源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 浮舟の物語(五)

第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る~その2

【現代語訳】

 こちらにも言葉をお掛けになった。
「 おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ

(一般の俗世間をお捨てになったあなたですが、私をお厭いになってのことのようで、わが身がつらく思われます)」

心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。
「兄妹とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、心の慰めとしましょう」などと言い続ける。
「深いお心からのお話など、分かるはずもないのが残念です」と答えて、この「厭ふ」という歌への返事はなさらない。

「思いもかけない情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって世間から忘れられて終わりたい」という様子でいらっしゃる。
 だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらっしゃったのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもなく、他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。

雪が深く降り積もって人目もなくなったころは、ほんとうに心のやり場がないのだった

 

 

《中将は、尼君に話しても埒が明かないと考えたのか、もちろん尼君を通してですが、浮舟に語りかけます。

 「兄妹とお考えください(原文・はらからとおぼしなせ)」などと話しかけるのですが、浮舟は、もうまったくそういう気持はありません。『評釈』は「次元のちがうところにいるのである」と言い、『構想と鑑賞』に至っては、「『はらからとおぼしなせ』などというのも、甚だ不届きな料簡でもあり、滑稽でもある。思うに、も早、こんな人間を登場さす必要はないであろう」と切って捨てます。確かに、尼でも構わないから自分のものにしよう(前段1節)などと考えるのは、この人の素直さ(第三段)にはそぐわないことで、ここでの登場は、最早ない方がよかったようにも思われます。

 「深いお心からのお話など、分かるはずもない」と浮舟は言いますが、実は逆に浮舟の「深い」心が中将に分からないのであって、浮舟は、我が身を振り返って、中将の歌の言うように、今やこうして男性から言い寄られること自体を「ほんとうに厭わしい」という思いになっているのです。まさか、おっしゃる通りですとも言えないからでしょうか、彼女は返歌をしません。

ともあれ、この物語の中での中将の登場はここまでです。振り返ってみると、彼の役割は、ここの彼自身の歌が言っているように、一度は死を決意した浮舟に、蘇生の後、出家を決断させる契機となり、その姿を見届けることにあったようです。

 この人がもう少し重みのある人物であったら、それこそ、光源氏の物語を超えた大河ドラマが生まれたかもしれませんが、もう作者にそういう意図はなかったということでしょうか。

 さて「枯木などのようになって」生きたいという思いの浮舟にとって、出家はずいぶんと心休まるものになったようです。 

「ふさぎこん」でいた気持ちも「少し」晴れて、「冗談」さえ交わし大変普通の暮らしができるようになってきました。仏道修行も、他の尼たちを見習って、ということでしょうか、たいへん熱心にお勤めします。

 といっておいて、いきなり、雪の頃になると「ほんとうに心のやり場がないのだった(原文・げにぞ思ひやるかたなかりける)」というのは、どういうつながりになるのでしょうか。

「げにぞ」は引き歌があることを思わせると諸注が言い、『評釈』は「寂寥の思いをはらいのけるすべ」がないのだと注していて、雪に閉じ込められた暮らしをそのように感じるのは、普通には当然の思いだと言えます。

それはそうですが、ここでは先に「世間から忘れられて終わりたい」という気持で山里の暮らしに「少し気分が晴れ晴れとして」きたことを述べた直後ですから、普通なら、「人目もなくなった」けれども、気持ちは澄んできた、とかいうことになるところではないでしょうか。それなら、次の最後のドラマにうまく切り替わるフェイドアウトにもなるような気がするのですが、どうもちょっともやもやとした暗転です。》

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第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る~その1

【現代語訳】

「これほどの様子をした人を失って、探さない人があっただろうか。また、誰それの人の娘が行く方も分からないで見えなくなったとか、もしくは何か恨んで出家してしまったなど、自然と知れてしまうものだが」などと、いくら考えても不思議なことだと思う。
「尼であっても、このような様子をしたような人は嫌になることもなかろう」、など、かえって一段と見栄えがして気がかりになりそうなので

「世間に知られぬようにして、やはり自分のものにしてしまおう」と思うので、真剣に話しかける
「普通の男女の時にはご遠慮なさることもあったでしょうが、このような姿におなりになっておしまいになったなら、気がねなく申し上げられそうです。そのようにお諭し申し上げてください。昔のことが忘れがたくて、このようにやって参ったのですが、さらにまた、もう一つの気持ちも加わりまして」などとおっしゃる。
「まことに将来が心細く、不安な様子でございますので、まじめなお気持ちでお忘れにならずお訪ねくださることは、とても嬉しく忘れずにおりましょう。亡くなりました後は、不憫に存じられることです」と言って、お泣きになるので、

