源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 浮舟の物語(二)

第七段 浮舟の日常生活

【現代語訳】

 若い女が、このような山里にもうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは、なかなか難しいことなので、ただひどく年をとった尼七、八人が、いつも仕えている人としているのであった。その人たちの娘や孫のような者たちで、京で宮仕えするものや、他で暮らしている者が、時々行き来した。
「このような人によって、以前見た辺りに出入りして、自然と、生きていたと、どなたにしても聞かれ申すことは、ひどく恥ずかしいことであろう。どのような様子でさすらっていていたのだろうなどと想像されるのは、並外れたみすぼらしい有様であるにちがいない」と思うので、このような人びとに、少しも姿を見せない。

ただ、侍従と、こもきといって尼君が自分で使っている二人だけを、この御方に特別に言いつけて手元から割いてある。

容貌も気立ても、昔見た「都鳥(都の人)」に似た者はいない。何事につけても、

「『世の中にあらぬ所(世の中で身を隠す所)』はここであろうか」と、一方では思うように努めなさるのであった。
 こうして、ひとえに人には知られまいと隠れていらっしゃるので、

「ほんとうに厄介なわけのある人でいらっしゃるのだろう」と思って、詳しいことは仕えている女房にも知らせない。

 

《浮舟は、じっと自分の殻に閉じこもってしまっています。

改めてこの庵の暮らしが語られます。ここには大尼君と尼君のほかには、お世話役として老尼が七、八人いるだけであり、都を離れた山里のことで、人の出入りは多くはないのですが、それでもさすがに、その者たちの縁者が、いくらかは出入りします。

 浮舟にしてみると、そういう人の中の誰かが、たまたま薫や匂宮の屋敷の者と縁があるということがないとも限らない、と心配です。

そういう人を通して、もしも自分が生きているということが、あのお二方のどちらかにでも知られたりしたら、どんなにみじめな姿に想像されるか知れたものではない、そういうふうには絶対に思われたくない、と思うので、彼女はそうしてやってくる人にも決して姿を見せません。

尼君から付けられた侍従と小間使いの女「こもき」(どうして侍従には名前が与えられずに、こちらの方に名があるのでしょう)の二人だけの中にいます。二人は「容貌も気立ても、昔見た都鳥(都の人)に似ていない」というのは、彼女がいた上流階級とはかけ離れた、無縁の人だと思われて、いくらか安心だ、ということでしょうが、同時にもはや自分があの匂宮や薫の世界とはまったくかけ離れた所に来てしまっていることを、悲哀とともに実感させもするでしょう。

ここの「都人」は原文では「都鳥」で、『伊勢物語』九段の歌の用例を背景に「流離に似た思いから」使ったのだろうと『集成』が言います。『伊勢物語』での使われ方とは違うので違和感がありますが、『評釈』によれば、そういう用例がいくつかあるのだそうです。

 「世の中にあらぬ所」も、古歌にある用語ですが、じつはその古歌は、かつて浮舟が三条の隠れ家で母と交わした歌(東屋の巻第五章第五段)で使われたもので、浮舟はその時のことを思い出しているのだと、これも『集成』が言います。「君がさかりを見るよしもがな」と言ってくれた母を思っている、ということでしょうか。》

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第六段 浮舟、手習して述懐

【現代語訳】

 尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる。少将の尼君などという女房は、琵琶を弾いたりして遊ぶ。
「このようなことはなさいますか。退屈ですのに」などと言う。

「昔も、賤しかった身の上で、のんびりとそのようなことをする境遇でもなかったので、少しも風流なところもなく成長したことよ」と、このように盛りを過ぎた人が気晴らしをしているような時々につけては、思い出す。

「ほんとうに言いようのないはかない身の上であったものだ」と、自分ながら残念なので、手習いに、
「 身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし

(涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを、堰き止めて誰がわたしを救い上げたの

でしょう)」
 思いと違って情けないので、将来も不安で、疎ましいまでに思いやられる。
 月の明るい夜毎に、老人たちは優雅に和歌を詠み、昔を思い出しながら、いろいろな話などをするが、返事のしようもないので、つくづくと物思いに沈んで、
「 われかくて憂き世の中にめぐるともたれかは知らむ月の都に

