【現代語訳】
「お忘れになっていないのだ」と胸を打たれるにつけても、ますます母君のご心中が推し量られるが、かえって言いようのない姿をお見せしお聞かせ申し上げるのは、やはりとても気がひけるのであった。
あの人が頼んで行ったことなどを染めて仕度するのを見るにつけても、不思議なありえないことのような気がするが、とても口に出せない。物を裁ったり縫ったりなどするのを、
「これを手伝ってください。とても上手にお折りになるから」と言って、小袿の単衣をお渡し申すのだが、嫌な気がするので、
「具合が悪い」と言って手も触れず横になっていらっしゃる。尼君は仕度を放って、
「どのようなお加減か」などと心配なさる。紅に桜の織物の袿を重ねて、
「御前様には、このような物をお着せ申し上げるのがよいでしょうに。情けない墨染ですこと」と言う女房もいる。
「 あまごろもかはれる身にやありし世のかたみに袖をかけてしのばむ
(尼衣に変わった身の上で、昔の形見としてこの華やかな衣装を身につけて、今さら
昔を偲ぼうか)」
と書いて、
「お気の毒に、亡くなったりした後に、隠し通すこともできない世の中なので、聞き合わせたりなどして、疎ましいまでに隠していた、と思うだろうか」などと、いろいろと思いながら、
「過ぎ去ったことはすっかり忘れてしまいましたが、このようなことをお仕度なさるにつけ、何かしらしみじみと感じられるのです」とおっとりとおっしゃる。
「そうはおっしゃっても、お思い出しになることは多くありましょうのに、どこまでもお隠しになっているのが情けないことです。私は、このような世俗の人の着る色合いなどは、長いこと忘れてしまったので、平凡にしかできませんので、亡くなった娘が生きていたら、などと思い出されます。そのようにお世話申し上げなさった母君は、この世においでですか。このように娘を亡くした母でさえ、やはりどこかに生きていようか、その居場所だけでも尋ね聞きたく思われますのに、その行く方も分からず、ご心配申し上げていらっしゃる方々がありましょう」とおっしゃるので、
「俗世にいた時は、片親がございました。ここ数か月の間にお亡くなりなったかも知れません」と言って、涙が落ちるのを紛らわして、
「かえって思い出しますにつけて、つらく思われますので、お話し申し上げることができません。隠し事はどうしてございましょうか」と、言葉少なにおっしゃった。
《薫君は私のことを「お忘れになっていないのだ」と感慨をいだく気持から、そこにとどまらずにそのまますっと「母君のご心中」に思いが移るのは、ちょっと意外な気がしますが、それほど彼女の中で薫の存在が薄くなったということでしょうか。
さて、彼女の周りで、なんと、彼女の法要の準備が着々と進められていきます。当人としては何とも奇妙な感じで、その様子をながめています。
仕度にいそしんでいる尼たちは、もちろんそんなこととは知りませんから、浮舟に手伝いを求めます。自分の法要の仕度を自分でする、そんな状況に彼女は頭がくらくらするような気分です。
尼君は心配して、仕事そっちのけで声を掛けてくれるのですが、話のしようがなく、例によって「手習」にわずかに心を遣って、いずれは事情が分かって他人行儀なことだったと不愉快に思われるだろうことに胸を傷めながら、なおもそれを隠してことさらに「おっとりと」通り一遍の話をしてその場をしのぎます。
この人は、以前、宇治の邸をさまよい出た時の話を尼君に話した時もこうでした(第二章第四段)が、こういう痛切な思いを語らねばならないとき、しばしばこのように無邪気を装います。たおやかな中に強靭な精神がある、というとたいへん素晴らしい女性のようですが、どこか冷徹な目で周囲を見ているように思えて、(女性特有の、と言えば叱られそうですが)恐ろしさをさえ感じます。彼女の場合、その体験の苛烈さが、それを身に着けさせた、ということなのでしょうか。「かわいい顔してあの子 わりとやるもんだねと…」という悲しい歌があったことを思い出します。
尼君としては、自分がこんなにも心をかけているのに、その素性が分からないというのは、何としても心もとなく、また気がかりなことです。早い話が、いつ身内の人が引き取りに来ないとも限りません。
こうして久々に華やかな着物を作っていると、そういう着物を着せた娘を思い出しますが、この人にもそういう母がいることだろうと思うと、娘が亡くなったのをその目で見届けた私でさえ、いまだにどこかにいるのではないかと思うときがあるのだから、その死を見届けていないこの人の母親はどんなにか探し求めているだろうと、思いやられます。その思いやる気持ちも、同じ母親として強いのですが、一方で、そういうふうに話を向けることで、この娘から母親の話を聞き出したいという気持ちもまた十分にあるでしょう。
言われるまでもなく浮舟もその母のことが思いから離れないのですが、話すことができない彼女は、思わずあふれようとする涙をごまかして、「言葉少なに」同じことを繰り返すばかりです。
ところで、先ほど「過ぎ去ったことはすっかり忘れてしまいました」と言いながら、ここでは「思い出すとつらいので話せない」というのは矛盾していますし、また「話せない」と言いながら、隠しごとはしていない(原文・隔ては何ごとにか残しはべらむ)、というのも、ちょっと変ではないかという気がします。
以前、『光る』が、この巻について「丸谷・へたですねぇ。いったいどうしたんだろうかと思うくらいいやになる」と言っていることを挙げました(第三章第八段)が、それとは別に、こういう部分的なことで、光源氏の話の頃になかったような違和感のあるところもいろいろあって、確かに「どうしたんだろう」という気がします。》