「この尼君も遠縁に当たる人なのであろう。誰なのだろう」と思い当たらない。
「将来のご後見は、寿命のほども分からず頼りない身ですが、このように申し上げました以上は、けっして変わらないでしょう。お探し申し上げなさるような方は、本当にいらっしゃらないのですか。そのようなことがはっきりしませんので、気がねすべきことでもございませんが、やはり水くさい気がしてなりません」とおっしゃると、
「人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら、もしや探し出す人もございましょう。今は、このような生活に心を決めている様子です。気持ちの向きも、すっかりそのように見えます」などとお話しになる。


《引き下がって、またひとしきり彼は考えます。

これほどに素晴らしい人だが、いったいどういう人なのだろうとたいへん心惹かれて、あげくに、ともあれこんなに美しい人なら、たとえ「尼であっても…嫌になることもなかろう(原文・うたてもおぼえじ)」、それどころか、尼姿になって「かえって一段と見栄えがして」、このまま縁がなくなっては、今後ずっと「気がかりになりそう」だから、いっそ「自分のものにしてしまおう」と考えて、「真剣に話しかける」ことになってしまいました。といっても、思ったとおりの話ができるわけではありません。男女の間柄としてではないことを強調します。

 普通の男女の間柄としてだったなら、この方は、関係があったであろう前の男とのこともあって「ご遠慮なさることもあったでしょうが」、今ではそういうことは気にしないくていいのだから、その憚りもないだろうし、私の方も、亡くなった姫への思いで通って来ていたのですが、さらに新しくこの方への思いも加わって、ここがいっそう親しみ深く思われるようになって、お近づきになりたいと思うようになりました。ぜひ、そういう気持をよく話して差し上げて下さい、…。

 尼君も、まさか尼僧を相手に「自分のものにしてしまおう」などという魂胆とは思わず、「まじめなお気持ち」で世話をしてくれるなら、こんな安心なことはありませんと、大変喜びます。

喜びながら、不憫さに泣いている尼君を見て、「中将には、この尼君の泣く理由がよくわからない」(『評釈』)ようです。「娘でないあの人のことを、それほど心配しているとすれば」(同)、いったいどういう人なのだろう、彼は「以前婿であった関係から、尼君一族の親族関係を知っているが、その中に心当たりがない」(『評釈』)のです。知らない人をそんなふうに思うなどあり得ないだろうが、どうして話くれないのだろう、…。

 しかし、尼君はひとえに娘の身代わりと思っているだけで、もとより素性を知りませんし、まさか拾って来たとも言えないでしょうから、それには答えようがありません。》

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第七段 中将、小野山荘に来訪~その2

【現代語訳】

言ってもはじまらないお方のことを、やはり際限もなくおっしゃって、
「出家なさった姿を、少し見せよ」と、少将の尼におっしゃる。
「せめてそれだけでも、約束したことの証とせよ」とお責めになるので、入って見ると、わざわざとでも人に見せてやりたいほどの姿をしていらっしゃる。薄鈍色の綾、その下には萱草色などの澄んだ色を着て、とても小柄な感じで、姿つきが美しく、はなやかなお顔だちで、髪は五重の扇を広げたようで、豊かな裾である。
 こまやかに美しい顔だちで、化粧を念入りにしたように、明るくつやつやとしていた。お勤めなどをなさるにも、やはり数珠は近くの几帳にちょっと懸けて、お経を一心に読んでいらっしゃる様子は、絵にも描きたいほどである。
 ちらっと見るたびに涙が止めがたい気がするのを、

「まして懸想をなさっている男は、どのように拝見なさるだろうか」と思って、ちょうどよい機会だったのか、障子の掛金のところにあいている穴を教えて、邪魔になる几帳などを取り除けた。
「とてもこれほど美しい人だとは思わなかった。全く理想的な人だったのに」と、自分がおかした過ちのように惜しく悔しく悲しいので、抑えることもできず、気も狂わんばかりの気持ちを感づかれては困るので、引き下がった。

 

《すでに出家してしまった人についていまさら恨み言を言っても始まらないのですが、中将は言わずにいられない気持ちのようです。

 中将はまたしてもあの約束(第五章第三段1節)を持ち出して、ぜひ一度会わせてくれるように少将に迫ります。

 しかたなく少将が部屋に行って見ると、そこには「わざわざとでも人に見せてやりたいほどの美しい姿」の若い尼僧姿の浮舟がいました。

 ここを読むと、少将はこの時初めて出家後の浮舟の姿を見たかのように思われますが、尼君の留守中ずっと世話をしていたのですから、何度も姿を見る機会があったに違いないので、ここではその時とは違って、美しかったということなのでしょうか。