(私がこのように嫌なこの世に生きているとも誰が知ろうか、あの月が照らしている

都の人で)」
 今を最期と思い切ったときは恋しい人が多かったが、その他の人びとはそれほども思い出されず、ただ、
「母君がどんなにお嘆きになったろう。乳母が、いろいろと、何とか一人前にしようと一生懸命であったが、どんなにがっかりしたろう。どこにいるのだろう。私が、生きていようとはどうして知ろう」
 気の許せる人もいないままに、何事も隠すことなく相談し親しくしていた右近なども、時々は思い出される。

 

《文中に「手習い」とありますが、「この巻には、以下にこれを含めてこの語五例見え、巻名の出所」となっているとされます(『集成』)。なお、同書は、古書に浮舟を「手習の三の君」「手習の君」と呼ぶ例もあることを挙げています。自分の思いを直接語ることが極めて少なく、多く手習いの歌によって語られるところに、さまざまな思いを鬱屈させているこの人の姿が、浮舟の巻以上に顕著に特徴づけられていると考えられたのでしょうか。

 さて、明るい月に誘われて、尼君が琴を奏でています。お付きの女房とされる「少将の尼君」が、それに琵琶を合わせます。やや間があって、尼君が浮舟を誘いました。

しかし心得のない彼女は、そういう嗜みに無縁で育ったわが身の拙さを恥じて、黙ったままそれに応えることもなく、手元の紙を取って手すさびに歌を書きつけます。

 もともと恵まれない立場に生まれてこうした風流を身に付けるでもなく嫌なことばかりが多かった私は、生きていく値打ちもなさそうな身の上なのだから、本当に死んでしまった方がよかったのだ、まして、二人のお方に心をお寄せしてしまった私なのだから、…。

また別の月の夜は、尼君たちは歌を詠み、またしみじみとした話を交わしています。しかし彼女はその昔話に加わることはできませんし、訊ねられても聞いてもらうに足る過去を持っているような気もしません。

今夜こそ死んでしまおうと思ったあの夜(浮舟の巻第七章第六段)、最後に切なく懐かしいと思った幾人かの人たちも、今となってみれば「それほど思い出されず」、ただ本当に親身に思ってくれたわずかな人たちのことが、すまないことをしたという思いとともに、時々胸をよぎるにすぎません。

私のこの情けない気持ちを分かってくれる人は、今はもうどこにもいない、…。
 それにしても、この段、二つの場面がいずれも同じように「月の明るい夜(原文はそれぞれ、「月など明き夜」と「月の明き夜な夜な」です)」で始まるのは、何とも芸がなく思われますが、何か意図があるのでしょうか。》

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第五段 小野山荘の風情

【現代語訳】

 ここの主人も高貴な方なのであった。娘の尼君は、上達部の北の方だったが、その方がお亡くなりになって後、娘をただ一人大切にお世話して、立派な公達を婿に迎えて大切にしていたけれども、その娘が亡くなってしまったので、情けない、悲しいと思いつめて、髪も下ろして、このような山里に住み始めたのであった。
「せめていつまでも恋いしく思い続けている娘の形見と思いよそえられるような人を見つけたいものだ」と、所在なさも心細いままに思い嘆いていたところに、このように、思いがけない人で、器量や様子も優っているような人を得たので、現実のこととも思われず、不思議な気がしながらも、嬉しいと思う。年は取っているが、とても美しく由ありげで態度も上品である。
 以前の山里よりは、川の音も物やわらかである。家の造りは、風流で、木立も趣があり、前栽なども興趣あり、風流を尽くしている。秋になって行くので、空の様子もしみじみとした中で、家の前の田の稲を刈ろうとして、その土地柄風の真似ごとをしては、若い女たちが、民謡を謡いながらおもしろがっている。引板を鳴らす音もおもしろく、かつて見た東国のことなども思い出されて、あの夕霧の御息所がおいでになった山里よりは、もう少し奥に入って、山の斜面に建ててある家なので、松の木蔭が鬱蒼として、風の音もまことに心細く、することもなく勤行ばかりして、いつとなくひっそりとしている。

 

《「ここの主人」は僧都の母君のことですが、その人を特に「高貴な方」とし、「娘の尼君」も「上達部の北の方」ですから、立場はともかく身分的にはほぼ薫クラスの人の夫人だった人で、そのように設定したのは、浮舟がいい人に救われたのだという形にしようとしているのでしょう。当然のように「とても美しく由ありげで態度も上品」です。

