源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻五十三 手習

第四段 浮舟、尼君と語り交す

【現代語訳】

「お忘れになっていないのだ」と胸を打たれるにつけても、ますます母君のご心中が推し量られるが、かえって言いようのない姿をお見せしお聞かせ申し上げるのは、やはりとても気がひけるのであった。

あの人が頼んで行ったことなどを染めて仕度するのを見るにつけても、不思議なありえないことのような気がするが、とても口に出せない。物を裁ったり縫ったりなどするのを、
「これを手伝ってください。とても上手にお折りになるから」と言って、小袿の単衣をお渡し申すのだが、嫌な気がするので、

「具合が悪い」と言って手も触れず横になっていらっしゃる。尼君は仕度を放って、

「どのようなお加減か」などと心配なさる。紅に桜の織物の袿を重ねて、
「御前様には、このような物をお着せ申し上げるのがよいでしょうに。情けない墨染ですこと」と言う女房もいる。
「 あまごろもかはれる身にやありし世のかたみに袖をかけてしのばむ

(尼衣に変わった身の上で、昔の形見としてこの華やかな衣装を身につけて、今さら

昔を偲ぼうか)」
と書いて、

「お気の毒に、亡くなったりした後に、隠し通すこともできない世の中なので、聞き合わせたりなどして、疎ましいまでに隠していた、と思うだろうか」などと、いろいろと思いながら、
「過ぎ去ったことはすっかり忘れてしまいましたが、このようなことをお仕度なさるにつけ、何かしらしみじみと感じられるのです」とおっとりとおっしゃる。
「そうはおっしゃっても、お思い出しになることは多くありましょうのに、どこまでもお隠しになっているのが情けないことです。私は、このような世俗の人の着る色合いなどは、長いこと忘れてしまったので、平凡にしかできませんので、亡くなった娘が生きていたら、などと思い出されます。そのようにお世話申し上げなさった母君は、この世においでですか。このように娘を亡くした母でさえ、やはりどこかに生きていようか、その居場所だけでも尋ね聞きたく思われますのに、その行く方も分からず、ご心配申し上げていらっしゃる方々がありましょう」とおっしゃるので、
「俗世にいた時は、片親がございました。ここ数か月の間にお亡くなりなったかも知れません」と言って、涙が落ちるのを紛らわして、
「かえって思い出しますにつけて、つらく思われますので、お話し申し上げることができません。隠し事はどうしてございましょうか」と、言葉少なにおっしゃった。

 

《薫君は私のことを「お忘れになっていないのだ」と感慨をいだく気持から、そこにとどまらずにそのまますっと「母君のご心中」に思いが移るのは、ちょっと意外な気がしますが、それほど彼女の中で薫の存在が薄くなったということでしょうか。

 さて、彼女の周りで、なんと、彼女の法要の準備が着々と進められていきます。当人としては何とも奇妙な感じで、その様子をながめています。

 仕度にいそしんでいる尼たちは、もちろんそんなこととは知りませんから、浮舟に手伝いを求めます。自分の法要の仕度を自分でする、そんな状況に彼女は頭がくらくらするような気分です。

尼君は心配して、仕事そっちのけで声を掛けてくれるのですが、話のしようがなく、例によって「手習」にわずかに心を遣って、いずれは事情が分かって他人行儀なことだったと不愉快に思われるだろうことに胸を傷めながら、なおもそれを隠してことさらに「おっとりと」通り一遍の話をしてその場をしのぎます。

この人は、以前、宇治の邸をさまよい出た時の話を尼君に話した時もこうでした(第二章第四段)が、こういう痛切な思いを語らねばならないとき、しばしばこのように無邪気を装います。たおやかな中に強靭な精神がある、というとたいへん素晴らしい女性のようですが、どこか冷徹な目で周囲を見ているように思えて、(女性特有の、と言えば叱られそうですが)恐ろしさをさえ感じます。彼女の場合、その体験の苛烈さが、それを身に着けさせた、ということなのでしょうか。「かわいい顔してあの子 わりとやるもんだねと…」という悲しい歌があったことを思い出します。

 尼君としては、自分がこんなにも心をかけているのに、その素性が分からないというのは、何としても心もとなく、また気がかりなことです。早い話が、いつ身内の人が引き取りに来ないとも限りません。

