いて」は最初に小宰相から僧都の話を伝えられた時(手習の巻第六章第六段)のことでしょう。それから中宮に会ってさらに情報を仕入れ、そして今、僧都から「ここまで」聞き出したのでした。

彼は浮舟の死については、初めから何か変だという気がしていた(蜻蛉の巻第四章第一段)のですが、こうして僧都の話で、小宰相の言っていたように、実は浮舟が生きていて、しかも物の怪に取り憑かれ、出家までしてしまっているということが確かな事だとなってみると、「夢のような気がしてあきれるほど」で、涙が抑えられません。

 僧都は、信じる道を行った(のだと思いますが)とは言え、そういう薫の様子を見ると、やはり忸怩たる思いが湧きます。

こういう場合言えることは「そうなるはずの前世からの因縁(原文・さるべき前の世の契り)」ということしかありません。それにしても一体どういうことでそういうことにおなりになったのでしょうか、と今度は僧都が訊ねることになりました。

 しかし薫は浮舟失踪の理由をしっかり理解しているわけではありません。実は「適当な処遇は与えるつもりでいた人だ」(『集成』)とほのめかしておいて、「不思議にも行方も知れずいなくなってしまった」と言うしかありません。

 それは世話をしていた高位の貴公子としては、少なからず面目ないことで、これ以上あまり詮索されたくないことでもあり、一方でやはり浮舟に会ってもみたいと思いますから、彼は話を今後の相談の方に向きを変えます。

出家したのなら、それはそれで私は「とても良いこと」だと思うけれども、悲しんでいる母親がかわいそうで、ことの様子を話すだけはしてやりたいと思うが、もし話せば、必ずここにやって来るだろう、それは「ご趣旨に背くようで、何となく騒々しく」なりはしないだろうか、…。

といって、このまま「いい加減に見過ごしてよいとは思えない人」で、私も一度は会わないわけにはいかないし、私が本人と話して、その上で母には私からでも話をした方がいいのではないか、と思うので、「僧侶にはにつかわしからぬ役割」(『集成』)でたいへん済まないが、その者のいるところに私を案内してはくれないか、…。

そう言う薫の姿が「いかにもつらくお思いのようなので」、そうしてあげなくてはならないような気もするのですが、そういう関りのあるこのような貴公子を会わせれば、せっかく覚悟を決めたあの娘の心が、またどんなに乱れないとも限らない、と考えた僧都は、ともかくしばらくのご猶予を、と答えました。

 薫も、ひとえに母親のためにと言った手前からも、そうそう急いでいるように見られては体面が保てませんから、ともかく今日は、事の成り行きが分かったことを収穫として、引き下がることにします。》

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第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る~その2

【現代語訳】

「母親が今にも死にそうなのは差し置いて、介抱して心配しておりました。この人も、お亡くなりになっているような様子ながら、やはり息はしていらっしゃいましたので、昔物語に、遺体安置所に置いておいた人の話を思い出して、そのようなことであろうかと、珍しがりまして、弟子の僧の中で効験のある者どもを呼び寄せては、交替で加持させたりしました。
 拙僧は、惜しむほどの年齢ではなくても母親が旅の途上で病気が重いのを助けて、念仏を心乱れずさせようと、仏にお祈り申しておりましたときなので、その人の様子は、詳しくは拝見せずにおりました。事情を推察しますに、天狗や木霊などのようなものが誑かしてお連れ申したのか、と話を聞いて思っておりました。
 助けて京にお連れ申して後も、三か月ほどは死んだ人のようでいらっしゃいましたが、拙僧の妹で、故衛門督の北の方でございました者が、尼になっておりますのが、一人持っていた女の子を亡くして後、月日はずいぶん過ぎましたが、悲しみを忘れず嘆いておりましたところ、同じ年くらいに見える人で、このように器量もとても端整で美しい方をお見つけ申して、観音が授けてくださったと喜んで、この人をお死なせ申すまいと、一生懸命になりまして、泣きながら熱心に救ってほしいと懇願申されましたので、後に、あの坂本に拙僧自身で下山しまして、護身などを修法いたしましたところ、だんだんと生き返って普通にお戻りになりましたが、『やはり、このとり憑いた物の怪が身から離れないような気がする。この悪霊の妨げから逃れて、来世を祈りたい』などと、悲しそうにおっしゃることがございましたので、法師の勤めとしてはお勧め申すべきことと存じまして、確かに出家させ申し上げてしまったのでございます。
 まったく、お世話なさるはずの方とは、どうして何もなしに分かりましょう。珍しい事の様子ですので、世間話の種にもしそうなことでしたが、噂になって厄介なことになってはいけないと、この老女どもがあれこれ申して、この何か月間は黙っておりました」と申し上げなさると、

 

《ここから僧都は、「女に敬語をつけて」(『評釈』)話し始めます。女一の宮のところで浮舟の話をしたときは、敬語はありませんでした。

前節から続く話ですが、前節で言いさしたところから、ここへはうまくつながりません。いきなり「介抱して」と言われても、薫は何の話か分からないのではないかと思われます。『集成』が言うように「省筆に従う」ということなのでしょうが、それにしてもこういう話しの継ぎ方はしないものではないでしょうか。

前にも言いました(手習の巻第六章第四段)が、こういう細かなちぐはぐは光源氏の話のころにはあまりなかったことのように思われて、作者が異なるのではないかという話があることも、分かるような気がします。