 剃髪した当座は、「尼姿を見せるのもとても気が引けて、髪の裾が、急にばらばらになったように、しかもだらしなく削がれて」(第二段)いたのでしたが、この七日あまりの間(僧都が女一の宮の物の怪調伏の修法に要した期間。初めは七日間の予定でした(第四章第八段)が、少し延長されました・(第五章第四段))に、彼女の姿も気持ちもすっかり変わったようです。

 中将は少将が細工をしてくれた「障子の掛金のところにあいている穴」から、その浮舟の姿を首尾よくのぞき見ることができました。そしてそのあまりの美しさに、「自分がおかした過ちのように」思って、「気も狂わんばかり(原文・もの狂おしきまで)」(ちょっとオーバーな気がしますが)の気持になってしまいました。彼は、そんな気持ちが知れたら、ますます近づけなくなると思ったのでしょう、その気持ちを隠そうと、引き下がったのでした。

 途中、「お勤めなどをなさるにも(原文・行ひなどをしたまふ)」は気になる言い方です。ここは少将が部屋に行って、浮舟の現に見えているその場の姿を語っているところなのですが、「行ひ」をしながら他のことをすることはないはずで、「など」というのは変です。少将の目を借りて読者に浮舟の美しさを語る形のところに、つい作者の説明が紛れ込んだのでしょう。ここは『評釈』の訳ですが、「など」とあるから「にも」と加えたのでしょうが、それでますます他のこともしているようなことになりました。》

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第七段 中将、小野山荘に来訪~その1

【現代語訳】

 今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに、お立ち寄りになった僧都も、
「ああ、山伏は、このような日には、声を出して泣けるということだ」と言うのを聞いて、

「私も今では山伏と同じだ。道理で涙が止まらなかったのだ」と思いながら、端の方に立ち出て見ると、遥か遠く軒端から、狩衣姿が色とりどりに混じって見える。山へ登って行く人だといっても、こちらの道は行き来する人もたまにしかいない。黒谷とかいう方面から往来する法師だけがまれには見られるので、俗世の人の姿を見つけたのは場違いに珍しいが、あの恨みあぐねていた中将なのであった。
 甲斐がないと分かっていることで言おうと思ってやって来たのだが、紅葉がたいそう美しく、どの色も他の紅葉に色を染め足したよう色なので、入って来るなり感慨深いのであった。

「ここに、全く屈託なさそうな人を見つけたら、奇妙な気がするだろう」などと思って、
「暇があって、何もすることのない気がしましたので、紅葉もどのようなものかしらと存じまして。やはり、昔に返って泊まって行きたい紅葉の木の下ですね」と言って、外を見やっていらっしゃる。

尼君が、例によって涙もろくて、
「 木がらしの吹きにし山のふもとには立ち隠るべき蔭だにぞなき

(木枯らしが吹いた山の麓では、もう姿を隠す場所さえありません)」
とおっしゃると、
「 待つ人もあらじと思ふ山里のこずゑを見つつなほぞ過ぎ憂き

(待っている人もいないと思う山里の梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです)」

《「一日中吹いている風の音もとても心細い」は、「松門に…」(前段)に続く詩句「柏城尽日に風蕭瑟たり」に応じたものだそうで、引き続き「陵園妾」の悲哀を背景にして話を進めているということになります。

 「山伏は、このような日には…」は、「まさしく僧都の心中を告白したもの」と『評釈』が言いますが、どうもいささか唐突で、ここも何か典拠があるのではないかという気がしますが、諸注、特に指摘はありません。

 「遥か遠く軒端から(原文・はるかなる軒端より)」は、変な言葉で、そのままでは意味不明です。『評釈』と『谷崎』は、「軒先の遥か向こう」と訳しますが、『集成』が「谷のはずれというほどの意味であろう」と言い、次の「夢浮橋」巻に同じ言葉があることを指摘しています。

 さて、『谷崎』は、この前に「僧都が帰って行かれたあとで」と訳を補っていますし、『評釈』も同様に解釈をしています。僧都と入れ替わりに、ということでしょうか、中将がやって来たのでした。