 そういう人が、浮舟を見つけて、亡くなった娘の身代わりに世話をしようと思ったのですが、それがまた「(その娘よりも)器量や様子も優っているような人」だったこともあって、大変な幸運と思って懸命に世話をしてくれます。

 「以前の山里」は宇治のことで、こう書かれると、以下の山里の様子は、浮舟の目を通して語られているような感じになりますが、後の描き方は、そうでもなさそうです。やはり作者の説明でしょうか。

 そこでは、わび住いとは言え、実に落ち着いたのどかな生活が営まれていました。つまり、浮舟としては、大変な幸運に恵まれたのです。

その終わりのあたり、「かつて見た東国のことなども思い出されて」とありますが、後につながりません。『評釈』はここでは句点(。)を振って文を終えていて、「(以下に)何か脱落があると思われるが、諸本すべて同様である」と言います(ただし、『集成』は、読点(、)で区切って、そのまま後に続けています)。

そして突然「あの夕霧の御息所が」と出てきて面食らいますが、そう言えば、かつて夕霧の落葉宮の母が御息所と呼ばれて、この小野に住んでいたことが思い出されます(夕霧の巻頭)。「当時小野と呼ばれた地域はかなり広かったらし」く(『評釈』)、ここは、その御息所が住んでいたところよりも、奥の方と言います。

先に宇治と比べ、ここでまたあの御息所を持ち出したのは、それによって、これまで小野という土地はあったにしても、どことなく妖しげな話であったものを、場面に物語上の有機性を持たせて、リアリテイを確保しようとした、というようなことなのでしょうか。

ところで、ここで『評釈』が興味深い見解を挙げています。実はこの言葉によって、「作者がこの『手習』の巻をかくころには、『夕霧』という巻名は存在し固定していた」というのです。なるほどあの御息所は右大臣夕霧の御息所ではなく、「一条の御息所」だったのですから、ここの「夕霧」は物語の名前と考えざるを得ません。そうすると、各巻の名は物語が進むにつれて順を追ってつけられたのではないかということになり、同書は、それらを作者自身が名づけていったのだと考えているわけです。》

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第四段 浮舟、五戒を受く

【現代語訳】

「どうしてこのように頼りなさそうにばかりしていらっしゃるのですか。ずっと続いて熱がおありだったのはお下がりになって、さっぱりしてお見えになるので、嬉しくお思い申し上げていますのに」と泣きながら、気を緩めることなく付き添ってお世話申し上げなさる。仕える女房たちも、惜しいお姿やお顔を見ると、一所懸命に惜しみ看病したのであった。内心では、

「やはり何とかして死にたい」と思い続けていらっしゃるが、あれほどの状態で生き返った命なので、とても芯が強くて、だんだんと頭もお上げになったので、食事を召し上がりなさるうちに、かえって顔もほっそりとして行く。はやくと嬉しくお思い申し上げていたところ、
「尼にしてください。そうしてだけ生きて行く道もありましょう」とおっしゃるので、
「痛々しいご様子なのに、どうしてそのように致せましょうか」と言って、ただ頂の髪だけを削いで、五戒だけを受けさせ申し上げる。

物足りないが、もともとはきはきしない性分で、さし出がましく強くもおっしゃらない。

僧都は、
「今はもうこのくらいにしておいて、看病して差し上げなさい」と言い置いて、山へお登りになった。

「夢のような人をお世話申し上げることだ」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせながら、お髪をご自身でお梳かしになる。あのようにひどい格好に結んで投げ出してあったのに、ひどくは乱れず、解き終わってみると、つやつやとして美しい。『ひととせたらぬつくも髪(白髪の人)』の多い所なので目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように思うのも、不安な気がするが、
「どうしてとても情けなく、こんなにたいそう大切に思い申し上げていますのに、強情をはっていらっしゃるのですか。どこの誰と申し上げた方が、あのような所にどうしておいでになったのですか」と、しいて尋ねるのを、とても恥ずかしいと思って、
「変な具合だった間に、すっかり忘れてしまったのでしょうか、以前の様子などもまったく覚えておりません。ただ、かすかに思い出すこととしては、ひたすら何とかしてこの世から消えたいと思いながら、夕暮になると端近くで物思いをしていたときに、前の近くにある大きな木があった下から、人が出て来て、連れて行く気がしました。それ以外のことは、自分でも、誰とも思い出すことができません」と、とてもかわいらしげに言って、
「この世にまだ生きていたのだと、何とか人に知られたくない。聞きつける人がいたら、とても悲しくて」と言ってお泣きになる。あまり尋ねるのを、つらいとお思いなので、尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも珍しい気がするので、