 次に僧都は、自分は母のために祈っていたので、「その人の様子は、詳しくは拝見せずにおり」、その人のことは、もっぱら「弟子の僧の中で効験のある者」に加持させていたと、私たち読者の知る事実とは違った話をします(手習の巻第一章第三段)。

 『評釈』は、「僧都が薫の愛人を見ていないと言えば、対座する薫の心は少しおさまる」と考えたのだろうと言います。必要と考えれば、戒を破ってでも浮舟を出家させた(前段)ように、ここでも事実よりも薫の安心を優先したということでしょうか。ただそれは、結果的に裏側で保身につながっているように見える分だけ、不純なものに見えますが、悪人正機の考え方は、そういうことも包摂してしまうのかもしれません。

 以下の僧都の話は、おおむね事実を語りながら、その一つひとつが薫の安心を得るように語られていると、『評釈』が縷々解説しています。

 あなたは「私が死なせてしまったように、恨み言を申す人がお」るようにおっしゃるが、あの時の様子では「天狗や木霊などのようなものが、誑かしてお連れ申した」ように思えて、人知の及ばない出来事のように思われました、

「死人同然であった(方を)…生き返らせたのは私たち兄妹の力」、その方が「とり憑いた物の怪…の妨げから逃れて、来世を祈りたい」とたっておっしゃるので、「法師の勤めとして」やむなく出家させ申しました、

あなた様が「お世話なさるはずの方」なら、私ごときがそんなことをしなくても、他に手立てがあったかも知れませんが、知る由もなかったことでした、

本来なら身元を調べたりして、探り当てるべきだったかもしれませんが、ただでも格好の噂の種になりかねない出来事で、「この老女どもがあれこれ申し」ましたので誰にも話さないままに、今日に至ってしまいました、…。

読者としては、必ずしもその都度この僧都の話のように考えられて出来事が進んできたのではなかったような気もしますが、しかし薫が聞けば、なるほどやむを得ないことだったのだと、不快でなく得心の行く話になっているように思われます。すべては薫の心の安寧が第一で、それが宗教の務めだということのようです。

「遺体安置所に置いておいた人の話」というのは、「死んだと思われた人が蘇生したという物語があったのだろう」と『集成』が言います。生と死の境は現在でも難しいのですから、当時にあっては、夕顔や葵上の死の場面を私たちが読むと何度も死んだように読める書き方になるように、現実の場面でもあいまいなところがあったのだと思わされます。》

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第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る~その1

【現代語訳】

僧都は

「やはりそうであったか。普通の人とは見えなかった姿であったよ。このようにまでおっしゃるのは、並々にはお思いでいらっしゃらなかった人なのであろう」と思うと、

「法師の身とは言いながらも、考えもなく、すぐに尼姿にしてしまったことよ」と、胸が潰れて、お答え申し上げることに思案なさる。

「確かなことを聞いていらっしゃるのだろう。これほどにご承知で、お尋ねなさるのに、隠しきれるものでない。なまじ無理に隠そうとするのも、具合の悪いことであろう」などと、しばらく考えて腹を決めて、
「どのようなことでございましょうか。ここ何か月か、内々に不審に存じておりました人のお身の上のことでしょうか」と言って、
「あちらにおります尼たちが、初瀬に祈願がございまして、参詣して帰って来た道中で、宇治院という所に泊まっておりましたところ、母親の尼の疲労が急に出て、ひどく患っていると報せに、人がやって来たので、 下山して出向きましたところに、いきなり不思議なことが」と声をひそめて、


《途中ですが、ここで切ります。

僧都は、思ったとおりあの娘は普通の人ではなかったのだ(手習の巻第五章第五段)と納得すると同時に、そうだとすると、大変なことをしたようだと、言葉に詰まりました。

理屈を言えば、欠格授戒の問題は、薫と縁のあるなしに関わらないことのはずですが、この僧都といえども、やはり薫の地位の方が先に気になったようです。それは、そういうことを気にしないでいて、なお立派な僧都、というものを作者が想像し得なかった、ということなのでしょう。むしろ、立派な僧なら当然気にすべきで、そうでなければ変なひねくれものだ、と考えるのでしょう。

僧都は、「胸が潰れ」たと言っても、自分としては間違ったことをしたとは思っていないのかも知れません。悪人正機に近い考え方をする(手習の巻第一章第四段)この人にとっては、このくらいの規則違反よりは、その時の当人の救いの方が大切だと考えても、それほど不思議ではなさそうです。

彼にとって、そういう世間的罪は何ほどのことでもなく、それよりも、目の前の権大納言と娘のあり方の方が、娘の救いに直接関わる、より大きな関心事だったとも思われます。

彼は、少し考えて、その娘の話を包み隠さず話せばいいのだと思ったようで、穏やかに事情を語ります。

その話の中で、宇治院というところに泊まって」いた時に「母親の尼の疲労が急に出」たと言いますが、実はそうではなくて、その前の「奈良坂という山を越えたころから」だったはずです(手習の巻頭)。作者は、どうしてこういうどうでもいいところでこんな食い違いを語らせるのだろうという気がしますが、考えてみると、こういう記憶違い、思い違いは普通によくあることで、あまりきっちり首尾が整っているよりも、この方が、使いの者の話を動揺しながら聞いた感じも出て、現実味が増すような気もします。》

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