彼はどうしても諦めきれなかったようです。彼が浮舟を見たのは、「風がひどく吹いた拍子に、簾の隙間から」(第三章第三段)ほんの一瞬だったのですから、こうなるとその執心はなかなか立派です。「むかしの若人は、さるすけるもの思ひをなむしける」(『伊勢物語』四十)というところです。

 中将が来てみると、あたりには紅葉が美しく秋の深まりを感じさせていました。こんなところでは人は誰でもしみじみとした思いに誘われて、「屈託」なくなどいられないだろう、と思うと、自分も昔のように「泊まって行きたい」気持ちにもなります。

 『評釈』が、中将の歌の「こずゑを見つつ」は山の上から見下した言い方だから弟禅師の庵から見たものであって、「過ぎ憂き」は、、その帰り道に立ち寄ったということらしい、と言います。》

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第六段 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る

【現代語訳】

 姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山なさった。あちらにお寄りになると、ひどく恨んで、
「かえってこのようなお姿になっては、罪障を受けることになりましょうのに、ご相談もなさらずじまいになってしまったとは、何ともおかしなこと」などとおっしゃるが、どうにもならない。
「今はもう、ひたすらお勤めをなさいませ。老人も若い人も、生死は無常の世です。はかないこの世とお悟りになっているのも、ごもっともなお身の上ですから」とおっしゃるにつけても、たいそう恥ずかしく思われるのであった。
「御法服を新しくなさい」と言って、綾、羅、絹などという物を差し上げておおきになる。
「拙僧が生きております間は、お世話いたしましょう。何をご心配なさることがありましょう。普通の世に生まれ来て、俗世の栄華を願い執着している限りは、不自由で世を捨てがたいと、誰も彼もお思いのことのようです。このような林の中でお勤めなさる身の上は、何事に不満を抱いたり引け目を感じたりすることがありましょうか。人の寿命は、『葉の薄きがごとし(草木の葉の薄いようなもの)』です」と教え諭して、「松門に暁に到りて月徘徊す」と、法師であるが、たいそう風情があって立派な様子でおっしゃることどもを、

「期待していたとおりにおっしゃってくださることだ」と聞いていた。

 

《僧都は、都の帰りに妹尼君の庵を訪ねました。尼君はさっそく恨み言です。しかし僧都は相手にせず、浮舟に出家の心得を説きます。

 「はかないこの世と…」は、「意識もなく生死の境をさまよったことをいう」と『集成』は言います。そういう体験があれば、出家願望も「もっともなお身の上」ということのようです。「生死の境」から復活した人の中で出家願望を持つ人の割合は決して高くないと思いますので、そうかなあという気がしますが、僧都は、彼女についてはそのことしか知らないのですから、一応そういうことなのでしょう。

一方、そう言われた浮舟が「たいそう恥ずかしく(原文・はづかしく)」思ったというのが、ちょっと分かりにくい反応です。

僧都はそういう意味で言ったとしても、浮舟は、こうなるに至った自分の「けしからぬ」二心(浮舟の巻第七章第二段)を思い返して、それを恥じたのでしょうか。もっとも、それとは別に、彼女は僧都に出家を願い出る時も、「恥ずかしくても」お願いしようと考えた(第四章第六段)のでしたから、当時の女性にとっては出家すること自体が恥ずかしいことだったのかも知れません(紫の上も出家を考えながら、それがいかにもさかしらだっているようで源氏に言い出せない、という気持を持っていた、とありました(若菜下の巻第三章第一段)。

 僧都は、法衣にするように「一品の宮のご祈祷でお布施として賜って来た」(『集成』)反物を授けて、ひたすら世を棄てて勤行に励むように、訓戒を施します。

「葉の薄きがごとし」は『白氏文集』の詩「陵園妾」の一節ですが、「宮女が讒言によって罪を得て陵墓を守る役に配された薄を嘆く詩」(『集成』)で、「若い美しい女が寂しい山中で、花のかんばせの衰えていくのを悼む気持ちは共通」(『評釈』)するところがあるとされます。

「松門に…」も同じ詩中の句で、僧都は「庭先の松の根もとにふりそそぐ月の光を見つめて、明方まで物思いにふけっているであろうこの若い弟子の姿を思い浮かべて、ひとり心中に涙している」(同)のです。

 「もちろんこの詩の意味は女にはわからない」(同)でしょうが、しかし、その話は浮舟の心に沁みます。

 ところで、初めのところ「帰山なさった」の原文は「上りたまひぬ」です。通常、「上る」は都に行くことを言うのですが、都から比叡山に行くのも、「上る」であるようです。都以上に尊い霊地だということなのでしょうか、あるいは単に山に登るからなのでしょうか。》


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