【現代語訳】
主人の尼が、この君にお話を少し申し上げて、
「物の怪のせいでしょうか、普通の様子にお見えになる時もなくずっと患っていらっしゃって、お姿も尼姿におなりになりましたので、お探し申し上げなさる方があったら、とても厄介なことになるだろうと、拝見し嘆いておりましたがその通りに、このようにまことにおいたわしく、胸打つご事情がございましたのを、今は、まことに恐れ多く存じております。
常日頃も、ずっとご病気がちでいらしたようなのですが、ますますこのようなお手紙に気持ちがお乱れになったのか、いつも以上に分別がなくおいでで」と申し上げる。
山里らしい趣のある饗応などをしたが、子供心には、どことなくいたたまれないような気がして、
「わざわざお遣わしあそばされたそのしるしに、何をご報告申し上げたらよいのでしょう。ただ一言でもおっしゃってください」などと言うので、
「ほんとうですこと」などと言って、これこれです、とそのまま伝えるが、何もおっしゃらないので、しかたなくて、
「ただ、あのように、はっきりしないご様子を申し上げなさるのがよいのでしょう。雲の遥かに隔たった場所でもないようですので、山の風が吹いても、またきっとお立ち寄りなさいますように」と言うので、何もないままに日暮れまでいるのも妙な具合なので、帰ろうとする。
ひそかにお会いしたいと思っていたお姿も、会うこともできずに終わったのを、気にかかる残念な気持ちで、心ゆかぬまま帰参した。
早くとお待ちになっていたが、このようにはっきりしないまま帰って来たので、期待が外れて、
「かえって遣らないほうがましだった」と、お思いになることがいろいろで、
「誰かが隠し置いているのであろうか」と、ご自分の想像の限りを尽くして、放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。
《「主人の尼」は、諸注、尼君を指すとしています。『集成』本の原文は「主」とあって、あるじ、とルビがあり、以前、この母子の尼の素性を紹介するところ(手習の巻第二章第五段)では、「主人(同じく、あるじ、とルビ)」とあって、母の老尼君のことでしたので、ここも一瞬、あの老尼かと思われますが、それにしては話がしっかりしていますから、どうも違うようです。あれから今までの間に実質的代替わりがあったようです。
尼君は、浮舟をにらんでいても仕方がないと考えたのでしょうか、とうとう小君に、物の怪のせいでまともな対応ができないことにして、何らかの了解を得ようと考えました。
せめて何とか懐柔をということでしょうか、「山里らしい趣のある饗応など」もしますが、この童は意外に硬派で、薫君が私をお遣わしになった甲斐があるように、「ただ一言でもおっしゃってください」と粘ります。
尼君も、それは当然の気持ちを、また振り返って浮舟に声を掛けたようですが、やはりそれへの返事はありませんでした。
さすがにもはやこれまでと、尼君は、ありのままをお伝え下さいと断るしかありません。都から雲のかなたというわけではありませんから、ぜひまた来てくさい、あるいはその時は、いくらかでも気持ちが和らいでいるかもしれませんから、…。
『構想と鑑賞』は「この頃の浮舟は、まるで大い君の再来を思わすほど、志操が堅牢である。かくて温かい人間的な物のあわれを知らぬ身となって、冷徹・幽遠な非人情的物のあわれを作り出している」とし、その姿を「作者の理想の反映とみる」と言います。
それは、浮舟が僧都に出家を願った時(手習の巻第四章第七段)でも評されていたことですが、あの時と同様に、ここの彼女の姿も、志操堅牢と言うには、あまりに悲哀に満ちていないでしょうか。彼女は今、自分は素性を明かして小君に会うことはできないのだと自らを追い詰めて、必死で穴に閉じこもっている、といった状況にあるように見えます。
小君は、自分自身も残念な気持ちのまま、むなしく帰るしかありませんでした。
薫は、首を長くして待っていたのですが、その返事は、なんともはっきりしないものでした。
彼には、浮舟がどうして小君に会おうとしなかったのか理解できません。つまり、彼には浮舟の苦悩が分かりませんでした。
そういう中で彼が「(宇治に)放ってお置きになった経験から」一つの可能性として抱いた、あの浮舟は、あそこに「誰かが隠し置いているのであろうか」という思いは、実は、諸家に大変に不評で、例えば『構想と鑑賞』は「薫の心境の、何という凡俗極まることか。…何人かに隠しすえられたのかと思うに至っては、低劣な俗物的心情であり、…」と酷評しています。
しかし、普通に考えて、薫は浮舟の気持ちや考えを聞く機会が一度も持てなかったのですから、分かり様がないという気もします。
しばらく会わないでいる中でいきなり死んだと聞かされ、不審に思いながら一周忌をすませたころになって、どうも生きているらしいと言われ、それではと尋ねさせると、人違いではないかと言われて使いが帰って来る、すべてが聞き伝えの話の中で、今、薫は、何も分からないままに、つくねんと座り込んでいます。
物語の幕が下りました。
光源氏誕生から、薫二十九歳のここまで、およそ七十七年の時代を読み来たって、様々な人物の生きざまが思い返され、あたかも、私自身が一つの歴史の中を歩いて来たような感覚があります。
それらのことどもについて、次回から、いささか長すぎる「あとがき」として、「余段」を数回、勝手に様々な思いを語らせてもらおうと思います。もしよろしければ、今しばらくお付き合いください。