こうして久々に華やかな着物を作っていると、そういう着物を着せた娘を思い出しますが、この人にもそういう母がいることだろうと思うと、娘が亡くなったのをその目で見届けた私でさえ、いまだにどこかにいるのではないかと思うときがあるのだから、その死を見届けていないこの人の母親はどんなにか探し求めているだろうと、思いやられます。その思いやる気持ちも、同じ母親として強いのですが、一方で、そういうふうに話を向けることで、この娘から母親の話を聞き出したいという気持ちもまた十分にあるでしょう。

言われるまでもなく浮舟もその母のことが思いから離れないのですが、話すことができない彼女は、思わずあふれようとする涙をごまかして、「言葉少なに」同じことを繰り返すばかりです。

 ところで、先ほど「過ぎ去ったことはすっかり忘れてしまいました」と言いながら、ここでは「思い出すとつらいので話せない」というのは矛盾していますし、また「話せない」と言いながら、隠しごとはしていない(原文・隔ては何ごとにか残しはべらむ)、というのも、ちょっと変ではないかという気がします。

 以前、『光る』が、この巻について「丸谷・へたですねぇ。いったいどうしたんだろうかと思うくらいいやになる」と言っていることを挙げました(第三章第八段)が、それとは別に、こういう部分的なことで、光源氏の話の頃になかったような違和感のあるところもいろいろあって、確かに「どうしたんだろう」という気がします。》

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第三段 浮舟、薫の噂など漏れ聞く

【現代語訳】

あの方の近しい人だったのだと見るにつけても、さすがに恐ろしい。
「不思議と、二人とも同じように、あそこでお亡くなりなったことです。昨日もたいそうおいたわしゅうございました。川の流れに近い所で、川の水をお覗きになって、ひどくお泣きになりました。部屋にお上りになって、柱にお書きつけになった歌は、
  見し人はかげもとまらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあえず

(あの人は跡形もとどめない川の面に落ちて一緒に流れる私の涙が、ますます抑えが

たいことです)
とございました。口に出しておっしゃることは少ないのですが、ただ様子では、まことにおいたわしいふうにお見えでした。女性は、たいそう賞賛するにちがいないほどでした。若うございました時から、ご立派でいらっしゃると心底お思い申していましたので、世の中の第一の方のところも何とも思いませんで、ただ、この殿だけを信頼申し上げて、過ごして参りました」と話すので、

「特別に深い思慮もなさそうなこのような人でさえ、ご様子は分かったのだな」と思う。尼君は、
「光る君と申し上げた故院のご様子には、お並びになることはできまいと思われますが、ただ今の世で、この一族が賞賛されているそうですね。右の大殿とはどうですか」とおっしゃると、
「あの方は、顔立ちもまことに立派で美しくて、貫祿があって、身分が格別な様子でいらっしゃいます。兵部卿の宮がたいそう美しくていらっしゃいますね。女の身として親しくお仕えいたしたいと思われます」などと、誰かが教えたように言い続ける。

感慨深く興味深くも聞くにつけ、わが身の上もこの世のことと思われない。すっかり話しおいて出て行った

 

《浮舟は、ドキドキしながら聞き耳を立てています。当人がいるなどとは夢にも思わない紀伊の守は、得意になって、自分の崇敬措く能わざる主人の話を語って聞かせます。

 昨日、宇治の律師に会いに行った折に故宮の御娘君を偲んで宇治川べりにたたずまれた薫様のお姿は、たいそうおいたわしく、何とも情に溢れていて、「女性は、たいそう賞賛するにちがいないほどでした」、私は若い時からお仕えしていて、「世の中の第一の方」夕霧様のところに移ることもあり得たのですが、「何とも思いませんで」、ずっとこの方一筋にお仕えしているのですよ、…。

 聞いていて浮舟は、ああ、やっぱりあの方は素晴らしい方だったのだ、私はあまりに生真面目なご様子なので、匂宮様の方がお気持ちが強いように思っていた(浮舟の巻第三章第三段)けれども、薫様はそんなにも自分が亡くなったことを悲しんでくださっていたのか、こういう下々の家来にまでよく分かる素晴らしさが、私には分からなかったのだ、…。

 尼君の誘い水に、紀伊の守の話は、薫のことから、その一族の栄耀のほどに及びます。夕霧様、匂宮様も、もちろんいずれ劣らぬ素晴らしさなのです、と彼は、末席ながら自分もそう言う方々のお近くでお仕えしているのですよと言いたげです。

 浮舟は、世が世であれば、あの時の心の惑いさえなければ、自分はそのもっと真ん中近くにいることができたかもしれないのにと思うと、今の我が身がまるで別世界にいることがまざまざと意識されてきます。