「どのような隙に姿が消え失せてしまうのか」と、落ち着かない気持ちでいた。

 

《妹尼とその周囲の人たちの懸命の世話によって浮舟は次第に回復してきます。

ところが、意識を回復した彼女は「やはりなんとかして死にたい」と考えています。前段でも言ったように、自分がそう考えるようになった理由も分からないままに、そんなことをこのようにはっきりと考えるとは思えませんが、その経緯については、作者は読者の知識に依存しているのでしょうか。

あるいは、この一言で、暗に、彼女の記憶がすでに戻っていること言うのでしょうか、ちょっと無理があるような気もしますが、…。

 意識も返り、少しずつ食事もできるようになりました。「かえって顔もほっそりとして行く」は意外な気がしますが、「回復期の病人の様子がよく写されている」と『集成』が言います。そうかなあと思いますが、引き締まっていく、というような感じでしょうか。

それを喜んでいる尼君に、彼女は死ぬことを措いて、出家を希望しました。しかし何といってもこんな病み上がりの状態ですし、せっかく娘の身代わりを得たと思っているのですから、出家という決定的な決断を認めることはしませんでした。「頂の髪を削ぐ」とは「形式的な剃髪」(『評釈』)で、「五戒」とは、「在家の信者の守るべき戒」(『集成』)なのだそうです。

これで落ち着いてくれれば、妹尼にとっては満足です。美しい髪(一瞬の強烈な心労があれば、一夜にして白髪になることもあるそうですが、ここは全く何ごともなかったように美しい髪)を梳いてやりながら、ぽつぽつと話しかけます。いったいあなたはどういう人なのですか、…。

 しかし浮舟は前に話した以上のことは話しません。

 それを「とてもかわいらしげに言って(原文・いとらうたげに言ひなして)」というのが気になる言い方です。

まず「らうたし」は、「無邪気そうに」(『集成』)、「おっとり」(『評釈』)と訳されていますが、そういうのどかな様子はここにはふさわしくないように思います。元来「弱いもの、劣ったものをいたわってやりたいと思う気持ち」(『辞典』)ということで、いかにも同情を引くように、といった感じになりそうですが、そうすると、少々嫌味な感じにます。

また「言ひなして」は、意図的にそう拵えて言ってという意味で、「記憶がはっきりしないという嘘を見破られまいとする用意」(『集成』)をした言い方ですから、作者が記憶はすでに戻っていると認めていることになります。

 そして、続けて「この世に、やはり生きていたと、何とか人に知られたくない」と言わせていますから、ここで実は記憶があることを明らかにしたということのようです。

やはり記憶喪失という手は使いやすいようで、実はなかなか難しいことのようです。

 尼君も、「すっかり忘れてしまった」というのはどうやら嘘らしいと気付いたのでしょうか、さらに聞きたいと思うのですが、この娘がかぐや姫のように思えて(「横川の僧都が竹取の翁、妹尼が『妻の女』に当たる」と『集成』が言います)、消えてしまっては大変と、それ以上は聞かれない気がします。》

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第三段 浮舟、意識を回復

【現代語訳】

 本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして見回すと、一人も見たことのある顔はなくて、皆、老法師か腰が曲がって年とった者ばかり多いので、知らない国に来たような気がして、たいへん悲しい。
 以前のことを思い出すが、住んでいた所や何という名前であったかさえ、確かにはっきりとも思い出せない。ただ、
自分は、最期と思って身を投げた者だ。どこに来たのか」と無理に思い出すと、
「とてもつらいことよと嘆かわしく思って、周りの皆が寝静まったときに、妻戸を開けて外に出たのだったが、風が烈しく川波も荒々しく聞こえたの独りぼっちで恐く思ったので、前後の見境もつかずに、簀子の端に足をさし下ろしたまま、どちらへ行っていいかわからないまま、引き返すのも中途半端で、決心してこの世から消えようと決心したのに、『愚かしく人に見つけられるよりは鬼でも何でも喰って亡くしてくれよ』と言いながら、ぼんやりと座っていると、とても美しい男が近寄って来て、『さあ、いらっしゃい。わたしの所へ』と言って、抱くような気がしたが、宮様と申し上げた方がなさると思われた時から、わけが分からなくなったようだ。