 しゃべるだけしゃべると紀伊の守は帰って行きました。「誰かが教えたように」は、浮舟に話して聞かせよと「教えたように」の意味だと諸注が言っています。するとそれは浮舟の側の印象で、それほど彼女にはビンビンと応えた、ということになります。

また「話しおいて出て行った」という言い方が、特にそういう意味ではないのでしょうが、いかにもその話がまるで物のようにそこに残して置いていかれて、浮舟がじっとそれを見つめて感慨に耽っているように思われます。

ところで、昨日書くべきでしたが、紀伊の守と言えば、昔、空蝉の義子も紀伊の守でした(帚木の巻第三章第二段)。ここの話には、常陸の介も、同職の別人が登場していて、他にいくつも国があろうに、ちょっと芸がないという気がします。何か意味があるのでしょうか。》

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第二段 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪

【現代語訳】

 大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京して来た。三十歳ほどで、容貌も美しげで誇らしい様子をしていた。
「いかがでしたか、去年や一昨年は」などとお尋ねになるが、耄碌した様子なので、こちらに来て、
「とてもすっかり、耄碌しておしまいになった。お気の毒なことですね。残り少ないご様子なのに、お目にかかることもむずかしくて、遠い所で年月を過ごしております。両親がお亡くなりになって以後は、あの方お一方を、親代わりにお思い申し上げております。常陸介の北の方は、お便りを差し上げなさいますか」と言うのは、その妹なのであろう。
「年月の経つにつれて、することもないままに悲しいことばかりが増えて。常陸は、長いことお便り申し上げなさらないようです。お待ち申し上げることもできないようにお見えになります」とおっしゃるので、

「自分の親の名前だ」と、他人事ながら耳にとまったが、また言うことには、
「上京して何日にもなりましたが、公務がたいそう忙しくて、面倒なことばかりにかかずらっておりまして。昨日もお伺いしようと存じておりましたのに、右大将殿が宇治へお出かけになるお供にお仕えしまして、故八の宮がお住まいになっていた所にいらっしゃって、一日中お過ごしになりました。
 故宮の御娘君にお通いになっていたのですが、まずお一方は先年お亡くなりになりました。その妹をまたこっそりお住まわせ申していらっしゃったけれども、去年の春またお亡くなりになったので、その一周忌のご法事をあそばしますことについて、あの寺の律師にしかるべき事柄をお命じになって、私も、その女装束一領を調製しなければならないのですが、こちらで作らせてくださいませんでしょうか。織る材料は、急いで準備させましょう」と言うのを聞くと、どうして胸を打たないことがあろう。

「人が変だと見るだろう」と気がひけて、奥の方を向いて座っていた。尼君が、
「あの聖の親王の姫君は、お二方と聞いていたが、兵部卿宮の北の方はどちらですか」とおっしゃると、
「この大将殿の二人目の方は、妾腹なのでしょう。特に表立った扱いをしなかったのですが、ひどくお悲しみになっているのです。最初の方は、また大変なお悲しみようでした。もう少しのところで出家なさってしまいそうなところでした」などと話す。

 

《さて物語は、「大尼君の孫で紀伊守」という新しい人物の登場とともに新たな展開を見せます。彼は両親をすでに亡くして、祖母であるこの大尼君を「親代わり」に思っていて、何年ぶりかで訪ねて来たのでした。

 大尼君に会ったのですが、すでに耄碌が進んでいて話が成り立たないので、早々に引き上げて、「こちら(尼君の所)に来て」話し込みます。

 そこでの話に、長年この大尼君と付き合いのあったらしい「常陸の介の北の方」のことが話題になりました。突然の大変な展開に、読者は驚き、さらに「その妹なのであろう」というのに、混乱します。

あの浮舟の母の北の方が、ここの大尼君と昵懇であるとは、何という偶然か、しかし、この「三十歳ほど」のこの守の妹だとはどういうことか、…。

が、実は、諸注、「この常陸の介は、現任の人で、浮舟の継父とは別人」(『集成』)と、簡単に結論を出します。

何とも紛らわしい話ですが、他の任国では話が成り立たないので、已むを得ません。

 そういう人を持ち出すことで、作者は浮舟の耳を紀伊の守の話に引き付けて、彼の話を聞かせようとしているようです。それにはあまりに偶然の一致という気がして、本当は別の手を使ってほしかったという気がするのですが、…。