知らない所に坐らせて置いて、この男は消えてしまった、と見えたが、とうとうこのように目的も果たせずになってしまった、と思いながら、ひどく泣いている、と思ったときから、その後のことはまったく、何もかも覚えていない
 人が言うのを聞くと、たくさんの日数を経てしまった。どのように情けない姿を、知らない人に世話され見られたのであろう」と恥ずかしく、

「結局こうして生き返ってしまったのか」と思うのも残念なので、ひどくつらく思われて、かえって沈んでいらっしゃった日ごろは正気もない様子で何か食物も少し召し上がることもあったが、露ほどの薬湯さえお飲みにならない

 

《前段で物の怪はいろいろと語りましたが、結局何ものか分からないままに、彼の登場はあれで終わりになりますから、つまりは、この若い女が浮舟だということを言う道筋をつけるという役割で呼び出された、というところのようです。

 そしてこの段を読めば、作者もこれは浮舟その人だと言っているのも同然ですので、ここからその呼び名でいくことにします。

 物の怪が去って、浮舟は意識を取り戻しました。するとまるで浦島太郎の状況です。しかも記憶喪失があるようで、住んでいた場所も名前も思い出せません。

 ともかく彼女は我が身を振り返ってみようとして、それによって読者はあの浮舟失踪の夜(浮舟の巻末)のいきさつの一部始終を承知することができます。そこでは「美しい男が近寄って来」たときから、怪異の物語があったことが分かり、なるほどそういうことであったかと、理解します。

 以下は出奔当日の経緯の回想ですが、なかなか物語的で美しく、特に途方に暮れてぼんやりとしているところを誰とも知れない優雅な男性に抱き上げられて連れて行かれ…というのは、幻想として何とも絵画的で、現実感があります。

 ところで、テレビドラマなどの中でもこの記憶喪失という手はよく使われますが、そういう事態に出会うと、私はいつも不思議に思わされることがあります。それは、どうも作者に都合のいいところだけが記憶から抜けているのではないか、ということです。

記憶の残る部分と残らない部分には、医学的にどういう基準があるのか、作者が恣意的に扱っているのではないか…。

 ここでも、浮舟は初め「自分は、最期と思って身を投げた者だ」と言いますが、後では「美しい男」に連れていかれて置き去りにされ、「その後のことはまったく、何もかも覚えていない」と言い、先にあったように名前も住まいも覚えていないことになっています。

 その一方で、その夜の嵐の様子も、またその中での自分の行動は「簀子の端に足をさし下ろしたまま」というところまで覚えています。そしてその時自分の考えたことの順序も実に筋が通っています。

 医学的にそういうことがあるのでしょうか。「忘れた」というのが都合がいいのは、国会だけでないようだ、などと嫌味を言いたくなります。

 「宮様と申し上げた方」と言いますから、それが匂宮であることも定かではないのでしょうし、薫のことは出て来ませんから、自分が二人の間で煩悶して死を考えたことも、もちろん記憶になく、具体的なことはわからないまま、漠然と「とてもつらいことよと嘆かわしく思って」いたという記憶だけがあるようです。

それなのに「目的も果たせずになってしまった」と悲しんで「露ほどの薬湯でさえお飲みにならない」と言います。理由も思い出せないままに、自分が死ぬしかない身の上であるということだけは鮮明に消え去らないで記憶に残っているようで、しかも今もそれに固執しています。

 いや、やはりどうも変ですが、実は話の流れは読者はすでに知っているのであって、それは作者が妙に面白く語ろうとして彼女のその日の回想のディテイルがちょっとまずい持って行き方になっただけだと思うことにします。

ここは美しい幻想だけを楽しんで、先に進みます。大切なのはここからの展開なのです。》

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