そして、「その妹」というのも、結局、諸注、この紀伊の守の妹としています。

ともあれ、そういうことで、読者は、そういう人間関係を承認して、読み進めることになります。

彼は語ります。彼の主人筋に当たるらしい「右大将殿」・薫が亡くなった「二人目の方」の一周忌法要の話をさせることになって、彼がその法要のために「女装束一領を、調製しなければならな」くなり、それをこの尼君に頼みに来た、という話です。

 聞いて、今度は浮舟が驚く番です。何と、自分の法要が営まれようとしているのです。「冷静に考えるならば、当然のこととも思えるが、さすがに万感胸にせまって」(『評釈』)きます。》

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第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す

【現代語訳】

 年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた川の水が音を立てないのまでが心細くて、「君にぞまどふ」とおっしゃった方は、嫌だとすっかり思い捨てていたが、やはりその当時のことなどは忘れていない。
「 かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき

(降りしきる野山の雪を眺めていても、昔のことが今日も悲しく思い出される)」
などと、いつものように、慰めの手習いをお勤めの合間になさる。

「私がいなくなって、年も変わったが、思い出す人もきっといるだろう」などと、思い出す時も多い。

若菜を粗末な籠に入れて、人が持って来たのを、尼君が見て、
「 山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひさきのたのまるるかな

(山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝っては、やはりあなたの将来が期待されます)」
と言って、こちらに差し上げなさったので、
「 雪ふかき野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき

(雪の深い野辺の若菜も今日からは、あなた様のために長寿を祈って摘んで、長生き

しようと思います)」
とあるのを、

「きっとそのようにお思いであろう」と感慨深くなるのも、

「これがお世話しがいのあるお姿と思えたら」と、本気でお泣きになる。
 寝室の近くの紅梅が色も香も昔と変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこの花に愛着を感じるのは、「飽かざりし匂い(はかなかった宮との逢瀬)」が忘れられなかったからあろうか。

後夜に閼伽を奉りなさる。身分の低い尼で少し若いのがいるのを、呼び出して折らせると、恨みがましく散るにつけて、ますます匂って来るので、
「 袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの

(袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香が、あの人の香と同じように匂って来

る、春の夜明けよ)」

 

《ちょっともやもやの感じで暮れた、寂しい山里の年が、やはり「心細く」明けました。

「君にぞまどふ」は、ちょうど一年前、宇治の隠家で匂宮と過ごした時の宮の歌です(浮舟の巻第四章第五段)。最近の浮舟は、薫のことをこそ思え、匂宮については「すっかり思い捨てていた」(第四章第五段)はずだったのですが、それでもこういう氷の川の光景を見ると、やはりあの日のことが思い出されて切ない気がする、と言います。

『評釈』が「その思い出が恋しいというわけではないが」と言っていますから、そうなのでしょうが、すると、この手習の歌の「悲しき」は、あの一時の心の惑いさえなかったならば、という臍を噛む悔いの思い、ということになるでしょうか。しかし、「忘れていない(原文・忘れず)」という言葉からは、恋しいという気持を除き切れない感じです。次の「(私を)思い出す人」も、母や乳母が本命なのでしょうが、やはり匂宮が捨てきれない感じです。

「お勤めの合間に」、「いつものように」そうした思いを書きつけるというのでは、「お勤め」の効験はいかがかと思われますが、絵としては悪くありません。いや、あるいは、そういう自分の意志ではいかんともしがたい煩悩を抱えての勤行こそが、弥陀の本願を授かる因縁であるのかも知れません。

 人が長寿を願う若菜を届けてくれました。尼君はそれを見ても思うのは娘代わりの浮舟のことです。出家してしまったのは残念だけれど、どうかいつまでも元気でいておくれ、そしてできることなら還俗して誰かいい方と…。

 浮舟の返歌はなかなか複雑のようで、『評釈』が三点を挙げて解説しています。まず、「年も」は「としも」で、「と」は引用、「しも」を強意とする説があると言い、しかし強意は「ぞ」と重複するので、この説は採らないとします。確かに上の句から通しての意味を取ろうとすると、「年も」の処理に困る感じで「としも」なら分かりやすいのですが、下の句だけで考えると「年もつむべき」の意味はぜひ生かしたいところです。

 次に「雪ふかき野辺の若菜」は「春のけはいすらないこの心憂きわが身」を裏の意味とするという宣長説を挙げて、そのとおりだろうとします。

 そこでこの歌は、表の意味がおおむねここに挙げたもので、裏の意味として「この心憂い身の私も、今年からはあなたのいられる(「おられる」が普通ではないでしょうか)ことで生き続けてゆきましょう」となる、と言います。裏の意味の下の句の解釈は分かりにくいので、私流に言い換えれば、「今年からは、あなたのために長生きすることにしましょう」ということになりましょうか。

 そうすると、尼君の歌への真っすぐな返歌になりそうです。

 そして尼君が「そのようにお思いであろう(原文・さぞおぼすらむ)」は、「『雪深き野べの若菜』として生きてゆく、との意に対していったもの」(『評釈』)ということになります。

 別の一日のことでしょうか、庭の紅梅に、またしても匂宮を思い出します。「春や昔の」はもちろん梅の花盛りに詠まれたという「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(「古今集」747)です。この歌は、月も春(梅の花)も私も何もかも昔のままなのに、あの人がいないことだけが昔と違う、とその痛切な喪失感・空虚感を詠んでいるのですが、その悲哀が透明感を感じさせるのに対して、ここでは逆に自分の身の上だけがすっかり変わっているのであって、その分、悲哀は悔恨に傾き、生々しく噛みしめられている、と言えましょうか。》

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第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る~その2

【現代語訳】

 こちらにも言葉をお掛けになった。
「 おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ

(一般の俗世間をお捨てになったあなたですが、私をお厭いになってのことのようで、わが身がつらく思われます)」

心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。
「兄妹とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、心の慰めとしましょう」などと言い続ける。
「深いお心からのお話など、分かるはずもないのが残念です」と答えて、この「厭ふ」という歌への返事はなさらない。

「思いもかけない情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって世間から忘れられて終わりたい」という様子でいらっしゃる。
 だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらっしゃったのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもなく、他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。

雪が深く降り積もって人目もなくなったころは、ほんとうに心のやり場がないのだった

 

 

《中将は、尼君に話しても埒が明かないと考えたのか、もちろん尼君を通してですが、浮舟に語りかけます。

 「兄妹とお考えください(原文・はらからとおぼしなせ)」などと話しかけるのですが、浮舟は、もうまったくそういう気持はありません。『評釈』は「次元のちがうところにいるのである」と言い、『構想と鑑賞』に至っては、「『はらからとおぼしなせ』などというのも、甚だ不届きな料簡でもあり、滑稽でもある。思うに、も早、こんな人間を登場さす必要はないであろう」と切って捨てます。確かに、尼でも構わないから自分のものにしよう(前段1節)などと考えるのは、この人の素直さ(第三段)にはそぐわないことで、ここでの登場は、最早ない方がよかったようにも思われます。

 「深いお心からのお話など、分かるはずもない」と浮舟は言いますが、実は逆に浮舟の「深い」心が中将に分からないのであって、浮舟は、我が身を振り返って、中将の歌の言うように、今やこうして男性から言い寄られること自体を「ほんとうに厭わしい」という思いになっているのです。まさか、おっしゃる通りですとも言えないからでしょうか、彼女は返歌をしません。

ともあれ、この物語の中での中将の登場はここまでです。振り返ってみると、彼の役割は、ここの彼自身の歌が言っているように、一度は死を決意した浮舟に、蘇生の後、出家を決断させる契機となり、その姿を見届けることにあったようです。

 この人がもう少し重みのある人物であったら、それこそ、光源氏の物語を超えた大河ドラマが生まれたかもしれませんが、もう作者にそういう意図はなかったということでしょうか。

 さて「枯木などのようになって」生きたいという思いの浮舟にとって、出家はずいぶんと心休まるものになったようです。 

「ふさぎこん」でいた気持ちも「少し」晴れて、「冗談」さえ交わし大変普通の暮らしができるようになってきました。仏道修行も、他の尼たちを見習って、ということでしょうか、たいへん熱心にお勤めします。

 といっておいて、いきなり、雪の頃になると「ほんとうに心のやり場がないのだった(原文・げにぞ思ひやるかたなかりける)」というのは、どういうつながりになるのでしょうか。

「げにぞ」は引き歌があることを思わせると諸注が言い、『評釈』は「寂寥の思いをはらいのけるすべ」がないのだと注していて、雪に閉じ込められた暮らしをそのように感じるのは、普通には当然の思いだと言えます。

それはそうですが、ここでは先に「世間から忘れられて終わりたい」という気持で山里の暮らしに「少し気分が晴れ晴れとして」きたことを述べた直後ですから、普通なら、「人目もなくなった」けれども、気持ちは澄んできた、とかいうことになるところではないでしょうか。それなら、次の最後のドラマにうまく切り替わるフェイドアウトにもなるような気がするのですが、どうもちょっともやもやとした暗転です。》

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